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35 1994/11/28 mon 写真部部室:弱い者イジメはキライだ

 瞬時に二葉は上体を跳ね起こし、両手で口を塞いだ。


「バカ! 何見てるのよ!」


「そんな真っ赤になることでも、バカと言われることでもないと思うんだが」


「だって八重歯って形悪くて子供っぽく見えて不格好じゃん」


「そんなことない、かわいいぞ」


「どう見られようとイヤなものはイヤ! 昔は歯を出して笑うのも抵抗あったのに!」


 この、口を抑えながら頭を横に振って慌てふためく様。

 どうやら本気でコンプレックスっぽい。


「すまん。ただヒロインBの特徴について一つ思い出したからさ」


「え?」


 二葉が頭の動きを止めた。


「正確には高校生ヒロイン全員の特徴だ。みんなに八重歯がある」


 八重歯はいわゆる萌えポイント。

 今となっては多少古くさくも映るが、二〇年前は八重歯ヒロインばかりだった。

 「上級生」も例外ではない。


 ただし高校生以外だと「あるヒロイン」と「ないヒロイン」がいる。

 例えば若杉先生にはない。

 理由は恐らく、さっき二葉が言った通り。

 子供っぽく見えてオトナの魅力が台無しになるからだろう。


「へえ……ギャルゲーって、なんだかよくわからない世界だねえ……」


 二葉の両手が、だらりと口から離れていく。


「特に八重歯が目立つのは、さっきみたいに怒ったり不機嫌になったりの場面だな」


 今考えれば、負の感情を和らげるためのギミックとして用いられていたのだろう。

 普段会話してる分には意識しないけど角度によっては目立つ。

 きっとその程度の八重歯なのだ。


「なるほど……うん。これは使えるね。あたしでも見て歩けるし」


「ただ現時点では『お前がそうだ』というだけで『上級生』と同じかわからない。後で確かめておくよ」


「どうやって?」


「龍舞さんを怒らせてみる」


 二葉が息を呑む。


「わかった……死なないでね」


 龍舞さんといえば、この問題もあった。


「ノートの件なんだが──」


「大丈夫だよ。あたし持ってるから家で渡すよ」


 言いかけたところで二葉が遮って即答した。

 呆気なく問題が片付いたので、逆に狼狽えてしまう。


「そ、そうか。ありがとう」


「あたし世界史選択だし。A組はもうカリキュラム終わっちゃってるけど、授業内容自体は同じだからさ」


 さすが特進、って。


「選択? 世界史って必修じゃないの?」


「A組は受験に関係ない科目を教えないんだ。表と裏の時間割があってさ。例えば今は数学の時間だけど、表の時間割だと芸術になってる」


「なんかすごいな……」


 龍舞さんが「二葉から借りろ」と名指ししなかったのはそういうことか。

 A組とB組で授業が違うのを知ってたから。


「体育と女子の家庭科は別だけどね。どこの進学校も似たようなものらしいよ」


 家庭科こそ省略されそうな筆頭のはず。

 この辺り、良家の子女が集まる学校なんだと思わされる。

 「お嫁さん修行」は欠かせないということなのだろう。


 二葉が思い出したように口を開く。


「そうだ。絶対に数学得意なのバレちゃダメだよ。一樹は英語以外全部赤点だから」


「やっぱりそうなのか」


 あのラクガキだらけの教科書からすれば無理ないわ。


「でも、できない振りする分には簡単でしょ?」


「そりゃあ、まあ──って! 英語以外!?」


 一樹って英語はできるのかよ!


「出雲学園って英語を話せて当たり前。高等部にはそういうレベルの人しか内部進学も外部入学もできないし、もし英語で赤点とったら即放校だから」


 龍舞さんの「英語はいらない」というのはそういうことか。


「英語の偏差値二五だった俺にどうしろというんだ!」


「がんばって!」


「そんな拳握りしめながら上目遣いで瞳ウルウルさせたって誤魔化されないぞ」


「ちっ」


 ちっ、じゃないだろうがよ。

 お前はどこのマンガに出てくるアパートの管理人さんだよ。


「どっからそんなふざけた方針を思いつくんだよ」


 天を見上げながら、人差し指を立てて所在なげに動かす。


「えーと……これからのグローバル化の波を迎えるにあたっては何ちゃらかんちゃら?」


「入学案内のパンフレットに書いてありそうな建前はいい。本音は?」


「外国語さえできれば大抵の大学に合格うかるから。出雲学園には附設大学が無いから受験しないとだし、T大じゃなければKO大とかの都心部にある私立に行きたがるし」


 坊ちゃん学校の代名詞とされる大学が挙がる辺り、いかにもだ。


「えと、二葉?」


「何でしょう?」


「学期末試験って、まだだよな?」


 確かゲーム内でその期間を迎えたはずだから。


「がんばって!」


「もうええっつの!」


 俺だけの話なら放校になったって構いやしないが、一樹が帰還できた時のことを考えると申し訳が立たない。

 ついでに犯罪者を野に放つという点で、世間の皆様にも申し訳が立たない。

 「上級生」だと強制的に登校させられるってだけで、勝手に時間が進んでテストが終わるんだけどな。

 ギャルゲー内でテストの描写なぞうざったいだけだし当然だろうけど。

 課題が一つ増えちまったなあ。


 ……ん?

 二葉がおずおずと、先程とは違った妙な上目遣いで問うてくる。 


「えと、アニキ。つかぬこと……というか、もしかしてものすごく失礼になっちゃうかもしれないことを聞いてもいい?」


 やたら物々しい態度からすれば、きっとホントに失礼なことなのだろう。


「いいよ。遠慮なく聞け」


「アニキってノンキャリアってことはT大じゃないんだよね?」


 なんだ、そんなことか。

 確かに学歴なんてデリケートな話題には違いないけど。

 ちなみに元の世界だとT大出身のノンキャリアもざらになってきてるから、二葉の論理は成り立たない。

 北条だってT大ではないが、西の国立の雄K大だし。


「違うよ。さっき話にも出たKO大」


 二葉が目を丸くする。


「どうしてそれで英語苦手なの?」


 KO大は私大の中でも英語最重視の入試で有名。

 それを知ってる人からは当然そう思われる。


「受験科目が数学だけだったから。それ以外の学校は全部落ちたし、名前さえ書けば合格るはずの大学にすら落ちたのだって嘘じゃない」


 二葉が何やら溜息をついた。


「はあ……あたし、生まれて初めて英語必須の教育システムに疑問感じたわ」


「なんで?」


「だって英語のできないアニキって、そのシステム的には超のつく劣等生だよね」


「確かにそうだけど、ハッキリ言うなあ」


「褒めてるんだよ。実際はあたしなんかよりよっぽど数学できるし。天然の鈍感野郎だけど、見てて話してて頭の回る人だと思うし……そんな人が劣等生扱いになってしまうのは理不尽だなって」


 頭が回るってのは単なる人生経験の差だと思うが、おいとこう。


「言うに事欠いて失礼な。誰が天然の鈍感野郎だよ」


「そう言われて気づかないから天然の鈍感野郎なのよ」


 確かにそうだ。

 自分でわからないから天然。

 実にうまいことをいう……って。


「おい!」


「んじゃアニキ、この数学のプリントはありがたく写させてもらうね」


 二葉がプリントをつまみあげ、目の前でヒラヒラとさせる。

 こいつ、さらりとかわしやがった。


「まったく……」


 だからと言って憎めない。

 苦笑いを返すと、二葉が舌を出しながら立ち上がった。


「そろそろ五時間目だから行くね。念を押すけど、絶対遅れないでよ」


               ※※※


 部室を出て階段を降り、さっきまで売店が出ていたロビーへ。

 先程の喧騒はどこへやら、すっかりガランとしてしまっている。


 東棟から退出。

 渡り廊下から外に出て高等部校舎の北側へ回る。

 まだ四時間目の授業時間。

 校舎内を足音立てて歩くのは気まずいので、中央玄関から入り直したい。


 歩いていくとバイク置場が目に入る。

 上を見上げる。

 位置的にはちょうど2‐B教室の真下辺りか。

 教室から見れば廊下を挟んだ形になるけど。

 慣れない場所では、こうやって何かしらの基点から覚えていくのがコツ。

 これからは学園内外問わず動き回る羽目になるだろう。

 この世界に来た時みたいに、場所がわからず右往左往するのは二度とゴメンだ。


 再びバイク置場に目をやる。

 バイク通学は許可されているって話だったけど、停められているのはたった一台。

 意外といえば意外だ。

 お坊ちゃま達はバイクなぞ乗らないのか、冬の到来間際で寒いからなのか。

 メタ的には「描くのが面倒」といったところだろうけど。


 バイクの塗装は鮮やかな青緑。

 タンクに描かれた昇り龍と合わせて、持ち主が誰かを物語っている。

 ピカピカに光る金属管から、バイク素人な俺でも大切に扱われているのがわかる。


 さて教室へ、視線を進行方向に戻す。

 すると前方から、バイクの持ち主が歩いてくるのが目に入った。

 スカートのポケットに手を突っ込み、相変わらずの仏頂面。

 脇には薄っぺらいカバンを挟んでいる。

 それどころか、口にはくわえタバコで煙をくゆらせている。


 龍舞さんの眉がわずかに上がる。

 俺に気づいたらしい。

 しかしその眉はすぐに下がり、無言で横を通り過ぎていく。


 すれ違いざまに香水の匂いがほんのりと香る。

 ああ、これは……元の世界でDQN達からしょっちゅう漂ってきた香り。

 濃密で甘ったるくて、遠くからでも匂ってくる香水被害の代表格とまでいえる代物。

 俺は香水に詳しくないから名前は知らない。

 だけどこれを好んでつけているところからして、改めてこの人は遠い世界に住むヤンキーなんだと実感させられる。

 ただ、龍舞さんは香水をつけているのが今初めてわかったほど。

 ふわりと残ったその匂いは、まるで海にいるかの様な爽やかさを感じさせる。

 同じ香水でもつける人によって随分と印象が違うものだ。

 ここは腐っても出雲学園の生徒、つまりはお嬢様といったところか。


 ──こんなこと考えてる場合じゃない!


 このまま帰らせてはまずいじゃないか。

 何とか怒らせて八重歯を確認しないと。


「何してんだよ」


 とりあえず呼び止めてみた。

 遠ざかりかけていた足音が止まったので振り向く。

 竜舞さんは俺に背を向けたまま、顔だけを斜にしてこちらへ向けていた。


「アタシに言ったのか?」


 アンタ以外に誰がいるんだよ。

 そのまま思い浮かんだ本音を口にしても怒らせることはできるだろうが、これは一樹のキャラじゃない。


 ならどうするか。

 うん、これでいこう。


「そうだけど」


「見ればわかるだろ。帰るとこ」


 めんどくさそうなだるだるの返事。

 顔までも元に戻して、完全に背を向けられてしまった。

 「そんなつまらない用事で話しかけるな」と言わんばかり。


「まだ授業の途中だろ」


「かったるい」


「次の体育は?」


「めんどい」


 何とも不毛な会話だが、これで狙い通り。

 さて、ここだ。

 これさえ言えばどんな女性でも怒るはずのマジックワード。


「生理か?」


「そんなとこ。アタシ重いんでな」


 平然と返されてしまった……女子高生がそんな言葉を口にするなああああ!


 普通怒るだろ!

 「天然の鈍感野郎」と蔑まれた俺でも、この台詞がセクハラなのは重々承知している。

 本来は絶対口にできない、セクハラの象徴とまでいえる台詞じゃないか!


 嗚呼、ヤンキーの思考回路は理解できない!

 それともクォーターだからなのか?

 どっちでもいい。

 とにかく俺とは人種が違うのだ。


「用事はそんだけか? んじゃな」


 再び足音が遠ざかる。

 ダメだ。

 このまま帰してしまってはダメだ。

 何か言わないと……何か……。


「龍舞さんにも生理あるんだ」


 苦し紛れの台詞が口をつく。

 その瞬間、首根っこを掴まれてバイク置場の柱に打ち付けられていた。


「今、なんつった」


 龍舞さんの口からその台詞は、静かにゆっくりと重く、区切る様にして放たれた。

 わめくでも怒鳴るでもない。

 そしてその表情も先程までとほとんど変わらない。

 透き通る様な白肌の中に、眠そうに半開きだった瞳がしっかりと見開かれただけ。

 しかしそれゆえに、まるで能面がごとく不気味に映る。

 その深い緑色の瞳の奥にまで呑まれこんでいきそうな錯覚すら覚える。


 ……怖い。

 でも、ここで怯んではダメだ。

 何のと言っても、相手は一六の小娘だ。

 小娘だ、小娘だ、小娘なんだ!

 さっきの台詞で態度が変わった、ならばここで吐くべき台詞はこれだ。


「龍舞さんも女だったんだ、って言ったんだよ」


 龍舞さんの眉が跳ね上がった。


「キサマ……」


 ──くる!

 例えこのまま殴られても口の中だけは見届けなければ。

 息を止めて、目線を口元へと固定する。


「En tout cas, je ne suis pas petite ou mignon. C'est different de ta plus jeune soeur!《どうせアタシは小さくも可愛くもないよ。キサマの妹と違ってな!》」


 牙発見!


 そして………………殴られてない?


 いや、龍舞さんは拳を振り上げてすらいなかった。

 顔を真っ赤にして大声で罵ってきた様からすれば余程の暴言を吐かれたのだろう。

 「死ね」とか「ブタ」とか「キモイ」とか「犯罪者」とか。

 だけど、フランス語なので全然意味がわからない。


「ちっ」


 龍舞さんが舌打ちをしながら手を放す。

 どうやら無事に済んだらしい。


「殴らないのかよ」


 しかしあまりにも拍子抜けの展開。

 思わず問うてしまっていた。


「弱い者イジメはキライだ」


 じゃあ龍舞さんが俺に現在進行形でやってることはなんだ!

 陰湿じゃないだけでイジメには変わりないだろうが!


 そう叫びたいのをぐっと飲み込む。

 すると、龍舞さんはさらに続けた。


「それにアタシが殴らなくても──まあいいや」


 その、ものすごく気になる台詞は何だ。


「何のことだよ」


「『次の時間の体育って、男子はバレーボールらしいぞ』ってことだよ」


 はあ?

 しかし生じた戸惑いも更に飲み込む。

 一樹ならそれだけでわかるはずなのだから。


 龍舞さんは踵を返すと、バイクに向けて歩いていった。


「せいぜい気をつけるんだな。老婆心ながら、(あるじ)のよしみで忠告しとくよ」


 でも、いったい何のこっちゃ?


                  ※※※


 体育の時間。

 俺は龍舞さんの言葉の意味を理解していた……体を張って。


「佐藤よこせ! おらああああああああ!」


 ネットの向こうで鈴木の雄叫びが上がる。


 ──バシッ。


 痛えええええええ。

 目の前が真っ暗になったと思いきや、少し遅れて顔面に激痛が走る。


 またかよ、ちきしょう。

 俺ばかり狙いやがって。


 さっきからずっとこの繰り返し。

 ひたすらに相手チームからアタックの集中砲火を浴びている。


「カズキンちゃんととれよ」


「このデブ全く使えねえ」


「てめえのせいでみんな大迷惑してるんだ」


 そしてその度に味方チームから飛ばされる罵声。

 こんなの競技に名を借りた公開リンチじゃないか。

 みんなヘラヘラと笑ってやがるし。


 ちきしょう……。

 どうして俺がこんな目に……。


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