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87 1994/11/30 wed 写真部部室:親愛なる指導者渡会二葉副部長さま

 ──写真部部室。


 ヒロインBの調査については、昼休憩のアンケートの結果を待って動くことになった。

 俺が思い出したのは「フラグ成立」、そのものの状況。

 これをある条件と組合せることで、ヒロインBの出現ポイントが一定の範囲内に絞れる。

 容姿もおぼろげながら思い出したから、見ればわかるはず。

 もっとも、ポイントを絞り込む作業は決して楽じゃない。

 できればアンケートで判明してほしい。


 しかし、二葉遅いなあ。

 二時間目が始まって既に三〇分経つ。

 遅れるかもとは言っていたが、基本的には授業が終わったら真っ直ぐ来るはず。

 後片付けやお手洗いの時間を考慮しても遅すぎる。

 さすがに事故とまでは思わないが、心配にはなる。


 ──カチャリとドアレバーの下がる音が鳴った。


「アニキ、お待たせ」


 ドアが開くとともに現れたのは、元気そうに手を挙げる二葉と──芽生!?


 芽生は気まずそうに、二葉の後ろで俯いていた。


「一樹君、おはよう……」


「あ、ああ……おはよう……」


 二葉がつかつかと中に入ってきた。

 その後ろを芽生が、とぼとぼとついてくる。

 顔からは完全に血の気が引いてしまっている。

 なんなんだ?


 二葉がどかっと椅子に座り、足を組む。

 続けて腕も組み、顎を突き出しながらふんぞり返った。

 この態度もなんなんだ?


 芽生が所在なげにきょろきょろする。


「あの……二葉さん……」


 全く抑揚のない口調。


「何よ」


「わたしはどこに座ればよいのでしょうか……」


 そして、なんて頼りないか細い声。

 何より、言葉遣いが敬語。


 なんなんだ?

 そう思った矢先、二葉が人差し指を下に向ける。


「ここ」


「ここ……って、床じゃないの!」


けーご(敬語)


「ゆ、床じゃないですか……」


 この敬語は二葉が命じてたのか。


 二葉が自らの座るパイプ椅子の横をパンパン叩く。


「いい? あたし達が座っているのは、たった三八センチ角のスペースなんだよ」


「はい……」


「部長と副部長のあたし達がだよ?」


 部長? 副部長?


「はい……」


 二葉が両手を広げ、床全体を指し示す。


「それなのにヒラ部員の芽生へ、こぉ~んな広大なスペースを提供してあげようっていうんだから」


「ヒラ部員?」


 つい口をついた。

 しかし二葉は構わず続ける。


「だったら言うべき言葉があるんじゃなぁ~い?」


「ありがとうございます。親愛なる指導者渡会二葉副部長さま」


「よろしい。褒美にそこに掛けられているダンボールをとらせよう」


 そういえば北の国の最高指導者が代替わりしたのはこの年だっけか。

 肩書にまで「さま」が付く辺り、北の国どころじゃなくなってるが。


 ……って、そんなのどうでもいい!


「二葉、説明しろ」


「見てわかんないかなあ?」


「わからないから聞いてるんだろうが」


「ぷぷっ、アニキって鈍いなあ」


 どうして俺にまで、そんな上から目線なんだよ。

 その口ぶり、素の一樹そっくりだぞ?

 二人だけなら思い切りツッコミ入れてやるのに。


 芽生にちらり目をやる。

 ダンボールを敷いて、ちょこんと座っている。

 なんとみすぼらしい、というか哀れな。


 ……と思ったところで、芽生が三つ指をついた。


「本日から写真部に入部させていただいた田蒔芽生です。今後ともよろしくお願いします」


「にゅうぶぅ~!?」


 声がひっくり返ってしまった。

 しかし二葉は泰然自若。


「どおおおおおおおおおおおおおおしても、写真部に入りたいんですって。ね、芽生?」


 いつにもまして冴え渡るチアリーダースマイル。


「え、ええ……是非とも一樹部長さま、二葉副部長さまの麗しき御兄妹と親睦を深めさせていただきたくて」 


 同じく芽生がチアリーダースマイルを返す。

 しかし昨日VIPルームで見せたふてぶてしさはまったく感じられない。

 明らかに弱々しく、笑顔が崩れている。


 というか、聞き苦しい。


「芽生、まずはその肩書に『さま』をつけるのを止めろ」


「だって二葉副部長さまが……」


 二葉が続ける。


「当然でしょ。写真部はチア部と同じく、伝統的に外部生の入部を認めてないの。それをチア部で世話になってる芽生がどうしてもっていうから、副部長たる(・・・・・)あたしの裁量をもってやむなく入部を許可してあげたんだもの」


 そんな伝統ねえよ。

 副部長を強調してるけど、名前だけって自分で言ってたろうが。

 明らかに面倒くさがってたのに。


「はい、全ては親愛なる二葉副部長さまの領導あってのことです」


「もし写真部OBが視察に来れば、あたしとアニキは粛清され、写真部は潰されてしまうかもしれない。そのリスクを負って芽生を入れてあげたんだからね」


 わざわざ一樹の顔を見に来る物好きなOBはいねえよ。

 そもそも学園からして、「一樹の監視のために潰さない」とか言ってるんだろうが。


「はい、全ては親愛なる──」


「芽生、立て。そして普通に話してくれ。これはどういうことなんだ?」


 芽生が言葉通り立ち上がり、二葉に目を向ける。

 二葉は「ちっ」と舌を鳴らすと、芽生の代わりに答えを述べた。


「要はアニキの味方にさえなれればいいわけでしょ? だから芽生に言ってあげたの。『よかったら写真部に入れてあげようか?』って」


 芽生が忌々しげに言葉を繋げる。


「『よかったら』じゃなくて、色んな条件ついてた気がするけど? 『敬語使うなら』とか『北の国の首領様がごとく敬うなら』とか」


「誰が敬語止めていいって言った?」


「くっ……」


「わざとらしく下唇噛むのやめてくんない? うざったいよ」


「二葉!」


 唇を尖らせる。


「事情は以上の通り。ついでにアニキの護衛役もやらせてあげるってことでさ。何を企んでるかしらないけど、それで用は足りるんでしょ」


 これが昨晩思いついた二葉の妙案か。

 ついでに、それをカサにきて芽生をイジメ倒すこと。

 ここまでワンセットだろう。


「そうね──」


 芽生はとげとげしく返事を放つと、再び頭を下げてきた。

 長い黒髪が重力に引かれ、垂れ下がる。


「──一樹君、そういうわけなの。これからよろしくお願いします」


「あ、ああ……」


 打って変わって柔らかい物腰。

 これで目的を達したには違いないのだろう。


 しかし目尻は心無しか潤んでいる。

 お前が本気なのはよーくわかった。

 だけど本当にこれでいいのか?


「芽生、とにかく敬語はいい。俺が気持ち悪い」


「わかったわ」


 芽生が頭を起こす。


「ちぇっ」


 舌を鳴らした二葉は、芽生へ向けて親指をピンと跳ね上げた。

 弾かれた物体が勢いよく飛んでいく。

 芽生は右手を軽く振る様にぱしっと掴み、手の平を開いて覗き込んだ。


「五百円玉?」


「芽生と言えども写真部の新しい仲間。お祝いにジュース奢ってあげるよ」


「嬉しいわね」


「もちろん買いに行くのは一番下っ端の芽生だけどね」


「ええ、渡会一樹部長さま(・・・・・・・・)のためなら全速力で買いに行かせてもらうわ」


 敬語を止めたら止めたで、飛び散る火花。

 まったく、もう。


 二葉が顎を突き出しながら、芽生に命じる。


「あたしはBBレモン。風邪気味だからビタミンC摂らないと」


 元の名前はわかる。

 しかし肝心の「C」が名前から消えてしまってるのだが。


「こないだ出たアレね。BB弾みたいな舌の上での炸裂っぷりが感動って評判で、二〇年後まできっと売れ続けるって噂だけど」


 芽生が淡々と語る。

 もはや全然違う飲み物にしか聞こえない。


「アニキには『PEPCI(ペプチ) MX』。カロリー摂らせるわけにいかないからね」


 元の名前はネックス?


「こないだ出たアレね。MXは『不味さMAX』の略って評判で、きっと来年には無くなってるって噂だけど」


 芽生が淡々と語る。

 そうなのか……って、おい!


「そんなもの飲ませるな!」


「じゃあアニキもBBで。で、芽生は──」


 芽生がゴクリと息を呑む。


「──『麻婆豆腐&ナタ・デ・ココ』ね」


 その名前からして危険な飲み物はなんだ!

 そもそも、そんな飲み物が存在するのか!


 いや、そういえば職場の先輩から聞いたことがある。

 かつて杏仁豆腐とナタデココをブレンドさせた、まるでデザートのようなドリンクがあったとか。

 しかし、それがなぜ、麻婆豆腐!


「……こないだ出たアレね。わかったわ」


 芽生が間を置いて踵を返す。

 一見してクールに見える。

 だけど背中の向こう側では、果たしてどんな顔をしているのか。


 しかし二葉は、さらに追い打ちをかけた。


「わかってると思うけど『コールド』だよ」


「ええ。二葉さんの血の温度くらいに冷たい麻婆豆腐を買ってくるわ」


 ──パタンとドアが閉まる。


 はあ、まったく……。


「二葉。芽生を写真部に引きこむのは名案だと思うけど、さすがにやりすぎだろ」


「そうかな? これでも加減してるつもりだけど?」


「加減?」


 どこが?


「本気なら『実は処女』というのを遠回しにネチネチいじり倒してる」


「やめろ!」


 しかし二葉はどこ吹く風で毅然と返す。

 

「芽生も火中の栗を拾おうっていうんだから、覚悟は見せてもらわないとね。言っておくけど、あたしはまだ芽生を信じたわけじゃない」


 なんて疑い深い……と言っても、仕方ないか。

 本来は不倶戴天の敵。

 信じろという方に無理がある。


 俺が納得したのを見てとったか、二葉が付け加える。


「それくらいじゃないとチア部の部長はやってられないってことだよ」


「元プレイヤーとしては、こんなヒロイン同士のリアルな喧嘩見たくないんだがな」


 二葉がニヤリと笑った。


「大丈夫、すぐにギャルゲー世界らしくしてあげるから」


「はあ?」


 二葉は立ち上がると、カメラを収納した棚へ。


「これなら芽生でも使えるかな?」


 コンパクトカメラを棚から取り出す。

 フィルムをセットして、机に置いた。


「後で渡してあげて」


「ちゃんと写真部員として扱うんだ?」


 これはこれで意外なんだが。


「アニキだってかわいいヒロイン二人を部員に従えるのは悪くない気分でしょ? せっかく入ったんだから、写真を撮る楽しさくらいは知ってほしいしね」


 へえ……。

 一見して非常に真っ当な事を言ってるように聞こえる。

 しかしどこか違和感をおぼえるのは気のせいだろうか?


                   ※※※


 芽生が戻ってきた。

 肩で息をしてるというのに笑顔を崩さない。

 チア部だからというより、二葉との意地の張り合いゆえだろうけど。 


「一樹君、BBレモンどうぞ。二葉さんも」


「ありがと。芽生も麻婆豆腐、ゆ~っくり味わって飲んでね」


「ええ、甘えさせてもらうわ」


 芽生はプルトップを引くや、顔を天に向けて麻婆豆腐を煽った。

 缶の角度からして、飲む……というより無理矢理口へ流し込んでいる。

 冷たい麻婆豆腐のナタデココブレンド。

 いったいどんな味がするのか。


 ぜん動していた喉が止まった。

 芽生が顔を正面に戻す。


「御馳走様、麻婆豆腐は最高ね。ゆっくり味わうつもりだったけど、あまりに美味しいものだから一気飲みしちゃったわ」


 大したものだ。

 心中穏やかじゃないだろうに、全く顔に出てない。


 しかし二葉は見ちゃいない。

 ひたすらカバンの中を漁ってる。 


「ふーん……あったあった」


 二葉が取りだしたのはホイッスル。


 ──ん?


 芽生の頬が赤らんだ。

 それだけではない、何やらもじもじし始めた。


「二葉さん、あなたは本気でやれと?」


「だってそれが芽生を写真部に入れてあげる条件だからね──」


 まだ何かあるのか。

 二葉が続ける。


「──大体、自分でアニキに言ったんでしょ? チア部の副部長としても、ここは応援のしどころだと思うけどなあ」


「でも……」


「チア部部長命令。ついでに写真部副部長命令」


「わかったわよ」


 いや、俺はわかってないんだが。


「二葉、説明してくれないか?」


「すぐわかるよ。アニキはそのままにしてて」


「はあ……」


 二葉がホイッスルをくわえる。


〔Pi・Pi・Pi・Pi……〕


 そしてピッピッと小気味よく吹き鳴らし始めた。

 芽生は足を肩の幅に開いて直立。

 二葉に負けず劣らず姿勢がいい。


 でも、これに何の意味が?


〔Piiiiiiiiiiiiiiiiiiiii〕


(ちゃあ~んす!)


 ──えっ!


 ホイッスルの音が伸びた。

 そう思った時には既に、机のカメラを手にしてシャッターを切っていた。


 ファインダー越しに見えるのは、純白のパンツ。


 ゆっくりカメラをおろす。

 そこでは芽生がスカートを思い切りたくし上げていた。

 視線を上に向ける。

 芽生は顔を真っ赤にし、固く閉じた唇をぷるぷるさせている。


 バシっと、頭を叩かれる。


「アニキ、失格」


 二葉が手にしていたのはハリセンだった。 


「二葉、どういうことだよ」


「アニキを更生させるための訓練だよ」


「くんれん~?」


 意外な答えに、声がひっくり返ってしまった。


「パンツを見ても反射で盗撮しないようにするためのさ──」


 あっ、アイの言ってたリハビリか。


「──そこの変態さんは『体の奥が熱くなった』上に『もしよかったらまた撮って』って頼んだらしいし、ちょうどいいかなって」


「わたしは変態じゃない!」


「でも言ったんだよね?」


「ぐっ……」


「言ったんだよね?」


「『傍らで応援したくなるのが女子として当然』とは言ったわね……」


 あー、もう。


「芽生──」


 しかし芽生は俺の言葉を遮るように首を振った。


「一樹君、いいの。これで一樹君が真人間になれるんだったら……わたし、恥ずかしいけど……頑張るから……」


 真っ赤な顔に消え入りそうな声。

 いつもより三割増しくらいであざとさが感じられる。

 ある意味では芽生の真骨頂と言いうる場面か。


 二葉がつまらなさそうに吐き捨てる。


「アニキ、早くクリアしてね。こんなキモイの、これ以上見たくないから」


「キモイって……」


 お前はそこまで言うか。

 しかし、それ以上の反論は許してもらえなかった。


「返事は『はい!』、続けるよ!」


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