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84 1994/11/29 tue リビング:あー、じんじんじわじわ気持ちいい~

「ふーん……」


「いや、だから、それはキスって言えるような代物じゃなくって」


「ふーん……」


「俺だってムリヤリ押し倒されて」


「ふーん……」


「胸がぐにゅっと潰れる感覚が、どれだけ気持ち悪かったか」


「どうせあたしに胸はありませんよ」


 なんでそうなる。


 一緒にいたときのことは二葉も把握してるから後回し。

 芽生が手紙を渡してきたところから話したのだが、一事が万事この調子。

 ようやくまともに返事したかと思えば「胸はありませんよ」って!


「そのあてつけがましい返事はなんなんだよ」


「あてつけがましいんじゃなくて、あてつけてるんだよ」


「だからなんで!」


「まるで芽生とののろけにしか聞こえないから! 聞かされるあたしの身にもなって!」


「全然違うから!」


「黙れ、汚らわしい!」


「け、けが……」


 ダメだ、ラチがあかない。


 二葉だって、頭ではわかってはいるはず。

 ただ相手が芽生だからだろう、すっかり血が上ってしまっている。

 本来はかなり理性的なはずなんだけど、こんな感情的になるなんて。

 やはり二葉も女の子というべきか。


 こういうときは、だ。


「ちょっとトイレ──」


「逃げるの?」


「逃げないから! 漏れるから!」


「ふん、いってらっしゃい」


 席を外して、距離をとるに限る。

 そそくさとリビングを出て、トイレへ。

 怒る相手がいなくなったら、大体は鎮まる……ものと思いたい。


 バカ正直に全て話すこともなかったかなあ。

 でも仕方ない。

 事実を曲げるわけにいかないのはスパイの基本。

 何より悪いのは俺じゃない。

 痴女まがいの真似をやらかしてくれた芽生だ。


 さて、リビングへ──いや待て。


 この後はパンツ丸出しの場面の説明が続く。

 そんなの二葉の怒りを悪化させる可能性大。

 穏便に討議を続けるためには策を講じたいところだ。


 どうするか。

 まさに対人術に秀でたスパイの腕の見せ所。

 こういうところで腕前を発揮できないと、本当に「ごっこ」だ。


 ──ぶるっと寒気。


 今日は雨に打たれたからなあ。

 しかも立ちっぱなしで監視し続けて疲れたし。

 早めに話を切り上げてベッドに潜りたいところだが。


 ん? 監視? ……そうだ!


 浴室へ行き思いついたものを用意、リビングへ戻る。

 ソファーでは、眉を釣り上げた二葉が待ち構えていた。


「アニキ、おっそーい!」


「ごめんごめん」


 後ろ手に隠していたブツを差し出す。


 二葉が目を見開いた。


「蒸しタオルだ、あったかーい!」


「今日は監視し通しだったし、目も疲れただろうって」


「うんうん」


「目を瞑って、乗せてみろ」


 二葉がソファーにもたれかかって天を仰ぐ。

 そして瞼にタオルをぺとっと。


「あー、じんじんじわじわ気持ちいい~」


「そいつはよかった」


 癒し系はきっと古今東西構わず通じると思ったが、案の定だ。

 これなら落ち着いて説明を聞いてくれるだろう。


                  ※※※


 体育館裏で会った龍舞さんの件まで話し終える。

 二葉が蒸しタオルを乗せたまま、口を開いた。


「アニキの味方になりたい、ねえ……」


 リラックスしているのか、のんびり目の口調。


「どう思う?」


「『きっとそうなんじゃない?』としか言いようがないや。龍舞さんに嘘つく理由はないし。かと言って、目的を特定するには話が見えないし」


「だよなあ」


 二葉の手はだらり。

 足も力なく伸びた感じ。


「先にさ、いくつか引っかかったこと教えてくれない?」


「ん?」


「芽生がキスなんて何とも思ってないって、どういうこと?」


「キスの達人だから」


 二葉が跳ね起きた。


「はあああああああああああああああ!?」


「驚きすぎ」


 蒸しタオルがこっちまで吹っ飛んできた。

 すっかり冷めてしまってる。


「そりゃ驚くよ。あ、あの……なんていうの? 芽生って色んな人とあんなことしたりこんなことしたりだからきっとそうなんだろうけど、でもでもそれを理由に出されるとさ……」


 まるで呂律が回ってない。

 どうやら、まずここから説明しないといけないらしい。


「二葉」


「はい」


「心して聞け」


「なんでしょう?」


 俺のテンポに釣られたか、二葉が敬語になった。

 伝えるタイミングはここだ。


「芽生は……処女だ」


「はああああ──」


 すっくと立ち上がる。


「──あ?」


 叫びが止まった。

 我ながら、なんて華麗なスルースキル。

 目の前から叫ぶ対象が消えれば、黙るしかない。 


 ついでなので流しへ。

 蒸しタオルを作り直してやろう。


「アニキ! 無視しないで!」


「ちょっと待ってろ」


「だから、芽生が処女って!」


 俺も一旦口にした以上、まつわる全てを説明しないといけない。 

 どうして公麿組にいるか、そしていることができるか。

 落ち着いて聞いてくれないと困るから、今は心置きなく叫び続けてくれ。


 ──ソファーに戻る。


「ほら、蒸しタオル」


「あたしに『泣くな、叫ぶな、驚くな』と言いたいわけね」


 二葉はぶつぶつ言いつつ後ろに倒れ込み、目に蒸しタオルを乗せた。


「まず処女の説明からしよう。『上級生』で芽生が処女なのは間違いない。ラストで金之助か華小路と結ばれるまでな」


「誰かというのは、金ちゃんか華小路ね。でもゲームと同じって言いきれるの?」


 さすが蒸しタオル効果。

 普段の冷静な応対に戻ってる。


「一樹だって『芽生は処女』と言ってたんだろ? 理由もなく口にするとは思えない」


「じゃあ、あたしを『乳臭い』呼ばわりでバカにするのは?」


 歯ぎしりしてもおかしくない場面だが、意外と落ち着いた口調。

 これまた、さすが蒸しタオル効果。


「見栄。芽生は見栄っ張りだし」


 さらりと答え、VIPルームでの話をする。


 実は芽生にとっても三万円は痛い出費であったこと。

 だけど二葉の前で引き下がるわけにいかなかったこと。

 俺の横槍で回避できたこと。

 芽生の「ごめんなさい」にその本音が表れていたこと。 


「一樹の尊敬する用務員さんが大活躍するような学校なら、処女より非処女の方が格上って扱いなんだろうしな」


「用務員さんはともかく、出雲学園の女の子同士だとそうだね」


「だから芽生はお前をバカにすることで『わたしは処女じゃない』って見せかけてるんだよ。誤魔化したい場合には定番の手法だ」


 二葉が拳を握る。

 そろそろ蒸しタオル効果も切れてきたか?


「一石二鳥ってわけか……ねえ、アニキ?」


「ん?」


「それ、明日、芽生の前でばらしちゃダメ?」


「ダメ。運命変わったらどうする」


「ちっ」


 二葉が舌打ちを鳴らす。

 でも、この程度の悪態で済むならかわいいものか。


「芽生の処女というのは田蒔家の家訓によるんだ。それさえ確認すれば真偽はわかる」


「家訓?」


「『田蒔家の女子は、結婚するまで処女を守るべし』。言葉だけじゃなく、芽生には病院での定期健診も義務付けられている」 


「うはぁ……でも乱れ切ってるよりは、それくらいお堅い方がいいかな」


「残念ながらお堅く聞こえるのはここまでだ」


「どういうこと?」


 立ち上がる。

 そして二葉の目から蒸しタオルを取り上げる。


「あーっ!」


「もう冷めただろ。またタオルをこっちに跳ね飛ばされたらかなわないからな」


 二葉が体を起こす。


「つまりまた大声で叫びたくなるような話ってわけね」


「そういうこと。そして二葉が怒り出す話でもない」


 ……多分。


「じゃあ聞かせてもらいましょうか」


 二葉がソファーにふんぞり返る。

 その偉そうな態度は、やっぱり一樹の妹だよ。


「主題は、『どうして芽生がキスの達人か?』ということ」


「ふんふん?」


「答えは『芽生が幼少時からキスの訓練を受けているから』」


「はあああああああああああああああああああああああ!?」


 二葉が体を跳ね起こした。

 やっぱり蒸しタオルを奪い取っておいてよかった。 


「まだ続きがあるんだが……」


「ごめん、続けて」


 二葉が姿勢を整える。

 今度は肘を太ももにつく形での前かがみ。

 心の中は「何でもこい」といったところだろう。

 だったら、その期待に応えてやる。


「磨かれた舌の器用さたるや、さくらんぼの軸でエッフェル塔を作りだすほど。並の男ならキスだけで一分もたず昇天するという設定だ」


「……続けて」


「キスだけじゃなく、ありとあらゆるオーラルテクニックを仕込まれている。これはどうしても男の劣情をかわせない状況になったとき、口だけでイカせて身を守るため」


「……オーラルテクニックはやめて。生々しすぎるから」


「公麿組で華小路に重宝されるのも、ルックスだけじゃなく、この口技を持ち合わせてるから。華小路すら一分もたない例外じゃない」


 二葉が深く息を吐き出す。


「ふう……なるほどねえ。『付き合ってる』とか『本命』とか聞く割には、どこか他のメンバーと比べて距離の離れた感じも合点がいったわ」


「そうなの?」


「見てて明らかだよ。他の子も言ってる」


「そのくらいに見えるのが、現実だと自然かもな」


 二葉の瞼がぴくりと動く。


「なんか含みある言い方だね」


「だって芽生は、華小路が好きで公麿組にいるわけじゃないからな」


 二葉が息をのみ、おずおずと尋ねてきた。 


「……どういうこと?」


 即答する。


「芽生が華小路に近づいているのは家のため──たまき銀行を救うためだ」


 二葉が反応を返さない。

 少し間を置く……も、やはり言葉を発しない。


「二葉?」


「ごめん。なんか色々返事のしようがなくて」


「具体的には?」


「たまき銀行って都銀でしょ?」


「うん」


「絶対潰れない都銀を『救う』って? 都銀は護送船団方式で国から守られてるじゃん」


 そこかっ! そこからかっ!

 確かに昔は「都銀は絶対潰れない」神話があったと聞くけどなっ!


 しかも高校生の台詞と思えない。

 さすがはブルジョワ出雲学園の生徒。


「護送船団方式は破綻したから。都銀だって潰れたから」


「えー、嘘だあ。父さん言ってたよ。『もしかしたら地銀の一つや二つは潰れるかもしれないが、都銀は何があっても大蔵省が守るから潰れることはない』って」


 だから、二葉の父親はなんてこと言いやがる。

 地銀を見下した格差付け満々な台詞が、やっぱりキャリア様。

 こういう自分が正しいと信じて疑わない人には、拓銀倒産が大きく報じられた元の世界の新聞を見せたくなる……俺も見たことないけどさ。


 ちょっと聞き方を変えてみよう。

 リアルな元の世界の歴史からは少しずらして、と。


「学校で『芽生の銀行が危ない』って噂は流れてない?」


 「上級生」の芽生ルートでは流れてたんだが。


「流れてるけど、やっぱりあたしと同じ認識だよ。『都銀が潰れるわけない』とか『危ないって言っても都銀だしねえ』とか」


 他の人達すらこんな認識なのか。

 きっとこの世界においては常識なんだろうな。


 もういい。

 俺にも納得させられるだけの金融知識があるわけじゃなし。

 こうなれば、二葉ばりの力技だ。


「もう理屈も常識も抜きにして、とにかく受け容れてくれ。たまき銀行は何とかしないと三年後には潰れるということを」


「わかった」


 顔から納得してないのはわかるけど、返事はしてくれた。

 とにかくこれで話が進められる」


「んじゃ次──」「ちょっと待った」


「まだ何かあるのか?」


「疑問ってわけじゃないんだけど……むしろあたし達の噂話を肯定したって感じなんだけど……華小路の金目当てって……ホントにそうだと言われると……」


 いかにも言いづらそう。

 この場合の噂話は、ただの「悪口」だろうしなあ。


「金目当てというと、ちょっと語弊があるかな。真の意味での正妻に収まろうってのが芽生の目的だから」


「もっと信じられないよ!」


 まあ、生々しくはある。

 ゲームの設定を出しつつ、確認を兼ねながら二葉に説明していこう。


「『上級生』によると、華小路には名家にありがちな許嫁がいない。そして華小路は自分で花嫁を選んで、決めることができる」


「その通りだよ」


「だから女の子達は公麿組にこぞって入る、あわよくばを夢見て」


「否定はしないけど、本音で玉の輿を期待してる人はいないんじゃないかな」


「せいぜい心の片隅で、ってところか」


 二葉が口の端をわずかに歪める。


「それすらどうか。華小路って現実離れしちゃった存在じゃない? 夢の中の王子様みたいな感覚なんじゃないかな。公麿組の女の子達が争い起こさず仲いいのも、実際はその点が大きいと思う」


 説得力あるし、特段否定すべきことではなかろう。


「逆に言えば、芽生が本気で狙うなら正妻の座は近そうだ」


 実際にそういうエンドも存在するわけだし。


「アニキ、一つ聞いていいかな?」


「どうぞ?」


 二葉がコホンと咳払いする。

 この畏まった様子はなんだ?


「今のって、『上級生』がそういうストーリーって話だよね?」


「うん」


「例え家業のためとは言え、財力目当てにお坊ちゃまのハーレムに入る。それってあたしの目からは腹黒ヒロイン全開にしか見えないんですが、気のせいでしょうか?」


 ……言われてみればそうだな。


「きっとギャルゲー風に言うと、『腹黒』は『健気』なんだよ」


「ごめん。先に進めて」


 そんな呆れた顔しなくても。

 俺だって、こんな腹黒な芽生の素顔なんて知りたくなかったわい。


「でも、だからこそ芽生の『味方になりたい』という申出は信じられるんだ」


「というと?」


「まず申出の前提として華小路組の脱退があること。家業よりも優先する何かがあるということだろう」


「そうなるけど、いまいちピンとこないね」


「疑問は後、続けるぞ。どうしてキスの達人たる芽生が、あんな無様なキスをしたか」


「アニキ相手だから全力でキスするのがイヤだったんじゃない?」


「違うな。あれが芽生の素だからだ」


「素?」


 二葉が目を見開き、きょとんとする。


「これはゲームをやってないとわからないんだが……芽生は好きな男相手には、鍛えられた口技を発揮することができない」


「どうして?」


「『好きな男には裸の自分を受け容れて欲しい』とやらでな。もうエッチシーン突入直前の芽生ときたら、歯をカチカチ鳴らしながら顔を真っ赤にしてかわいいこと──」


「そこはいいから」


「──だけど金之助のために、自らの封じた技を徐々に解放──」


「そこもいいから。つまり芽生はアニキを好きってこと?」


 んなわけないよね、と即座に付け加える。

 わざわざ否定しなくてもわかってるわい。


「要はこういうのって打算のない部分だよな。純粋というか」


「うん」


「だから申出の動機が、そういった類なんじゃないかなあと」


「わからなくはないけど決めつけるわけにもいかないよね。そして芽生は味方になった時点で事情を話すと言っている──」


 パチンと二葉の指が鳴った。


「──いいこと思いついた」


 また悪だくみか?

 こんな台詞を言ってはならない。

 俺のために考えてくれてるんだし。


「どんなこと?」


 二葉はニヤ~と口角を釣り上げた。


「明日までなーいしょ。どうせだったら面白おかしく楽しまないとね」


 前言撤回。

 もう悪だくみ以外の何物でもない。


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