55 1994/11/28 mon コンビニ:【当店、マロ券使えます】
店内へ入り、レジに直行。
「うさまん」は……ない!
代わりに【本日発売開始 けろまん 500円(+税)】なるものが置かれていた。
なんだこりゃ?
「けろさんど」を中華まんにしたのはわかる。
しかしカエルの顔とどぎつい緑色の組合せ。
まさに毒ガエルそのものだから、例え味を知らなくとも、買う気になれない。
しかも「うさまん」より値段が高いから、そもそも買えない。
二葉も「けろさんど」が不味いことは認めていたが、本日発売開始なら「話のタネになると思った」って言い訳できるのに。
レジの店長に聞いてみよう。
「今日はもう『うさまん』仕入れないんですか?」
「この時間に来てあるわけないだろ。平日だと夜七時前後には売り切れるよ」
どうしようか。
思案しかけたところにレジ脇の小さなポップが目に入る。
【当店、マロ券使えます】
おおっ!
使い途がないと思っていたマロ券が!
これなら買える!
しかし次の行に書かれた文章は、俺を再びどん底に落とした。
【但し、1000マロ=1円となります】
このレートはなんだ!
そう叫びたいのをぐっと押しとどめる。
それが常識な可能性大だから。
さらにその横にはレジカウンター下を指す矢印のポップがある。
見ると【マロ券コーナー】。
並んでいるのは「うまうま棒」に「チルルチョコ」と書かれた小さいチョコレート。
ああ、そうですね。
一〇円で買える定番商品ですね。
さっきは美味しくいただいた「うまうま棒」に、今は握り潰して粉々にしたくなる程の殺意を覚える。
さすがに「うまうま棒」や「チルルチョコ」では二葉も騙されてはくれまい。
仕方ない、家にお金を取りに帰ろう。
そう思って振り返った時だった。
「兄ちゃん、よかったら『けろまん』持ってかないか?」
えっ?
慌てて振り向き、言葉をつなぐ。
「持っていくってことはタダってことですよね。でも、どうして?」
「兄ちゃんにモニターになってもらいたいんだ。実は『けろまん』売り出したのはいいんだけど、さっぱり売れないんだよ」
そらそうだろ、とはさすがに言えない。
発売初日でこの台詞が出てくるということは、下手すると一個も売れてないのだ。
「それで、どうして僕に?」
「兄ちゃん、昼間『けろさんど』買ってくれたろ? 『けろさんど』はそこそこ売れるから違いを考えて欲しくてさ」
食べなくても答はわかる。
色がまともで値段がうさまんと同じなら、物は試しと買ってみる人もいるはず。
でもそんなことを言ったらもらえなくなってしまう。
「わかりました」
「けろまん」確保。
まさか昼間のパシリがこんなところで功を奏するとは。
※※※
自室のドアを開けると、二葉がパソコンに向かっていた。
くるりと椅子を回転させ、手を伸ばす。
「『うさまん』買ってきてくれたんでしょ」
「おまっ!」
どうして!
そう続ける前に二葉が先に返事した。
「アニキのやることなんてお見通しだよ。それで機嫌直したげるから、早くちょうだい」
愛想笑いすらない。
読み切ったとばかりに規定事項扱いするかわいげのなさ。
だからお前は花火大会の日に独りでゲームやって過ごすハメになるんだ。
……とは決して言えない。
「アニキ」と呼んでくれてる辺り、実際にはもう機嫌を直してくれてるのだろう。
黙ってオーマイゴッドの袋を渡す。
二葉が袋から「けろまん」を取りだし、しげしげと見つめる。
「何これ? 『うさまん』じゃないの?」
「売り切れてたから『けろまん』買ってきた。今日から発売なんだって」
「ふーん。だったら話のタネにはなるかな」
二葉がぱくつく。
表情が変わる。
それで全てを察した。
二葉が笑う。
ああ、いかにもチアリーダーが浮かべる作り笑い。
ついコロッといっちゃいそうだけど、まるで心が篭もってない。
実に俺達スパイと通ずるものがある。
「アニキ、目を瞑って」
「ふむ、断る」
返事を無視して立ち上がる。
「アニキ、あーんして」
「全力で断る」
二葉がじりじりと近寄ってくる。
俺は後退する──も背中にドンと感触。
ドア?
これ以上下がれない。
「兄妹ならおやつを独り占めしちゃダメだよね。あたしも一樹を見倣わないと」
「毒ピザの件まで見倣わなくてもいいと思うぞ?」
「北条さんだって、美味しい物は二人で分け合うべきって言ってたじゃない」
「美味しければな!」
二葉がけろまんを口に持ってくるので、歯を食い縛って全力で瞑る。
すると二葉は俺の顎に手をやり、指先でくすぐってきた。
「ぶわははは──んぐ」
そして『けろまん』をぶちこまれた。
うげええええええ。
変に温かく、サンドイッチよりもさらにまずさが倍加している。
あの店長はちゃんと試食したのか!
はあはあ……なんとか呑み込んだ。
二葉が呆れたように首を振る。
「あたしもこれは無理だわ」
「そう思うものを食べさせるな!」
「買ってきたのは自分じゃない!」
ごもっともだけどさ。
まさか色や値段だけじゃなく、肝心の味がここまで終わってるとは。
モニターの件を話すと二葉が溜息をつく。
「はあ、わかったよ。感想はあたしから店長さんに伝えておく」
「親切だな」
「売る前に気づけって言いたいけど、困ってるんでしょ?」
さらっとそういう台詞が出る辺り、やっぱりこいつはお人好しだ。
「じゃあ後は任せた」
ということで上着を掛けよう。
──とするも、二葉が床に向けてちょいちょいと指を差す。
「アニキ、ちょっと座って」
なんだろう?
一転して静かな物言い。
イヤな予感がするので言われた通りにする。
「違う、正座」
はあ?
「けろまんで機嫌直してくれるって言っただろうが!」
むしろ怒りが倍増してもおかしくない代物だったけど。
「もう怒ってはいない。だけど返答次第では、また怒るかもしれない」
「どういうことだよ」
「問い質したいことがあるってこと」
何だろう?
二葉が足を組んで椅子に座る。
そして机の側にあるイジラッシの小銭瓶を指さす。
「この中にあった百円玉は二七枚。だけど今は二四枚しかない。あとの三枚はどこに消えたの?」
どこまで細かい!
でも、その程度のことなら答は用意してある。
「『うさまん』買うつもりで持っていった。俺がもらったお金を何に使おうと自由だろ」
子供みたいな釈明だけど反論はできまい。
二葉もあっさり認めた。
「その通りだよ」
「じゃあ何だよ」
「昨日お小遣いあげたんだから、財布の中に持ち合わせがあるはず。わざわざここから小銭を抜いて持っていく必要はないよね? しかも三〇〇円程度をさ──」
げっ!
「──お小遣い、一日で全部使っちゃったの?」
まさかそういう方向に考えが至るとは。
何か言い訳……ダメだ。
どんな弁明しようと、最終的には「じゃあ財布の中見せて」と言われる。
その時点で詰みだ。
仕方ない、本当のことを言おう。
「わかった」
指先で床をちょいちょいと指さす。
「なんであたしまで……」
ぶつくさ言いながら、椅子から下りて正座する。
「この体勢じゃ話しづらいからだよ。実は──」
二葉に説明する。
佐藤と鈴木に五千円奪い取られかけたこと。
華小路が割り込んできて俺にマロ券を渡し、五千円を二人に渡してしまったこと。
お昼御飯にもありつけなかったこと。
つまり隠していたこと全部話した。
金之助から聞いた、普段からカツアゲされてることも加えて。
説明を終えた。
二葉は俯いて黙っている。
ただわなわなと肩を振るわせ──前方へ駆け出す様に立ち上がった。
「佐藤と鈴木、ぶっ殺す!」
「どこへ行く!」
すぐさま体を捻って二葉にタックル。
正座させたのはこれを見越して。
いかに運動神経抜群と言えども、正座した体勢からはアクションが遅れるので止めやすい。
「二人の家に行って、奪われたお金取り返してくる!」
「この時間に押しかけたらお前が警察に通報されるぞ!」
暴れるのを抑えるべく、二葉の腰に全体重を掛ける。
この全身脂肪な俺にのし掛かられれば、さすがの二葉も身動きがとれまい。
しかし二葉は肘を使い、腹ばいのままドアに進んでいく。
「離して! 妹のお尻に頬ずりするとかありえない!」
「人聞きの悪いこと叫ぶな!」
はあはあ……。
ようやくじたばたするのをやめたので解放する。
二葉は床にぺたんと座り直してうな垂れた。
「俺だってムカついてるし二葉の気持ちはわかる。だけど、どうしてそこまで怒る?」
身内が恐喝されれば怒るのは当たり前。
しかしすぐさま取り返しに行こうとするなんて、短絡的すぎて二葉らしくはない。
想定内ではあったから正座させたけど、それでもまさかだ。
「アニキだけじゃなくあたしまで一緒に踏みにじってくれたからだよ」
「へ?」
「特に今回のお小遣いは、あたしが家計をやりくりした中から出したお金。ティッシュでも卵でも一円でも安い日を狙って買って、お肉は常にタイムセールの半額品。そうやってコツコツ積み上げた五千円なんだよ」
「はあ……」
「ただ口を開けて小遣いもらってるあの二人にその苦労がわかるか! お金はどこかから降って湧いてくるわけじゃないんだ!」
とても女子高生の台詞とは思えない。
落ち着かせるのも兼ねて、引っ掛かる疑問を問うてみよう。
「貧乏暮らしというわけでもあるまいし、どうしてそこまで節約にこだわる」
それどころか親は県警本部長だから年収はおよそ一二〇〇万円。
霞ヶ関への通勤圏内に持家まであるわけだから中流以上なのは間違いない。
それで節約を口にされても、なんか軽い。
きっと節約しなくとも兄妹二人が生活するには十分な生活費が渡されてるはず。
親が海外などで家にいないのは他のフィクションでもよくある設定だけど、生活費の問題は大抵お約束となっている。
「家計簿眺めてたら『これは削れる、あれも削れる』って気づいちゃって。一方で収入は毎月限りがある。だったら節約して多く使えた方が父さんの労働に報いることができると思って。いつの間にか節約するのが当たり前になってた」
耳が痛くなる。
俺は父親を見て、そんなこと考えたこともなかった。
まして二葉は父親を嫌っているというのに。
母も二葉と同じ思いをしながら俺に小遣いをくれてたのだろうか。
そう思うと、空っぽのはずの財布が重く感じる。
二葉が立ち上がり、机から何かをとる。
「ま、これで腑に落ちたよ」
再び座り直し、俺の前に差し出してきた。
「五千円札!? これは?」
「制服をクリーニングに出そうと代わりの制服に中身移し替えてたら、隠しポケットから出てきた」
二葉が制服の上着を取り、裾をめくる。
すると前で合わせる部分の左の裏側に小さいファスナーがついていた。
「こんなのついてるんだ」
「オリジナルにはついてないよ。これはあたしが一樹に頼まれて付けたの」
「またどうして?」
「『スパイみたいでカッコいいから』とかバカなこと言ってた。まさかカツアゲ対策だったなんて」
二葉がイジメを知らなかったのはクラスが違うとかだけの理由じゃない。
一樹もまた意図的に隠していたのだ。
思うところは俺や金之助と同じだろう。
こうして考えると何だかんだといいお兄ちゃんなところもある。
それなのに、どうして二葉の部屋まで盗撮したのか。
これは口にできないな。
代わりに本職のスパイとして率直な感想を述べさせてもらおう。
「もし本人と出会うことができれば是非とも内調にきてもらいたいものだ」
調査能力といい盗撮能力といい、俺より遙かに役に立ちそう。
もし痩せることができれば日本一のスパイになれるのではなかろうか。
スパイは美形に越したことないから。
二葉がくすっと笑う。
「ま、とにかく、どうしてこんなところにお金隠してるのかと思ってさ。アニキがやったのか一樹がやったのかわからなかったからカマかけたんだ」
またかよ。
どうせバレるのは時間の問題だったと思うからいいけどさ。
「この五千円は先週のおこづかいかな?」
「それで辻褄が合うね。あと、ナイフはどうする? 一応入れ直してはおいたけど」
要らぬトラブルを招かぬためには出して置いた方がいいのだが。
「それでいいよ。この世界に来た時入ってたからには何か意味がある気がしてならない」
「わかった。けろまんの口直しにお茶入れてくるね」
二葉が退室した。
俺も立ち上がり、机へ向かう。
あいつはパソコンで何をしてたのか。
モニターの画面を見る。
【(第一次ロシア革命)
1905年1月 『血の日曜日事件』(ガボン神父主導)
: 労働者の権利保護、日露戦争中止などを平和的に請願
→ 軍隊の発砲により弾圧
→ ツァーリ信仰の崩壊
→ 】
今日やったところの世界史の内容だ。
傍らには二冊の世界史のノート。
片方は一樹が命じられてる龍舞さんのノート、もう一方は二葉のノート。
写してくれてたのか。
続きを打つべく椅子に座る。
まったく。
サゲたりアゲたり、どこまでも忙しいヤツだ。
──ドアの開く音が聞こえる。
「二葉、ノートありがと」
「いえいえ。待ってる時間もったいなかったからさ」
二葉がコーヒーを差し出してくる。
まずは一口。
うん、程よい苦みが口の中を洗い流してくれる。
「美味しいな。インスタントじゃないんだ」
「普段はインスタントなんだけど、今日は『けろまん』があまりにまずかったからさ。父さんのお中元からドリップコーヒー漁ってきた」
さりげない台詞だが時代を感じる。
現在だと公務員への中元歳暮は公務員倫理法で禁じられているからなあ。




