47 1994/11/28 mon 自宅玄関:トラちゃああああああああああああん!
ようやく玄関灯輝く我が家の前に辿り着いた。
PF2だと案の定、金之助は俺の敵ではなかった。
まさかゲームに明け暮れた日々がこんな形で役立つ日が来ようとは。
何事も一心不乱に打ち込むに越したことはないものだ。
二葉怒ってないかな?
あいつにしたって早く話を聞きたいだろう。
顔を見たら、まず謝ろう。
玄関の鍵を開け、恐る恐るドアを開ける。
──眼前には、にわかに信じがたい光景があった。
「お兄様、お帰りなさいませ。御帰宅お待ち申し上げておりました」
そこには正座して三つ指をつき、床に額がつくまで頭を下げた二葉がいた。
「……何やってんの?」
しかも制服のままで。
「お兄様が怒り心頭なのは重々承知しております」
「はあ?」
「お望みでしたら、この二葉、湯浴みの折にお背中流させていただきますゆえ」
「はあ……」
お前はいつの時代の人間だ。
撲殺喰らった直後に風呂なぞ入れるか。
つーか、恥ずかしくてそんなことさせられるか。
「いや、もうホントすんませんっした!」
今度は体育会系口調。
それゆえ逆に、冗談ではないのは伝わった。
「何謝ってるのか知らないけど頭上げろよ。話もできん」
二葉が顔を上げる……も俯いたまま。
いかにも気まずそう。
「だって、ここまでやるつもりじゃなかったからさ。あたし、途中からは本気でブチキレちゃったし」
「ああ、俺が芽生のアンスコを撮影してからか」
二葉がこくりと頷く。
怒らせるためにやったんだから構わないんだけどな。
ただ、やっぱりあれは二葉の演技ではなく本気だったのだ。
真に迫ってるとか、そういう次元じゃなかったし。
ま、あのくらい鬱屈したもの抱えてる方が高校生……というか人間らしいわ。
むしろ安堵するまである。
「結論としてはあれでうまくいったんだろ?」
「うん……」
「だったらそれでいいじゃん。俺こそ帰ってくるの遅れて悪かったな」
無理矢理話をまとめてしまう。
結果さえちゃんと出るなら過程はどうでもいい。
俺の犠牲なぞ些細な話。
これもスパイとしての現実的思考だ。
二葉がにっこり笑う。
「それじゃお互い様ってことで夕食にしますか」
「お前なあ、その切替えの早さは何なんだ」
そうしてほしかったんだけど、それでもツッコミを入れたくなる。
「許してくれてるのにいつまでも落ち込んでみせるのは、かえって慇懃無礼ってものじゃん。部活でそんなことしたら『うざい』って怒られるよ」
ああ、いかにも体育会系だなあ。
「んで、まさかお前、ずっとあの態勢のまま帰りを待ってたわけ?」
「まっさか──」
二葉が隅っこに積まれたコミックを指さす。
「──ナチス云々の元ネタがわからなくて若杉先生から借りてきたんだ。で、鍵穴の音に注意を払いながら、正座しつつ読んでた」
好奇心からなのか、完璧主義からなのか。
すぐさま確かめに掛かるのは恐れ入る。
そして俺が鍵穴を回す僅かな時間に土下座ついてみせた反射神経にも恐れ入る。
「漫画の感想は?」
「ネタはわかったけど絵が不気味すぎて受け付けない」
いかにも女の子が言いそうな感想だ。
そこを乗り越えられるなら面白いマンガなのだが。
「最新巻だけ見せて」
三九巻か、この時点でもとんでもない量だな。
ページの最後を捲る。
若杉先生の言う通り、いかにも盛り上がっていきそうなところ。
つまり、ここまでは会話に出してもいいということだ。
とりあえず一樹のオタクは盗撮やゲームだけじゃない。
マンガとか二次元全般においてだ。
いかに計略が成功しようとその事実は消せない。
つまり問われた場合、「知っているはずのこと」を「知らない」とは答えられないし、「知っているはずのないこと」を答えてもいけない。
俺もマンガは結構読んでるから知識はある。
ただ、有名なマンガについてはどこまで進んでいるのか確認しておかないと。
「二葉、この辺で漫画喫茶とかあるかな?」
元の世界ならネカフェと呼ぶべきなんだろうが。
「漫画喫茶? あー、もしかして元の世界とここのズレを確認したい?」
この会話の流れで全てを察するところはさすが。
二葉が続ける。
「だったら保健室、というか隣の宿直室でいいんじゃないかな。有名どころは大抵揃ってるし、基本的に若杉先生対策でしょ?」
つまり若杉先生の読んでいるのだけチェックしておけば十分ということ。
しかしあの先生は何者なんだ。
知れば知る程、訳がわからなくなる。
「じゃあそうしよう……あ、そうだ」
これを聞いておかないと。
「ん?」
「あのチーズってなんか意味あったのか?」
二葉が「ああ」と得心した様子を見せる。
しかし、その答えは意表をつくものだった。
「意味なんてないよ、それが意味」
「どういうこと?」
「一言で言っちゃうと『ノイズ』」
「余計わからん。具体的に説明しろ」
二葉が「まあまあ」とばかりに手を突き出す。
「アニキって、多分あたしのこと『頭いい』と思ってくれてるでしょ?」
「多分つかホントに頭いいじゃん」
二葉は謙遜する様子もなく続ける。
「そして『頭いい人は決してムダなことをしない』とも思ってるでしょ?」
「それが常識じゃん」
「その常識をズラして迷わせるためだよ。あたしに言わせればアニキこそ頭いい。きっと正しいパーツだけ与えて思考させたら、すぐに正解へ行き着いちゃうもの。だからわざとアレコレ思い悩ませたつもり」
「頭いい」ってより、それが仕事だからな。
二葉曰くのパーツを精査してつなぎ合わせ推測し、その裏に潜む真実を暴き出す。
要は現実を題材にミステリーパズルを解き続けてる様なもの。
スパイ仕事がintelligence《知性》と呼ばれる由縁だ。
「お陰様でな。でも、すぐに正解に行き着いたっていいじゃないか」
二葉が首を横に振る。
「そうするとアニキは最初からあたしに合わせちゃうでしょう」
「うん」
「一方のあたしもアニキに合わせることになる。すると恐らくどこか芝居がかる。妙に息が合いすぎて、周囲からは二人が通じてる様に見える。それだけは絶対に避けないといけないよね」
「そうだな」
二葉が強制的に俺を服従させてこその制裁。
そうじゃなければ只の八百長、全く意味を失ってしまう。
「序盤さえごまかせれば勢いで突っ切れるんだけど、女の子ってそういうのめざといんだ。しかも若杉先生まで呼んじゃったからさ。あの人はホントに上手くやらないと全て読まれちゃう」
だから後のメモでチーズネタを付け加えたのか。
つまり二葉はそれだけ若杉先生を警戒していたということ。
そして若杉先生は二葉の一人芝居と捉えたから、ここは作戦勝ちということになる。
「そこまで警戒するなら、顧問代理を頼むのは明日でもよかったろうに」
「早いに越したことはないでしょう。それに若杉先生ならいてくれた方が都合いいこともあるかなと思って」
「都合いい?」
「一番大きかったのは最後の締めかな。あたしが締めると、いっそう暴君に見えちゃったと思う。部員の子達に『お前らが望んだ通り』と暗示かけてくれたのも助かったかよ」
そこはもう何となくしかわからない。
意識失いかけてたから。
「しかしお前も無謀な事するよなあ。もし俺が気づかなくて逆ギレでもしたらどうするつもりだったんだよ」
二葉がニッと笑う。
「それはない」
「へ?」
「アニキの機転や度量を信じてたから今回の手を打てたんだよ。そもそも事前の打ち合わせが必要な相手と組んで、こんなことできるわけない。そうかと言って、どこかで気づいてくれないと上手く事が運べないし」
そんな言われ方すると、なんかおさまりが悪い。
まあ、高校生からだとそうも見えるのだろう。
「んじゃ、部屋にカバン置いて着替えてくるわ」
「あたしも着替えないと」
階段を上り始めると、二葉がその後ろをついてくる。
「と言うか、なんで制服のままなんだよ」
「情に訴えるなら、やっぱ制服姿かなあって。『上級生』にハマったってことは、当然この制服も好きなんでしょ?」
この思考回路。
やっぱり二葉も黒い。
──階段を上ったところでふと気づく。
「二葉」
「ん?」
「あの猫って一体なんなの?」
「ああ、『トラちゃん』? 体育館裏に住み着いててさ。時々エサあげてるんだ」
虎柄だからトラちゃん。
こいつって、なんてネーミングセンスが無い。
いや、それはいい。
「お前ってさ、猫に人間用のチーズ与えたらいけないって知ってた?」
二葉の顔がみるみる青ざめる。
「マジ?」
「マジ。猫ってあまり汗かかないからさ。人間用のチーズだと塩分過剰で血液がどろどろになる。んで、腎臓悪くする」
「うああああああああああああ! トラちゃああああああああああああん!」
絶叫した二葉は、そのまま頭を壁に打ち付け始めた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
やっぱり知らなかったか。
そして、やっぱりどこかオチがあったか。
もっとも俺はチーズを与えてない。
今回については計略をきっちり完遂している。
二葉が本当に抜けているのは、俺の台詞からチーズを与えていないことに気づかず慌てふためいているこの様だ。
しばらくこのまま放っておこう。
目的があったとはいえ、あれだけフルボッコにされたんだ。
この程度の意趣返しはあってもいい。
そう思いつつドアノブに手を掛けた。




