76 1994/11/29 tue 体育倉庫:あ、あ、あ……あざとい!
──購買から体育倉庫に向かう。
ポケットの中には猫用の減塩チーズ。
放課後にはまだ少し時間があるので一旦、購買に立ち寄った。
どうせ体育倉庫まで行くのなら、体育館裏に住みついた猫「トラちゃん」にエサをあげたい。
結局昨日はエサをあげられなかった。
目の前にあったエサを食べられなかったのは、トラちゃんとしてもきっと悔しかったことだろう。
二葉の思惑はどうあれ策謀に協力してもらったわけだし。
どうしてペットフードが学園の購買に売っているか謎なのだが……。
きっと深く考えてはいけないところなのだろう。
「ギャルゲーだから」か「出雲学園だから」なのか。
どっちでも、その一言で終わってしまいそうだ。
さて、芽生からはどんな話が飛び出すものか。
──グラウンドへ。
ちょうど体育の授業が終わるところらしい。
生徒達が授業で使ったボールやハードルを抱えて倉庫へ向かっている。
昨日の体育の授業でもそうだったが、使った用具は授業時間内に片付け終わることになっている。
一方で部活の準備が始まるのは当然ホームルームが終わってから。
つまり体育倉庫に誰も近寄らずフリーとなるのは、ホームルームの間。
逆に言えばその程度の短い時間で済む話ということになる。
──倉庫に到着。
既にグラウンドから生徒の姿は消えている。
入口できょろきょろするのもおかしな話。
もし仕掛けがあるとすれば倉庫内の方だろう。
その倉庫内ですら、つい先程まで生徒達の出入りがあったばかり。
何かあるとも思えない。
というわけで引き戸を開け、まっすぐ足を踏み入れる。
倉庫内は昨日と同じでカビくさいだけ。
一応調べておこう。
天井の位置はかなり高い。
大人二人分の高さはありそう。
両壁には棚。
下にはボールの入ったカゴ、真ん中にはポールなど。
上の棚に見えるのは、運動会などで使う得点板らしきもの。
だらんと垂れ下がっているのは綱引きに使う綱かな?
つまり使用頻度順に下から上へと収納されている。
棚の中段と下段を調べる。
ビデオカメラやボイスレコーダーの類は見あたらない。
こういう場所に呼び出されて警戒しないといけないのは、盗聴や盗撮。
証拠に残して脅迫するのはスパイの基本。
そう、あの、俺からムリヤリ童貞を奪ってくれようとした連中のように。
もっとも、本来ならランチのときに済んだ用件。
二葉が乱入したから芽生は目的を達成できなかっただけで。
VIPルームで盗撮なんてできやしないだろうし、ボイスレコーダー対策は言葉を選びさえすればいい話。
特段注意を払うべき問題でもないし、時間もない。
ざっと眺める程度ですませる。
上方を見る。
小さい窓があり、暗幕で覆われている。
一見するとわからないが完全には閉じられてないらしい。
光が細い帯のように漏れ入ってきている。
このくらいなら一日中陽が差し込まないと捉えて差し支えないだろう。
暗幕の端が僅かにはためいている。
つまり風が流れ込んでいるということであり、窓は少しだけ空いている。
学園七不思議の「変な声が聞こえてくる」のはそのせいだろう。
当然閉めているよりは声が筒抜けなわけで。
こんなところでイタすなら、もっと注意を払ってはいかがか。
視線を水平に戻し、周囲を見渡す。
跳び箱やハードルが整頓されて並んでいる。
隅っこには石灰。
床には膝小僧くらいまでの高さに積み重ねられたマット。
この高さのハンパ感が実に意味ありげ。
つまづかせて押し倒すにはちょうどいいよなあ、と連想させるほどに。
単に枚数の関係でこうなっているのだろうが。
ハードルや跳び箱も、小道具として使うつもりなら簡単に引き出せそう。
やっぱりここはギャルゲー世界だ。
「お待たせ」
背後から芽生の声。
振り返ると、芽生は倉庫の扉を閉めていた。
カチャリとカギを閉める音が鳴る。
さらに立てかけてあったモップを引き戸へ引っかける。
つっかい棒代わりにして外から開かない様にするためか。
「これでよしと」
芽生が振り返る。
「随分な念の入れようだな」
ちょうど漏れ入ってくる光の帯に、芽生の顔が照らされる。
眩しいのか、芽生がわずかに体をずらす。
顔が隠れる程度だけ日陰に隠れた。
「こんなところに呼び出したくらいだもの。他人に聞かれたくない話なのはわかるでしょう?」
我ながら、なんて不毛な質問。
しかし芽生は淡々と答える。
滑舌よく、早くも遅くもない、染み渡るがごとくの話し方。
加えて甘ったるくもなく、かと言って冷たくもない鈴の鳴る様な声。
二人きりになると、これだけでも芽生の品の良さが伝わってくる。
だが、残念ながら聞き入っている場合ではない。
「いったい何の用件だ?」
「その前に御礼くらい言わせてもらえないかしら──」
芽生がスカートの両端を摘み、頭を下げてきた。
「──呼出しに応じてくれてありがとう」
あ、あ、あ……あざとい!
ヒロインの動作というのは、直接目の前にするとここまであざといものなのか!
御辞儀することで、芽生の顔が再び陽向に現れた。
長い髪に光沢が浮かび上がる。
絹糸のように紡ぎ出されたしなやかな流れ。
肩口からはらり零れた髪は透き通り、幻想的に映る。
顔は右半分のみが陽射しに照らされ、残り半分は影となったまま。
この明暗分けたコントラストにより、軽く目を瞑る芽生の清楚さが引き立てられる。
恐らく、その底に加わっているであろう隠し味もあわせて。
そして……ほっそりすらりと伸びた脚。
光に反射することによって、まるで暗闇の中に白く浮かび上がるよう。
わずかにつまみ上げた裾が、より一層長さを際だたせている。
それだけではない。
付け根がそう……まるで「はいてない」かの錯覚を覚えさせる。
決してそんなわけはない。
それでもスカートの中がどうなっているのか。
たくしあげたい劣情に襲われる。
芽生が顔を上げ、上目遣いに目を開いた。
「一樹くん」
だあああああああああああああああああ!
締めくくりとして、図ったように名前で呼びかけてきた。
しかも、この、「くん」の優しげなイントネーション。
堕ちる。
何の心構えもなければ、俺は今、絶対ここで芽生に堕ちている。
だが生憎だったな。
俺はもう、芽生をオカズにイタしていた中学生の頃とは違う。
それでも抱いていたかった幻想は、昨日若杉先生によってかき消された。
さらにそれでも残っていた願望は、本日芽生自身によってぶち壊された。
もうその清純そうな瑞々しい唇から、どんな言葉が出てきたって驚かない。
というわけで、胸を張って問わせてもらう。
「前置きが済んだなら改めて聞こう。何の用件だ?」
芽生が俯き加減に、片手の拳を胸元で握りしめる。
そして目を瞑ると、ぶるっと体を震わせるようにしながら首を振る。
動きが止まった。
芽生の瞼があがる。
零れんばかりに勢いよく。
顕れた濡れ色の瞳が、真っ直ぐ俺に向けられる。
「一樹君、わたしとお付き合いしてほしいの」




