29 1994/11/28 mon ロッカールーム:妖精さんの仕業に決まってるじゃない
鍵が刺さらない。
それもそのはず、鍵穴は塞がれてしまっていた。
どことなく柔らかげに見えて、でも間違いなく固い銀色の物体によって。
これは、ハンダ?
あまりにも予想外の事態に固まってしまう。
だってそうだろう。
鍵穴が塞がれてるだけなら、まだ思いつきもする。
しかし普通詰めるのはガムとか粘土だ。
なぜハンダ?
ガムや粘土なら、まだ悪ふざけの延長と受け取れなくもない。
いかにも子供のやることだし。
しかしハンダともなると計画性が感じられて、より明確な悪意を感じる。
ネチっこく、ドロドロと、陰湿な憎悪を。
驚きの感情が過ぎ去り、得も言えぬ気持ち悪さだけが残る。
とは言え、怒りは湧かない。
この憎悪は俺──雨木に向けられたものではないから。
単に「うざい」、「めんどくさい」、そして「どうしよう」と思うだけだ。
……で、ホントにどうすればいいんだ?
ハンダは熱すれば溶ける。
だったらライターを買ってくるのが早いか。
でも、これが恒例行事なら?
あの机のラクガキからすれば、そう考えるのが自然だ。
こんな手間の掛かることを毎日はしないと思うけど、たまになら繰り返されていておかしくない。
それなら一樹だってポケットにライターと吸い取り線を忍ばせるくらいはするはず。
手元にないということは、他に手だてがあるのだ。
──若杉先生に借りる?
それはない。
もしそうなら、さっき念を押されたはず。
イタズラされてたらライター取りに来いよ」と。
有能な人は先まで見通して振る舞うから。
──バタフライナイフ?
ポケットから取りだして刃先を光にかざす。
刃にはキズも欠けもない。
鍵穴回りも同様。
つまり、ここで使うアイテムではない。
とりあえず購買に行ってみよう。
※※※
購買にライターは売ってなかった。
店員に尋ねると「あることはあるけど教職員の人用だよ」と断られた。
一応、「何に使うの?」とは聞いてくれた。
しかし「ハンダを溶かすため」と言ったら「学校に道具があるでしょ」と返された。
中学と高校の購買だし当然か。
ライターの用途で真っ先に思い浮かぶのはタバコ。
生徒には売れんわな。
学校で借りるにはどうすればいいのか。
技術室に行けばあるだろうけど躊躇するものがある……担任に聞こう。
よし、次は職員室。
まるでアイテム求めて彷徨うロールプレイングゲームじみてきた。
※※※
高等部校舎一階職員室。
位置は中央ロビーから見て東側、つまり保健室のエリアとは逆となる。
「失礼します」
二年B組の担任はと。
幸い、担任の顔も名前も覚えている。
ヒロインではなく脇役なんだけど、特徴的な外見と名前をしてるから。
勝手知ったるはずの職員室内できょろきょろするのも不自然。
あまり顔を動かさないように気を配りつつ室内を見渡す……いた。
真っ直ぐに先生の席へ向かう。
机の上には【数尾 教絵】とネームプレートがある。
いかにも数学の先生らしい名前、間違いない。
数尾先生は仕事に集中してるのか、俺に気づかない。
髪を頭頂部辺りで結い上げたいわゆるひっつめ髪。
その首筋には後れ髪一つ見えない。
着ているのは茶のスーツ。
後ろから見るだけでも地味で几帳面なのが丸わかりである。
「先生、おはようございます」
「ひぃ」
数尾先生がまるで妖怪でも見た様な声を出して、こちらを振り向く。
いかにもな細フレームのキャリアウーマン風眼鏡がキラリと光る。
年齢は四〇歳間際、今で言うアラフォー。
上級生の世界だからか、年齢の割には相当若く見える。
顔だけなら「お姉さん」と辛うじて呼べなくもないが、如何せん華のない容貌だ。
「渡会一樹、只今登校しました」
「二葉さんから話は聞いたわ。それで?」
担任なら「具合はどう?」の一言くらいないものか?
「えと……実はですね、僕のロッ──」
数尾先生が俺の前にハンダごてと吸い取り線を置いた。
ついでにハンダを拭き取るためのスポンジも。
「はい?」
確かにそれが求めていたものなんだけど。
「どうぞ」
いや……あの……普通は「どうしたの?」とか聞かないか?
しかしぐっと飲み込む。
この行動は数尾先生が事態を把握済であり、日常であることを物語っているから。
かと言って何も聞かないわけにはいかない。
ここは一樹の置かれている状況を把握しなければ。
言葉を選びつつ探りを入れる。
「一応、何があったかくらいは聞きませんか?」
「一応」と付けることで、「念のために」というニュアンスを醸し出してみる。
「違ったかしら?」
「いや合ってますけど」
「ならいいじゃない」
声も態度も素っ気ない。
これが教え子に対する態度か。
「誰がやったのかとか」
俺の胸を指さす。
「妖精さんの仕業に決まってるじゃない。バカには見えない妖精さんらしいから、私達教師には見えなくても仕方ないけど」
数尾先生が俺を、いや一樹を嫌ってるのはよくわかった。
しかしそんな態度が教師として許されるのか。
「学校にしてみれば器物損壊とか」
「ハンダは溶かせば取れるんだから問題ありません。まったく妖精さんも気を利かせてくれること」
……あんた謙遜じゃなくてホントにバカだろ。
「気を利かせてくれる」という表現から「問題にしたくない」という趣意はわかる。
しかし、まるで相手方を全肯定してしまったかの印象まで与えてどうする。
大人の事情が理解できる俺ですら不愉快だ。
もういいや。
数尾先生がどういう人かはわかったし用事も済んだ。
戻ってハンダを溶かそう。
「では失礼します」
しかし数尾先生は返事もせず机に体の向きを戻した。
そして既に俺のことなぞ忘れてしまったかに、独り言をぶつぶつ呟き始めた。
「今年こそ何としても学年主任に選ばれなくては……生徒に問題を起こされては困るのよ……」
※※※
階段を上りながら思う。
何だかなあ……。
でも学校の姿勢はともかく、ゲームキャラとしたら仕方ないのかなあ……。
数尾先生は元々ヒロインの予定だった。
若杉先生とは対照的なテンプレ教師らしい外観がそれを示している。
男としてはお堅い人が自らの前で乱れて全てをさらけ出すというシチュエーションに憧れる物があるから。
しかし「先生ヒロインは二人も要らない」ということでボツになった。
いわゆる死にキャラとか死に設定というやつだろうか。
ゲームストーリー上は空気に等しい存在だが、オマケキャラとしての役割はある。
職員室に行って何もイベントが起こらなければ「数尾先生から宿題をもらう」というコマンドが表示される。
宿題の内容は数字や数学を題材にしたパズル。
正解すると「よくできました」と褒められ、一〇回繰り返すとオマケ画像がもらえる。
オマケ画像は一八禁版だと髪を振り乱しながら歓喜にむせぶ数尾先生の痴態。
当時はその肉食獣みたいな様にヒクまであったが、今となれば「ストレス抱えてるんだろうなあ」と憐れみすら覚える。
だからさっきの応対にも不快でむかつきはするが、納得だけはしてしまう。
こうなると派出所でのおまわりさんの態度も合点がいく。
問い合わせには恐らく数尾先生が出たのだろう。
そして臆面もなく、半ば恫喝混じりに、一樹の親の肩書を持ちだしたのだ。
ただ、それは一樹を庇ったということでもある。
きっと自分に責任が及ばないことが最優先で、それ以外なら何でもするのだろう。
なんて呆れるほどの事なかれ。
自らの利でどうにでも態度を変えそうだし、今後注意を払わなくては。
──再びロッカールーム。
ハンダを溶かすと鍵穴ではなく、何か黒いものが見えた。
これは……耐熱テープ?
鍵穴そのものは塞いでしまわない様にマスキングしてあったらしい。
さすがに穴まで塞いでしまうと、溶かしたところで使えるかどうかあやしいし。
器物損壊罪は親告罪。
学園も少々なら見逃しても、修理まで必要な事態となれば別かもしれない。
仮に弁償で済ますにしても、それはそれで面倒な話になりそうだし。
なるほど。
これは数尾先生も「気を利かせてくれる」と言うわけだ……。




