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32 1994/11/28 mon 学園購買:『けろさんど』って美味しいよな

 廊下へ飛び出し階段を駆け下りる。

 早くお使いを終わらせて部室に行かないと。


 どうして俺がこんなことを。

 あのままいたぶられ続けるよりマシはマシだが。

 「デブに打撃は効かない」が俗説、身をもって理解した。


 ──東側別棟一階。


 手前に先程も来た学園購買。

 向かい合う様にして食堂兼カフェテリア。

 脇には公衆電話が並び、女子生徒達が順番待ちしている。

 両者の間は小ロビーとなっており、購買側の並びに三つほど人だかりができている。

 これは出店の場所を探すまでもない。


 中でも一際大きい女子生徒ばかりの集団。

 昨夜の二葉の話からすれば、これがオーマイゴッドだ。

 遠目からでも、我先にと買い争っているのがわかる。

 お嬢様にしては品無く見えるが、現実はそんなものだろう。


 この中に飛び込んで「本日のサンド」を買い求めないといけないのか。

 気が重いなあ……でも、やるしかない。

 いざ、燃えさかる戦いの業火へ。

 殺気だった集団の後ろに位置どる。


 ──しかし予想していなかった、いや、ある意味予想できた現象が起きた。


「いやああああああああああああ!」


「一樹がいる!」


「寄るな!」


「触るな!」


「近づくな!」


「変態が伝染る!」


盗撮()ったら殺す!」


「脱がさないで!」


「犯られる!」


「お兄ちゃああん!」


 女子生徒達の阿鼻叫喚とまで言える悲鳴、もとい暴言の数々。

 一部ツッコミを入れたくなるのもあるがそれどころではない。

 ただただ呆気にとられ、立ち尽くしてしまう。


 すると彼女達は、手でスカートを抑えながら後ずさっていった。

 集団が左右二つに割れ、モーゼの海割れがごとく道が開ける。


「早く買って立ち去れ!」


「つーか今すぐ消えろ!」


「むしろ死ね!」


 次々に耳をつんざく怒号。

 なんだかな……。



 海道の向こう側から、売り子が声を掛けてくる。


「買うなら早くしてくれ。いつまでもそうしていられると商売上がったりだ」


「あ、す──すぐ買います」


 また「すみません」と言いそうになった。

 まいったな……って、あれ。


「なんだ、昨日『うさまん』買いに来た兄ちゃんじゃないか」


 売り子をしていたのは店長だった。

 スキンヘッドに太い眉にエラの張った顎にヒゲを生やしたマッチョマン。

 脂っこすぎて、女の子だらけの空間に全く似合ってない。


「ああ、どうも」


 店長がニタリと笑いながら問いかけてくる。


「『うさまん』は美味しかったか?」


「できれば今後の人生において二度と口にしたくない代物でしたね」


 言った瞬間、左右から冷たい視線を感じた。


 ここでテーブルの上に並べられた品物に気づく。

 【本日のサンド】と書かれているのは二つ。

 【うささんど】と【けろさんど】。

 「けろさんど」は未だ山積み、「うささんど」は残り少ない。

 しかも「うささんど」の方には【お一人様一個限定】と書いてある。

 他の商品も片隅に並べられてはいるがオマケ程度の扱い。


 ああ、なんてわかりやすい。

 ここにいる女子生徒達は全員「うささんど」が目当てなのだ。

 「じゃあ何しに来た」という目で見られて当然か。


 「うささんど」も「けろさんど」も、具はゼリー状の何かが挟まれている。

 パンと具の両方とも、前者は赤色で後者は緑色。

 もはや食べ物の様相を呈してない。

 前者の中身は「うさまん」と同じだろう。

 どうせ後者も似たようなもの、絶対にろくなものじゃない。


 問題は「うささんど」も「けろさんど」も本日のサンドだということ。

 どちらを買えばいいのか。

 龍舞さんからは「本日のサンド」としか言われていない。

 両方とも五〇〇円だから、渡されたお金では一つしか買えない。


 迷うところじゃないな。

 この状況からすれば答は一つだ。


「『うささんど』ください」 


 女子生徒達が怨みがましそうな目で睨む中、店長のゴツイ手から「うささんど」の入ったビニール袋を受け取る。

 そんなに欲しければ俺に構わず買えばいいのに。

 それくらい一樹に近づくのがイヤなんだろうけど。

 改めて自分の境遇に涙が出てくる。

 一樹本人なら「これが資本主義というものだよ、ふっふっふ」とふてぶてしく笑ってそうな気もするが。

 俺にそんな度胸はない、早々と退散しよう。


 ──教室へ戻りながら思う、ふと考える。


 昨日の二葉の「女子はイジメに参加していない」という推測。

 きっと見立て通りだ。

 さっきわかったこととして、女子から見た一樹はゴキブリとかそっち系統に近い。

 イジメどころか関わりたくも触れたくもないのだ。


 ただし龍舞さんを除いて。

 あれはオトコ、とまでは言わないが、少なくとも女子としては規格外だ。

 きっとゴキブリが目の前を飛んでいれば、素手で捕まえて握り潰すタイプだろう。

 実際に俺の首根っこを掴まえていたわけだし。


 女子達の悪口雑言は、目の前で且つストレート。

 内容はひどくとも陰湿ではない。

 登校してから現代的意味でのイジメを受け続けた身としては心地よくすらある。


 ──2‐B教室。


 龍舞さんはビニール袋の中身を見るや、ギロリと睨んできた。


「誰が『うささんど』買ってこいって言った」


「いや、でも本日のサンドって……」


 つい言葉を途切らせてしまう。

 だって、こいつ怖い。

 何しでかすかわからないオーラ纏ってる感じでマジ怖い。


「アタシが『本日のサンド』って言ったら『けろさんど』だろうが」


 そんなもん知るか。


 ……とは決して言えない。

 龍舞さんは一見理不尽な事を言っている様だが多分違う。

 恐らく一樹は、過去にも龍舞さんに「本日のサンド」を買いに行かされている。

 つまり二人の間においてはそれが常識なのだ。


 と言っても、一樹なら簡単に自分の非を認めないはず。

 無言で口を尖らせてみる。

 するとすぐさま、すごんできた。


「その不満げな表情(カオ)はなんだよ」


「別に……」


 龍舞さんがにこっと笑った。


「今すぐ取り替えてもらってこい。アタシが本気で怒る前にな」


 まるで能面みたいな作り笑顔。

 俺は既に「うささんど」の入ったビニール袋を掴んでいた。


                ※※※


 行って戻って再び二‐B教室。

 俺から袋を受け取った龍舞さんが仏頂面で一言。


「ありがと」


「どうも」


 それだけ答えて席に着く。

 自分で買いに行かせておいて「ありがと」もないだろう。

 それでもその一言で慰められた気になる。

 一樹とは別の意味で礼なんか言いそうにないキャラだから尚更だ。

 やっぱり「ありがとう」と「ごめんなさい」は大事だな。


 龍舞さんが包装フィルムを剥がし、二切れの内の一切れを手にする。

 ぱくついた瞬間、相好を崩した。

 さっきみたいな不自然に作った笑いじゃない。

 頬が緩み、目尻が下がりに下がった幸せそうな笑顔。

 もう見るからに「けろさんど」が大好物なのがわかる。

 龍舞さんもこんな表情するんだ。

 先程までとは打って変わった柔らかい雰囲気に驚くしかない。

 さすがヒロインというべきか。


 ぐるるとおなかの虫が鳴る。

 ああ、おなかすいたなあ。

 でも昼飯食べる金はない。

 二葉に借りるか……いや、それはできない。

 もらった昨日の今日でカツアゲ同然に奪い取られたなんて言えるわけがない。


 ──机の上に、フィルムに包まれた緑色の物体が投げ出された。


 「けろさんど」の残り一切れ。

 続く、抑揚のない龍舞さんの言葉。


「食べきれないからやる」


 へ?

 意外すぎてリアクションが取れない。

 「なぜ俺に?」とも「大好物をどうして?」とも。

 きっと言葉通りなのだろう。

 龍舞さんも一応は女子、つまりは小食。

 そして「捨てるよりはあげた方がマシ」程度だということ。

 それでも学園に来てから散々な目に遭い続けてきただけに、その当たり前な事を呑み込むには数秒かかった。


 見るからにこの毒々しい「けろさんど」の外見。

 「うさまん」の件もあるしイヤな予感しかしない。

 どうせ「あまりに辛くてカエルみたいにぴょんぴょん飛び跳ねるしかないから『けろさんど』」ってオチなんだろ。

 緑色のタバスコとくれば、中身はきっとハラペーニョ。

 しかし龍舞さんは再び仏頂面に戻ってしまっていた。

 そして俺はおなかが空いている。

 だとすれば選択肢はない、答えは一つだ。


 いただこう。

 予め中身がわかっていれば何て事はない。

 「けろさんど」を手に取る。


 はたと龍舞さんの視線に気づいた。

 そうだ、一樹には一樹の食べ方がある。

 でも一樹らしいサンドイッチの食べ方とは?

 昨日二葉がやってみせた食べ方を思い出し、その根源を探る。


 ……そうだ。

 一樹が高等部に上がってから二年も経ってない。

 なのにどうして学園の女子ほぼ全員のパンツの盗撮写真があるんだ?

 仮に女子達が自らスカートをまくったとしてすら、撮影には相応の時間を要する。

 加えて全員についてシャッターチャンスが都合良く訪れるわけもない。

 場合によってはターゲットを調べ上げ、つけ回し、張りつき、観察し。

 緻密で綿密なストーカー行為をしているはずだ。

 つまり一樹は盗撮絡みの日課に追われて時間がない。

 だからあんなみっともない一気食いをするのだ。


 なら、これでどうだ!

 サンドイッチを丸めて押し潰し、口を大きく開けて丸呑みする。


「いつもながらヒドイ食べ方だなあ……」


 龍舞さんが呆れた様に呟く。

 ビンゴだったらしい。

 しかし俺はそれどころじゃない。


 ま、不味い。

 この食べ物はなんて不味いんだ。


 辛くはない。

 具はどろっとした色からイメージできる通りのどろっとした味。

 生臭いというか、鼻につくというか、苦いというか。

 これは野菜……そう、青汁をペースト状にして挟み込んだっぽい。

 パンは不自然にぱさぱさしている。

 きっとケールとかの類をミキサーにぶち込んで練り込んだのだろう。

 あの店長は何て食べ物を考えやがる。

 これは一体どこの罰ゲームだ!


「『けろさんど』って美味しいよな」


 龍舞さんが拒否を許さないであろう同意を求めてくる。

 俺は口をもごもごさせながら、黙って頷く。


「そうか、キサマもついに涙を流すくらい『けろさんど』の味がわかる様になったか」


 美味しくて涙流してるわけじゃねえよ!

 これがアンタの大好物かよ!

 龍舞さんがグルメ国家とも言えるフランスの流れを汲むなんて、絶対信じない!


 せめて水くらい汲んでくればよかった。

 ぱさぱさしてどろどろした何かをようやく胃の中へ押し込んだ。

 すると龍舞さんがそれを見計らったかの様に問うてくる。


「土曜日はどうしたんだ? やっぱり今日と同じく風邪か?」


 そういえば土曜日は結局学園を休んだことになるのか。


「そんなとこ」


「ふーん」


 まさか心配してくれてるのかな。

 龍舞さんって実はいい人なのかしら。

 なんだかんだ言って、他の女子からはあれほどまでに忌み嫌われている一樹と口を聞いたり触ったりしてるわけだし。

 奴隷扱いは一樹だから当然ってことで帳尻も合う。

 ムシがいいとも思うが、それくらいならありえなくもないか。


 龍舞さんは自らの机の中から何やら引っ張り出し始めた。

 ノート?

 ばさばさと数冊重ねてから俺の机に置いた。

 これは?

 そう問いかけたいのをぐっとこらえ、龍舞さんの発言を待つ。


「んじゃ土曜日と本日午前中の授業のノート、ちゃんと写してこい。土曜に持ってくるはずだった金曜日の分のノートも合わせてな」


 恐らく聞いた瞬間、俺の脂肪で隠された目は点になったはずだ。

 なぜ俺が!

 そう叫びたいのも押しとどめる。

 またしてもフランス語で「貴様はアタシの奴隷だから」と言われるのがオチだ。

 でも叫ばずにはいられない。


「休んだノートをどうやって写してこいというんだ!」


「どっかから仕入れてこいよ」


 龍舞さんは冷たく言い放った。

 どっかって……アンタはこの一樹に友達がいると思ってるのか。

 俺は学園に着いてからの二時間だけでも、そんなヤツはいないことを悟ったぞ。

 いや、二葉がいるか。

 龍舞さんも学園常識として一樹に双子の妹がいるのは知ってるだろうし。

 それならそれで「どっか」という表現も変だと思うけど。


 ──うっ。

 さっきの座面の油で尻の力が抜けたからか、それとも「けろさんど」のせいか、もよおしてきた。


「どこへ行く。もう四時間目始まるぞ?」


 龍舞さんが至極普通の、しかしここまでの会話の流れからは異常に聞こえてしまう問いを発してくる。


「トイレ」


「ごゆっくり。次は英語だからノートとってもらう必要ないしな」


 もう男子と女子の会話ですらない気がするが、訳分からなくなっている。

 トイレ行ったついでに頭も冷やそう。

 そしてそのまま部室へ直行だ。


                 ※※※


 同階の男子便所。


 個室に飛び込んだはいいが、いざ座ると出てこない。

 ったく、急いでるのに。


 携帯がないってホントに不便だ。

 いっそポケベルの使い方を覚えるべきだろうか。

 でもポケベルも電話が無ければ意味がない。

 購買前で見た公衆電話の行列は、恐らくポケベルを打つためのもの。

 元の世界ではスマホ依存症が問題になっていたが、今も昔もアイテムが違うだけで大して変わらないみたいだ。

 そういえば公衆電話なんて久しぶりに見た気がするぞ。

 元の世界では撤去が進んでるから……いや、そんな感慨に浸っている場合ではない。 

 

 ん? 

 ボソボソと話し声が聞こえる。


(ホントに……なのか?)


(……見たから間違いない)


(珍しいな……なんて)


 足音が遠ざかる。

 そしてすぐ戻って……いや、おかしい。

 足音がこの扉まで近づき、止まった。

 ギシっと金属のきしむ音が聞こえる。


 ──まさか!


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