73 1994/11/29 tue 学園食堂:わたし、兄妹ゲンカを見るために一樹君を誘ったんじゃないんですけど?
食堂内に入る。
芽生が壁際に沿って歩いていくので、その後ろをついていく。
食堂はいたって普通の食堂。
レトロで瀟洒な雰囲気をかもし出す本棟とは対称的。
部室棟に合わせた近代的な造りをしている。
天井が高く、スペースも広く、テーブルの配置はゆったり。
白を基調とした配色も相まり、すっきりと清潔に感じられる。
小洒落た感じで、雰囲気的にはカフェレストランといったとこ。
俺の通っていた公立高校とは比較にならない。
ただ大学の食堂は概ね似た感じだった。
そのせいか、さほど現実離れした印象は受けない。
ブルジョワ私立高校だとこんなものなのかも、そう思うくらいには。
壁際にレーンがあり、様々なおかずが並んでいる。
その中から好きなものを選んで会計する、いわゆるビュッフェ形式。
さて、何を食べるかな。
この流れだと好きなものを奢ってくれそうだし。
やっぱり牛丼かなあ。
──あれ?
芽生が左に折れた。
レーンの列に並ぶのかと思いきや。
二葉も黙ってその後ろをついていく。
再び壁につきあたって少し歩いたところで、ガラス戸が見えた。
脇にはテンキー、芽生が番号を入力すると扉が開いた。
いったい何が起こるんだ?
中に入って進むと黒スーツの男が立っていた。
実に姿勢がよく、動かないにもかかわらず折り目正しいのがわかる。
まるで高級ホテルの従業員のよう。
その背にはドアが三つ並び、【和】【洋】【中】と書かれている。
芽生が男性に話しかけた。
「予約していた田蒔よ」
は? 予約?
男性が深々と頭を下げる。
「田蒔様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
男性は【洋】と書かれたドアを開き、うやうやしく手を差し出した。
芽生はまったく動じるところもなく平然と中に入っていく。
二葉も同じく続いたので、その後ろをついていく。
中にはいる、そこはレストランの個室だった。
それもいかにも高級そうな。
中央にデンと、テーブルが一脚。
その周囲には椅子が三脚。
頭上にはシャンデリア、いかにも高そうな絵画や調度品。
月並と言えば月並だが、どうして学園内にこんな部屋が?
芽生が振り向き、にこりと笑った。
「一樹君、奥へどうぞ」
二葉もこくり頷く。
俺が主賓、そこは言葉通りということでよさそうだ。
男性──給仕が奥の席の椅子を下げたので、腰を下ろす。
続けて二葉、芽生と着席した。
給仕が立ち去ってから、二葉が口を開く。
「わざわざVIPルームなんかとらなくても、普通のスペースでいいじゃない。VIPルームは『生徒の身でも親の仕事を手伝ってる人がいるから』と、商用目的で使うために学園が設けたもの。今回みたいな私用で使うのはいかがかと思うな」
なんて説明くさい台詞。
しかしこれはきっと俺に向けてのもの。
芽生にねちねちイヤミ言う振りしながら、説明をしてくれているのだ。
「そこまで模範生するのもいかがかと思うけど? 誰も見てない場所では本音で話すのが人に好かれる社交術というものよ」
「あいにくあたしはいつも本音で生きてますんでね」
そこは絶対に違う。
ただ本音を曝け出さないにしろ、素直に振舞っているとはいえるだろう。
こうして並ぶのを見ると、やっぱりこの二人は対称的。
芽生の側はどこか作った感が否めない。
だいたい芽生の言う「本音で話す」は「本音に見せかけて話す」という意味。
ここまでリアルの芽生を見聞きしてればさすがにわかる。
上級生プレイヤーとして直視したくない現実ではあるが、やはり芽生は腹黒い。
芽生が「ふう」とため息を吐く。
「そうね、わたしの失言だったわ」
「はい?」
絶対認めるわけがないと思っていたのだろう。
肯定の言葉に、二葉が目を丸くする。
「だって珍しく二葉さんから『芽生よろしく』って声かけてきたかと思えば、チアリーダースマイル。そんな仮面つけること自体、わたしに対する本音が出てるわよねぇ?」
言葉を発した芽生は、にっこり笑ったチアリーダースマイル。
なんて見事なブーメラン。
「ぐっ」
これは二葉も唸るしかない──と思いきや、二葉が睨んできた。
「アニキはどっちの味方なわけ?」
この話の流れで、どうして俺に水が向けられる?
思ったままの疑問を口にする。
「どっちって、どういう意味だよ」
「今、やり込められたあたしを見て『ざまぁ』とか思ったでしょ!」
「バカだなあ、二葉は。愛する妹にそんなこと思うわけないだろう」
過去話を参考に一樹っぽく答える。
真人間といっても、このくらいは一樹らしさを残した方がいい。
でもなぜ?
確かにブーメランを投げ返された。
だからといって昨日の体育館からすれば、素直に「やり込められた」などと口走る二葉じゃない。
むしろ負けを認めず、更なるブーメランを投げ返すはずだ。
実際に気をよくしたのだろう。
芽生が薄ら笑みを浮かべながら、二葉へ横目を流す。
「わたし、兄妹ゲンカを見るために一樹君を誘ったんじゃないんですけど?」
「わたし」が誘った?
二葉がじとっと横目を流し返す。
「むかついたから怒っただけ。芽生にとやかく言われる筋合いはない」
芽生が笑止とばかりに口を開ける。
「勝手についてきた身で何を言ってるんだか。まずは誘ってもないのにここへいる我が身の分際を考えたらいかがかしら? 『今日の部活監督お願い』って頼みは承諾してあげたんだし、もう私に用はないでしょう」
誘ってもない?
ということは、二葉は勝手についてきたわけか。
「そうね、しかも二つ返事でね。せっかくあたしに貸しを作ったというのに、何一つイヤミも言わないでね」
ここまでに仕入れた芽生の情報からすれば、確かに何か言いそうなものだ。
芽生が鼻先を上に向ける。
「副部長として当然だもの」
「随分と殊勝な態度ですこと。では先ほどの副部長様の御忠言に従い、本音で話させてもらいましょうか」
芽生が眉をひそめる。
「どうぞ?」
「その後そそくさと立ち去ろうとするから問いただしてみれば、『お兄さんお借りするわね』? ようやくアニキが更生する気になったのに、あんたみたいな詐欺師と二人きりにさせられますか!」
ぶっ!
ただ事情はわかった。
これは二葉もついてこざるをえまい。
まさに誰が見ても「あやしい」以外の何物でもない。
しかも俺一人だと、このVIPルームの存在一つでボロを出してしまった可能性すら考えられる。
学園の生徒にとってはきっと常識のはずだから。
そして、どうして二葉が芽生をいい気にさせたのかもわかった。
今のやり取りは、芽生との口論に見せかけた状況説明。
まさか芽生を挟んだ状況で、すべてを二葉の口から話すわけにもいくまい。
一方で、俺は少しでも多く、細かい情報を得たいところ。
だから二葉はわざと屈した振りをして、芽生を気分よくしたのだ。
口を軽くさせて、俺たちに都合のいい流れで会話を運ぶために。
もちろん、締めくくりに「あげて落とす」のもあっただろうけどな。
芽生もさすがにカチンときたか。
顔から笑みが消える。
「詐欺師だなんて随分な言いようね。わたしはただ、一樹君を応援したくて」
「『チア部として』だよね? あたしは一樹の妹である前にチア部の部長。芽生よりよっぽど、その台詞を口にするのが相応しい立場なんですけど」
芽生が「くっ」とばかりに口を歪める。
「だから二葉さんが同席するのを認めてあげてるんじゃない」
二葉がチアリーダースマイルを浮かべる。
「ありがとう。心から通じ合える副部長がいて助かってるよ。私のことはいないものと思っていいからさ、アニキに用事があるなら遠慮せず話してね」
きっと「やましいことじゃないなら」と付け加えたいのだろう。
二葉の台詞を受け、芽生も再びチアリーダースマイルを浮かべた。
「わたしも二葉さんみたいな頼りがいのある部長の下で働けて幸せよ。では二人一緒に、一樹君のこれからを応援しましょうか」
この狐と狸の化かしあいはなんなんだ……。




