70 1994/11/29 tue 2-B教室:Les amis de nos amis sont nos amis.《友達の友達は友達だ》
龍舞さんが叫ぶ。
しかしフランス語だから何を言ってるかわからない。
他のヤツらも同じなのか、きょとんとしている。
そもそもどうして、机と椅子を?
今度は日本語で叫んだ。
「この机と椅子を、アタシめがけてブン投げてきたヤツは誰だ!」
へ?
状況からすれば、龍舞さんの手にあるのは俺の机と椅子に他ならない。
しかし何がどうなってる?
龍舞さんが頭をゆっくりと振り、周囲を見渡す様子を見せる。
「ふーん」
そしてニヤリと笑い、つかつかと近づいてきた。
分厚く上質そうな黒い布が視界を覆う。
腕と背を固められてるせいで頭をあげられない。
静まりかえる周囲。
恐らく他のみんなは龍舞さんの一挙一動を観察しているのだろう。
龍舞さんの声が頭上から響いた。
「随分と楽しそうじゃないか」
どこをどう見たらそう見えるんだ。
そもそも誰に向けて言っているのか。
「俺達、仲いいからな」
誰だかわからない男の声。
つまり名もない脇役が返答を発した。
「アタシは一樹に聞いてるんだが?」
「龍舞さんには関係ないだろ」
わずかな間が空いた様な気がした。
「……ほお。『仲いい』からというには、キサマと一樹は友達なんだな」
「さっさと行けよ」
「ト・モ・ダ・チなんだな」
「だったら、どうした!」
名もない脇役が声を荒げる。
それと対照的に、龍舞さんの口調が浮かれた。
「そうか」
「わかったら──」
龍舞さんが矢継ぎ早に言葉を重ねた。
「Les amis de nos amis sont nos amis.《友達の友達は友達だ》」
「はあ?」
「友達には贈り物をする、それが龍舞家の家訓だ」
「だから?」
「アタシからの友情込めたプレゼント、受け取れや!」
目の前の布が翻った。
「うぼおおおおおおおおおおおおお!」
「うまいか? よーく噛んで食べろよ」
黒く細長い物がポトっと落ちてきた。
細かい毛。
なんか虫の足みたいな──はっ!
まさか……これは……。
「うぶっ、うぶっ」
「おかげさまで先程はたっぷり顔面シャワー浴びさせてもらったよ……ああ! 潰れたゴキブリのな!」
うげええええええええええええ!
ということは、今、俺の頭上では……想像したくない。
でも、クシャッとも、ヌチュっとも聞こえる咀嚼音。
嫌でも潰れていく姿を思い浮かばせる。
でも、何がいったいどうなってる?
鈴木と佐藤が窓からブン投げた机と椅子。
それが龍舞さんめがけて落ちてきた。
これはわかる。
だけど投げる前、佐藤は窓から頭を出した。
その後の鈴木とのやりとり。
あれは外に人がいるかどうかの確認だ。
こいつらだってバカじゃない。
誰もいない、通りかかってもないことを確認してから実行に移したはず。
つまりこいつらが見たときは誰もいなかったのだ。
──ずん、と床に衝撃を感じた。
「ちっ、気絶しやがった。オトコのくせにだらしない」
気絶ですんでればいいけどな。
しかし全く空気の流れを感じない。
ゴキブリ食わされて気絶したヤツが出たというのに、誰も助けようともしなければ駆け寄る気配もない。
まったくとんだ「友達」だ。
「さてと」
再び視界が黒い布で覆われた。
「邪魔だな」
布、というか足が動く。
つられて下を見ると、床に散らばっていた押ピンが払い去られ──ぶっ!
「一樹、誰がやった?」
俺の額は床。
頭には靴の感触。
つまり……俺は龍舞さんに頭を踏んづけられていた。
「なぜ踏む!」
「そうしないと答えないだろ」
「答え──」
るわい!
そう言い切る前に、龍舞さんが遮ってきた。
「キサマは自分の意志で話すんじゃない。アタシに脅されて話すんだ」
「いったい何を──」
「いいか? 今キサマの頭を踏んづけているのは龍舞晶だ。『公道で舞い踊る緑龍』と呼ばれるアタシにムリヤリ吐かされたところで、誰も恥ずかしいことだなんて思いやしないさ」
この女は何を言っている。
別にこんなことされなくたって、いくらでも答えてやる。
それどころか叫んでやるのに!
確かに聞かれて素直に「鈴木と佐藤です」。
間抜けではあるし、抵抗を感じるものはあるが。
──ぐっ! ぎりりと体重を乗せてきた。
「誰がやった? あいにくアタシの生理はまだ終わってない。これ以上不機嫌にならないよう、静かに答えてくれよな」
まるで考えが読めない。
でもその命令には従おう。
感情を押し殺し、ゆっくりと低い声で答える。
「鈴木と佐藤だ」
その瞬間、頭の感触が軽くなった。
いや、腕も背も。
ようやく解き放たれた。
振り返ると、鈴木が尻もちをついた体勢で倒れていた。
反射的に飛びのいてしまったのか。
上を見上げると龍舞さんのこめかみには青筋が浮かんでいた。
ただ冷たく、まっすぐ鈴木を見下ろす。
その視線に耐えきれなくなったか、鈴木が叫んだ。
「知らない! 俺はちゃんと誰もいないことを確認した!」
「知ってるじゃないか。バイク置場からもう少し出るのが早かったら、アタシの頭に直撃するところだったんだがな」
あ、そうか。
バイク置場は位置的にこの真下。
置場の上には屋根があるから、そこに人がいても上からだと死角になる。
それで龍舞さんが見えなかったのだ。
「そんなの知るか!」
さっきと同じようでいて意味合いの異なる鈴木の叫び。
しかし龍舞さんはスルーする。
「問おう。椅子と机は人めがけて投げつけるもの。鈴木家ではそういう教育をしてるのか」
「だったらどうした!」
「そうか──」
龍舞さんが椅子と机を掴む。
「──なら遠慮はいらないな」
そして鈴木へ向け、ずいっと足を踏み出した。
「く、くるなあああああああああ!」
鈴木は叫ぶも、動かない。
いや、身がすくんでしまって動けないのか。
龍舞さんは机と椅子をゆっくり頭上に振りかざす。
そしてニヤリと笑い、これまで聞いたことのない猫なで声を発した。
「鈴木さん。あなたがわたくしに投げつけてくださったのは……右手の椅子と左手の机、どちらでしょうか?」
「ひ、ひいい……違う! 俺じゃない!」
「ふふっ、ここは『両方』と答えるところじゃありませんの? そうすれば御親友の佐藤さんは助かりますのよ?」
怖い、本気で怖い。
椅子と机をそれぞれ片手で頭上に掲げる。
その怪力だけでも十分恐ろしいが……。
きっとわざとであろう、全く似合わないお嬢様言葉。
あえておどけてみせることで鈴木の反応を愉しんでいるのだ。
獅子がネズミをなぶるがごとく。
それを物語るように、龍舞さんの口角は思い切りあがっている。
もちろん目つきは険しく、眉を潜めたまま。
それでも……いや、それゆえ、全体に血相を変えるより凄みがある。
さっきもそうだった。
ゴキブリを食べさせる直前、龍舞さんの口調は浮かれた。
きっと今と同じ表情をしていたに違いない。
しかもこの台詞回し。
机、椅子。
どちらかを答えれば、その答えた方を即座に投げつけるだろう。
もちろん両方と答えれば両方投げつける。
脅しではない、龍舞さんは絶対にやる。
しかし違うと答えれば、それは佐藤に全てなすりつけたことになる。
まさに裏切り。
鈴木は何も答えようがない。
つまり、まずは精神的に嬲るところから。
龍舞さんは根っからの凌辱者。
真性のサディストなのだ。
龍舞さんが鈴木ににじり寄る。
「さあ、どちらですの?」
鈴木が顔を引きつらせ、開き直ったかのように叫んだ。
「よ、よ、弱い者イジメして何が楽しい!」
「弱い者?」
「龍舞さんはヤンキー、俺は一般人。誰が見たってそうだろうが! なあ、みんな!」
鈴木が周囲を見渡す。
しかし誰一人頷こうとしない。
「はあ……」
龍舞さんが溜息をついた。
そして口調が元に戻る。
「吠える余裕があるなら掛かってこい。せめてもの慈悲で、腹括る時間と一発入れる隙をくれてやったのに」
「う、うるさい!」
「それと勘違いしているようだが──」
龍舞さんは流し目気味に、佐藤へ視線を向ける。
「──キサマら二人、まとめて掛かってきて構わないんだぞ?」
佐藤の顔が見る間に真っ赤になった。
「俺と鈴木相手にこんなことして、ただですむと思ってるのか!」
「さあな。あいにく先のこと考えられるほど頭はよくない」
「なめた口叩きやがって、このデカ女!」
龍舞さんの眉がピクッと動いた気がした。
「いずれにせよ、キサマがその答えを知ることはない」
「はあ?」
「たった今、この場で散るからな!」
その言葉と同時。
龍舞さんは右手を振り下ろし、佐藤に椅子を投げつけた。
「ひいいいいいいいいい!」
佐藤がとっさに屈む。
──教室の扉が開き、椅子が佐藤の頭上で止まった。
その向こう側には、足を大きく振り上げる白い学生服の男がいた。
華小路は全く動じず、静かに口を開く。
「何の騒ぎだ?」
慣性を失った椅子が床に落ちる。
椅子はガランと跳ねながら、再び龍舞さんの方へ転がっていった。
「華小路君!」
鈴木が叫ぶ。
「ちっ」
龍舞さんが忌々しげに舌打ち、憎々しげに椅子を拾う。
それを隙と見たか。
鈴木は四つん這いになり、カサカサと華小路の元へ這い寄る。
さらに佐藤も中腰のまま、華小路にしがみついた。
「は、華小路君! 助けて!」
「ふむ……」
華小路がすがる二人を振り解くように足を踏み出す。
そしてつかつかと龍舞さんの元へ歩み寄った。
「龍舞さん、君の家では椅子を人に投げつけるものという教育をしてるのかね?」
「すまない。キサマに投げつけたつもりはなかった」
いつもながらのぶっきらぼうな口調。
それと裏腹に、龍舞さんの顔は真っ赤。
なんて思わぬ形のブーメラン。
これはさしもの龍舞さんも恥じるしかない。
でも華小路。
お前も金之助に机投げつけたらしいよな。
「だったらそれに免じて、振り上げた机を降ろしてもらえないか?」
「喧嘩売ってきたのはヤツらの方だぞ」
「そんなことは聞いていない。僕は龍舞さんの様なマドモワゼルが机を振り上げるなどという醜い姿を目に入れたくないだけだ」
「キモい……」
龍舞さんが憎々しげに吐き捨てる。
しかし華小路の耳には入らないらしい。
「調べた上で彼らに非礼があったと明らかに言えるなら、謝罪もさせよう」
「Non! 華小路、そこをどけ!」
華小路が腕を組みながら、アゴに手をやる。
「ふむ……女性に力ずくは流儀じゃない。何より僕は龍舞さんに手を出せない──」
龍舞さんに手を出せない?
「──ではこうしよう。パーカー!」
華小路が指を鳴らす。
その音とともに、見上げるような初老の執事が教室内に入ってきた。
「坊ちゃま、何でございましょう」
「学園の物品係に連絡したまえ。この机と椅子を僕が買い取ると」
「かしこまりました」
「なっ!」
龍舞さんが絶句する。
いや、他のみんなも……そして俺も……ぽかんと口を開けている。
パーカーがポケットから携帯電話を取り出す。
さすがにこの時代でも、名家の執事なら持っていて当然か。
「坊ちゃま、話がつきました。たった今から、この机は坊ちゃまの物です」
華小路が再び龍舞さんに向き直る。
「さて、いつまで華小路家の所有物を我が物顔で振り上げているのかね」
「くっ」
「放したまえ!」
龍舞さんが机をゆっくり下ろす。
そして机と椅子の双方から手を放した。
「そう、それでいい」
「ちっ」
入れ替わりに華小路が椅子を掴む。
「せっかくだ、龍舞さんには机と椅子の使い方を教えてあげよう」
「はあ?」
華小路が近くの席に座っていた女子生徒の前に椅子を置き、腰掛ける。
「椅子は美しい女性をゆっくり愛でるため」
「あ、あの……華小路君?」
顔を赤らめる女子生徒。
華小路はその首に手を回すと、一気に引き寄──せ!?
顔が離れるとともに女子生徒は恍惚の表情を浮かべながら椅子にもたれた。
「そして机は恋する男女の間に障害を作るためにあるのさ。二人の愛を燃え上がらせるためにね」
「にゃふぅ……華小路君……」
「よかったら公麿組に入らないかい。先程以上の快楽を君に約束しよう」
「はひ……よろこんれ……」
華小路が立ち上がり、女子生徒をお姫様だっこする。
「パーカー、帰るぞ!」
「はい、坊ちゃま」
華小路とパーカーが教室を後にする。
ついでに佐藤と鈴木も出て行った。
そして入れ替わりに用務員さんがやってきて、入口に新しい机と椅子を置いていった。
いったいなんだったんだ……。
「なんて茶番だよ」
龍舞さんがぼやきながら机と椅子を抱える。
そして俺の席へ置いた。
──って、あれ?
もしかしてこれって龍舞さんが俺の机と椅子を運んでくれた?
何気なしに見ていたが、どうして?
奴隷の俺なんぞの机と椅子を。
よくよく考えたら、結局俺は龍舞さんに助けられたことになる。
本人が何を考えてたのかは知らないし、頭も踏んづけられたけど。
それでもあのまま昼休憩の残り時間を過ごすよりはマシ。
とにかく御礼を言わねばなるまい。
「龍舞さん」
「あん?」
こ、こわっ!
しかし俺がこれからやろうとしていることは人として正しいはずだ。
「ありがとう」
龍舞さんの顔から険が落ちた。
いやそれどころか、眼をぱちくりさせている。
そんなに意外だったのか。
しばしの間の後、龍舞さんが口を開いた。
「噂は流れてきたが……本当だったんだな……」
そう言われてもな。
一樹としてはこれくらいの対応だろう。
「ふん」
しかし龍舞さんはくすりと笑った。
「ま、いいんじゃね? それに礼には及ばん。行動で示してもらうからな」
「行動?」
龍舞さんがポケットから手を出し、銀色のコインを弾いてきた。
「今日は間違えるなよ、けろさんどだ」
はあ、やっぱり……掌を開く。
──しかし五百円玉は、掌に落ちる前に横から奪い去られた
「アキラ、ちょっと一樹君貸してもらえるかしら?」
「芽生!」




