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38 1994/11/28 mon 体育館:現行犯だったらいいんだな

 二葉が睨み付けながら近づいてくる。


 こうして男装を眼前にすると、若杉先生や部員が大騒ぎするのもわかる。

 元々大きくてきつい目だから男装が似合う顔立ちではある。

 当然、容姿だけみてもカッコいい。

 しかしそれ以上に、雰囲気がまるで違う。


 普段の二葉は「ただの」ボーイッシュなかわいい女の子。

 一般的には「抜群の」。

 しかし抜群揃いの出雲学園だと、周囲の部員達と比べても決して秀でてはない。

 若杉先生の「クラスで五番目くらい」は妥当な表現だ。


 しかし男装だと違う。

 いま目の前にいるのはまさしく王子様。

 凜として清々しい空気を纏い、思わずひれ伏してしまいそうほどに力強きプレッシャーを放ってくる。


 これは二葉の意思の強さが男装によって前面に押し出されるためか。

 周囲全てに嫌われた兄を唯一人流されずに大事な存在として思い続けてきた時点で、二葉の意思は頑強で並外れている。


 あるいは屋上で聞いた話の顕れなのか。

 二葉は自分を庇ってイジメられる一樹を見て「あたしが変わらないと」と決意した。

 しかしコミュ障で引っ込み思案な人間が、決意だけで簡単に変われるものではない。

 人知れない苦労があったはずだし、心が折れそうにもなったはず。

 それを乗り越えた強さが男装だと引き立って見えるのかもしれない。


 「上級生」で二葉の男装姿がなかった理由もわかった。

 ボーイッシュなヒロインが男装するのはギャルゲーのお約束だが、それは「羞恥」という要素があっての話。

 二葉は羞恥キャラなのは、きっと男装を予定していたからだ。

 しかし目の前の二葉は男装が堂に入りすぎていて、恥じらってみせたところでキモチ悪いとしか思えない。

 二葉の男装は女性が見てこそ喜ぶ男装。

 男性が見て「萌える」とか「愛でる」といった類の代物ではない。

 それで裏設定としてお蔵入りしてしまったのだろう。


「みんな離れて。ロープも放しちゃっていいよ」


 ダダッと大勢の一気に駆け出す足音。

 俺を取り巻いていたチアリーダー達が二葉の側へ移動して隊列を組み上げる。

 なんて素早い。

 まさに体育会系の動きだ。


 チアリーダー達が一斉に叫び始めた。


「今日こそは許さない!」


「これまでの怨みを晴らしてやる!」


「部長、お願いします!」


 盛大なブーイングが体育館中にこだまする。

 果たして俺は生きて帰れるのだろうか。


 二葉が腕を水平に伸ばす。

 同時にブーイングが止んだ。


「はやる気持ちはわかる。だけどまず話をさせて。こんな外道でも一応はアニキ、言い分くらいは聞いてあげたい」


 チアリーダー達の呟きが聞こえる。


(えーっ、早く殺っちゃってよ)


(部長ってお人好しだから……)


(そこがいいとこなんだけど)


 賛同と不満と半々の反応。

 俺自身すぐさま制裁を加えられるものだと思ったのだから無理はない。

 肩透かしといったところか。


 二葉が俺を盗撮犯に仕立て上げて「何か」するつもりなのはわかった。

 しかしその何かがわからない。

 考えがまとまらないままに次々事態が進行してしまっている。

 今もどうして殴ってこないのか。

 確かにこのままボコにしたって得るものはない。

 話を持ちかけてきたことにも意味があるはずなのだが……。


「ねえ、アニキ」


 いけない!

 また思考のループに陥るところだった。

 今は一樹になりきらなければ。


 ──一樹よ、我に降臨せよ。


「何だよ」


「妹の部活まで盗撮するってどういうつもりなの」


 普段と違って声の抑揚が全くない。

 演技か本気か──いや、演技であるはずなのだが──まるで突き放された感覚。

 静かに、それでいてはっきり、怒りと憎悪の感情が伝わってくる。


 だからといって一樹が素直に答えるはずはない。

 さらに厨二病は頭をよく見せたがるから……これだ。


「盗撮? 俺はただファインダーに映るものを撮影しているだけだ。『盗撮』というからには、まずその定義を言ってみろ」


「アニキがパンツを撮る行為は全て盗撮、これで何か文句ある?」


「だったら俺が今責められる理由はないな」


「どうしてさ」


「アンスコはパンツじゃない。隠されてもない物をこっそり撮影したところで法的には何の問題もない」


 元の世界じゃアンスコの盗撮で逮捕者出たから問題大アリ。

 ただ逮捕の根拠となる最高裁判決が出たのは、仕事柄知っているが二〇〇八年。

 現時点ではグレーだ。


「法律に違反してないからって何してもいいと思ってるの? 盗撮されるあたし達の気持ちは考えないわけ?」


 顎を斜めにしゃくって二葉を見下す。


「オマエらが見せるために穿いてるモノを撮って、何の文句があるんだ?」


「質問に質問で返さないで。あたし達は見せるために穿いてるわけじゃない!」


 二葉はイラついたか、怒鳴り気味に即答した。


「股を全開で飛び上がるのは『見て下さい』と言ってる様なものだ」


「そういう時にパンツ見られたくないから穿くんだよ」


「だったらジャージでいい。どうしてアンスコなんだ?」


「動きにくいからに決まってるじゃん」


「だったらスパッツでいい。どうしてアンスコなんだ?」


「見映えが悪くなるからに決まってるじゃん」


「ほら、見せるためじゃないか」


 二葉がしまったとばかりに口を抑える。

 もっとも元の世界じゃスパッツなチアリーダーの方が一般化しつつある。

 こんな論法自体が通用しない。


 しかし、どうも二葉との呼吸が合わない。

 それはきっと他人からは不自然に感じない程のわずかな間。

 だけど台詞を口にしている本人にすれば気になって仕方ない。

 きっと思考がまとまらなくて集中しきれないせいだ。


「じゃあ、なんで今日はチア部を撮ってたの」


 一樹にとってアンスコはパンツではない。

 だからちゃんと理由をつけてやらないといけない。


「パンツを救ってやるためだ」


「はあ?」


「パンツの魅力は、その自在な動きによって女性が本来有する美しきフォルムを演出する点にある。本来であればチアリーダー達の演舞に合わせて、ある時は食い込み、ある時はよれてシワになり、ある時はたるんで恥骨との間に絶妙な隙間を生み出すことで、彼女たちの生命力と躍動感を見事に表現してみせるだろう。それなのにアンスコで抑え付けられて自由を奪われてしまったパンツの気持ちがわかるか? そう、お前らのやってることは人権侵害ならぬパンツ権侵害だ。でも、それでも、パンツは頑張った。せめてもの抵抗としてアンスコの上に自らのラインを描き出した。だから俺はそれを撮影してやることで虐げられたパンツの苦しみを理解し、救ってやろうとしたのだ」


 場に沈黙が流れた。

 まるでチアリーダー達の呼吸を感じとれるかに静かだ。


 流れる。

 まだ流れる。


 ──チアリーダー達が一斉に怒号を上げた。


「ドヘンタイ!」 


「犯罪者!」


「盗撮魔!」


「死ね!」


「むしろ殺す!」


「気持ち悪い!」


「今すぐ学園から出て行け!」


「警察がダメなら、検察だ!」


 耳が痛い、脳がやられる、心が折れる。

 これでいいのか?

 どんどん事態を悪化させてるとしか思えない。


 二葉が頭上に真っ直ぐ右手を掲げ、弧を描く様に振り下ろす。

 それとともに部員達の怒号が鳴りやんだ。


「じゃあ今日の事はもういい。でもこれまで散々あたし達のパンツを撮ってきたよね。それは立派な盗撮でしょうが!」


 二葉の声が大きくなり、口調も早くなった。

 いかにもテンションアゲアゲ。

 しかし釣られて興奮してしまってはアウトだ。

 ここで勘違いクールを決めてこその一樹。

 ニヤリとしつつ、とぼけてみせよう。


「散々? 何年何月何日何時何分何秒のできごとだ?」


「開き直らないで! いつも、いつも、いっつもやってるじゃない!」


「開き直ってるつもりはない。盗撮は現行犯じゃないと原則ダメなんだぞ。俺が盗撮した証拠だってどこにもないだろ?」


 つまり逃げ切れば勝ち。

 実際には二人で証拠を昨晩引き出しの中から見つけたわけだが。


 再びチアリーダー達がざわざわし始める。


(なんてふてぶてしい)


(じれったい)


(もういいじゃんか)


 二葉は黙ってしまっている。

 盗撮写真の存在については口にできないので答えあぐねてるのか。


 ……失言だった。


 でも二葉よ。

 何を考えてるか知らないが、このままじゃただの禅問答だぞ。

 二葉の企図した決着のつく前に、暴走したチアリーダー達が俺を殺しかねない。


 ようやく二葉が口を開いた。


「げ──」


 しかし、その言葉は別方向からの声によって遮られた。


「現行犯だったらいいんだな」


「若杉先生!?」


「一五時五八分。お前が校庭で滑り込みながら女子生徒のパンツを盗撮した時間だ──」


 先程没収したカメラをこれ見よがしに掲げる。


「──証拠もこの中にあるぞ」


「なぜ先生が!」


「保健室の窓から見えたんだよ。よくも私の目の前で大それたことしてくれたな」


 あ、確かにあの時の位置って。


「でも、どうして時間まで!」


「体育館へ行こうとゲームをセーブした直後だったから。そのファイル名で覚えてた」


 若杉先生の乱入は二葉にも予想外だったのだろう。

 慌てた様に振り向いたから、それはわかる。


 このダメなオトナが。

 こんな時にダメっぷりをとんでもない方向で役立てやがって。


 チアリーダー達が囃し立てる。


「現行犯!」


「現行犯!」


「現行犯!」 


 黙れオマエら。

 どうつなげたものか。

 しかし俺が思いつく前に、若杉先生の方から切り出してきた。

 それも憂鬱そうな表情で。


「だが……残念ながら現行犯以前の問題なんだ」


 二葉が問う。


「どうしてですか?」


「渡会兄の学園内におけるパンツ盗撮は、そもそも犯罪にあたらない」


「ええええええええええええええええええええええええええええええ!」


 チアリーダー達が目を丸くしてどよめく。

 二葉もあんぐりと口を開けてしまっている。

 無理もない。

 俺だって知らなかったし、咄嗟に歯を食い縛らなければ二葉達と同じ表情をしていた。

 と言うか、本当にそうなのか?


 二葉が、はっと気づいたように右腕を真っ直ぐに伸ばした。

 チアリーダー達のどよめきが鎮まる。

 余韻が消えるのを待って、二葉が問いを続けた。


「先生、学園が一樹を処分しない建前を繕いたいのはわかります。でも、いくらなんでもそれはないでしょう。盗撮が犯罪じゃなくて何が犯罪なんですか?」 


「本当だ。本日の行為にしても、仮にアンスコとパンツを一緒に並べることができたとて犯罪にはあたらない」


「あたし達にわかるように説明していただけますか?」


 俺も聞きたい。


「盗撮を規制する法規は迷惑防止条例と軽犯罪法。この適用範囲が問題なんだ」


「具体的には?」


「迷惑防止条例の適用範囲は『公共の場所』。これは例えば電車や公園など不特定多数が出入りできる場所をいう。学校は生徒や教職員という限られた人しか出入りが許されていない場所なので含まれない。従って、学校内での盗撮は迷惑防止条例違反にあたらない」


「では軽犯罪法の適用範囲は?」


「『衣服をつけないでいるような場所』。これは学校だと更衣室やトイレのことをいい、教室や体育館や校庭は基本的に服を着ているはずなので含まれない」


「あまり聞きたくないですけど、改めて結論を言ってもらえますか?」


「渡会兄が学園内で盗撮しても、更衣室やトイレで盗撮しない限りは犯罪にあたらない。しかもこいつはパンツ専門。更衣室はわからんがトイレではしてないだろう──」


 若杉先生がこちらを向いてニヤリと笑う。


「──こいつはそれを知っていて、堂々とパンツを写しまくってんだよ。()()()()()()()()()()()。なあ、渡会兄?」


「え、ええ……」


 イヤミったらしい。

 若杉先生は俺が知らなかったことに気づいた上でバカにしている。

 知っていれば現行犯云々なんて持ち出すわけないのだから。


 でも、これは知らなかった。

 それこそ盗撮が本当に仕事だった俺ですら。

 だって当然にやってはいけないことだと思っていたから。

 常識の罠にも程がありすぎる。


 二葉が怪訝そうな顔で尋ねる。


「どうして先生がそんなこと知ってるんですか?」


「学園側も建前繕うために色々考えてるんだよ。知らぬ存ぜぬで通せなかった場合、犯罪にあたらないものを処分しない分には『教育方針』で済む。もちろん他の後ろ暗い事してる生徒についても、ちゃんと言い逃れを検討してるぞ」


 く、腐ってる。


「でも一樹は学園外でも盗撮してるじゃないですか」


「『学園の関知するところではない』で済ませるさ」


 チアリーダー達が騒ぎ立てる。


「あたし達の人権はどうなる!」


「正義はどこへいった!」


「授業料と寄付金返せ!」


 二葉も怒鳴り立てた。


「じゃあ、あたし達は泣き寝入りしないといけないんですか!」


 若杉先生が首を横に振る。


「例え法が許しても、道徳や倫理が許さない。例え学園が詭弁を弄して庇おうとも、私は貸す耳を持ち合わせていない」


「じゃあ、どうしてアニキの味方するようなことを言ったんですか」


「聞いててじれったくなったから横槍入れただけだ。バカにはバカなりの論破の仕方がある、それを見せてやろうと思ってな」


 バカにはバカなり?

 今のはさすがにイラっとしたぞ。


「論破? やれるものならやってみてくださいよ」


「言われなくともさせてもらうよ。撮影技術が世界イチィィイな大佐さん」


「えっ?」


「ナチス党員たる者が、性的に堕落した『退廃芸術』を追求しちゃいけないだろ。パンツの写真はどう考えても総統閣下の御意思に反するぞ?」


「なっ!」


 退廃芸術とはナチスによって禁じられた芸術観で、いわば焚書。

 ヒトラーは性的に潔癖と言われていた。

 若杉先生の言う通り、もしパンツ写真を見ようものなら即座に破り捨てるだろう。

 いや、パンツの盗撮そのものが間違いなく粛正される行為だ。


 何も言い返せなくなった。

 まさかホントに論破されようとは。

 しかもこんなくだらない理屈で。


 チアリーダー達がやんやと囃し立てる。


「そうだ、そうだ!」


「退廃、退廃!」


「芸術、芸術!」


 オマエら絶対にセリフの意味わかってないだろ。


 そもそもだ。


「なんで先生がそんなマンガ知ってるんですか!」


「読んでるからに決まってるだろ。学校から出られない私にはゲームとマンガだけがトモダチなんでな」


 ダ……ダメだ、この人ダメすぎる。

 年齢関係なく女として終わってるじゃないか。


「渡会妹、もういいぞ。この坊やを心ゆくまで散らしてやれ」


 二葉が俯いて、ぼそっと吐き捨てた。


「バカと言葉を交わそうと思ったあたしこそバカだった」


 顔を上げ、睨み付けてくる。

 突如、目の前が暗くなった。


 ──ぶぐっ!


 い、い、い……痛い。

 鼻の頭を思い切り殴りやがった。


「最初からこうすればよかった」


【脚注:一樹の学園内における盗撮について】


 まず先に書かせていただきます。

 罪になろうとなるまいと、道義上・倫理上盗撮はダメです。

 本話は法の抜け穴を示すものですので、あえて付言させていただきます。


 その上で1994年当時と現在では齟齬が生じております。

 2014年12月1日現在では、犯罪として立件される可能性が高いです。

 一部都道府県では改正によって迷惑防止条例の場所的範囲を広げました。

 その他では児童ポルノ禁止法2014年改正で新設された「ひそかに製造罪」(同法7条5項)適用の余地があります。

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