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69 1994/11/29 tue 2-B教室:謝るかっ!

 2-B教室前。

 扉の小窓から中を覗き込む……やっぱり。


 俺の席だけ教室の隅っこに追いやられてしまっていた。

 元々隅っこの席なのだが、掃除用具入れにくっつけられている。

 まさにカド、全体からポツンと離れた形。

 そのせいか、他の生徒達の席が昨日よりも教壇寄りに見える。


 机の上に細長い花瓶が置かれている。

 その中には一輪の花。


 でもこんなの、どうということはない。

 葬式ごっこは集団から孤立したのを植え付けるためにやる代物。

 元々集団から弾き出されている一樹にやって、何の意味がある。

 まして俺から見れば、最初から赤の他人なのだから。


 扉をそっと開け、教室の隅っこに向かう。


 机の上には花瓶だけ、他に何かされている様子はない。

 バカバカしい、この程度か。

 とりあえず花瓶が邪魔だ。

 掃除用具入れの上にでも置いとこう。


 待てよ?

 昨日の椅子みたく、花瓶に油が塗ってある可能性もあるな。

 ポケットからティッシュを取り出す。


 今日はハンカチもティッシュもポケットに入れてある。

 というか、二葉が入れてくれていた。

 逆に言えば昨日入ってなかったのも、わざとそうしたのだろう。

 一樹は両方とも持ち歩かないから。

 これも真人間フラグを立てたおかげか。

 二葉もよくこんな細かいところまで気が回る。


 花瓶に油は塗ってない。

 机も大丈夫。

 花も普通の菊一輪。

 菊に似た毒花なんて聞いたことはないし、大丈夫だろう。


 と言うかだ。

 どうして高校の教室で、こんなに神経を使わないといけない。


 靴を脱ぎ、机の上に。

 おっと!

 机が傾きかけ、ガタリと揺れた。 

 軽い机だから気をつけないと。


「キー、キー」


 ん?

 今、何か聞こえたか?


 気のせいかな?


 よいしょっと。

 花瓶を掃除用具入れの上に置き終わった。

 体勢を崩さないよう掃除用具入れの面に手をつき、机からそっと下りる。


「キー、キー」


 あれ? やっぱり音がする。


「キー、キー」


 机の下からだ。


「キー、キー」


 虫の鳴き声……コオロギ?


 何だろう?

 机を動かしてみる……椅子があるだけだ。


「キー、キー」


 音は机の側から。

 物入れの中を見る……空だ。

 じゃあ裏側?

 机の下に潜り、裏を見る──。


「うぎゃああああああああああああああああああああああああああ!」


 ひっ、ひっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!

 あわ、あわわ、あわわわ。


 ……はあ、はあ。


 動転してしまった。

 絶叫してしまった。

 でも、これは誰でもそうなる。

 大の大人でも許されると思う。


 だって、俺の目に入った光景は、てらてらとイヤたらしく黒光りした虫。

 それも机の裏側全面に。

 つまり……Gがびっしりと……机の裏側を覆い尽くしていた……。


 これはなんだ、なんなんだ。

 Gって鳴くのか?

 いや、そんなことどうでもいい。

 よくも、よくも、こんなこと思いつきやがる。


 これはやられた。

 暴力なら耐えようもある。

 罵詈雑言だって覚悟していた。

 しかし、本能に訴えてくるものはどうにもならない。

 吐き気を催さないのは、きっと一樹自身がGと類友だからか。

 心は受け付けなくとも体は受け付けるのだろう。


 前方を見渡す。

 よくよく見れば、気のせいじゃなかった。

 席列そのものが教壇側、つまり前方に寄せられている。

 そりゃ、こんな机の近くに誰だって座りたくない。

 もちろんゴキブリの鳴き声だって聞きたくないはずだ。


 先生は何食わぬ顔で授業を続けている。

 これは昨日と同じ。


 生徒達からは何の反応もない。

 笑いを我慢しているのではない。

 笑っている気配すら感じられない。

 これが昨日と違う。

 つまりこれは……「序の口」と言いたいのだ。


 とりあえず、まだ登校していない龍舞さんの席を借りよう。


 その前に机を廊下に出さないと。

 こんなゴキブリ貼り付けた机から離れたいのは俺だって同じ。

 授業中にそんな作業するのも常識外れとは思う。

 しかし俺は先生から「見えない君」扱い。

 生徒達からはそれ以下の扱い。

 だったら俺が気にする義理なんてあるまい。


 まずは机を廊下へ。

 ついで椅子。


 ──いや、待て?


 ティッシュを取り出す……やっぱり。

 今度は椅子の足ではない。

 背に油を塗ってやがった。

 ゴキブリで驚かせて、気の抜けたところで更にという魂胆。


 しかし同じテツは何度も踏まない。

 そして、こんなどうしようもない方向に知恵の回るヤツらが、これで終わらせるわけない。


 椅子をずらして、パイプの裏側を覗く……ほら、やっぱり。

 びっしりと押しピンが貼り付けられている。

 パイプに手をかけた瞬間、ぐさっと刺さるって寸法だ。


 押しピンは両面テープで止めている程度。

 危ないから今の内に外しておこう。

 剥がしてゴミ箱に投げこむ。

 ついでに雑巾で油を拭き取ってと。


 椅子を廊下に出してから教室へ。

 時計を見ると終業時刻間際。

 「龍舞さん、勝手に座ってごめんなさい」、心の中で謝ってから着席する。

 授業が終わったら机と椅子をキレイにしないと。


 ちきしょうが……。


 まあ仕方ない、所詮コイツらは凡人だからな。

 ふん、嫉妬乙。

 これでいいんだろ、若杉先生。


 ──終業のベルが鳴った。


「ではこれで授業が終わります」


 先生が出て行く。

 俺も机と椅子を掃除しないと。

 立ち上がり、扉へ体を向け──。


 目の前には野郎ども。

 次々駆け寄ってくる。


「何のつもりだよ」


「別に? 立ってるだけだけど?」


 ウソつけ。

 絶対に何か企んでいるだろう。


 ただ、俺の行く手を阻んでいるわけではない。

 花道……とは呼びがたいが、そんな感じで進路は開いている。

 だったら遠慮なく通らせてもらおう。


 すると俺を囲む様に生徒達がくっついてきた。

 何のつもりだよ。


 扉を抜け廊下へ。

 机と椅子までもうすぐ……。


 ちっ。

 佐藤と鈴木が俺の前に立ち塞がってきた。

 昨日と同じく,いやったらしいニヤニヤ笑い。

 つまりはここからが本番ってわけか。


「どけよ」


「『ごめんなさい』って言えば、どいてやるよ」


 なんだ、こいつ?

 いくら「ごめんなさい」って言うのが許される状況になったからって、何もしてないのに謝れるか。

 昨日は俺の側にもぶつかったという弱みがあった。

 しかし今日は何もない。


 でもこれで、単に「イヤ」と答えるのもシャクに触るな。


「ゴメンだね」


 さらりと口にする。

 変に皮肉っぽくしてはダメ。

 これが大人ならではのクールなイヤミというものだ。


「ふーん、そういう態度に出るんだ」


「だったらどうすんだよ」


 佐藤が廊下の窓を開け、頭を外に出した。

 引っ込めると、鈴木に向けて首を縦に振る。


「こうするんだよ!」


 掛け声と共に,鈴木が机を外へぶん投げた。

 さらに佐藤が椅子を掴み、同じくぶん投げる。


「何しやがる!」


「廊下にこんなもん置いといたらみんなの邪魔だろう。だから片付けたんだよ」


「ざけんな!」


「ふざけてるのは授業中に堂々と机や椅子を廊下に持ち出したカズキンの方だろ? 俺達がどれだけ迷惑被ったかわかってるの?」


「俺、おかげで最後の一〇分、まるで先生の言うこと理解できなかったんだけど」


 こ、こいつら……。


 他のみんなも騒ぎ始めた。


「そうだそうだ!」


「俺達は勉強したいのに!」


「何て事してくれやがった!」


 うっ! 俺を囲んでいたみんなが前に回り、体を押してきた。

 どんどん後ずさり、再び教室へ。

 あ、足が!

 もつれて、そのまま尻餅。


 そして教室の扉が閉まった。

 みんなが俺を囲む。


「さあ、みんなの前で土下座ついて、『ごめんなさい』と謝ってもらおうか」


「お前が妹の前でやった様にな」


「謝るかっ!」


 確かに「ごめんなさい」は万能の武器。

 だからといって、この状況で口にできるか。

 そんなことしたら俺の完全敗北。

 しかも得るものは何もない。


 そうか、「自分を天才と思え」。

 若杉先生のあの言葉は、こういうときのためなんだ。


 得るものは何もなくとも失ってはいけないものがある。

 それは「意思」だ。

 こんな低脳なヤツらに吐く「ゴメンなさい」なぞない。

 地べたに擦りつける頭も持ってない。

 昨日と違って今は「謝れない」んじゃない。

 選択肢はある、その上で「謝らない」んだ。

 自分の意思でそうする限り、例え何をされようと俺は俺を保ち続けられる。

 昼休憩は四〇分、授業開始まであと三〇分くらいか。

 その間耐え続けられれば俺の勝ちだ。


 それにだ。


「オラ、オラ、とっとと土下座しろよ」


 しかし口だけ。

 こいつらにとっても力づくで土下座させることは何の意味もない。

 囃し立てて煽る以上は何もできまい。


 鈴木が髪の毛を掴んできた。

 だが精々この程度だろう……が?


 佐藤が床に押しピンをばらまいた。


「別にしないならいいよ。ムリヤリさせるから」


「何のつもりだ!」


「お前は滑って転んだ。それは嘘じゃないし、みんな見ている。ただ転がった先に押しピンが落ちてて、運悪く失明ってとこかな」


「そんなの通用するわけないだろうが!」


「通用するかどうかはカズキンこそ知ってるだろう?──」


 佐藤が顔を近づけ、じっと覗き込んでくる。


「──この国に公正な司法なぞ存在しない。権力握る父親から生まれたヤツの勝ちなんだよ」


「死にやがれ!」


 しかし髪だけじゃない。

 両腕も両肩も他のヤツらに固められてしまっている。


「ほお……カズキンにしては勇ましいじゃないか。なら、それに免じてと──」


 佐藤が足で押しピンを半分払った。


「『事故』で潰れるのは片目だけにしてやるよ」


「そりゃどうも」


「お前は片目が助かる。俺達は二回楽しめる。これがウィンウィンの関係ってものだ」


 くっ。

 頭上から鈴木が付け加えてくる。


「事故りたくなければ早く『ゴメンなさい』って叫ぶんだな。授業の邪魔という理由が気に入らなければ『生まれてきてゴメンなさい』でも構わないぞ」


 髪の毛を掴む手が増えた。

 だんだん押しピンが近づいてく──。


 ガランと音が聞こえた。


 床を何かで打ち付ける様な音。

 同時に、頭を抑え付けようとしていた手も停まった。


 ガラン、ガラン。

 その音は段々近づいてくる。

 いったいなんだ?


 音が止んだ。

 ガシャーンとすごい音を立て、教室の扉が開いた。


「Qui a jete ce bureau et une chaise vers moi ?《この机と椅子を投げつけてきたのはどいつだ!》」


 そこには鬼神のような形相をした龍舞さんが立っていた。

 片手に椅子、片手に机を掴んで。


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