65 1994/11/29 tue オーマイゴッド:おにいちゃぁああああああん!
一一月も間際だというのに、まるで春めいた陽気。
絶好の活動日和。
晴れ渡った空が、寝不足で寝ぼけた頭を目覚めさせてくれる。
──しかし目の前に立つ男の脂っこさは、そんな爽快感を全て台無しにした。
「ガハハ。兄ちゃん、また来たのか」
オーマイゴッド店長の客を客とも思わない挨拶。
テンプレだから仕方ないけど。
「困ってるっていうから、わざわざ来たのに」
つーか、あんたこそいつ寝てるんだ。
もう九時回ってるぞ。
コンビニならシフト交代の時間じゃないのか。
「悪い悪い。ところで隣のカワイイ姉ちゃんは?」
「妹」
二葉がぺこっと頭を下げる。
「義理の?」
「双子だ!」
お前は本当に客商売か!
これでも痩せれば同じ顔してるんだよ!
「そう言えば姉ちゃん、たまにうささんど買いに来るよな」
二葉が軽く驚いた様に目を見開く。
「覚えててくれてたんですか?」
「そりゃあもう。姉ちゃん目立つもの」
二葉がはにかんで頭をかきだした。
「そうかなあ……えへへ」
きっと「かわいいから」と受け取ったのだろう。
しかし店長の続く言葉は違った。
「だって他のみんなはバインバインなのに、姉ちゃんだけぺったんこだからさ」
その瞬間、二葉のこめかみに青スジが浮かんだ。
「アニキ……悪いけど、外で待っててくれないかな?」
「どうして?」
けろまんの欠点を指摘して、けろまん改を渡すだけだろうに。
二葉がこちらを向いた。
「ちょっと見られたくないんだ」
俺はその顔を見て、出口に体を向けた。
二葉は笑っていた。
大きな口を開け、底抜けに笑っていた。
般若みたいな顔されるより、よっぽど怖かった。
触らぬ神に祟り無しだ。
──外で待つこと二〇分。
遅いなあ。
これから出雲病院行かないといけないのに、
早くしないと午後までに診察終わらないぞ。
幸い本日の午前中の授業は英語に美術に音楽。
龍舞さんのノートは貯まらなくて済むけど午後はそうもいかないからな……心の底まで奴隷になりはててるよ、俺。
──ポンと肩を叩かれる。
「お待たせ。何をうな垂れてるの?」
「何でもない。それよりえらく時間掛かったな」
「ちょっとね。それより早くいこ?」
歩き始め、コンビニ前の駐車場の敷地を抜けようとする。
ちょうどその時、背後でガラガラと音が聞こえた。
後ろを振り向くとシャッターが閉まっていた。
一体何が起こった?
「ふん」
二葉が唇の端を僅かに歪めて悪態をつく。
お前はいったい何をした……。
※※※
出雲病院到着。
もう、わかっちゃいた。
それでもやっぱりこう言わざるをえない。
「実際に見ると壮観だなあ」
まるで国立病院。
住宅街にある病院としては豪華すぎる。
出雲病院がマップで占めるスペースは出雲学園の大きさ並。
きっと病院も学園並に大きく豪華だろうとは思ったが。
「総合病院だからね」
二葉が常識的ながらも的外れな返事を寄越す。
地元民にとってはこれで当たり前なのだろう。
「そういえばパスケースに診察券が入ってたけど、なんか病気でもしたわけ?」
大抵の病気なら若杉先生で片付けられそうなものだが。
「夏に太腿かいてたアレだよ。結局インキンと股ズレの両方起こしてて、専門外の若杉先生じゃ手に負えないってことで病院に行かされた」
憑依しているカラダがインキンだったとか泣けてくる。
今は痒くないから、もう治ったのだと思うけど。
「じゃアニキ、いこっか」
二葉が入口へ向かっていく。
俺もその後をついていく……のだが……何かおかしい。
入口に近づくにつれ、寒気がする。
寒気という言葉じゃ片付けられない。
まさに身の毛がよだつというべきか。
冬前ながらも今日は晴れている。
いや、オーマイゴッドにいた時は実際に暖かく感じていた。
それなのに、この感覚は一体なんだ?
悪寒がどんどんひどくなる。
体中の毛が逆立ってくるのを感じる。
足まで重くなってきた。
これ以上進んだらダメ。
頭ではない、体ではない、他の何かが語りかけてくる。
「アニキ、どうしたの? 顔色悪いよ?」
「二葉は別に寒くないよな?」
二葉がおでこに手を当ててくる。
「熱はないみたいね?」
風邪を引いたと思われたのか、頭がおかしいと思われたのか。
どちらにしても寒くないことは確からしい。
でも、俺の感じている寒気は決して気のせいではない。
一歩進む度に空気がどんより重くなっていく。
これは一体なんなんだ。
なんか二葉がどんどん遠くなる……。
「アニキ!」
※※※
エントランスに入る。
外見と同じく、ピカピカで近代的。
木目とベージュでコーディネイトされたフロアが気分を落ち着かせる。
……のであろう、本来ならば。
建物に入って、もっと気分が悪くなった。
吐き気が止まらない。
「本当に大丈夫?」
「ああ……すまん……」
さっきはうっかり倒れ込んでしまった。
なので、二葉が肩を貸してくれている。
「ついでに内科も見てもらお? いま風邪引くと人生詰んじゃうし」
悪気はないだろうが、さり気なくとんでもないことを言いやがる。
「風邪じゃないと思うから大丈夫……」
二葉がゆっくりとロビーの椅子に座らせてくれる。
「じゃあ、あたしは手続行ってくる。すぐ戻るから待ってて」
「ああ……」
おかしいのは体だけじゃない。
人の大きさをした、白くボヤけた塊があちこちに見える。
これはなんだろう?
飛蚊症?
……にしては大きいよな。
もしそうなら昨日殴られたのが原因。
二葉には言えないし、これからのCTでわかるだろうし。
その塊の一つと目が合った気がした。
まさか……いや、そんなはずはない!
体が動かない。
指すらも動かせない。
やばい!
目をつぶる。
(熱いよ……)
舌足らずな女性の声。
小さく掠れながらもはっきりと聞こえる。
(痛いよ……)
だんだん声が大きくなる。
「アニキ、お待たせ……って、寝ちゃった?──」
前方から二葉の声が聞こえてくる。
「──真っ青じゃない! アニキ! 起きて! 看護婦さん!」
肩を揺さぶられる。
(苦しいよ……)
背後から、女の声がはっきり聞こえた。
「看護婦はいい……俺の後ろに誰もいないよな?」
「いないよ! 何わけわかんないこと言ってるの!」
このままじゃどうにもならない。
勇気を出そう。
目を開ける。
「おにいちゃぁああああああん!」
「うわあああああああああああああああああああああああああああ!」
※※※
「……らいさん」
……ん?
誰かが肩を優しげに揺すってくる。
二葉?
「渡会さん、検査終わりましたよ」
目を開ける。
ん……と、部屋には機械がいっぱい。
目の前には看護師さん。
どうやらここはCT室か。
俺はどうしてここに?
頭が回り始めた瞬間、ぶるっと寒気を感じる。
ああ、まただ……。
まずは出よう、病院に悪い。
「ありがとうございました」
多分気絶している間に、二葉が連れてきてくれたのだろう。
部屋を後にする。
──ドアを開ける。
「よう」
下から舌足らずな、それでいてどこか年寄りくさい調子な女の声。
目線を下にやる。
そこには八重歯をむき出しにして笑う、一〇歳前後の幼女がいた。
そして、その背後のソファーには、泡を吹いた二葉が倒れていた。
「もしかして……お前は……アイ?」
「何を白々しい。兄様、よくもさっきはワシを無視してくれたのう」
間違いない。
この頬を膨らます幼女は、紛れもなく「上級生」のヒロインもどきアイだ。
大きな瞳のきわだつあどけない顔。
ピンク色の髪を白いリボンで結わえている。
ツーサイドアップって言うんだっけか?
着ているのは薄手の白い和装。
丈が見えるか見えないかくらいに短いミニ着物。
これに赤く太い腰帯を合わせている。
奇妙ではあるが、見た目はかわいらしい。
ただし着ているのは右前、つまりこれは死に装束。
さらに手には数珠。
──二葉の目が開く。
起き上がるやいなや、すごい勢いでしがみついてきた。
腕がガクガクと震えてしまっている。
「ア、アニ、アニッ、アニキ! この子はいったい! いきなり目の前にパアっと!」
いつもの調子はどこへやら。
まるで言葉になってない。
つまりアイは────幽霊である、だからヒロイン「もどき」なのだ。
ただ、俺には見えるはずがないんだけどな。
アイはいわゆる隠しキャラで、パッケージにすらイラストが載ってない。
こいつを発見するためには条件が三つある。
俺はその内一つ、あるいは二つを満たしてない。
二葉も俺と違う条件を一つを満たしていない。
それにセリフ回しも「上級生」とは違う。
ゲームではいかにも幼女だったが、このババくさい話し方はなんだ。
まるでロリババアじゃないか。
まあそこはいい。
相変わらず吐き気が止まらず気分の悪いまま。
それでも事態を収拾しなくては。
アイに目線を戻す。
「白々しいも何も……まさかロビーのもアイだったのか?」
「とぼけるな。目が合ったくせに無視しおって」
「するわ。さっきは全然違ったじゃないか」
叫びたいところだが、相手は幼女。
押し殺して平静を保つ。
好きこのんで無視したわけじゃない。
まさか幽霊が本当にいるとは思わなかったが、いるものは仕方ない。
見えたことにも驚いたが、外見自体は予め知ってるんだし。
ああ、この姿ならな!
「は?」
アイがきょとんとした目で見つめてくる。
「ちりぢりになった髪にぼろぼろのモンペ。顔は焼けただれて具体的には口にしたくない。お前は俺にトラウマを植え付ける気か」
「ん? この姿がどうかしたか?」
「うぎゃあああああああああああああああああああ!」
「また消えたあああああああああああああああああ!」
……へ?
俺は即座に目を背けたが、それでも一瞬視界に入ってしまったぞ。
「これじゃ話もできんじゃないか」
「あっ、また現れた」
二葉の声に、つい視線を戻してしまう。
幸いにアイはかわいらしい幼女姿に戻っていた。
アイはてくてく歩き、二葉に近づいていく。
「い、いや。来ないで。何する気」
「小娘、いい加減に黙れ」
アイが二葉の胸元を、指でトンと突く。
──やばい!
「二葉! おい二葉!」
崩れるように倒れ込む二葉を、慌てて抱き受ける。
二葉は完全に気を失ってしまっていた。
「兄様もうるさい」
アイが脇腹に向け、人差し指で突い──。




