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44 1994/11/28 mon 保健室:イジメはやめるものではなく続けるものだって、ばっちゃが言ってた

「『男子はわからないけど』とか言ってませんでした?」


 若杉先生が決まり悪そうに頭をポリポリ掻く。


「すまん、忘れるところだった。結論から言えば、男子……特に佐藤と鈴木のイジメについては明日から一層と苛烈になるかもだから心しとけ」


 はいいいいいいいいいいいいいいいいい!?


「どうしてそうなるんですか!」


 俺が何かやったって謝れるんだから、むしろ逆。

 イジメから逃げられるはずだ。


「お前はこれまで何しても謝らなかった。それがいじめる口実だったわけだ」


「はい」


「しかしその方便を奪われた。しかも二人にとっては因縁ある渡会妹にだ」


「はい」


 ……って「因縁ある」?


 ここは既知の事実として話してるから問い返すわけにいかない。

 帰宅してから二葉に聞こう。


「だから彼らとしては次のステップに移らないといけない」


「次のステップってなんですか!」


「自分達が謝らせることができなかった人間を渡会妹が謝らせたんだ。あいつらの面子は丸潰れじゃないか」


「その滅茶苦茶な理屈は何!?」


「彼らの理屈。方便を失った以上、仕方ないから堂々とイジメるだろう。そこにきて渡会妹への対抗心があるから、より激しくなるって話だ」


「なんで、そこに『仕方ない』がつくんですか!」


「イジメはやめるものではなく続けるものだって、ばっちゃが言ってた」


 茶化した物言いは、若杉先生としても口にしたくないからだろう。

 俺も合わせとくか。


「どこのばっちゃですか」


「お前の目の前にいるばっちゃ」


 まさかここで自虐オチ噛まされるとは思わなかった。

 この人も体張るなあ……。


 ぷっ。

 つい吹き出してしまう。

 若杉先生もくすりと笑う。


「それでいい。そのくらい気楽に聞いておけ。出雲学園には保健室登校制度だってある。いざとなればここへ逃げ込めばいいんだからさ。イジメなんて真面目に付き合うだけ損だぞ」


 ありがたい言葉だ。

 しかし残念ながら受け取れない。

 イジメから逃げていたら、保健室に通うだけで残された時間が終わってしまう。

 下手すれば起こるはずのイベントも起こらなくなって、それこそ二葉を助けられなくなる可能性だってある。


 何より理由はそれだけじゃない。


「俺だって男ですから」


 しかも中身はオトナ。

 あんなクソガキどもになめられて、屈することができるか。

 オトナがコドモにやり返すわけにもいかないが、かと言って負けを認めたくもない。


 若杉先生が「ふう」と嘆息をつく。


「その気概やよしだが……それがイジメの被害を拡大させる原因なんだよな。逃げたら卑怯者扱いすることで教室に縛り付けるんだから」


「そんなプライドにつけこむヤツの方が卑怯者じゃないですか」


 若杉先生が目を見開いた。

 なんだ、なんだ?


「そういう台詞が口から出るのに、どうして盗撮なんかするんだかな」


「はい?」


「さっきから話してて思うが、お前ってそんな大人びてたっけか? 常識といい、理解力といい、物腰といい、どこか同世代の人間と話している気すらする」


 げっ、まずい。

 調子に乗りすぎたか?


「生まれ変わると決意したもので」


 若杉先生が拳を口に当て、堪えた様にふふっと笑う。


「案外、本来はそういうヤツなのかもな。『男子も三日会わざれば刮目して見よ』って言うくらいだし、これからが楽しみだ」


 ああ、やばかった。

 一樹らしく振る舞う必要はなくとも、高校生らしくはしないとな。

 今までがひどかった分、普通ですらまとも以上に見えるだろうし。

 それこそ「ありがとう」の一言で頭撫でられるくらいなのだから。


 これで本当に話は終わりかな。


「それじゃ色々とありがとうございました」


「ああ、ちょっと待て。渡すものがあるから」


 若杉先生が机に向かって、何やら書き始めた。

 仕方ない。

 ついでだし、気になっていたことを聞こう。


「しかし若杉先生って学園の事情よく知ってますね」


「ふふふ。実は私は、政府からの極秘任務を受けている身でな」


「極秘任務?」


 俺ごときに話せる極秘任務があるわけないから、冗談に決まってるのだが。

 まさかFBIの捜査官とでも言い出すのだろうか。

 どこかの少年探偵マンガの英語教師みたいに。


「保健室で極秘任務ときたらお約束じゃないか。『顔を隠して体隠さず』、出雲学園の過度な事なかれ教育を問題視した教育特捜局の──」


「そんな何十年も昔の『月光○○(なんちゃら)』をパロったマンガ知りませんから!」


「知ってるじゃないか。何十年もって、たかだか二〇年前だぞ」


 元の世界で考えれば四〇年前だよ!


 しかし、どう答えよう。

 父親の本棚に並んでたのをこっそり読んだ、とは決して言えない。

 なんせ頭だけを覆面で隠した全裸女性が悪と戦うエロマンガもどき。

 必殺技は、大開脚して相手の顔に飛びつき窒息させる「おっぴろげジャンプ」。

 一樹の父親がそんなの読むとは到底思えない。


「二次元芸術について知らないことはありません」


「そうかそうか。まあ、先日PC98でエロゲーとして発売されたばかりだしな」


 それこそ知らねえよ。


「どうして女性の若杉先生がそんなの知ってるんですか」


「エロゲーもゲームじゃないか。しかもアドベンチャーゲームとして文句なく質が高い。何らかの事情でパソコン持ってると『他に使い途ないからエロゲー』って女性は多いぞ」


「はあ……」


「話それたが、どうして色々知ってるかだったな。保健室が『情報のシルクロード』だからだよ。教師も生徒も色んな人が出入りするから色んな情報が集まるってだけ」


「それも若杉先生の人望ゆえですね」


 若杉先生がくすりと笑い、書き終えた便箋を封筒に入れて渡してきた。


「おだてまで覚えたか。これは『出雲病院』への紹介状。担任には私から話しておくから、明日朝一番で行って脳のCT撮ってもらえ」


「CTって冗談だったのでは?」


「殴られた後だし、ちゃんと診てもらった方がいいだろう」


 ごもっとも、しかし……。


「俺、お金ないですよ。ケンカだから治療費は全額負担じゃないですか」


「そこは安心しろ。渡会兄が階段で足を滑らせて、その上に生徒達が傾れ込んできて、さらにロッカーが倒れてきたことにしてある」


 安心しろ、って。


「死にますわ! 大体そんなことが許されるんですか?」


「ケンカだと加害者に治療費請求しづらいケースが多々あるから。まして出雲学園、親同士の話がこじれると大事おおごとになりかねない。下手すると公権力使って被害者を潰しにかかる親だっているから」


「それはうちの父のことですか?」


「いや別の──出雲学園ではよくある話、むしろ一般論」


 今、明らかに言い直したぞ。

 口が滑るとはこの人らしくもない。

 きっと具体的な事例があったのだろう。

 もっとも、言い直したのは俺に関係のない話だから。

 聞いても間違いなく教えてもらえないし、気づかなかった振りをするのがいい。


「まあ、ありそうですよね」


「少なくともあの(・・)数尾先生としては、そうしてもらった方がいいのはお前だってわかるだろう」


 若杉先生としてはさらりと言ったつもりだろうが、どこか憎々しげ。

 ああ、この二人こそ絶対に犬猿の仲だ。

 もう何から何まで違いすぎるもの。


「俺としても断る理由ありませんし、甘えさせていただきます」


「あと今日の写真の件。明日登校したら、現像した上でネガと写真持って出頭しろ」


「今じゃなくていいんで?」


「もう今日は休んだ方がいいし、信じてやるよ。現像は証拠としてきっちり確認したいんでな。もちろん確認後、ネガと写真は没収させてもらう」


 ありがたいな。

 俺自身もちゃんと撮れているのか確認したかったから。


「わかりました」


「じゃあこれで終わり。早く帰って妹を安心させてやれ。様子見に来たとき心配そうな顔してたから」


「そりゃ心配するでしょう」


 さすがにここは当然な物言いでも構わない。

 あれで心配しなければどんな人非人だよ。


 しかし若杉先生は首を振る。


「単に制裁したってだけなら、あんな顔はしない。それこそが『お前のため』って決定的な証拠さ。渡会妹も詰めが甘いったら」


 とか言いながらも、くすくす笑っている。

 だから若杉先生は二葉が好きなのだろう。

 完璧な人間に人情味は感じられないから。

 あいつは一体どんな顔してたのやら。


「では失礼します。本当に色々ありがとうございました」


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