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22 1994/11/27 sun 出雲町内:すき焼きに決まってんじゃん

 すっかり長居してしまった。

 でも時間を費やしただけの収獲はあった。

 この世界がどんなものか見当もついたし、やるべきことも見えた。


 ジョギング前は「自分が死んでいる」という事実を認めるのが怖かった。

 このかりそめの命も一ヶ月限定の可能性が大、それも怖かった。


 しかし二葉と話す内、それ以上の恐怖に気づいてしまった。

 それはこの世界でアテもなく、ただ時間だけを過ごさないといけないということだ。


 この体は一樹のものであって俺のものではない。

 一樹として過ごす人生は一樹の人生であって俺の人生ではない。

 そんなの生きながらにして死んでいるのと変わらない。


 俺というアイデンティティを形作ってきた全ては元の世界にある。

 元の世界だって人並みの不満はあったがそれなりに楽しく生きていた。

 就職大不況の中、自分が希望していた仕事にもつけた。

 彼女はいないが友達はいる。

 妹は死んだけど父も母も生きている。

 それら全部を捨てて一から出直しなぞ俺にはできない。


 また、この体は一樹から借りているとも言える。

 帰り際イジラッシが話してくれたところによると、催眠術の際に一樹本人に対して呼びかけてみたが出てこなかったらしい。

 どうやら一樹本人はこの体にいない、あるいは催眠術でどうにかなる範疇の問題ではないということだった。

 そこはもう、考えるだけ無駄だろう。


 ただ俺の魂がこの体に入って一樹の魂が追い出されたのなら、俺の魂が消えれば一樹の魂が戻らない道理はない。

 ありえるかどうかを考えるのではなく現実から考えるのはスパイの基本だ。


 こんな体でも「一樹に返したいか」と問われれば「うん」と言えない。

 矛盾する様だが正直な本音だ。

 だけど残された二葉のことを思えば「うん」と言わなくてはならない。

 つまり二葉の大噴水を回避し、その後で俺が消えて一樹が戻ってくれば、三人全員ハッピーエンドというわけだ。


 俺の右手にはテレビ台の上にあった小銭瓶。

 今日の御礼ということで持たせてくれた。

 十円玉以下ばかりだが、まとめればそれなりの額になりそう。

 両替する時間がないとのことだったので遠慮無く受け取った。

 この先何をするにしても、動くには金が必要だしな。


 前を歩く二葉は足取りが重い。

 とぼとぼという形容がぴったり。

 腰縄を持つ手はだらんと垂れ下がっている。

 一樹の魂がこの体の中にないのを聞いてショックを受けたのだろう。


 無言のままでいるのも気が重くなる。

 何か話題をと思ったところで、二葉が声を掛けてきた。


「先に帰っててくれる? 地図あるし、大丈夫だよね?」


「どうした?」


「すき焼きの材料買いにスーパー行くからさ。荷物持って帰ってほしいなって」


 そういうことか。

 気づくと、ここは交差点。

 恐らく自宅とスーパーの分岐点なのだろう。


「わかった、んじゃ貸せ」


「その前にと」


 腰縄をほどいてくれる。

 ようやく囚人気分から解放された。


「急がないと。スーパー閉まっちゃう」


 二葉が駆け出していく。

 腕時計を見ると二〇時三〇分。

 スーパーにしては閉まるのが早い気がするが、これもまた時代なのだろう。


 今日は久々にすき焼きか。

 ジョギングのおかげでお腹はペコペコだし、きっと最高に美味しいだろう。

 牛肉ならではのどっしり感。

 玉子のまったりマイルド感。

 そこに甘辛い割り下が加わって奏でられる味のハーモニー。

 ああ、思い描くだけで涎が出てくる。

 今はそれで幸せとしておこうじゃないか。


                   ※※※ 


 待ちに待った夕食の時間。

 俺は鍋の中を見て目を疑った。


「これは何だ!」


「すき焼きに決まってんじゃん」


 二葉が涼しい顔をしながら鍋に箸をのばし、肉をつまむ。


 ……鶏肉を。


「すき焼きってのは牛肉で作るものだろうが!」


「『すき焼きは牛肉を一番まずく食べる方法』って、グルメマンガで陶芸家さんが言ってたよ」


 知ってるよ。

 あの話を読んだ時はどれだけむかついたか。

 人が好きで食べてるのに大きなお世話だ。

 全国のすき焼き屋は、よくぞクレームを入れなかったものだ。


 二葉が知ってるということは、その話は二〇年前よりさらに前なのだろう。

 この時点で何巻まで出ているのか気になるが、今はそれどころじゃない。


「陶芸家が何と言おうと、俺は牛肉の入らないすき焼きなぞすき焼きと認めない!」


「全国の鳥すき屋さんに謝ってくれないかな? 中には創業二三〇年の店だってあるんだから」


 こいつはどうしてそういう無駄な知識を持っている。

 どうせ親に連れて行ってもらったんだろうけど。


「謝ってもいいけど、あの会話の流れで鳥すきなんか想像するか! 二葉こそこの膨れに膨れあがった俺の食欲に謝れ!」


「中身にじゅうろ──男がすき焼きの肉でうだうだ言わないでくれない?」


 なんか物言いにトゲを感じる。

 「二十六歳」と言いかけて止めた辺り、気を使ってくれてるのはわかるが。

 それはそれでやりづらい。


「別に気を使わなくていいぞ」


「ぜんぜん? あたしが今まで通りやりたいだけだよ」


 二葉は仏頂面で鍋に箸をのばして肉をつまむ。

 そう言うならその件はそれでいいか。


「質問を変えよう。どうして鳥すきなんだ?」


「なんとなく」


 二葉が鍋に箸をのばして肉をつまむ。


「答になってない」


「じゃあ半額で安かったから」


 じゃあ、じゃないだろ。

 二葉が鍋に箸をのばして肉をつまむ。


 ……って待て。


「肉がもうないじゃないか!」


「文句ばかり言って食べないからじゃん。自業自得」


「これじゃただの野菜鍋じゃないか!」


 二葉が呆れた様に大きく溜息をついて冷蔵庫を指さす。


「はあ……そんな怒鳴らなくたって、追加の肉もちゃんと買ってあるよ。もう御客様じゃないんだから自分でやって」


 冷蔵庫を開けて肉を取り出す。

 パックには半額シールが貼られていた。

 安かったからというのも嘘ではないらしい。


 しかし、その肉は脂身のないささみ肉……。

 もう文句言うのも疲れた、大人しくささみ肉を鍋に入れる。


 一体何なんだよ。

 これはこれで美味しいけどさ。


                 ※※※


 食べ終わり片付けを終えてから俺の部屋。

 あとでパジャマを作ってくれるということで、二葉が俺の体を採寸する。

 メジャーを巻き取った二葉はベッドに座る。

 さて、いよいよ大噴水回避に向けての会議開始だ。


「じゃ、会議を始めるか。どう進めていくかな……」


「まず『上級生』のゲームシステムを説明してもらえる? 詳しくは聞いてないし」


 そうだな。

 ただですら「上級生」のゲームシステムは特殊だし。

 まずはそこから始めよう。


「二葉ってエロゲーはやったことあるか?」


「あるわけないじゃん」


 二葉がムッとする。

 聞き方を間違えた。


「すまん、エロゲーのゲームシステムがどんなのかは知ってるか?」


「一般的にはアドベンチャーゲームだよね。一八禁じゃないけどそれ自体はやったことあるし、イメージは湧くよ」


 具体的には文章を読んでいき、出てくる選択肢のいずれかを選びながら進める形式。

 その選択肢によって話が分岐し、正解であればヒロイン攻略──ハッピーエンドへと物語が進んでいく。

 つまり、この場合におけるフラグは正解の選択肢を選ぶことと言い換えてもいい。

 二葉の言う通り、これはエロゲーに限ったゲーム形式ではない。


「そうじゃなければフラグと言われてもわからないよな」


「ただ今日のアニキの話だと、例えばあたしと金ちゃんの最初のフラグって会うだけで立つんだよね?」


「そうだが、それが?」


「物語を読み進めていけば会うのは当たり前じゃない? 『会う』『会わない』って選択肢もおかしそうだし、その辺がピンと来ない」


 ああ、なるほど。


「ロールプレイングゲームはわかるよな?」


「FFとかでしょ?」


 正確な名前はわからないけど、略称は元の世界と同じらしい。


「『上級生』はロールプレイングゲームとアドベンチャーゲームのあいのこみたいな感じ。FFでマップをうろつくのと同じ様に、出雲町のマップを女の子求めてうろつくわけだ」


 言い換えると、「上級生」は自分から動かないとゲームが進まない。

 だからこそ金之助みたいな肉食系男子が主人公となる。


「ふむふむ」


「そして一部のヒロインを除いては、まずヒロインを探し出して会うところから始めないといけない。だから会うだけでフラグが立つことになる」


 二葉が頷きを繰り返す。

 どうやら得心がいった様子。


「わかった。見つけ出すこと、ひいては会うことが正解の選択肢を選んだのと同じ効果ってわけね」


「そういうこと。さらにヒロインによってはただ会うだけじゃだめな場合もある。それは場所だったり回数だったり、色々と条件がある」


「ふむふむ」


「ただお前の場合はその手の条件がない。とにかく会いさえすればいい」


「あたし、なんか安くない?」


 眉間にシワを寄せ、顔をしかめる。


「考えすぎ。腐れ縁だと最初から打ち解けてるだろ」


「それもそうね」


 納得したらしく顔を元に戻す。

 扱い難しいなあ。


「極端な話をすれば、金之助はゲーム期間中『誰とも会わない』という選択をすることもできる。ゲーム開始直後にイジラッシのところに行って『時間を一ヶ月進めてくれ』と頼めば、何も起こらないままバッドエンドを迎えることだってできる」


「いっそそうしてくれればあたしの平和は保たれるのにね」


「まったくだ」


 顔を合わせて苦笑いしあう。


「確かにアドベンチャーゲームと単純にくくるには自由度の高いシステムだね」


「そこが『上級生』のキモでさ。一回のプレイで複数のヒロインのシナリオを並行して進めることができる。これを言い換えるとヒロインの同時攻略が可能となる」


 最終的にはヒロイン一人に絞ってハッピーエンドを迎える事になるが、エッチ自体は一回のプレイで複数のヒロインと可能である。


「まさしく女好きな金ちゃんのためにあるシステムだね……」


 二葉がぼやくが、この言葉は的を得ている。

 その理由はこれから話すことになるが。


「中には他のヒロインと同時に攻略を進めていくことが前提となるヒロインもいるからな。また、同時にエッチできないヒロインの組合せもある」


 つまり複数をまとめて相手しようという発想に至れる男じゃないと全ヒロインの攻略コンプリートはできないのだ。

 排他的なヒロインの組合せが存在するのは、ヒロインや脇役同士の人間関係までもがシナリオに反映されているためである。


「何だかすごくややこしそうね」


「実際かなりややこしい。二葉の大噴水候補が三人というのも、実はその話と大きく関係がある」


「ふんふん。具体的には?」


「今から説明する。ここまで理解してくれたなら本題に入りたいと思うが……いいか?」


「おっけー」


 さて、どういう順で説明を始めたものか。

 いきなり全部話してしまうと混乱するだけだから、最低限にとどめたいところだが。


「アニキ、どうしたの?」


「二葉の言うとおりややこしいから、どう話せばわかりやすいかなあって」


「紙に書きながらってのはどう?」


「そうだな、じゃあ紙もらえるか?」


「もちろん大きくて、ツルツル書きやすい紙の方がいいよね?」


 頷くと、椅子を壁際へ押していく。


「動かない様に支えてて」


 二葉がニンフの美少女ヒロインポスターを剥がす。

 椅子から下りると、そのまま押入の戸にポスターを裏返して貼り付けた。


「アニキ、どうぞ」


「どうぞって。いくら兄妹でもアニキの物を勝手に外しちゃまずいだろ」


「あたし、前々からそのポスターが目に入る度にイラついてたんだ。文句ある?」


 年頃の女の子にとっては正論。

 反論はすまい。

 何よりこんな会話に時間を割いてる場合じゃない。


「じゃあ会議を始めよう」

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