59 199?/??/?? ??? 二葉の教室:文部省、今すぐ潰れやがってください。
さらに翌朝。
今度は本人達が待ち構えていた。
髪の短い方が鈴木で、ちょっと長い方が佐藤だっけ?
かっこよくもなく、ブサイクでもなく、身長や体型にもとりたてて特徴がなく。
もしここがマンガの世界なら背景に溶けこんでそう。
容姿面はそのくらい印象に残らない人達。
鈴木が口を開く。
「どうして昨日来なかったんだよ」
台詞まで意外性なかった。
「『来い』と言われて誰が行くのよ。しかも学園七不思議に数えられてる体育倉庫に」
誰もいないはずなのに変な声が聞こえてくるとか。
片付けたはずの用具が散らかっていたりとか。
床に石灰がぶちまけられていたりとか。
ハードルの上が変に濡れていたりとか。
正確には「学園七大エッチスポット」、尚更行きたくない。
今度は佐藤が口を開く。
「俺達としては情けをかけてやったつもりなんだけどな」
「はん。情けって、何の情けのつもりさ」
「土下座して謝れってことだよ。今、この場でな」
はあ!?
鈴木が続く。
「人前で、ってのだけは勘弁してやろうと思ったのに」
人前も何も……。
「なんであたしがあんたらに土下座しないといけないのさ」
鈴木が妙にイヤったらしい笑みを浮かべる。
「二葉、お前って華小路君に何したかわかってるの?」
お前に「お前」呼ばわりされる筋合いはない。
アニキいるから下の名前で呼ぶのは仕方ないけど。
佐藤も同じ様な笑みを浮かべる。
「そうそう。華小路君が受けた痛みは、その忠実なる僕である俺達の痛み。だからお前は俺達に謝らないといけない」
この二人、頭湧いてる?
「やなこった。華小路には謝るけど、あんた達には全力で拒否させていただきます!」
あたし達のやりとりを聞いてか、周囲に生徒達がぞろぞろ集まってきた。
やだな……。
逆に二人は顔が紅潮し始めた。
注目されることで悦に入った様だ。
鈴木の声が大きくなる。
「そう言えばさ。俺達のオヤジ、今日警察庁に行くとか言ってなかったっけ? 官房長に会うって」
「それがどうしたのよ」
官房長は中央官庁における人事・総務関係のトップ。
佐藤の声も大きくなる。
「そうそう。ああ、お前の父親って警察庁の下っ端キャリアだったっけ。偶然ってこともあるものだなあ」
「なっ!」
ここまで聞いて、ようやく発言の真意に気づいた。
二人は「警察庁に圧力を掛けて、お前の父親をクビにするぞ」と脅しているのだ。
遠回しに、言質をとらせない様に。
この二人の父親は法務省官房長に出向先の経済企画庁官房長。
しかも将来の検事総長であり、大蔵省事務次官とまで言われている。
一方で父さんは課長補佐。
二人の父親に比べれば下っ端どころじゃない、ノミ以下の存在。
そこは確かに間違いない。
だけど……。
「父さんは関係ないでしょう」
「別に俺達はお前の父親がどうこうとか言ってないぜ」
「そうそう。単に俺達のオヤジが警察庁の官房長に会うって話をしてるだけで。ああ、『何かあったらポケベルで報せろ』とも言われてたっけ」
どうする?
こいつらは典型的なイジメっ子。
この手合いは怒っても泣いても付け上がるだけ。
相手の反応を見て喜ぶのだから。
だったら無視だ。
本当に父さんが飛ばされるかなんてわからない。
だけど公務員は法律で身分保障されている。
やろうとしたところで簡単に事が進むとは思えない。
それでもなったらなった時だ。
とにかく、こんなバカ達相手にしていられない。
素知らぬ顔して席に着こう。
──踵を返しかけた時、アッコの叫びが耳に届いた。
「もうやめて!」
慌てて声の方向へ目を向ける。
顔は蒼白。
両脚はX字になり、ガクガク笑っている。
「二葉があなた達に何をしたの!」
いけない!
「何でも無いよ、ちょっと行き違いがあっただけ」
二人に悟られないよう、さらりと言う。
気持ちは嬉しい。
だけどアッコが相手となると本気でまずいのだ。
しかし鈴木がアッコに問う。
「お前の父親はどこに勤めている?」
言っちゃダメ!
でもそれは答えを教える様なもの。
口に出せない。
「い、出雲銀行です」
出雲銀行は地元の金融機関、いわゆる地方銀行。
まずい、まずすぎる。
「鈴木、確か出雲銀行の頭取って大蔵省の天下りだったよな」
「ああ。オヤジと付き合いあるよ。現役時代にかわいがってもらったって……そう言えば、近々挨拶行かないとって言ってたっけなあ」
「ふ……ふええ……」
アッコが二人の言葉の意味に気づいた。
アッコの父親は出雲銀行の部長。
世間的には偉い人だが、鈴木の父親の前ではノミどころか塵芥に等しい。
しかも直属の上司たる頭取が大蔵省出身ときた。
加えて、世間ではリストラの嵐。
その名目を借りれば、いともたやすくこいつらの目的は実現する。
現実に銀行の管理職のおじさんは続々クビになっているのだから。
つまり、あたしみたいに「Maybe」とか「Perhaps」ではない。
「Ten to one」。
十中八九、アッコ一家は路頭に迷う。
さすがにキレた。
これはキレた。
立ち上がり、声をあらんばかりにして叫ぶ。
「アッコこそ全く関係ないでしょう! どこまで父親の力を、ついでに華小路の力を振りかざせば気が済むの!」
「お前がそれを言うのか? 一樹が盗撮してもお咎めなしなのは、父親が警察庁キャリアだからじゃないか」
「くっ」
事実だけに返しようがない。
「アッコとやら、こっちへ来い」
アッコがおずおずとこっちへ向かってくる。
いけない!
もう仕方ない!
膝を折って床につく。
前方に両手をつき、その上に額を載せる。
「華小路、そして佐藤と鈴木に迷惑をかけてごめんなさい」
「今更遅いんだよ」
──うっ!
後頭部に衝撃。
「そうそう」
さらにもう一つ。
このぐりぐりしてくる二つの固い感触。
明らかに革靴の底だ。
こいつら、頭を土足で踏みつけてきた。
「ヒャッハー、これが現実、現実、現実、現実、現実ぅ!」
「世の中上には上がいるんだよ。俺達みたく『強きにへつらい弱きを挫く』を心掛けていれば、こんなことにはならなかったのにな」
上には上がいるのも、それを認めなければいけないのも同意する。
だけど後段は全否定させてもらう。
かつて男子からイジメられる弱者だった身として。
自分がやられてイヤだったことを他人にできますか。
「おら、アッコも早くこっちに来いや!」
「二葉の隣で土下座しろ!」
「ひっく、ひっく……」
涙を流すアッコがあたしの視界に入ってきた。
つまり……アッコも土下座した。
後頭部の感触が一つ消えた。
「ちょうどよかった。こいつの頭じゃ二人分の足を載せるには狭すぎる」
ゲスが!
「アッコ、巻き込んでごめん……」
「そうだ。俺達は何にも悪くない。恨むなら二葉を恨め」
クズが!
「よし、じゃあ次は『今後は偉大なる華小路様の領導に従い、その同志たる鈴木様と佐藤様に決して逆らいません』と大声で誓え」
すぐさま復唱する。
「今後は偉大なる華小路様の領導に従い、その同志たる鈴木様と佐藤様に決して逆らいません」
頭が痛く、重くなる。
「あっさり返してるんじゃねえよ。それじゃあ、みんなが退屈するだろうが」
「もっと泣け! 叫べ! 教室のみんなはそれが見たいんだよ!」
「みんな」を台詞の中に織り交ぜる。
これはイジメの常套手段。
クラス全員を敵に回しているかの様に錯覚させ、心を折るのだ。
しかも誰も止めようとしなければ、その言葉は事実に裏付けられることになる。
その意味で、見ているだけの者は間違いなく共犯なのだ。
でも、仕方ない。
華小路の名前を出されたんじゃ、仮に止めたくとも動けまい。
せめて内心は助けたいと思ってくれていると信じたい。
それにあたしには、勇気を出してくれたアッコがいる。
そして金ちゃんがいる。
彼は本気で仲良くしてくれているし、こんなのヘドが出るほど大嫌いな人。
今朝はまだ来てないけど、もしいれば絶対に黙って見ているはずがない。
「みんな、裏ではお前のことが大嫌いって言ってるぜ」
「みんな、お前みたいなオンナはかわいくないってな」
二人が交互にあたしを罵倒し続ける。
だが、何とでも言え。
むしろありがたい。
時間稼ぎになる。
もう少しすればホームルーム開始の時間だから、先生が来る。
そうすればバカ騒ぎを諫めてくれるだろう。
この場さえ逃れられれば、あとはどうにでも手を打てる。
だからあと少しだ。
耐えろ。
耐えるんだ、二葉。
金ちゃん、昨日の言葉を訂正しておく。
あたしの取り柄は「元気」だけじゃない。
「根性」もだ。
──ガラッと扉の開く音がする。
「これは一体何の騒ぎなの? みんな席に着きなさい」
数尾先生が来た!
「センセー」
あれ?
鈴木が自ら先生に呼びかけた。
「あら、鈴木君と佐藤君じゃない。どうしたの?」
鈴木のトーンを落とした、いかにも申し訳なさそうな声が聞こえる。
「それが……僕達、昨日渡会さんにラブレター出したんですけど無視されちゃったんです」
はい?
「あらあら、それはいけませんねえ」
はい?
「でも、それを今、渡会さんが自分から僕達をここに呼んで謝ってくれてるんです。僕達はいいって言ってるんですけど、渡会さんが『どうしても土下座して謝らせて下さい。そして二人の好きにして下さい』って言い張って。なあ、二葉?」
そう言えと言わんばかりに、足に体重をかけてくる。
それもゆっくり、じわじわと。
「そんなわけあるか!」
声をあらんばかりにして叫ぶ。
しかし、続く数尾先生の言葉はあたしを絶望させた。
「あらあら、ごめんなさい。今何を言ったのか聞こえませんでした。最近すっかり耳が遠くなってしまって……女も三〇越えるとダメねえ」
「何を言ってるんですか!」
「二葉さん、もう一度言ってもらえるかしら? 私に聞こえる様に、今この場で求められている言葉を。もちろん再び聞こえなかった場合は何度でも聞き返します。ずっと立ちっぱなしになるであろう『みんな』に迷惑を掛けないでくださいね」
か、数尾先生……くっ!
「はい、あたしがそう言いました」
数尾先生が安堵したかのような息を漏らす。
「ふう……まさかイジメじゃないかと心配したじゃありませんか。ちゃんと『同意』をとってるのなら大丈夫ですね」
なんで「同意」を強調するんですか!
「それで田中さんは?」
田中はアッコの苗字。
二人があたしの時と同様に見え透いたウソを並べ、やはりアッコも数尾先生から同じ台詞を言わされる。
数尾先生が声を張り上げる。
「私はこの耳でハッキリと聞きました。渡会さんと田中さんが自ら求めているんです。鈴木君も佐藤君も、とことんまで謝ってもらいなさい。くれぐれも二人、特に渡会さんの父親が勘違いして我が校に出向いてくるヘマ──ことなどないように」
ここまで露骨にあたし達と二人の親を天秤にかけるなんて!
「はい!」
「もちろんです!」
先生がみんなに呼びかける。
「みなさん──」
あたしも横目で先生を視界に入れる。
「今日のホームルームはイジメについてです。この学園、いやこの国にイジメは存在しません。仮に存在するように見えるのであれば、それはイジメられている様に見える側が悪いのです。例えば今回の二葉さんと田中さんに非があるように──」
ゆっくりと諭す様に、それでいてどこか高圧的に話す。
どこまで二人を庇うつもりですか。
「──仮に何かあったとしてマスコミから聞かれれば『仲良さそうだった』とか『じゃれあっていた』と、あなた方の見たとおりに答えなさい──」
何が見たとおりですか。
「──これは文部省からも内々に伝えてきていることです。世間に誤りや誤解を正す、こうした不断の努力によって、調査におけるイジメ『件数』は減っていくのです」
文部省、今すぐ潰れやがってください。
──あれ?
先生がメガネを外して教壇に置く。
そして拳を振り上げ、力一杯に叩きつけた。
「あらあら。うっかりしてメガネにヒビが入ってしまいました。新調したばかりなのについてない、ううっ──」
ううっ、じゃないでしょうが!
その白々しい泣き真似はなんですか!
「──次は私の数学の時間でしたが、これでは授業ができませんので自習とします。私は職員室に戻りますが、自習時間の間についての報告は一切不要です」
今、この瞬間から、A組教室は治外法権となった。
数尾先生がそそくさと教室から出て行く。
出雲学園の教師に何かを期待したあたしがバカだった。
──教室の扉が閉まる。
「んじゃ佐藤、次はどうすっかね?」
声の方向からして、あたしを踏んづけているのが佐藤。
アッコを踏んづけているのが鈴木だ。
「モップ持ってこいよ」
「モップ? 何するの?」
「こいつらのアソコに突き刺して処女膜突き破る」
ちょっ!
「ふざけないで! そんなことして許されると思ってるの!」
「だから『同意』をとったんじゃないか。処女膜をモップで突き破るのは強姦罪ではなく傷害罪。でも同意傷害は保険金の搾取とかでない限り、違法性が阻却されて罪にはあたらない。お前って警察官僚の娘のくせに、そんなことも知らないの?」
「佐藤、さすが検事の息子だけあるな」
「オヤジに教えてもらったんだよ。とにかく『同意』を取り付けておけば何かあっても不起訴に持ち込めるからって」
子も子なら父親も父親だ。
「だから数尾先生も『同意』を強調してたわけね。要はSMプレイが逮捕されないのと同じ理屈だな」
「さすがは教師ってとこだよ。じゃ、モップ二本持ってきてくれ」
「あいよ」
足音が聞こえた、つまりアッコから鈴木が離れた。
今だ!
「アッコ、逃げて!」
駆け出す音が聞こえる。
「あっ、こら! 待ちやがれ!」
あたしの頭が軽くなった。
すぐさま体を捻って、佐藤の足にタックルする。
その勢いで佐藤が前のめりに倒れた。
「離せ!」
「誰が離すか!」
せめてアッコだけでも逃がさないと!
「てめえの父親がどうなってもいいのかよ!」
「御勝手に! アニキが更生するには丁度いいよ!」
まずい!
鈴木もアッコを追いかけている。
一方のアッコは膝が笑ってしまっていて、まともに走れていない。
扉は目の前なのに!
ああ……鈴木の手がアッコの肩を掴んだ……。
──その瞬間、教室の扉が開いた。
「すみませんっす。ちと訳ありで遅れました」
「金ちゃん!」




