28 1994/11/28 mon 自室:もう御客様じゃないんだから
(アニキ)
ん……。
(アニキってば)
何だよ……夕べ遅かったんだから、もっと寝かせろよ……。
(あたし、もう出ちゃうんだけど)
とっとと行けよ……お土産よろしく……晴海……。
(ダメだ、こりゃ)
※※※
顔にひんやりした風を感じて目覚めたら九時を回っていた。
慌てふためいて立ち上がると窓が開いている。
開けたのは間違いなく二葉。
どうして部屋まで来て起こしてくれない!
逆ギレしながら着替え始めたところで、机の上の紙片が目に入った。
メモ? 二枚ある。
【アニキへ
声掛けたけど起きなかったのでメモを残していきます。
あたしは部活の朝練なので先に出ます。
半端に遅刻すると、生活指導の先生がうるさいので注意してください。
八時二〇分までアニキを見かけなければ、B組の担任に「風邪気味なので病院に行ってから登校する」と伝えておきます。
朝食は食卓に用意してます。
それじゃ、お昼休みの約束忘れないでね!
追記
もう御客様じゃないんだから、自分の事は自分でやってよね】
起こしてくれたんだな……ごめんなさい。
メモは丁寧で読みやすく、それでいて女性特有の柔らかみが感じられる字。
俺や一樹とは大違い。
このメモだけで二葉が一割増しくらいにかわいく思える。
「字が綺麗な人ってポイント高い」という二葉の言葉に納得してしまった。
しかし「追記」の箇所だけ妙に筆が乱れている。
どうも感情的に書き殴ったっぽい。
うーん? 察するに、俺に何かイラついたのかな?
起こしても起きなかった俺にか、それとも他の何かにか。
多分後者だな。
本文の内容は俺が起きなかったことを前提としてるし。
昨日の夕食の時も「御客様じゃないんだから」と言ってたし。
今は着替えてる途中、この件は後で考えよう。
手紙を丸めてゴミ箱へ──あれ?
ゴミ箱の横、正確にはベッドの柱に火箸が立てかけてある。
トング状の、いわゆるハサミ火箸。
夕べこんなのあったっけ?
──洗面所へ行くと、鏡にメモが貼ってあった。
【コップと歯ブラシは↓のを使って下さい】
まだ包まれたままのコップと歯ブラシ。
あれ? 二人分しかない。
一樹が元々使ってたやつは……あった。
洗面台脇のゴミ箱に。
歯ブラシは折られ、コップは粉々に砕け散っていた。
昨夜の話の後ではそうしたくもなるだろうな。
傍の洗濯機は乾燥機が別々。
元の世界では両者が一体となった乾燥洗濯機が主流だから、ほんのり時代的だ。
洗濯機の上には中身の入った洗濯カゴ。
二葉の汚れ物らしい。
風呂場で見たキャミソールも入ってるし、シャツなどの合間から色気のないスポーツショーツが見え隠れしている。
乾燥機の中には一樹の服。
察するに、洗濯のやりかけで時間がなくなったから自分のは後回しにしたのだ。
だったらやっておくか。
「もう御客様じゃないんだから」と二回も言われてしまったことだし。
家事くらいは手伝って然るべきだ。
実家でも俺が洗濯当番してた時期あるし、なんだか懐かしいな。
洗濯機に二葉の洗濯物を流し込み、洗剤入れてスイッチオン。
乾燥済ませて畳み終える頃には家を出るのに丁度いい時間となってるだろう。
※※※
これから何が待ち受けているのか。
覚悟は決めたはずだが、それでも学園へ向かう足が重い。
頭上のどんよりした曇り空に負けないくらい憂鬱な気分だ。
──出雲学園に到着。
現在は三時間目が始まったばかりの一一時二〇分。
授業中に入室した方が休憩時間の喧騒を避けられると思い、この時間に調整した。
場の空気を読むために、落ち着いて周囲を観察する必要がある。
校舎に入ると、授業中だけあって人気がない。
慣れるまで人目を気にしたくないから、ありがたい。
「渡会あ──」
「ひぃ」
いきなりで声がひっくり返ってしまった。
振り返ると若杉先生。
「妖怪でも見つけた様な声出してるんじゃないよ」
いけない、いけない。
一樹に友達はいなくとも先生がいた。
「ようかい」ではなく「あやかし」という読みがゲーマーっぽい。
とりあえず場を繕おう。
「足音も立てず近づくなんて妖怪そのものじゃないですか」
「私みたいな美人教師を捕まえて妖怪扱いとは失礼な。それに教師と朝初めて顔を合わせたら『おはようございます』くらいは言わないか?」
北条みたいな物言いしやがって。
「おはようございます。とてもおキレイな若杉先生」
「おはよう、渡会兄。随分と殿様登校じゃないか」
「登校」という言葉に違和感を覚える。
まだまだ感覚が社会人のままだ。
「なんか体がだるかったので、少し休んでから来ました」
この人、医者だからなあ。
迂闊に「風邪」とか「病院」とか口にしたら根掘り葉掘り聞かれかねない。
曖昧にしておかないと。
「ふん、どうせ仮病だろ。昨日私にゲームで負けたのが悔しくて、徹夜で功夫積んでたら寝過ごしたってとこじゃないのか?」
若杉先生が腕を組みながら鼻高々で答える。
仮病なのは事実だけど、その言葉は教師としていかがなものか。
「心外ですね。帝王の体と言えども病には勝てません」
さらりとこんな台詞が出てしまった自分が怖い。
若杉先生が神妙な面持ちで目を細める。
「そうだな、確かに具合悪そうだ」
えっ!?
喉まで出かかった声をぐっと飲み込むと、若杉先生が続けた。
「いつもより顔のテカリが悪い。普段はもっとテラテラ脂ぎってるのに」
それは一樹が顔を洗ってないだけだろう。
今朝はちゃんと洗ったからな。
立ち話してる場合じゃない、教室へ行かないと──いや待て。
若杉先生もヒロインの一人には違いない。
ゲームシステム上はヒロインAやBのフラグに直接的な影響を及ぼさないはずだが、どこでどうなるとも限らない。
このまま話を続けよう。
「保健室にいなくてもいいんですか?」
若杉先生が真っ直ぐ腕を伸ばして前方を指指す。
「お昼御飯を買いに購買へ行くところだ」
「購買? 授業時間に?」
「お昼休みは混み合うだろ」
ああそうだ、この人は生徒じゃなくて先生。
至極普通の答えだ。
そう思ったところに、若杉先生は更に続けた。
「今の内に食べておかないと休憩時間にお昼寝できないからさ。あれからずっと金之助と功夫積み続けて眠い眠い」
この人ダメすぎる……。
「金之助は?」
「明け方に限界迎えて、ベッドで眠ってるよ」
「上級生」における金之助は一睡もすることなく一ヶ月間ぶっ続けで活動できる。
この点もこの世界とゲームは違うらしい……って、当たり前だよな。
人間、寝ないと死んでしまうのだから。
でも、昨日会った時も「徹夜」と話していた。
つまり金曜夜から二日間以上は起き続けていたことになる。
この世界における金之助のタフネスぶりも見上げたものだ。
ただ……これはまずい。
後で二葉と相談しよう。
「若杉先生は寝なくて平気なんですか?」
「一升瓶一本を一日働くガソリンにできるくらいには若いからな」
それって若いとか若くないって話じゃねえよ。
お酒飲んでる気配なんて微塵も感じられないし。
ある意味、金之助よりよほど人間離れしている。
幸い、有益な情報を得ることができた。
そろそろ切り上げよう。
「では授業がありますので」
「ああ。昨日も言ったが、いつでも保健室に功夫積みに来いよ」
若杉先生がほんのりと目尻を下げて口角を上げる。
オトナならではの落ち着いた余裕の感じられる微笑み。
いや……頼りがいが求められる教師ならでは、なのかな。
ペコリと会釈を返すと、若杉先生が続けた。
「その時は渡会妹も一緒にな。私の目当てはそっちなんだから」
わざとらしい余計な一言を残して、若杉先生は「じゃあな」と購買へ向かった。
※※※
ロッカールームに到着。
三時間目は世界史だったっけか、教科書を出そう。
予め手にしていた鍵をロッカーの鍵穴へ……。
えっ……ええっ!?




