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78 1994/11/29 tue 体育倉庫:まずは丸見えになったパンツを隠してもらおうか

 な、何をっ!


 視界には、眉間にシワができるほど力いっぱい閉じられた瞼。

 両方の頬にはぎゅうっと挟んでくる冷たい手の平。

 そして唇にのっかる柔らかい──。


 キス。

 これはそんな情感ある言葉が似合う行為じゃない。

 ただ力いっぱいに唇を押し付けてくるだけ。

 鼻の軟骨がへしゃげて痛い。

 弾力ごしに歯をへし折られそう。


んんん(離せ)! んんん(離せ)!」


 振りほどこうとするも離れない。

 がっちり体を固められている。

 芽生は柔道の心得でもあるのか!


「んっ、んっ、んっ」


 さらに重みが増した。

 学生服越しに、芽生の胸が潰れていく感触。


 ──これはっ!


「きゃっ!」


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 眼前の芽生は大股を広げ、尻餅をついてしまっていた。

 そして俺は立ち上がり、芽生を見下ろしていた。


 スーパー一樹が発動したのか、俺自身の火事場の馬鹿力か。

 脳裏によぎる、俺を死にに追いやるきっかけとなった敵工作員の逆レイプ。

 胸の感触によって工作員と芽生が重なった瞬間、頭の中が真っ白になった。

 どうやら逆レイプがすっかりトラウマになっていたらしい。


「何するの!」


 芽生が睨みながら叫んでくる。

 口元には八重歯。

 唇からは血が流れている。

 恐らく自身の八重歯で切ってしまったのだろう。


 しかし、なんて無様な格好だ。

 ポケットのハンカチを取り出して放り投げる。


「叫ぶのは結構。だが、まずは丸見えになったパンツを隠してもらおうか」


「なっ!」


 芽生が慌てたように膝を折り曲げ、ペタンコ座りの体勢に。

 頬を赤らめながら口をへの字に結び、スカートを手で押さえる。


「我が学園の校則が示す通り、パンツは隠そうとするからこそ美しい。それなのに嗅いでくれとばかりに自己主張させるなぞ、パンツに対する冒涜だ」


「に……臭いなんてしないわ! この変態!」


 ああ、確かに変態だ。

 しかし一樹風味に脚色はしたが、決して人として間違った台詞ではない。


 そして、これで主導権は握った。


「さて、聞かせてもらおう。どうして俺に暴行・・を働いた?」


 あえて「暴行」を強調する。

 案の定、芽生は血相変えて叫んだ。


「ぼ、暴行だなんて! お、女の子からキスしてあげたのに!」


「『あげた』、だと?」


「そうよ! しかも一樹みたいな誰にも相手にされない男に!」


 ついに化けの皮が剥がれたか。

 「君」までなくなった。

 こっちがゲーム内における本来の呼び名なわけだが。

 この先はもう、ずっと俺のターンだ。


「それは思い上がりというものだ」


「どういうことよ!」


 芽生の血相が変わる。

 ここは一樹のキャラを演じて、勘違いクールで返してやろう。 


「あいにく俺は生身の女に興味ない。そこらの凡夫と違ってな」


「はあ?」


 目をむく芽生。

 さらに追い打ちを掛けてやる。


「『あげた』というセリフが成り立つのは、相手にメリットがある場合だろう。さっきの俺にとって唇から伝わる生温かさがどれだけ不快な物だったか。それで『あげた』だなどとは片腹痛いわ」


「そんなの理解できますか!」


 ああ、理解できないだろうよ。

 逆レイプ拒否したばかりに殺されてしまった男のトラウマなどな。

 キャラこそ一樹を演じているが、言いたいことは同じだ。


 芽生は口をぱくぱくさせたり、食いしばったり。

 明らかに動揺しきっているし混乱しきっている。


 芽生だってヒロイン、それもメインヒロイン級。

 口にハッキリと出さなくても自負はあるだろう。

 しかし一樹という規格外のキャラによって根底から覆されてしまった。

 もはや芽生は狼狽えるだけの、ただの少女だ。


 ただ、芽生を否定してみせたのは追い詰めるためではない。

 あくまで優位に立つためにすぎない。

 状況を作ったところで再び交渉を始める。


「改めて聞かせてもらおう。どうしてキスなんてしてきた?」


「さっきは暴行って言ったじゃない!」


 芽生のヒステリックな金切声。

 包み込んでかき消すつもりで、やんわり目尻を下げる。


「凡夫にとってはキスだろう」


「何を今更……」


 芽生の目が潤んだ。

 ここで欲しがっているであろう台詞を言ってやる。


「婦女子自ら男子にキスするなど本来は指導すべき破廉恥な行為だ。でも、芽生にはそうするだけの理由があるんじゃないか?」


「信じてくれるの!?」


 本来なら「自分はあれだけ盗撮しておいて!」だろうに。

 人間、サゲてからアゲられると弱いもの。

 感情を揺さぶって都合よく会話を運ぶのはスパイの基本だ。


「ああ、真人間になるとはそういうことだろうからな」


「そ、そうね」


 芽生は吹き出しそうなのを耐えるかに、口を手で抑えながら相槌を打つ。


 今だっ!

 ここで芽生を更に持ち上げる。


「何より、芽生はそんな子じゃないからな」


「う、うん……」


 芽生が表情を緩めながら、それでいてどこか気まずそうに目をそらす。

 この態度からすれば間違いない。

 目の前にいる芽生とゲーム設定の芽生は一致している。

 

 なぜなら俺の台詞はウソ。

 「上級生」の芽生は男にキスすることなんて何とも思っちゃいない設定。

 だから気まずそうにしているのだ。

 本来の芽生ならにっこり笑って「ありがとう」と返すところだろうが、もうすっかり素が出てしまっている。


 一方で俺が「芽生を信じる」のは本当。

 これもやはり、芽生を攻略したプレイヤーならでは。

 だから自信を持って言ってやれる。

 ここで重要なのは芽生の真実を言い当てることではない。

 真偽を問わず芽生の喜ぶであろう言葉を伝えてやることだ。

 むしろ真実と違っていた方がいい。

 うしろめたさで口が軽くなる。


「じゃあ理由を話してもらおうか」


 芽生が首を振る。


「ごめんなさい。やはり答えをもらうまでは話せないわ」


 まだダメなのか……。

 ただ先程までの慇懃無礼な態度はみられない。

 それならもう、普通に切り返してもいいだろう。


「理由を聞かずしてイエスと答えろと?」


「できればそう答えてほしいわね。一樹君には絶対にいい話だから」


 芽生が立ち上がり、ぱんぱんとスカートを払う。


「答えなければ?」


「別の方法をまた考える」


 何のこっちゃ。

 ただそこまで言ってのけるからには、本当に悪い話ではないのだろう。

 今すぐイエスと答えてもいいのだが、やはり一度は二葉と相談したい。


「返事は待ってもらってもいいか?」


「構わないわ。でも一両日中にはほしい」


 芽生は扉に向かい、鍵がわりのつっかい棒を外す。


「返事を求める側にしては随分と短い時間だな」


「理由があるの。もちろん二葉さんと相談してもらって構わない。この件で二葉さんを陥れる意図がないことは、わたしのプライドに賭けて誓う」


「わかった」


 引き戸が開く。

 空気が緩やかに流れ出す。

 わずかな時間だったはずなのに、この妙な解放感。


「それじゃ色よい返事を期待してるわね」


 芽生が扉の向こうへ足を踏み出す。

 しかし立ち止まると、ぴょんと跳ねるように振り返ってきた。


「あっ、そうだ──」


 そして、まるで猫のように目を細める。


「──わたし、本当に見直しちゃったかも。一樹君のこと」


 はあ?


「なんのことだ?」


「バカじゃない、どころじゃないのかもなってこと。では、ごきげんよう」


 芽生は小さく手を振ると、勢いよくスカートを翻しながら前を向いた。

 そして何事もなかったように平然と倉庫から出ていく。


 ったく、どこまであざとい女だ……。


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