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85 1994/11/29 tue 自室:明日は燃えるゴミの日だから

 話すべきことは話し終えたので、部屋に戻って龍舞さんのノート作り。


「二葉。そういえば龍舞さんは、トラちゃんのことを『タイガー』って呼んでたぞ」


「だから?」


 ワープロを叩く二葉がそっけない返事。


「みんな発想似てるよなあって」


「あんな似非フランス人と一緒にしないで」


 似非って。

 クォーターだから元々薄いんだが。


「タイガーは英語だぞ」


「英語の偏差値二五のアニキでもtigerって単語は知ってるんだね」


 もう……。


「お前が龍舞さん嫌いなのはわかったから、俺にあたるのはやめてくれよ」


「あたってるわけじゃないもん」


「全開であたってるじゃねえか!」


「毎晩こんなノート作りさせられて、あたらないアニキの方が不思議だよ!」


 ごもっとも。

 すっかり日課として受け容れてしまっている己が、自分で悲しい。


 でもさ……。


「せめて、家でくらい安らがせてくれないか?」


 二葉のキーを打つ指が止まる。


「ごめん……でも、アニキだって龍舞さん嫌いでしょ?」


「嫌い──」


 言いかけて、止まってしまった。

 改めて言い直す。


「──むかつきはするけど、嫌いってのはないな」


「ノート書かされ、お使い行かされ、挙げ句あんな偉そうな態度とられて?」


「そうなんだけどさ……助けてもらったり、頭下げられたり、どうも憎めないというか」


 二葉が嘆息をつく。


「はあ。それって、ただのストックホルム症候群じゃん」


「そこまでじゃないから!」


「でもアニキ、龍舞さんみたいな女性好きじゃないの?」


「どうして?」


「あたしと違って背が高いし、色白だし、美人だし……」


 どうして妹って人種は、絶対に恋人となるはずのない兄にまで褒めてもらいたがるのか。

 晴海もそうだったけど。

 ここはお約束をそのまま返そう。


「そんなことないよ。俺は背が低くて、健康的で、かわいらしい二葉が好きだよ」


「いやいや、照れるじゃん」


 二葉が手を仰ぎながらはにかむ。

 昼間もクリーチャーの前でそうだったけど、ホントおだてに弱い。

 こういうところはお世辞じゃなく愛らしいのだが。


「でも、どうした? 一昨日まではむしろ『怖い』とか言ってなかったか?」


「友達でもないのに、いきなり『妹』呼ばわりされればムカつきもするでしょ」


「まあなあ……」


 まさにあの場で思った通りではある。

 しかし「怖い」から「ムカつく」にするっと変わる辺り、やはり二葉は強者の側だ。

 普通はムカついても、龍舞さんに掴みかかったり悪態ついたりなんてできやしない。


「しかも『キサマが手伝ったんじゃないだろうな?』だよ。キサマ呼ばわりされる覚えもなければ、疑われるのもすんごくムカつくんですけど!」


「予想通りは予想通りだったよな」


「こんな予想当たったって嬉しくない! 挙げ句にあの味覚音痴、よくもあたしのげろさんどにケチつけてくれて……」


 すっかりげろさんどで定着してしまったところに、ツッコミを入れたくなる。


「あのフランス語、なんて言ってたんだろうな?」


「さあ? あたしフランス語全然だし。悪口や文句には違いないだろうけどさ」


「そうだなあ……よし、こっちのノートは終わった」


「だから、その右手跳ね上げるのは──」


「癖だ、って言ってるだろ。その眉をひそめるのはやめろ!」


 二葉があははと笑い出す。


「冗談だってば。こっちも終わったよ」


 はい、とフロッピーディスクを差し出してくる。

 受け取って、こちらも保存。


「これで今日の作業は終わりか。今晩は早く眠れそうだな」


 時計を見ると零時前。

 帰宅が遅かった割には早く終わった。

 まあ、今日は特別話し合うことがあったわけじゃないし。


「アニキ、明日はどうする?」


「うーん……とりあえず昼休憩は確定してるよな」


 二葉は後輩に頼んだアンケートの回収。


 俺は図書室でノートのプリントアウト。

 別名、避難ともいうが。

 教室に残ってたら何されるかわからないから。


「そうだね。じゃあ二時間目あけてもらえる?」


「二時間目?」


「昼休憩逃げるなら、その前の時間からいない方がいいでしょ」


 イヤな先読みだなあ。


「わかった。待ち合わせはどうすればいい?」


「部室にいて。もしかしたら少し遅れるかもだけど、その時は許して」


「部室? またどうして?」


 遅れるかも、というのはいいとしても。


「深い意味ないよ~。出雲学園内で一番落ち着いて話せるスペースだしさ」


 確かにそうなんだが。

 妙に間延びさせた語尾が引っ掛かる。

 絶対に深い意味あるだろ。


 ……まあいい、どうせ教えちゃくれまい。

 

「じゃ、二時間目に部室な」


「明日もあたしは朝練休むからさ。学校は一緒に行こ」


「おっけ」


 二葉が立ち上がり、ドアノブへ手を伸ばす。


「それじゃおやすみ……そうだ」


「どうした?」


 こちらへ背中を向けたまま、声を発してくる。


「明日は燃えるゴミの日だから」


「ん?」


「明日は燃えるゴミの日だから」


「なぜ繰り返す!」


「二度とあたしに火箸使わせるような真似はしないでってことだよ」


 二葉が背を向けててくれて良かった。

 震える肩を見ると、とてもじゃないが顔まで見られない。

 ついでに「大事なことだから二回言いました」って決まり文句が、この時代には存在しないことも理解した。


 話をそらすべく、昨晩聞いたゴミの捨て方を復唱する。

 

「『自分で出すなら、家を出て右手に歩いた最初の交差点にある電柱がゴミの収拾場』だったっけか?」


「うん。ま、家を出るときに出せばいいよ。回収車来るのはその後だから」


「わかった」


 二葉が今度こそ、ドアを開けた。


「アニキ、おやすみ」


「おやすみ」


 ぱたんとドアが閉まる。

 さて、日課だ。

 いたす方向ではなく、考え事の方の。


 ──ベッドへ横になる。


 必要事項は二葉とまとめ終えたし、今晩は考えることがない。

 それでもあえて考えるなら……本来ならオカズになるはずの出来事がオカズにならず、いたす気にすらならないことだな。


 芽生が二葉の隙をみて抱きついてきたところまではよかった。

 ふわりくすぐる髪の香り。

 つるつるした肌の滑り心地。

 あそこで終わっていれば、今頃は切なさが勝手に暴発していたかもしれない。

 しかし、胸の圧迫。

 まさか芽生を跳ね飛ばすまでの拒絶反応があろうとは。


 問題は、もし「うん」と言っていたらどうなっていたのか。

 かりそめと言えど、俺こと一樹と芽生は恋人同士。

 しかし「上級生」にそんなルートはない。


 だとすると、明らかに言える。

 あの時あの場所においては「上級生」で定められたルート以外を選べたことが。

 まさか承諾しようとしたら神の見えざる手で声が出なくなるというわけでもあるまい。


 「うん」と言っていたら全ての未来が変わったのか。

 それともタイムパラドックスを防ぐための修正力でも働いたか。


 考えてもキリがない。

 いずれにしても、この世界が不安定な代物であることには変わりなさそう。

 未来に対して要らぬ干渉しないよう気をつけないとな。


 さあ寝よう、おやすみ……。


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