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81 1994/11/29 tue 珍宝堂前:スパイだもん、しかたないじゃん

 ──珍宝堂付近。


 平日の昼だけあって、日曜日にイジラッシを拾ったときほど往来は激しくない。

 とは言え、そこそこの人通り。

 金之助をマークするにはちょうどいい頃合いかな。

 人混みが多すぎると見失いやすいし追いかけづらい。

 かと言って、少なすぎれば気づかれる。


 待ち合わせ時間はとっくに過ぎている。

 二葉は既に来ているはずだが、出雲学園の制服を着た女の子は見当たらない。

 どこにいるのか。

 こういうときケータイとメールがないのは不便だ。

 どちらかがあればすぐ連絡つくのに。


 二葉が金之助を呼び出したのは正面口。

 現在は信号を挟み、ちょうど死角になりそうな辺り。

 監視するなら、この辺りがベストポジなんだが……。


 ──背中を、ぐっと引っ張られる。


「アニキ、おっそ~い」


 二葉の声。


「遅れてすまん──」


 振り返る……ん!?


「──お前、なんでそんな格好してるの?」


 頬を膨らませる二葉は学ラン姿。

 つまり男装をしていた。

 伊達眼鏡に髪をきっちり分けた真面目系なのが昨日と違うが。


「昨日の学生服を若杉先生に返すの忘れちゃってさ。尾行するなら変装しなきゃだし、ちょうどいいかなって」 


 お前は何に酔っている。


「恥ずかしくないの?」


「スパイだもん、しかたないじゃん」


 その妙に鼻高々な表情はなんなんだ。

 別にお前はスパイじゃない。

 俺だって元はスパイだけど、今は違うのに。

 なんて痛々しい勘違い。

 これもまた羞恥属性のなせる技だろうか。


 ……などということは決して口に出せない。


「金之助は?」


 二葉が指を差す。

 その先に目線を動かすと、前髪で目の隠れた男子生徒──金之助がいた。


「あたしが着いたのは時間ちょうどだけど、その前には来てたよ。学校を平気で遅刻したりさぼったり、どちらかといえば時間にルーズなイメージなんだけど」


 ああ……。


「『上級生』ではイベントの時間管理がシビアだからさ。一〇分遅れたら致命的なミスになるのがざらなんだよ」


「へえ。女の子が絡むと人が変わるとか、そういう理由かと思ったけど」


「理由付けはそんなところだ。女の子にはそれだけ誠実じゃなければいけないというのもあるし、男と女の縁はタイミングというのもあるし」


 二葉が瞼を伏せ、じとっと見つめてきた。


「人生二六年間カノジョ無しで、北条さんの気持ちを見ない振りしてた人が言っても説得力ないよ?」


「俺が言ったんじゃない! ファンブックに書いてあったんだ!」


「あはは、じゃあ金ちゃんの監視始めようか」


 けらけら笑いながら、追い抜いていく。

 ったく、もう……って、おい!


 二葉の頭をひっぱたく。


「あてっ、何すんのさ」


 頭をさすりながら見上げてくる。


「『何すんのさ』じゃない。その壁にへばりつきながら覗き見る、いかにも監視してますって態度はなんだ」


「だって金ちゃんにバレるわけにいかないじゃん」


「この辺からなら、自然に眺めてても気づかれるか。通行人を見ろ、みんな『こいつ何してるの?』って目で通り過ぎてるじゃないか」


 二葉が口を尖らせる。


「だって父さんが言ってたんだもん」


「はあ?」


「『監視や尾行は本人にさえバレなければ、周囲にはどう思われたって構わないんだ。とにかく見失うな』って」


「はあ……」


 なんてムダなドヤ顔。

 二葉のオヤジは娘に何を話してやがる。


 監視や尾行でそういう方法論を唱える人も確かにいる。

 でもそれは「失尾しました」という報告を嫌う管理職側の意見。

 俺みたいな現場の人に言わせれば、基本はやっぱり目立たないこと。

 さすがはキャリア様だなあと言わざるを得ない。


 なんて説教するのも大人げない。

 ここはそれ以前の問題に突っ込ませてもらおう。


「お前、そのトカゲみたいな格好を恥ずかしいとは思わないわけ?」


 例え父親の言うことが正しかろうと、この場面でする必要はない。


「こういうのは形からじゃない? 気分だよ、気分」


 やっぱりこいつはしっかりしているようで、どこかヌケている。

 ま、見方を変えれば可愛らしいか。

 自らの痛々しさが周囲からどう見えるかわからない辺り、さすが羞恥属性。


「もういいから、こっち来い。普通に眺めるぞ」


「ちぇ、つまんないの」


 ──目立たぬ立ち位置、普通の立ち姿勢で仕切り直し。


 二葉が金之助に目を向けたままで問うてくる。


「ところでアニキ、どうして遅れたの?」


 声は穏やか。

 遅れたことを咎めている様子はない。


「色々あってな。事情が込み入ってるから、帰ったら話すよ」


「かなり込み入ってそうだよね。芽生の香水の匂いがするし」


 さすがに二度目とくれば動じない。

 龍舞さんにも聞かれたことだし。


「そういうこと」


 ここは軽く流させてもらう。

 どちらにせよ往来でできる話ではない。


 しかし、久々だな。

 この、集中して一点を見つめ続ける感覚。

 なんとなく元の世界に戻れた様で嬉しくなってくる。

 昔は面倒としか思わなかったが、まさか監視作業を愛おしく思う日が来るなんて。

 さて、一丁頑張りますか。


 ──一時間経過、夕方五時前。


 晴れていた空は、いつの間にか雲に覆われていた。

 冬前だけに日没も間近、余計に暗い。

 まだ顔の判別くらいは何とかできるが。


 二葉が伸びをしながら話しかけてくる。


「ふぁ……こうして見てるだけってのも退屈なものだねえ」


「監視ってのはそういうものさ。一二時間ぶっ続けとかざらだぞ」


「ひぇー。それだけの時間立ちっぱなしって、それこそ周囲から怪しまれないわけ? 逆に不審者として通報されそうだけど」


「さすがに車使うよ。そういうときは二人組で、こんな感じで集中力切らさない程度に話しながらするかなあ」


「ふんふん、こんな感じに頭使わない程度の実りない会話ね」


「その通りだけどさ」


 なんというナチュラルな毒。

 二葉自身も頭を使ってないのがよくわかる。


「んで、アニキ」


「ん?」


「さっきから金ちゃんは何やってるわけ? デパート前の銅像叩いたり、信号機撫でたり、ガラスドアぺたぺたしたりさ」


 ああ……。


「ゲーム内だと、ああやって対象物をクリックする度に金之助のコメントが出るんだよ。それを試してるんじゃないかな?」


「傍から見ると危ない人にしか見えませんけど……」


「俺も全力で同意する。確かにこれは怖い」


 ゲーム内なら「好奇心旺盛」の一言で済むんだけどな。


「んで、アニキ」


「ん?」


 今度は何だ?


「金ちゃんって、さっきから通行人によく話しかけられるよね」


「ゲーム内だと、ああやって通行人をクリックする度に通行人のコメントが出るんだよ。それを試してるんじゃないかな?」


「その答え、さっきも聞いたような気がするんだけど……」


「俺の頭も働いてないらしい」


 ゲーム内なら「人懐っこい」の一言で済むんだけどな。

 まったく脈絡のない台詞が頭に浮かぶ辺り、集中力を欠いてきてるかも。


「んで、アニキ」


「ん?」


 まだ何かあるのか?


「金ちゃん動かないね。もう一時間以上経つのに」


「そういえばそうだな」


「普通なら『来ない』と思って諦めると思うんだけど」


 元の世界ならケータイ掛ければ済むんだが。


「それだけ女好きってことなんだろ。他にやることがあるわけでもなし」


「そうかもしれないけど、ちょっと胸にチクチクするものが……」


 自分で立てた計画だろうに。

 しかも昨日はチア部全員を騙しきったヤツの台詞とも思えない。


 ま、お人好しの二葉らしいか。


 昨日は俺のため絶対に成し遂げないという大義名分があったし。

 全員を相手ということになれば、かえって罪悪感も薄れるものだし。


 その一方で金之助はあざとい。

 まさか俺達が監視しているのに気づいているわけじゃないだろうが、肌寒い空の下で一時間も待ち続けるなんて。

 こんなの見せられたら、二葉じゃなくても気が咎めるしコロッとなる。

 さすがは主人公というべきか。

 男版の芽生だな。


 ──あれ?


 あの派手なスーツの女性は見覚えあるような。

 胸元を大きく開けたピンク色のミニスカスーツ。

 高く細いヒール。

 じゃらじゃらしたアクセサリ。

 若杉先生とは別の意味でケバい、アップにあげた髪。

 いかにも水商売、有り体に言えばホステスかキャバ嬢。

 金之助に向かってせかせかと歩いていく。


「あっ!?」


 二葉の叫声が耳に届く。

 それと同時に、金之助と水商売女は激突していた。


 倒れ込む二人。

 金之助の手はしっかり水商売女の豊満な胸に。

 しかも水商売女の胸ははだけ、ブラが見えてしまっている。


 ああ、なんというラッキースケベな主人公属性。

 そして、それを羨ましいと全く思えないどころか呪わしいとまで思ってしまう、憐れな俺の脇役属性。


「金ちゃん、フケツ……」


 二葉のぼやき声が聞こえる。

 金之助にしてみれば悪気の欠片もないのだが。

 この後は理不尽にもビンタされるんだったっけ?

 あっ、された。

 思い切りフルスイングで。

 痛そう──あ、口元にキラリと光るものが。


「思い出した」


「何を」


 ふと漏らした声に、二葉が反応する。


「あの女性は『上級生』のヒロインってことを。名前は桃井ももいそら、通称は『空さん』」


「あれがあ?」


 二葉がすっとんきょうな声を出す。


「一八禁だし、ああいう派手な服着た水商売のヒロインもいるんだ」


「あ、ああいや……格好や職業で差別するわけじゃないんだけど」


「いや、そう思うのが自然だろ」


 二葉が気まずそうに取り繕うのでフォローする。

 ごくごく普通の女子高生、それも二葉みたいな育ちの子からすれば、水商売の女性は嫌悪の対象だろうし。

 そこまで言わなくとも異星人とか、その類の存在のはずだ。


 さて次の展開は、と。


「見てろ。まず金之助が土下座しながら平身低頭謝るから」


「ホントだ……まあ、不可抗力とはいえ謝らざるをえないよね」


「次は空さんがにっこり笑いながら立ち上がり、膝に手をつきつつ金之助を助け起こす。台詞は聞こえないけど『ううん、私も悪かったから気にしないで』って」


「ホントだ……金ちゃんに手を差し伸べてる」


 ついでに金之助からは空さんの黒パンストに透けたパンツも見えているのだが、そこまで説明する必要はないだろう。


「そして空さんは懐からチケットを取りだし、金之助に手渡す。そしてウィンクしながらバイバイ」


「ホントだ……手を振りながら去っていった。アニキってまるで予言者だね」


「そりゃゲームをプレイしてるからな」


 というか、ここまでゲーム通りだと逆に怖いよ。

 とにもかくにも、金之助は空さんに対して最初のフラグを立てたわけだ。


「あのチケットは何?」


「空さんの働くお店──高級会員制クラブの入場無料チケット」


「ほぇ~」


 二葉の実に間の抜けた声。

 自分でも何に驚いてるか、よくわかってないのだろう。

 

 ──って、あれ?


「二葉、大丈夫か?」


「ん? どうして?」


「顔が少し赤いから。風邪でも引いてないかと」


 二葉が首を振る。


「ううん? ただ少しドキドキしてるかも」


「どきどき?」


「胸がとくん、って。見なくていいもの見ちゃったせいじゃないかって思うんだけど」


 確かにあんなラッキースケベ、好き好んでは見たくないと思う。


「そっか。何事もないなら、それで」


 おっと、いけない。

 金之助から目を離してしまっていた。

 再び戻そうとする、と二葉が怪しげな笑みを浮かべる。


「その顔はなんだよ」


「ううん? アニキって優しいなって」


「はあ?」


「だって、今まで一樹からそんな言葉掛けてもらったことないからさ」


 なんて不憫なヤツ……。

 ただ俺の頭の中にある一樹のイメージからすれば、掛けようと思っても掛けられなかったってところだろうけど。

 二葉だってわかってるはず。

 ここは深く語るべきところでもあるまい、さらっと流そう。


「そっか」


「……うん」


 シンプルな答えが二葉の心境を物語っていると思う。

 二葉としては、たまには口に出してほしい優しさがある。

 それが言いたかっただけだろう。

 俺は妹がいるから、その辺りもわかるが……。


 一樹、もし帰還できたら、その時はもう少し妹を労る努力をしろ。

 女の子の気持ちなんて、ほんの一言で変わるんだから。

 二六年間カノジョなしの俺だって、妹だと思えばできるんだからな!


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