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26 1994/11/27 sun 自室:一樹は『パンツを見れば顔と名前が一致する』って豪語してたから

「水よりはこっちの方がいいと思う。ごめんね」


 はあはあ、えらい目に遭った。

 受け取った牛乳をパックのまま直接飲み干す。

 牛乳のまろやかさとタバスコの刺激が混じり合って気持ち悪いが、口の中の辛みは中和されていくのがわかる。


「こんなのが学園で人気って嘘だろ?」


「本当だよ。男子はともかく、女子には大人気」


 マンガで良家の子女がラーメンを喜ぶシーンがあるけど、あれと似たようなものなのなのかもな。


「どうしてフィクションの世界では、こういう訳のわからない食い物が存在するんだ」


「あたしに言われても……ああそうだ。お昼の購買には気をつけてね」


「どうして?」


「お昼だけオーマイゴッドが出店してるんだ。で、うさまん巡って争奪戦が繰り広げられてるから」


「だからどうしてフィクションの世界では、こういう訳のわからない食い物を巡って争奪戦まで発生するんだ」


「きっと、お約束なんだよ──」


 二葉が封筒を差し出してくる。


「──これ、お昼代兼ねた当面のお小遣い」


 中身を見ると五千円札一枚。


「ありがとう……でもイジラッシの小銭瓶手に入ったし遠慮しとくよ」


「両替しないといけないからすぐには使えないでしょ」


「確かにそうだな。じゃ、ありがたくもらっとく」


「あと、パジャマも出来上がったから着てみて」


 二葉は「着替えたら呼んで」と部屋から出て行った。


 どれどれ──って、え!?

 お前は俺にこれを着ろってか!

 はあ……。


 とにかく着よう。

 パスケースと財布を机に置いて服を脱ぐ。

 サイズはあつらえた様にぴったり、実際にあつらえてくれたんだけど。

 縫製がしっかりしていて着心地も肌触りもいい。

 これを俺の出かけてる一時間程度で作ってみせるとか。

 あいつはどこまで神なんだ。


「着替えたぞ」


 ドアが開く。


「に……似合うじゃん」


 二葉は口を抑えて吹き出しそうになるのを我慢している。

 そりゃ、これを見ればそうなるだろうよ。

 だけどな!


「自分で作っておいてそれはないだろうが!」


 なんせ二葉とお揃いの水玉パジャマだからな!

 俺は水色、二葉はピンクと色違いなだけで。

 キモオタデブにかわいい水玉パジャマとか、もはや犯罪だ。


「で……でもニンフトレーナーよりはましでしょ?」


「そりゃそうだが」


「だ……だったら言うべき言葉があるんじゃない?」


「お前が笑いを我慢するのをやめたら『ありがとう』と言わせてもらうよ」


「ぶわっはっはっは」


 そう言った瞬間、遠慮せずに大笑い始めやがった。


「ありがとう」


「ごめんごめん。でも痩せればきっと似合うってば。だから頑張ってダイエットして」


「『痩せれば』っていっか──」


 「一ヶ月で痩せられるわけないだろ」と言いかけて止まる。

 そういうことか。


 この水玉パジャマは一ヶ月後も俺が消えていないことを前提にしたもの。

 つまり「いなくならないでね」というメッセージだ。

 さらに二葉が買ったのはイジラッシから話を聞く前。

 一樹帰還とのジレンマに悩みつつも、あの時点でそう伝えようと考えたことになる。

 つまり俺が消滅しようとすまいと、実のところ二葉にとっては関係ない。

 最初に言った通り「目の前で困っているから助ける」。

 本当にただそれだけなのだ。


 正直後ろめたさを感じる。

 それでもこの生意気ながらもお人好しの妹にはこう返すべきだろう。


「頑張ってみるよ」


 どちらにせよ、一ヶ月では焼け石に水だと思うが……。

 ただ二葉は返事に満足したらしく、ニッとしてみせる。


「それじゃ頑張ってもらうために話し合い続けよっか」


「そうだな」


 二葉は再びベッドの上にぽふんと腰を落とす。

 俺は机の椅子に。


「まずBさんを探す手掛かり掴みたいところなんだけど、何か心当たりはある?」


「名前も背格好も覚えてない。ただ心当たりはある」


「どんな?」


「それは一樹がBと知り合ったきっかけなんだけど──」


 一旦言葉を止めてしまう。

 しかし二葉がそれをフォローする様に申し出てくる。


「構わないから続けて。もう調教って時点でろくな話出てくるはずないんだから」


「わかった。Bが金之助に打ち明けた、という形での話にはなるけどさ」


「うん」


「Bは万引きをしたんだ。で、一樹がその現場をたまたま撮影してさ。その写真を盾にして『ばらされたくなければ言うことを聞け』とBを脅したわけ」


 俯いて黙り込んでしまった。

 話さなければ仕方ないんだけど、もう少し言葉を選ぶべきだったかな。


「そういう話を聞かされてショックなのはわかるけどさ……」


 二葉がはっと驚いた様に顔を上げる。


「あ、ごめん。そこは大丈夫」


「そこは、って?」


「きっと似たり寄ったりの話だと思ってたからさ。ただ考え込んじゃってただけ」


「何をさ」


「えと、エロゲーで万引きヒロインって一般的なの?」


「どうして?」


「ヒロインの行動として相応しくない気がするから」


 ああ、エロゲーというかギャルゲーのヒロインはいわば男の理想像。

 万引き少女が男の理想たりえるわけがない。


「一般的かはともかく、Bにそういう意味での不快な印象は抱かなかったはず」


 それならそれで記憶にあるはずだから。

 この答えで当を得たらしく、二葉が頷いてみせた。

 しかし、まだ何か言いたげに口をもごもごさせている。


「聞きたい事あるなら遠慮なく聞けよ」


「ん……今は話に直接関係ないからいいや」


「なんか気持ち悪いなあ」


「気にしないで。それよりアニキの言う手掛かりっていうのは、脅迫写真がどこかにあるんじゃないかってこと?」


「そういうこと、そしてあるとすれば──」


 椅子を下げて机から離し、右側の鍵が掛かった引き出しを指さす。


「──恐らくこの中。二葉ってこの鍵の場所は知らないよな?」


「そこまでは。でも、とにかく開ければいいんだよね」


 二葉が部屋から飛び出す。

 どたどたと階段の音が遠ざかり、すぐに近づいてくる。

 戻ってきた二葉はハンマーとぶっといマイナスドライバーを手にしていた。


「何する気だ!」


「知れたこと、鍵を壊してこじ開ける。そこどいて」


「いや、きっと他に方法が──」


「ない」


 言い切るや、左足を大きく上にあげて机の角で踏ん張る。

 右足は床についたまま。

 鍵穴にドライバーを差し込み、ハンマーでその頭をガンガン叩き始める。

 体柔らかいなあ。

 変なところに感心してしまった。


 二葉が机から足を下ろし、ドライバーをくるりと捻る。


「開いたよ」


 戸惑いつつも、一番怪しそうな一番下の大きい引き出しを開ける。

 案の定だ。

 写真のミニアルバムがぎっしり詰まっていた。


「ビンゴだな」


 引き出しのアルバムを床に全部出してみる。

 ネガはない。


 代わりに見つかったのは香水を入れるアトマイザー。

 なぜこんなものが?

 カメラ撮影に使うことはないはずだが。

 そもそもアトマイザー自体が一樹の持ち物としては似つかわしくない。

 体臭を気にするくらいなら風呂に入るだろう。

 何かの拍子で紛れ込んだのかな。

 手掛かりにはなりそうもないし放っておこう。


 二葉が床に座ってアルバムに手を伸ばす。

 俺も同じく床に座る。

 さてアルバムを開いてチェ……ック……。


 顔を上げると、二葉はアルバムを開いたまま固まってしまっていた。

 それもそのはず。

 アルバムの中身はその全てがパンチラ写真だったから。


「これ、何冊あるんだ」


「枚数的には、高等部の一年から三年まで全員のパンチラがありそう」


「学年もクラスも名前も書いてないな」


「一樹は『パンツを見れば顔と名前が一致する』って豪語してたから」


 どんな特技だよ。


 しかし二葉には悪いが実に壮観だ。

 罪の意識よりも欲望が先に立ってしまう。

 パンツの微妙な膨らみや食い込みやシワから目を離せずにいられない。

 やっぱりこれは何というか……才能だな……。

 これだけ撮影するのにどれだけの時間を費やしたのだろうか。


 ──ん? たくさんのアルバムの中に一つだけ封筒が混じっている。


 何だろう。

 中身を取り出すとやっぱりアルバム。

 表紙をつまみ開いてみ……る……。


 ちらりと二葉に目線をやる

 相変わらず俯いたままだな、よし。

 こっそりアルバムを背中に回し、脱ぎっぱなしにしていたジャージの中に隠す。


「今、何を隠したの?」


「えっ? 別に何も?」


 まるで計ったような二葉の問いかけにドキリとする。

 こちらに視線は向けてないはずだが。


「見てない振りをしながらこっそり眺めるのは人間観察の基本でしょ」


「お前はスパイか」


「本業の人に言われると褒め言葉だね」


「茶化すな! 何の必要があってそんな真似をする!」


「アニキが熱心にパンチラ写真見つめてたから、後でからかうネタにしようと思ったんだけど……それで今隠したのはなぁに?」


 こいつ、やっぱりろくな女じゃない。

 しかも静かな物言いながら、恫喝されてる様にしか聞こえない。


 やばい、ジャージから戻して尻の下にでも──。

 そう思った時には、二葉が滑り込んでジャージごと確保していた。


「よせ、見るな!」


「まさかパンチラじゃなくて全裸とか? これだから男の人って……」


 違うから! それがお前のためだから!

 二葉がアルバムを開く。

 その瞬間、アルバムは手から滑り落ちた。


「なに……これ……」


 二葉の顔は青ざめ、本当の意味で凍り付いてしまっていた。

 それもそのはず。

 アルバムの中身は、部屋にいる二葉の寝姿や着替え姿。

 つまり隣室の盗撮写真だったから。

 一定の角度で撮影されているから隠しカメラを仕掛けていたっぽい。


 ……まさか実の妹までも盗撮対象だったとは。


「はははは……はははは……兄なんだから……あたしの……たった一人の兄なんだから」


 二葉が乾いた笑いを繰り返す。

 どこかネジが切れて壊れてしまったかの様。

 無理もない。

 必死に自分に言い聞かせようとしているのが哀れでならない。


 正直このアルバムの写真、そして一樹には吐き気を覚える。

 それでも何とかフォローしなくてはいけまい。

 机の上のパスケースを手に取り、写真を抜き出す。


「きっと何かの誤解だよ」


「誤解も何も、こうして物証が出てきちゃったじゃない」


 一樹は生身の女に興味あるどころか、本命が二葉だったことになるからな。

 しかし事実はねじ曲げるためにある。

 これはスパイではなく役人としての基本だ。


「見ろ」


 二葉に写真を差し出す。

 例の幼き頃の一樹と二葉の写真。


「これは? 随分と懐かしい写真だけど」


「一樹がパスケースに入れていつも持ち歩いてた写真だよ。それだけ二葉の事を大切に思ってるんだろ。このアルバムはその思いがちょっと行き過ぎただけじゃないかな」


 我ながら苦しい。

 だけどここは自分に嘘をついてでも二葉の負担を和らげてやりたい。


「行き過ぎで盗撮カメラを仕掛ける兄がどこの世界にいるのよ」


「でも変な気持ちを抱いてるなら、パスケースにはこのアルバムの写真を抜き取って入れるんじゃないかな。一樹がロリに興味ないのは並んでるエロ漫画からもわかるだろ?」


 「闘姉都市」以外の中身までは見てないから、実際は知らないが。


「あたしも成り行きによっては一樹に調教されるんじゃなかったっけ?」


「それもほら、はっきりと具体的に述べられたわけじゃないし」


 自分でも支離滅裂だ。

 だけどここは口先でなんとかやりこめなくては。


「何よ! こんな写真!」


 二葉が写真を引き裂こうとする。

 しかしその動作は途中で止まった。

 そうだろう、それが兄妹というものだ。


 ──ん?


 写真の裏に何か書いてある……えっ、ええええええ!


 二葉がその姿勢のまま、ぼそりと呟く。


「止めてよ」


「いや破りたいならそうすればいい」


「止めてほしくてやってるんだから止めてよ」


 ああ知ってるよ。

 妹というのはそういう生き物だってこと。

 だからこそ止めないんだよ。

 是非ともそのまま跡形もなくなるまで引き裂いてくれ。


「やっぱ俺は二葉と一樹の間には割り込めない。その写真を破るというなら、それを止める権利は俺にはない」


「何を今更他人行儀なこと言ってるの」


「自分の立場を弁えてるだけだよ。破らないなら写真入れ直すからこっちに寄越せ」


「ふーん?」


 ああああああああああああああ!

 二葉が写真の裏を捲ってしまった。

 それを読んじゃだめだ!


 二葉が写真の裏の文章を口に出して読み上げる。


「【我が最愛の妹、二葉】」


 そこまではいいんだ。

 そして二葉は続きを口にすることなく、写真をびりびりに引き裂いた。

 だって続きに書かれていた文章は……。


【そして我が至高のロリ、幼き頃の二葉】


 一樹はロリに興味なかったのではなかった。

 既に至高と言いうる存在があったから、他の対象が必要なかったのだ……。


 一樹のバカ野郎!

 そんなこと思っていても書くな!


 わなわなと震えていた二葉が、パジャマの胸ぐらを掴んできた。


「ねえアニキ」


「何でしょう」


 俺は何も悪くない。

 だけど二葉の剣幕の前には敬語を使わずにいられない。


「こうなったら何が何でも生き延びてもらうからね。そこにアニキの意志はない」


「へ?」


「あたしの目が黒い内は絶対に一樹を現世に戻させない」


「戻させないって……」


 二葉の釣り上がった目はさらに釣り上がり、怒りに充ち満ちている。


「返事は? イエス? オア イエス?」


「イ……イエス」


 選択肢ないじゃないか。

 もちろんそんなツッコミはできない。


 二葉は遣り場のない怒りを俺にぶつけているだけ。

 ここは気の済むまで黙ってされるがままになるしかない。


「信じたかったのに……信じていたかったのに……あたしってバカみたい」


 目尻が光る。

 それとともに二葉は歯を食い縛り、隠す様に目を伏せる。

 もはや掛ける言葉もない。


 二葉が立ち上がる。

 そしてゆっくりと体をドアの方向に向けると、うなだれたままでドアノブを掴んだ。


「ごめん、今日はもう終わりにしよ。悪いけど、続ける気になれない」


「ああ、おやすみ」


「おやすみ」


 二葉が出て行ったのを確認してから、アルバムを重ねてベッド脇に移す。

 散らばった写真の破片を拾い集め、つなぎ合わせてテープで止める。

 修復し終えた写真を、ゆっくりとパスケースへ。

 ぼろぼろにはなったけど、捨ててしまうのは心が痛む。

 理由はどうあれ、きっと一樹の宝物ではあるのだろうから。


 ああ、その前に。

 もう一度写真を引き出して、机の上に裏返しで置く。

 マジックを手にしてキュッキュッと線を引く。

【そして我が至高のロリ、幼き頃の二葉】

 この一文だけは消させてもらう。

 今は俺が二葉のアニキなんでな。

 実の兄だろうと文句を言わせない。


 さて、独りで手掛かり探しを続けるか。


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