34 1994/11/28 mon 写真部部室:お前、八重歯なんかあったっけ?
服が乾いたのでズボンを履く。
ようやくトレーナーにトランクスという決まりの悪い格好から解放された。
「落ち着いたところで、俺の話を聞いてくれるか?」
「あんまり聞きたくないとか言っていい?」
「ダメ。お前も一緒に現実へ付き合ってもらう」
「ケチ」
二葉がわざとらしく口を尖らせてみせる。
もっともこれは二葉なりの気遣いなのだろう。
話す側も聴く側も気が滅入りそうな話になのは間違いない。
これくらい緩い空気で話を始めた方が、二人とも鬱にならずにすみそうだ。
──話を終えた。
「アニキ、大変だったね……で、すませちゃってもいいのかな?」
「すませていいよ。同情されすぎるのも惨めだから」
かいつまんで大体の事は話した。
ただし金を盗られたこと以外。
二葉の気持ちを考えると言いづらいし、どんな反応を示すかわからない。
いわゆる「ホワイト・ライ」というやつだ。
「本題入る前にちょっといい?」
「ん?」
頷いてみせると、二葉はバッグからお弁当を取りだした。
「今までお昼御飯食べ損ねちゃってたからさ」
照れくさそうに舌を出す。
小ぶりなお弁当箱の中には稲荷寿司。
とても女子高生のお弁当とは思えない。
二葉が美味しそうにぱくつく。
こちとら、けろさんど一切れしか食べてない身。
ああ、見てるのが辛い。
「稲荷寿司、つまませてもらえないか?」
「お昼食べたんでしょ? それ以上食べると太るよ?」
二葉には「けろさんど」以外にも、別途お昼を済ませたものとして説明した。
お金を持っていれば当然そうしているはずなわけで。
だから「食べてないんだよ!」とは決して言えない。
「すごく美味しそうに食べてるからさ」
「それじゃ一つだけだよ」
二葉がお弁当の蓋に稲荷寿司を載せ、差し出してくる。
どれどれ──美味い!
しかし普通の稲荷寿司の味とはかなり違う。
包んでいる油揚げから、なぜか俺の大好物に近い味がする。
色んな食材をぐつぐつ煮込んで、その出汁が混じり合って深みを増した甘辛さ。
これは……。
「夕べの鳥すきの残り汁で油揚げを煮たの。美味しいでしょ?」
「うんうん。『けろさんど』とは雲泥の差だ」
「あれと比べられても……でも一部の人達からは人気あるんだよ」
嘘だっ!
「どこの誰があんなクソ不味い代物を好きこのんで食べるんだっ!」
「『あたしは『うささんど』より『けろさんど』の方が美味しいと思う』とか言ってみたくなっちゃったりする人」
「それって、ただの中二病じゃないか」
「ちゅーにびょう?」
また例のごとくイントネーションがおかしくなった。
この単語もこの頃はまだ使われてないんだっけ。
「中二病は中学二年生の頃に誰もが何かしらの形で通り過ぎるであろう思春期特有の病。簡単に言うと、自分を特別と思いこみたい病気」
「例えば?」
「今の話みたいに『マイナー好きなあたしカッコいい』とか、ヤンキーが『社会に反抗するあたしカッコいい』とか、実は『自分には第三の目が宿っている』とか」
「何となくわかった、そういう意味じゃ龍舞さんってまさしく中二病だよね。んー、でも……」
二葉が何か言いたげに首を傾げる。
「何?」
「あたしにしても龍舞さんって、正直お近づきになりたくない人種なのね。高等部からの入学だからよく知らないし、色々とよからぬ噂を聞くし、それに……怖いし」
気まずげな表情は、よく知らない人の事を悪し様に罵る罪悪感からだろう。
やんわりと二葉の言葉を肯定する。
「それが常人の感覚だろう」
「ありがとう。ただ『けろさんど』好きなのはちょっと違うと思うんだよね」
「どして?」
「龍舞さんってフランス人のクォーターじゃない? 単純に『うささんど』が食べられないんじゃないかなあ。フランス人って辛い物が苦手だから」
そういう見方もあるか。
好んで食べていた様にも見えたし、クォーターなら日本人同然と思わなくもないが。
しかし……。
「どっちだろうと、どうでもいいな」
「ホントだね。あたしもなんとなく言ってみたくなっちゃっただけ」
二人で顔を見合わせて、どちらからともなく笑い合う。
流れる緩やかな空気が心地良い。
この雰囲気に乗じて、一つお願いをしてみよう。
「なあ二葉、俺の弁当も一緒に作ってもらうわけにいかないかな?」
そうすればお金がなくともお昼にありつけるのだが。
「うーん……作ること自体は構わないんだけどね」
「嫌っているはずの一樹に弁当は渡せない?」
一樹がお弁当なんて作るわけがないんだから、二葉が作ったのはバレバレ。
「ううん。それはどうにでもできると思うけど……」
「けど?」
「今の話だと、お弁当箱にゴキブリの死骸入れられるなんてのも十分ありえそうじゃない?」
うげっ!
聞いただけで気持ち悪くなってきた。
「よくそんなこと思いつけるな」
「あたしからすれば、ハンダで鍵穴塞ぐ方がよっぽど思いつかないよ」
そりゃ絶対無理だ。
こんな常軌を逸したイジメ、答がわかってはいるものの聞いておきたい。
「警察幹部の息子でイジメられるなんて考えられないんだけどさ」
二葉が首を横に振る。
「だって周囲の親は、父さんと同じかそれ以上の社会的地位を持った人達ばかりだもの」
「やっぱりそうだよなあ」
「話に出てきた佐藤と鈴木だってそうだよ」
「へ?」
「佐藤の父親は法務省の刑事局長で、鈴木の父親は大蔵省の銀行局長。霞ヶ関全体でみればあたし達の父さんより遥かに立場強いよ」
法務省はイコール検察庁みたいなもので、その刑事局長は将来の検事総長コース。
大蔵省は現在の財務省と金融庁のことで「官庁の中の官庁」と言われている。
この頃ってまだ銀行局もあったんだな。
って、んなことはどうでもいい!
そのやたら具体的な肩書はなんだ!
「『上級生』では名前すらない脇役のくせに!」
「名前のない脇役にだって生活や人生はあるんだから」
そう言われると返しようがないじゃないか。
二葉が続ける。
「正直言って父さんがイジメを知ったところで動くとは思えない。でも仮に動いたとしても、送検したところで潰されるのがオチじゃないかな」
送検は事件が警察から検察へ送られること。
送検するか否かは、警察の判断に委ねられる。
しかし裁判所に起訴するか否かは検察官の判断に委ねられる。
仮に逮捕されても起訴されない限り前科がつくことはない。
「はあ……」
「それに一樹だって、父がいなければ絶対に警察のお世話になってるはず。だからお互い様……どころか、むしろ助かってるとまで思わないとね」
もし先方が親を使うつもりなら、それこそ何でもできそうだしな。
予め想定していたことではあるが観念するしかない。
「わかった。じゃあ、他の事を個別に検討していこうか」
「あいさ」
「まず最重要課題は『ごめんなさい』と『ありがとう』。この二つの言葉を使えないことには、まともな社会生活を送りようがない」
しかも、つい口をついてしまう言葉だけにタチが悪い。
「考えてみると、それってすごい縛りプレイだよね。超難易度高そう」
「確かに縛りプレイそのものだよなあ。何とかならないものか」
「きっと何とかなるよ……ううん。絶対何とかするから、あたしに任せて」
二葉が随分と男前な発言をする。
自分がちょっと情けなくなるが、ここは素直に受け容れよう。
「じゃあ任せた」
「うん、任される」
二葉はくすりと笑うと、折りたたまれた一枚の紙片を差し出してきた。
どれどれ、中を見るべく手を伸ばす。
しかしその動きは二葉の突きだした手の平によって遮られた。
「今は中を見ないで。前もって知っちゃうと変に考えすぎて失敗するかもだし」
「わかったよ。言われた通りにする」
紙片を折りたたんだままズボンのポケットに入れる。
二葉はその動作が終わるのを見計らった様にして口を開いた。
「終業したらすぐにここへ来て。そしてさっき渡したメモの通りに行動して。一分でも遅れたらパアになるから絶対に遅れないでね」
これで、この件については終わりかな。
「次に検討したいのが、金之助のことだ」
「金ちゃんに何か問題あるの?」
「すっかり保健室のヌシと化してしまっているだろう? あれがまずい」
合点がいかないのか、二葉が顔をしかめる。
「金ちゃんと若杉先生がくっつくの止める必要も権利も、あたし達にはないと思うんだけど。あたし達ヒロイン三人のフラグ管理上も問題ないんでしょ?」
先生と生徒が肉体関係を結ぶのにまるで抵抗を感じてない辺り、二葉も案外モラリストではない。
「くっつくくっつかないはどうでもいい。ただ『上級生』通りだとすれば、金之助がヒロインBを探し出せるのは序盤の夕方のみなんだ。事態は一刻を争う」
「じゃあ金ちゃんの件もあたしが片付ける。今日の夕方までには何とかなるよ」
「へ?」
呆気ない二葉の返答に拍子抜けしてしまう。
「とにかく夕方の間、金ちゃんを保健室から追い出せばいいんだよね。あたしに任せて」
「あ、ああ……」
「でもその前に確認したいことがある」
「ん?」
「アニキと金ちゃん。『上級生』だと、どっちがBさんと知り合うのが先なの?」
時系列として具体的には描かれてなかった。
シナリオはどうだったっけ。
序盤の会話で一樹が現れて……Bはその時一樹と面識ある素振りを見せたから……。
「一樹の方が早いかな」
「だったら、あたし達の方が先に見つけないとダメなんじゃない?」
二葉の口調は詰問といった風ではなく、自然と浮かんだ疑問を口にした感じ。
本来ならそうすべきだろう。
「でもこの世界は『上級生』と全く同じというわけじゃないし、そもそもBを見つけられるかという問題がある。だったら人手は多いに越したことはない」
「他の人に『探すの手伝って』って頼むわけにもいかないし、頼みようもないものね」
「うむ」
相槌を打つと、二葉はそれに合わせて溜息をつく。
「ハア……学園の生徒、それも一年生っていうのはわかってるんだから、せめて何か他の特徴がわかればいいんだけど……」
「あるぞ。一つ思い出した」
ダンッと机を激しく叩いた音が部室中に鳴り響くとともに、二葉が詰め寄ってきた。
「何、何、何、何? 何を思いだしたの? それならそうと早く言ってよ!」
さらに興奮した調子で捲し立てながら、机越しに胸ぐらを掴む。
「く、苦しい……まずはその手を放せ……」
「あ、ごめん。つい」
二葉が襟元の手を放す。
ったく……気持ちはわかるけどさ。
コホンと咳払いしてから、静かに述べる。
「よく聞け。Bの下着は縞パンなんだ」
「はい?」
よく飲み込めなかったのか、二葉が目を丸くする。
この時代だと縞パンって単語もあまりメジャーじゃないのかな?
一応、その説明も付け加えておこう。
「縞パンでわからなければシマシマパンツ。それも出雲学園に縞パンはいた女子は一人しかいない」
「あ……あ……あ……あ……」
二葉は口をあんぐりと開けて絶句している。
そりゃ驚くよな。
俺だってたまにはいい格好したい。
ここはあえて胸を張り、勝ち誇ってみよう。
「どうだ。Bを特定するには十分すぎる程に際だった特徴だろ」
言った瞬間、二葉の絶叫が部室中に響き渡った。
「アホかああああああああああああああああああああああああ!」
「なんでアホなんだよ! ついでに『アホ』呼ばわりはやめろ!」
俺は東の人間だからバカと言われる分にはいい。
だけどアホと言われたら本気でむかつく。
「アホで悪ければ『どアホ』だよ! どうしてそんなのわかったのさ!」
「一樹の盗撮写真一枚一枚調べてに決まってるだろ。残された品を丹念に観察するのは調査の基本、違うか?」
「違わない。だけどむかつく」
二葉は口を尖らせ、あからさまに憮然とした様子を見せる。
「俺だって見たくて見たわけじゃない」
「さあ、どうだか? アニキが何を思いながらその写真眺めてたかなんて、あたしにはわかんないしぃ」
「イヤらしい言い方するなよ。お前だって一緒に観てたじゃないか」
「あたしと一緒に調べながら見るのと、独りベッドの中で見るのは違うでしょうが!」
めんどくさいなあ。
どうでもいいだろうが。
そんなこと口にしたらもっと怒らせそうなので押しとどめる。
「際だった特徴には変わりないだろ?」
目を細め、何だか冷めた視線を寄越してくる。
「そうね、そこは認めたげるよ。でも逆にあたしから聞きたい」
「どうぞ?」
二葉は拳を握りしめ、重苦しい声を発した。
「誰がどうやって確認するのよ。アニキが女子生徒のスカートを一人一人捲っていって、その下着を確認するとでもいうの?」
目の前を指さす。
その瞬間、再び胸ぐらを掴んできた。
「あたしに、そんな痴女みたいな真似をしろってかい!」
「ち……違う、違う。ま……まずはその手を放せ、そして話を聞け」
ゲホッゲホッ……。
放してくれたはいいが謝罪の言葉すらない。
それどころか殺意を込めた眼差しで睨んでやがる。
「体育の授業とか、着替えの時に確認できないか? あるいはリサーチにかこつけてさり気なく情報を集めるとか」
腕を組みつつ思案してみせてから、静かに語り出す。
「まず、あたしが直接確認するのは無理。授業時間重なることはあるけど、更衣室は学年別に用意されてるから」
学年別の更衣室って、どれだけ金持ちなんだよ。
「そうか。気づいた時には『いける!』と思ったんだが」
まさか本当に二葉が女子生徒のスカートを捲って歩くわけにもいくまい。
落胆しかける、しかし二葉はさらに続けた。
「でもリサーチは何とかなるかも。うまく段取りつけば明日にはできるよ」
「おお!」
「毎日同じ下着を穿くわけじゃないから効果的な手段とは思わないけど……やらないよりはマシだと思うし、試してみる」
「ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
まるで感情の篭もってない突き放した物言い。
二葉が理解はしたけど納得はできないという思いなのは、目の前で忌々しげに歯を食い縛る様からも重々察せられる。
むき出しになった八重歯が、まるでキバの様に映る。
これ以上この話題に触れると余計に機嫌を損ねそうなので、次の話題に──。
待て。
「お前、八重歯なんかあったっけ?」




