21 2013/11/25 Mon 内調オフィス:雨木君のモノはあたしのモノ、あたしのモノはあたしのモノ
本日二〇一三年一一月二五日の朝刊全紙を読み終える。
朝刊チェックはスパイ仕事の基本だ。
……実は半端な時間を潰しているだけだが。
よし、時計の針が一二時一五分を指した。
霞ヶ関の昼食タイム。
今日は何を食べよう。
北条が声を掛けてきた。
「雨木君、お昼決まってなかったら一緒に行かない?」
「いいよ、何食べる?」
「牛丼。あたし一人じゃ行きづらいから付き合ってもらおうかなって」
「ああ……また金欠? それなら農水ランチでいいだろうが」
中央官庁の社員食堂はどこも総じて高いかまずい。
例外なのが農林水産省の社員食堂。
食を司る役所だけあって、安くて美味くて量も多い。
「金欠もあるけど、国会議事堂に牛丼屋できたじゃん。行ってみたいなって」
「あそこって大行列じゃないか。それだけで昼休憩終わるぞ」
「そこはあたしのわがままと思ってさ」
ああ、この笑顔を見せられると断れない自分が恨めしい。
まあ牛丼は大好物、喜んで付き合おう。
──並びに並んで食べ終わり、帰庁への道につく。
「金欠とか言っておいて一二〇〇円の牛重食べてるんじゃないよ」
「だってあそこでしか食べられないと思ったらつい……それに金欠というより、来月に向けて貯金したいだけだから」
「貯金?」
「うん。クリスマスに自分への御褒美あげたいなって」
「ふーん」
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──北条と赤坂のラーメン屋に到着した。
いつもの注文を頼む。
「チャーシュー麺大盛と餃子一枚」
「あたしは普通ので」
注文が届く。
「いただきま──待て、北条。俺のチャーシュー取るな!」
「一枚くらいいいじゃん。雨木君のモノはあたしのモノ、あたしのモノはあたしのモノ」
「どこのガキ大将だよ」
……と口では言いつつも、奪われることを前提にチャーシュー麺を頼んでしまってる自分が口惜しい。
もういつものことだから。
さらにこれまたいつもの言葉を告げる。
「ほら餃子も食べろ、腹減ってんだろ?」
「いつも悪いねえ。でも美味しい物は二人で分け合った方がもっと美味しく食べられると思わない?」
「別に……」
曖昧に返事しながら麺を啜る。
「あーあ、つれないなあ。雨木君みたいに一緒にいて気楽でいられる人がカレシだったらなあって思っちゃうくらいなのに」
「からかうのよせ。俺とお前で釣り合うわけないだろ」
「……あはは、それもそうね」
「ったく、少しくらい否定しろよ」
とは言うものの、俺と北条は本当に釣り合わない。
俺の容姿はよく言えば「アクのない顔」だが、自他ともに認める平凡。
一方の北条はというとそれなりに美人。
色気は無いけど飾ってない分、その性格と相まってとっつきやすさがある。
さばさばした性格なのは神戸出身というのもあるかもしれない。
関西人の女性って気取って無くて付き合いやすい人が多いし。
一緒にいれば気楽なのは俺も同じ。
彼女にできればなあと思ったこともなくはない。
だけどそれは同期だからこそ。
女性との話し方なんて未だにわからないし。
分の過ぎた願いは抱くべきでない。
もう振られて傷つくのは嫌だ。
クラスのかわいい子に告白して振られたことなぞ思い出したくもない。
それでもいつかはきっと俺の前に、自分に見合った女性が現れるはずだ。
その時が来るのを信じてひたすらに待とう。
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「じゃあな、おやすみ」
白衣の女性がおぼろげになっていく。
「ははは……ははは……」
ああ……彼女作って童貞捨てたかったなあ……。
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「うう……」
「何だか知らないけど、泣かないでくれない?」
──二葉に元の世界でのこととこの世界に来てからのことを話した。
ただ一点、嘘を吐いた。
それはこの世界に飛ばされたきっかけ。
敵国のスパイに薬を打たれたのではなく、トラックに轢かれた事にした。
二十年前は敵国による日本人拉致すら「妄言」扱いされていた時代だ。
二葉はあくまで一般人、それも一六歳の少女にすぎない。
例え父親から裏社会の話を聞かされていようと防衛に必要な程度だろう。
俺のトラブルなんて生臭すぎて、現実として聞かされるには不快な話のはず。
信じてもらえないのも困るけど、ここは信じさせたくもない。
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「ほれ!」
掛け声とともに、イジラッシがパンっと目の前で手を叩いた。
「ヌシは今から眠りに落ちる」
※※※
──パンッ。
目を開くと俺は仰向けに寝転がっていた。
眩しいなあ……部屋の灯りが点いているということは、もう夜か。
二葉、イジラッシ、ミハイルさんの顔が目に入る。
三人は揃いも揃って可哀相な人を見る目をしていた。
「ヘタレね」
「ヘタレじゃのう」
「ヘタレだなあ」
はあ?
「二人とも両想いじゃない。アニキは自分の気持ちを見ない振りしてるだけだし、北条さんって人はアニキを好きって態度全開だし。『クリスマスは空いてるから誘って』って言ってるのに何してるのよ」
はあ?
「牛丼屋だってヌシの好みに合わせとるんじゃろ。チャーシュー奪うのだって、わざと借りを作りたいからやっとるんじゃよ。もしかしたらその御礼を口実にクリスマスプレゼントも用意しとったかもの」
はあ?
「男のクセにウジウジして気持ち悪いよ。相手の気持ちが一番重要なんじゃないか。平凡な男と美人の組合せだからどうだって言うんだよ。そんなこと言ったら、こんなブサイクなパーパなんか美しいマーマと結婚できなかったさ」
「ミハイル、お前というヤツは……」
俺が疑問を抱く前にイジラッシがいじけてしまった。
と言うか、完全においてきぼりなんだが。
なんでこいつらが北条のことを知っている。
「イジラッシ! 俺に何をした!」
「催眠術」
「はあ?」
「御要望に応えて時間を進めてみた。もう夜じゃろ?」
「それは寝かせただけじゃねえか!」
しかしイジラッシは、俺の叫びを無視して淡々と続けた。
「そして夢の中で三日間ほど時を遡らせた。いわゆる退行催眠というやつじゃの」
夢? ああ、あれは夢だったのか……って。
「まさか!」
「ヌシがこの世界に来た経緯を知りたかったでの。洗いざらい話してもらったぞい」
「よくも余計な事を!」
「ギョールを思いやって真実を隠そうとしたヌシの気持はわかる。そこは謝ろう」
横から二葉が口を挟む。
「アニキ、気遣ってくれてありがとう。驚きはしたけど、あたしは大丈夫だから」
「ならいいんだけどさ」
しかし答えた後に二葉が目を伏せる。
「ただ、それ……元の世界でアニキが生きてる望みないよね……交通事故なら病院で生死の境を彷徨ってるかもって思えたけど……」
俺からすればそんなのわかってた事。
でも二葉を落ち込ませたくはないのであえて虚勢を張る。
「わからんぞ。今頃は寝ていて救助を待っている状態かもだし」
ここで横から他の二人が口を挟む。
「生きとるわけないじゃろう。内調の下っ端なぞ何の取引材料にもならんのに、生かす価値も予算もない。少なくともKGBならとっとと殺すわ」
「殺したところで面倒は日本政府が引き受けてくれるからね。スパイ防止法を牽制する道具にはなるから、どの様に死体を晒すかくらいは考えるけどさ」
お前らなあ。
「俺だってそんなことはわかってるんだよ! 少しは気を使え!」
しかし二葉が首を振る。
「アニキ、今大事なのは現実を直視することだよ」
イジラッシが二葉の言葉の後を継ぐ。
「わしも元の世界で植物状態というギョールの考えと同じじゃったんじゃが……それなら本人に視覚がないから、未来が見えない可能性もあるしの」
「視覚?」
「わしが円グラフの中に見る光景は本人の視点なんじゃ」
なるほど。
「じゃあ、どんな収獲があったというんだ?」
イジラッシが一旦目を伏せて口を閉じる。
再び俺に向けられた目は限りなく大きく見開かれていた。
「見えないのは恐らくヌシの魂が消滅するからじゃ」
「そうか」
イジラッシの大仰な言い方は俺を慮ってのことだろう。
しかし俺としては、それこそが推測の本命だった。
はっきり言われれば諦めもつく。
謎の女達に逆らった時点で一度は覚悟したことなのだから。
「ただギョールかもう一人の誰かと結ばれればヌシの未来は約束される。あくまで現時点での話じゃが、それもまた言えることじゃ」
そしてこの言葉で……俺がこの世界でなすべきこともはっきり見えた。
いや再確認と言うべきか。
示された可能性の内、二葉と結ばれるなんて論外。
もう一人のヒロインも見つかるとは思えないし、見つかったところでキモオタデブの俺がどうにかできるとも思えない。
何より、好きでもない相手を口説くのは信条に反する。
エッチなぞそれこそもっての他だ。
それなら俺がやるべきは一つ。
二葉の大噴水フラグを回避することだけだ。
妹を守って消滅なんて、それこそ粋じゃないか。
逆レイプされかけて無駄死にの末路より遙かにいい。
「一応聞くが、現時点ってどういうことだ?」
「未来なぞ当事者の行動でいくらでも変わる。もしかしたら他に候補が見つかるかもしれんしな。じゃからこそ、わしの能力は何の役にも立たんのじゃよ」
「じゃあ、もしかしたら見えない光景が見える様になることもあると?」
「ありうるかもしれんの。単に何かの要因で候補が見えなくなってるだけかもしれんし」
もっとも、可能性の存在する限りは否定しないのがスパイの話し方。
その証拠としてイジラッシの言葉に感情は篭もってない。
ここは気休めを言ってくれたと解釈すべきだろう。
「そうか。他に何かアドバイスしてもらえることはあるか?」
「ヌシがそのもう一人を捜すにせよ、ギョールの大噴水を防ぎたいにせよ、この話は二人の間にとどめた方がよいじゃろうの」
「他人が知って予定外の行動をされると予測可能性を失ってしまうから、だな」
イジラッシが頷く。
「わかった。ありがとよ」
礼を言ってからコタツを出る。
用事が済んだら直ぐに切り上げるのは同業者のお約束だ。
ミハイルさんが目を細めながら俺を見つめ、頭を下げてきた。
「ボクがパーパに帰国を勧めたばかりに……本当ならもっと力になってあげられただろうにゴメンね」
「それはミハイルさんの気にする事じゃありませんよ」
「うむ。わしも『死ぬのは故郷で』と思ったからじゃし、そこは変わらん」
二葉が深々と頭を下げる。
「二人とも気をつけてお帰り下さい」
「ギョール、ありがとの。雨木君、ヌシの武運を祈る」
雨木君、か。
もうこの先、その名前で呼ばれることはないだろう。
だからこそイジラッシは、今わざわざ口にしてくれたのだ。
粋な真似しやがって。
「ありがと、イジラッシ。長生きすることを心から祈ってるよ」




