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43 1994/11/28 mon 保健室:……『助けたこと』じゃなくて『助け方』がおかしいです

「仮にも女の子の善意をつかまえて『罠』呼ばわりはないでしょう」


「善意ねえ。じゃあ聞こう、渡会兄はあの時どう思った?」


「優しい子だな、って」


 もちろん「わけがわからない」とも思った。

 芽生は一樹を嫌ってるのだから。


 だけどそれはプレイヤーとしての感覚。

 今ここには、助けてもらったという事実がある。

 そして、芽生なら「かわいそう」だけで助けることもありえる。


 だって芽生はヒロインだから!

 そんな子だからこそギャルゲーのヒロインが務まるのだ!


「あのさ──」


 若杉先生が鏡を突きつけてきた。


「──お前はこれを見ても、まだそう思うか?」


 この女、俺の心の中の叫びを全否定してくれやがった。

 しかも実に残酷な方法で。


「ここまでボコにされた顔を見れば助けたくもなるでしょうよ」


「今の顔を見るついでに現実も見ろよ」


 元からひどい顔の男を助ける女なんていないってくらいわかるわい!

 でもそんな方法とられたら、一樹じゃなくとも素直に認めたくはない!


「そんな現実見たくないから二次元に走るんじゃないですか」


「つまり違和感あったのを認めるわけだな」


 やりこめたつもりか。

 でも一樹の顔がまずいってだけが理由なら、完全否定できる話でもない。

 優しい子なら一樹どころかホームレスや乞食だろうと助けるだろう。

 そう思わないと女性以前に人間に対して絶望してしまう。


「しつこいようですけど、助けるのは十分ありえる状況だったと思いますが」


 若杉先生がすぐさま切り返した。


「『のは』って言ってる時点で、自分だって気づいてるんじゃないか。言い換えれば『助けたこと』じゃなくて別の点に違和感あるってことだろう」


 この女、わざと俺の逃げ道作ることで核心部分に追い込みやがった。

 手の込んだ誘導尋問しやがって。


 でもわかっちゃいるんだよ。

 助けられた時点で。


「……『助けたこと』じゃなくて『助け方』がおかしいです」


 止めるにしても、普通は羽交い締めにしたり抱きついたりする。

 わざわざ危険を冒して両者の間に割り込むのは変。

 至近距離で見ているボクシングのレフェリーならまだしも、芽生は離れたところにいたのだから。


 あの時、俺は「男の願望」と思った。

 それは芽生が献身的に尽くしてくれたから。

 割り込んでまで体張って助けてくれたのも含めて。

 でも、そんなの、現実にはまずありえない。

 だからこそ「男の願望」なのだ。


「そういうことだ。離れて全体を見ていた者からすれば『助けたこと』もおかしいんだが、それもあわせて説明しよう」


 若杉先生が新たな煙草に火を点ける。


「渡会兄。説明する上で、まずチア部の事情を頭に入れてもらいたい。チア部では二つの派閥が対立してるんだ。具体的には渡会妹を中心とする内部進学者──つまり内部生派と、田蒔を中心とする外部生派な」


「はあ? 一体なんでまた?」


 そんな話、「上級生」じゃ見たことも聞いたこともないぞ?


「詳しくは妹に聞け。本題に移る」


「はい」


「渡会妹がお前を殴る蹴るしてる間、部員達は足を踏み鳴らして盛り上がってたろ? その中で田蒔一人がつまらなさそうな顔で突っ立ってたよ」


 あの時一つだけ動いてなかった足は、芽生だったのか。

 それも最初からそうだったとは。


「どうしてでしょう?」


「渡会妹が部員の人気取りしてる様に見えたからだろ。部員達のフラストレーション溜める目的なんて、そのためだとしか考えられないもの」


 ただしお前のためという前提が思いつかなければ、と付け加える。

 つまり若杉先生も芽生も、二葉がすぐさま俺の制裁を始めなかった時点で「おかしい」と思ったことになる。

 でも、それもそうか。

 あの時、とうの俺すらそう思ったのだから。

 二葉の演技そのものは自然だったが、俺を懲らしめるなら単に制裁すればいい話。

 つまり行動として不合理だったのだ。


「じゃあどうしてその時点で助けなかったんですかね?」


「あの状況だと田蒔が悪者になるじゃないか。ところが部員達の熱は徐々に引いていった。そこで決断したんだ、『今なら!』と」


「まさか……」


「そういうこと。田蒔はお前を助けて、渡会妹を叩く流れに持っていこうとしたのさ。それは渡会妹の行為を『正義の鉄槌』と呼べないものにして人気をとらせないため、ひいては部員の二葉株を下げるために」


「ウソだ! 俺は信じない!」


「信じないのは結構だけど、高校生にもなった男が喚くな。続けるぞ」


「もうやめてください!」


「続けるぞ」


 言い方は優しい。

 しかし今にも鋼鉄の気迫をもってぶん殴らんとせんかに受け取れた。


「はい」


「部員達の熱気があそこまで冷めれば『あんなクズを助けるなんて』と田蒔株は上がる。そこを印象づけるために割り込むなんて危ない止め方をしたんだよ」


「はあ……」


「殴られることまでは計算に入れてなかったろうけど、あれも田蒔に都合良かった。流れる血を拭かなかったのは咄嗟の計算だよ。恐らくお前は顔を拭かれながら、田蒔が天使みたいに思えただろ?」


「はい……」


 この女、俺の心理まで的確に読んでやがる。

 どこまであやかしさんなんだ。

 イジラッシ、お前の他にも超能力者を見つけたぞ。


「周囲はもっと信じられないものを目にした思いだろうよ。それこそ『芽生って素敵』と株は上がったろうし、さらには血を流し続けることで、仲間を手に掛けた渡会妹の非業をアピールできる」


「あれは事故、もしくは自業自得じゃないですか」


「渡会妹は無傷で、田蒔は殴られて血を流している。その事実のみが重要なんだよ。そんな二人が口論してみろ。内容はいかあれ、心情的にはみんな田蒔に傾くさ──」


 若杉先生が灰皿に煙草を押しつける。


「──これが『助け方がおかしい』についての説明だ」


 二葉は、意外な所も多かったが根幹部分はゲーム通りだ。

 若杉先生は、ある意味ではゲーム以上に好感持てる人だ。

 龍舞さんは、元々ああいうヒロインだからどうでもいい。


 しかし芽生は……芽生は……。

 どことなく影があって大人びてるけど、美人で、スレンダーながらも出るところはしっかり出て足も長いという均整整ったプロポーション。

 成績優秀、運動抜群、品行方正と万能系。

 さらには「一族が経営する大きな銀行」の頭取の娘というお嬢様。

 それでいて「あなたが好きなの」と思わさせてくれる。

 俺どころか大抵の男にとって理想のヒロイン。

 だからこそ二年生の中では一番人気なのだ。


 それなのに! 俺の幻想を返せ!


「何をぶつぶつ言っている。そりゃ田蒔を好きな渡会兄としては、これ以上現実を見たくないだろうけどさ」


「は?」


 なんだそりゃ?


「だからこそ、あの極限状況で田蒔のスカートの中を盗撮したんだろ。この期に及んでもまだ、こいつはこんなことするのかと心底呆れたよ」


 あの行動をそういう風に捉えたのか。

 ここは下手に突っ込まれるよりも、そう思われた方がいい。


「だって、あの体をフィギュアにしたら実に映えると思いませんか?」


「生まれ変わるんじゃなかったのか?」


 しまった、一樹になりきろうとする今までのクセが。


「言い直します。あのすらりとした体型は美しいと思いませんか?」


「それは贅沢な体型の私にケンカ売ってるととらえてもいいんだな?」


 だあっ、めんどくさい!


「それじゃ『助けたことがおかしい』の説明もしてください」


「もう、したも同然だよ。本当に善意で助けたいなら、状況にかかわらず助けるはず。あそこまで引っ張ってから助けた事実が全てを物語ってるってわけさ」


 要は二葉が芽生に吐いたイヤミそのままってことか。


「理解しました。でもそういうことなら、芽生も悦びながら見てたってわけじゃなさそうですけど」


「止めなかったからには同罪なんだから言われても仕方ないだろ。芽生としては痛いところを突かれて、つい手を出した。一方の渡会妹も普段から溜めてた鬱屈が爆発した」


「普段から溜めてたってことは?」


「掴み合いにまでなったのは私が知る限り初めてだよ。あとは見たまんま、単なる子供のケンカさ。実に微笑ましいじゃないか」


 若杉先生がニッと大人の笑みを浮かべる。

 無理矢理「イイ話」でオチをつけやがった。


「芽生がそんな腹黒女でがっくりです……」


「腹黒? 私はそんなこと言った覚えないぞ?」


「たった今、長々と散々説明したばかりじゃないですか!」


 若杉先生が溜息をついた。


「はあ。女の子だって感情はあるし、思考するんだぞ?」


「言われなくてもわかってます」


「わかってないから田蒔を腹黒と言う。自分の地位や居場所を勝ち取るためなら人間何だってするし策も練るさ。それは男女どうこう以前の話だ」


「でも若杉先生は田蒔を非難してたじゃないですか」


「非難なんてしてないよ。罠を説明しただけだし、その罠も当たり前って言ってるんだから──」


 若杉先生が語気を強める。


「──そんなこと言うなら、渡会妹はもっと壮大な計略を練って部員全員を操り、騙しきったんだぞ。それは腹黒じゃないのか?」


 痛いところつきやがって。

 いつから「上級生」は腹黒だらけの鬱ゲーになった。

 かと言って、二葉を卑下するような言葉は絶対出したくない。


 黙りこくっていると、若杉先生が頭を下げてきた。


「すまん。兄の前で考え無しの発言だった」


「いや、頭上げて下さい。先生が生徒に頭下げるなんて」


「先生だろうと間違っていれば頭下げるのが当たり前だ」


 生徒に媚びる先生ならいくらでもいたけどな。

 自分から非を認めて頭下げてきた先生は、俺の周囲だといなかった。

 この人はどこまでも公平でどこまでも真っ直ぐなのだ。


 さすがはこの年齢でもギャルゲーのヒロイン。

 プレイ時はBBAなどとぞんざいな扱いをして悪かった。

 俺の側も心の中でそっと頭を下げる。


「ただまあ……あまり知りたくない現実なのは変わらないですね……」


 若杉先生が机に肘を載せ、姿勢を崩し気味に頬杖をつく。


「男としてはそうだろうな。言ってみれば醜い女の争いだから……でも、二人ともかわいいものじゃないか」


「かわいい?」


「結局は、芸もない引っぱたきあいの抓りあいってオチなんだから。根っから狡猾なら、田蒔みたいに追い詰められても逆転の策を練るし手段も選ばない。叩き返した渡会妹も同じ。感情を優先させてしまった辺り、まだまだ二人とも子供なんだよ」


 若杉先生がふっと笑みを浮かべる。

 いかにも余裕な大人の笑み。

 不覚にも、ちょっと格好いいと思ってしまった。


 元の世界の俺は同世代。

 しかしこんな笑い方ができただろうか。

 正直言って悔しいし、嫉妬にもかられる。

 でも俺どころか、北条も……いや、他の同世代の誰もできない気がする。

 ここはもう、別世界に住む人と割り切ってしまった方がいいのだろう。

 実際にギャルゲー「上級生」の異世界なんだし。


 若杉先生が頬杖を解いて姿勢を正す。


「さて渡会兄。長々と話したが、これで説明は終わりだ」


 終わりって、まだ何か忘れてませんか?


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