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48 1994/11/28 mon 自室:話してもいいけど聞いたら後悔するぞ?


 脱いだ制服をハンガーに掛ける。

 そう言えば制服の替えってあるのかな?

 腐った汚水のぶっかかった制服なんてこれ以上着ていたくない。


 ふと机の上に気づく。

 五百円玉と百円玉と五十円玉が種類毎に積み重ねられている。

 傍らにはイジラッシの小銭瓶。

 二葉が取り分けたのだろう。

 額面の大きい小銭は両替するまでもなく使えるから。

 五百円玉が一枚、百円玉が二十数枚。五十円玉が五十数枚といったところ。

 これだけでも結構な額だと思う。

 しかし小銭瓶は四リットル、一円玉と五円玉と十円玉がまだまだぎっしり。

 この比率の差には驚くばかりだ。

 五百円玉を見つけた時はプレミアを発見した思いだったのではなかろうか。


 よくよく考えたらイジラッシはカザフ人。

 ウォッカじゃなくて焼酎な辺りに、彼の日本贔屓がみてとれる。

 もう二度と会う事がないヤツのことを思い返しても仕方ないけど。


 ──コンコンとノック音。


「夕食の用意できたよ~」


「ありがとう。今行く」


 ドアを開けると二葉が何やらにやついている。


「今日の夕食はきっとアニキの好物だから期待しててよ」


「好物ってことはすき焼きか牛丼?」


 二葉はそれしか知らないと思うのだが。


「それはクリスマスまでお預けってことで」


「俺にクリスマスまで牛丼食うなってかい」


 確かに俺が生き延びてたら一緒に食べに行こうとは言ったけどさ。

 基本的に一人じゃ食べないすき焼きはともかくとしても。


「まあまあ。でも、昼間のお詫びの印に奮発したんだから」


 そこまで気を使ってもらう必要もないけど、好意は素直に受け取ろう。

 さて、何が出てくるのかな。


                  ※※※


「アニキ、固まっちゃってどうしたの? 早く食べないと全部食べちゃうよ」


 生のまま薄く切られた牛肉。

 白菜、長ネギ、シイタケ、エノキなどのすぐに火が通りそうな具材。

 真ん中に円筒がついた特殊な形状の鍋。


 俺の目の前にある料理。

 それは紛う事なきしゃぶしゃぶだった。


「ごめん。俺、しゃぶしゃぶだけは食べられないんだ」


 二葉が目を見張る。


「ええっ! どうして?」


 叫んだ後の二葉こそ固まってしまっている。

 それこそ意外すぎてだろう。

 とうの俺ですら、そう思うもの。


「まあ色々と」


「まさか、どこかの陶芸家さんみたいに『しゃぶしゃぶは牛肉を一番不味く食べる方法』だなんて言わないでしょうね」


「言うか! そのネタどこまで引っ張る!」


「だって『しゃぶしゃぶ食べられない』なんて言う人初めて見たもの」


「昔は普通に食べてたよ。むしろ一人で食べるならしゃぶしゃぶの方だと思うし専用鍋だって持ってた。ただ、あるきっかけが原因で食べられなくなった」


「じゃあその食べられなくなった理由を聞かせてもらえる?」


 二葉は憮然としている。

 そりゃそうだよな。

 喜んでもらおうと出した料理を「食べられない」とまで言われたんだから。

 かと言って、ハッキリ文句つければ親切の押し売りになる。

 だから自分の中で怒りを押し殺し、膨れっ面するしかなくなってしまう。


 ホント申し訳ない。

 しかし、しゃぶしゃぶだけは体が拒否するのだ。


「話してもいいけど聞いたら後悔するぞ?」


「しゃぶしゃぶ食べられなくなる理由で後悔するも何もないでしょ」


 仕方ない、そこまで言うなら話そう。


「俺が内調に入って一年目の冬だった。他の官庁に入った友人達と俺の家で集まって飲み会を開いたんだ」


「ふむふむ」


「俺の友達だから全員ノンキャリでさ。酒のサカナはキャリアの悪口だった」


「随分とお酒が不味くなりそうな話題だね」


 二葉は呆れ顔。

 霞ヶ関での酒のサカナなんて九割が他人の悪口か噂話なんだが。

 そんなこと言っても始まるまい。


「女子会でも、他人のコイバナとか部活の先輩の悪口とかで盛り上がらない?」


「あー、確かにそうだ。『女子会』ってのはパジャマパーティーみたいなもので、『コイバナ』は『恋の噂話』ってことでいいんだよね?」


 女子会もコイバナもこの時代ではまだ使われてないのか。

 とりあえずの意味は通じてるみたいだし、先に進もう。


「ただ『悪口を言ってるばかりじゃダメだ』ってことでさ。『俺達もキャリアの気持ちを理解しようじゃないか』いう話になった」


「どうやって?」


「その昔……この世界からみると数年先なんだが、『ノーパンしゃぶしゃぶ事件』ってのがあったんだ」


「ノーパンしゃぶしゃぶ? 何それ?」


「文字通り、パンツはかない女店員がお肉をサーブする店」


「はあ?」


「ただしスカートははいてる」


「えーと、わかるようでわかんないというか。脳が理解するのを拒否してるんだけど、そういう意味でもなくて……」


 お前は自分で何を言ってるか理解できてるか?


「そうだなあ……」


 二葉はTシャツにスパッツ。

 いつもの部屋着だ。


「ちょっとその上からでいいから制服のスカートはいてきてくんない? ついでに懐中電灯持ってきて」


 ──二葉がスカートをはいて戻ってきた。懐中電灯も受け取る。


「俺がビールを注文したとしよう。二葉、椅子の上に立って」


「うん」


 二葉が椅子の上に立ち、俺を見下ろしている。


「ビールサーバーはお前の頭の上くらいの位置にある。俺に背を向けて、ビールをコップに注ぐ真似してみて」


 二葉が俺の言った通りにする。

 懐中電灯のスイッチを入れ、二葉の股間に光を当てる。


 慌てた様に、スカートの後ろを押さえた。


「何するの!」 


「スパッツはいてるだろうが」


「そうだけど、イヤなものはイヤ!」


「でもノーパンしゃぶしゃぶの女の子はパンツすらはいてない。そのアソコを、客がこんな風にして覗き込みながらしゃぶしゃぶを食べるってわけだ」


「……サイアク。ノーパンしゃぶしゃぶがいかに下劣で下品で下種でどうしようもない店かっていうのはよくわかった」


「店によっては床が全面鏡張りの店もある。あと懐中電灯の代わりに扇風機が置いてあってスカートを捲れ上がらせる店とか」


「もういい! それで事件ってのは?」


 「事件も下劣で下品で下種でどうしようもなかったらぶっ殺す」と言わんばかり。

 実際に下劣で下品で下種でどうしようもない事件なんだが。

 その殺気は俺にじゃなく、これから話す連中に向けて放ってくれ。


「財務省──この世界での大蔵省が『官庁の中の官庁』って言われてるの、二葉なら知ってるよな?」


「エリートの中のエリートが集まってる上に、各省庁の財布握ってるからだよね?」


 つまり予算編成権。

 大蔵省が予算を認めない限り、各省庁は何もできない。

 その結果としてどの省庁も、表だって大蔵省を敵に回すことはできない。


「そのエリート中のエリートたる大蔵省の大幹部達が、揃いも揃ってノーパンしゃぶしゃぶで接待を受けていたことが発覚したんだ」


「はああ?」


 二葉が目を丸くする。


「逮捕者を何人か出して有罪判決が確定し、大量の内部処分者を出して、大蔵大臣と事務次官が責任とって辞任した」


 大蔵省を敵に回した例外が一つだけある。

 それは、この事件における検察庁。

 東京地検特捜部は大蔵省を強制捜査までして容赦なく取り締まった。

 逮捕者はノンキャリアと課長補佐クラスのキャリアにとどまるが、実際の主役がキャリアの大幹部達だったのは公知の事実である。


「それって本当──なんだよね? マンガの話じゃなくて」


 二葉が一旦叫びかけるも、それを呑み込みトーンを落とす。

 俺がウソをついても仕方ないのがわかってるからだろう。

 だけど気持ちはわかる。

 話してる俺すら、知った時はマンガとしか思えなかったもの。


「実話だよ。俺の小さい頃の事件だから生では見てないけど、日本中が『役人死ね! 大蔵省死ね!』って勢いだったらしい」


「そりゃそうでしょ」


「ところが当時の大蔵省では『ノーパンしゃぶしゃぶで接待されて初めて一人前』と言われていたらしい。『行ったことない』って言うと『キミもまだまだだね』とバカにされたとか」


 二葉が拳でテーブルを叩いた。

 ダンっと激しい音が響き渡る。


「まったくもって理解できない!」


「俺も理解できない。でも霞ヶ関で生きる以上、俺達ノンキャリはキャリアから目を背けて生きるわけにいかない。だからこそ悪口を言うだけじゃなく、連中の気持ちを理解しなくてはいけないんじゃないかと考えたわけだ」


「まさか、それでノーパンしゃぶしゃぶに行ったとか言うんじゃないでしょうね」


 そんなじとーっとした目で睨むなよ。


「行くわけないだろ。ただ気分だけは味わってみようってことでさ。無修正アダルトビデオ見ながらしゃぶしゃぶを食べてみようって話になった」


「バカじゃないの?」


 そんな呆れた目で見つめるなよ。


「酔った勢いだからなあ。男同士だとそういうくだんないことを時々やってしまうんだよ」


「まあいいや、それで?」


「さっそく肉と野菜を買ってきた。それも酔ってたのとボーナス直後だったのとで、いつもなら絶対買わないような高い肉を」


「うん」


「まず一口目。実に美味しかった。値段相応の味だと思った。これなら高級店にも負けまいってことでアダルトビデオの再生を始めた」


「うん」


「アソコのアップが四〇インチの画面に映し出された」


「……うん」


「すると目の前の高級牛肉がアソコに見えて、しかも口の中が毛だらけになった錯覚にまで陥って、すぐさまトイレに直行した」


「…………うん」


「それ以来、しゃぶしゃぶが食べられなくなったってわけ」


 二葉が立ち上がる。

 鍋を抱えて流しへ持っていき、出汁を流す。

 ラップを持って戻ってくる。

 そして、目を背ける様にしながら牛肉の載った皿をくるんだ。


「いや、お前は食べろよ」


「今の話聞いた後で食べられるわけないじゃない! しゃぶしゃぶどころか生肉がトラウマになりそうなんですけど、どうしてくれるの!」


 二葉がすごい勢いで捲し立ててきた。

 引き摺られない様に、意識して声のトーンを落とす。


「だから最初に『後悔する』って言ったじゃないか」


「誰がそんな話出てくると思うか! せめて時と場所を選んで!」


「今ここで聞かれたから答えたんじゃないか」


 それ以外なら、まず話す理由がない。

 だから時と場所を選ぶ以前に、俺から話すこと自体がない。


 二葉が黙り込んだ。

 そこまで言わずとも理解したのだろう。

 さて鍋でも洗うか、と立ち上がりかけた矢先だった。


「もう我慢できない。この際だから言わせてもらうわ──」


 さっきまでのヒートアップぶりとは一転して重苦しい声。

 迂闊に返事したらまずい気がするので、黙って続く言葉を待つ。


「──どうしてアニキは、そこまでデリカシーに欠けるわけ?」


「デリカシー?」


 つい反射的に返してしまった。

 俺のどこがデリカシーに欠けるっていうんだ。


「例えば今朝の洗濯。あたしの下着を勝手に洗うなんて信じられない」


「昼間は『ありがとう』って言ってたじゃないか」


「好意で家事を手伝ってくれたのはわかるからだよ。だけど大抵の女の子は、兄だろうと父親だろうと自分の下着を触られたくないから!」


 そういうものなのか?

 だけど……。


「家で手伝ってる時は、母親からも晴海からも何も言われなかったぞ」


「それって、晴海さんが中学あがる前後くらいの話じゃない?」


「まさにそうだが、なぜわかる?」


「ちょうどそのくらいからそういうのを意識し出すの。だから晴海さんは何も言わない代わりに洗濯を引き受ける様になったんだよ。お母様が注意しなかったのは、恐らく御自身より現代っ子の方が早熟なのを気づかなかっただけ」


「そうだったんだ」


 十年以上も経過して初めて知った真実。

 それもまさか家族以外の者から指摘されようとは。


「『そうだった』じゃない! そうね……アニキのトラウマを聞いてあげた代わりに、今度はあたしのトラウマを聞いてもらう」


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