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19 1994/11/27 sun 出雲町駅前:チェンジ

【出雲町駅】と看板が掲げられた駅舎前。


「ここが駅。ちょうど町の中心だから、地理を覚える起点にするといいよ」


「ふむふむ」


「町で一番開けている場所だから、困ったらこの辺りを探せば間違いない」


 そういえば「上級生」でも、駅には出逢いを求めて何回も来たなあ。


「じゃあデパート行くよ。アニキのパジャマ作る布買いたいから」


 ──デパート「珍宝堂」前。


 こういう名前を見るとエロゲーの世界であることを実感させられる。

 外観は小さめでキレイな普通の郊外型デパートなんだけど。


「あからさまな名前だよなあ……」


「あたしはアニキから話を聞くまで何とも思わなかったよ」


「それはおかしい。こんな店名でネタにされないわけがない」


 元の世界なら誰かが絶対ツイッターに投稿するレベルだ。


「確かに男子は面白がってるけどさ。『珍しい宝の様な商品を集めた百貨店』ってのが由来の老舗だもの。地元民はそれで納得してるよ」


 プレイヤーからみると下品極まりないんだが、地元民からは由緒正しいときたか。

 案外、それが現実なのかもしれない。


 ──全面ガラス張りの自動扉を抜け、珍宝堂店内に足を踏み入れる。


「アニキはロビーで待ってて。そんな汗だくで店内うろつくと迷惑になるからさ」


 二葉は俺にタオルを手渡してからエスカレーターへ。

 姿が消えたところで、扉の外をぼんやり眺める。


 日曜日の駅前だけあって人の往来が激しい。

 本当にいい女ばっかだよなあ。

 顔はもちろんだが、服もお洒落だし足も細い。


 一方の男性はというと平凡、通り過ぎたその直後には忘れてそうな顔ばかり。

 まるで元の世界の俺みたいだ。

 かと言って、見て不快になる顔もない。

 その点で今の俺は明らかにオンリーワンだ。

 「その他大勢」って実は幸せ、身をもってそんなことは知りたくなかった。


 ──大通り越しの歩道に人が倒れてる。


 見間違いじゃないよな?

 身なりはきちんとしている、ホームレスが寝ているというわけではない。

 嫌な予感がする、様子を見に行こう。


 珍宝堂を出る。

 横断歩道は赤。

 向かいで信号待ちをしている人達は声を掛けようともしない。

 目線をそらして気づかない振りをしてる者までいる。


 青になった、ダッシュで信号を渡る。

 倒れてる人に駆け寄り、仰向けになっている顔を見る。

 男性の老人。

 ハゲ頭に白い長ヒゲと、まるで仙人っぽい。

 目を瞑っているのか、寝ているのか、はたまた死んでいるのか。


 肩を揺すって声を掛ける。


「おじいさん、大丈夫ですか」


 老人が目を開けた、どうやら生きてはいる様だ。

 そして弱々しげに口を開く。


「チェンジ」


 ……このジジイ何言ってやがる。


「そんな冗談言えるとは随分と余裕じゃないか、寝てただけかよ」


 なんて人騒がせな。

 しかし立ち去ろうとすると呼び止めてきた。


「いや本当に困ってるんじゃよ。ぎっくり腰で動けなくなってのう」


「なら最初からそう言えよ」


「どうせなら優しいピチピチのギョールに助けてもらいたい」


「いい御身分じゃないか──」


 って、「ギョール」?


「じいさん、まさかロシア人?」


 ギョールは「girl」のロシア訛り。

 英語が苦手な俺でも仕事柄こういうのは知っていたりする。

 外見は日本人っぽく見えるのだが……。


「似たようなものじゃ」


 やばい! 逃げないと!


 ……って、今の俺は内調職員じゃないや。

 元の世界ならスパイ工作を疑わないといけないところだが、こんなキモオタデブにそんなの仕掛ける情報機関なぞ世界のどこにも存在しないだろう。

 気を取り直して老人に尋ねる。


「それだけ日本語達者なら、通りすがりの人に助けを求められただろ」


「初めはそうしたんじゃが、みんな聞こえない振りして足早に立ち去ってのう。それでふてくされて寝とったんじゃ」


 ひどい話だ。

 それが大人としての常識。

 俺だってそれはわかっているし、二葉に対しても呆れた。

 でも実際に困った人を目の当たりにしてそうできるかどうかは別の話。

 何より今の俺は一樹、少なくとも「大人」ではない。


 老人を抱きかかえて起こす。

 とりあえず移動させよう。

 このまま冬間際の寒い路上で寝かせて置くわけにはいかない。


「デパートに移動するからおぶされ」


「すまんのう。でも低いところからの眺めはよかったぞ」


「はあ?」


「ミニスカートの奥の秘境が探索し放題じゃったからのう。まるで桃源郷にいた思いじゃわい」


 ホントに余裕じゃねえか。


 ただパンツを覗かれるイコールこのジジイを見捨てたことでもある。

 だから女性達にも全く同情はできない。

 そういう心根だから、顔がかわいくてもヒロインにはなれないんだ。


 小憎たらしいジジイと言えども病人は病人。

 腰に刺激を与えない様にそろそろと信号へ足を運ぶ。


「何なら救急車呼ぶけど?」


「いや、家に帰れば痛み止めがある。わがままついでに家まで送ってくれんか」


「構わないぞ。連れが戻ってくるまで待ってくれ」


                 ※※※


 二葉は戻って来るなり目を丸くした。


「そのおじいさんどうしたの?」


「行き倒れてたから拾ってきた」


「拾ってきたって……」


 ベンチに寝ていた老人が会話に割って入る。


「そこの気も恰幅もいい兄さんがぎっくり腰で倒れてたわしを運んでくれたんじゃ」


「はっはーん」


 二葉が嫌な笑いを浮かべながら、横目がちにちらちらと視線を寄越してくる。


「なんだよ」


「べっつに~」


 俺こそお人好しって言いたいんだろ。

 そんなイヤミたらしく言わなくても自覚してるわ。


「どうせならそちらのギョールに助けてもらいたかったのう」


「お前は黙れ!」


 二葉がぼそりと呟いた。


「ギョール、ね」


 そのまま老人に近づいて話しかける。


「Парень,ты русский?」


 へ? ロシア語?


「Девушка.Нет, я не русский, Казахский」


 お前らは何を話している。

 二葉が俺に向き直る。


「このおじいさん、カザフスタンの人だって」


 ああ、だから日本人に似てるのか。

 カザフ人は日本人と割合似た人が多い。

 若ければともかく老人だと日本人と区別のつかない人はいるかも。


 ……って、ちょっと待て。


「お前がな──」


 ……んでロシア語話せるんだよ。

 そう言いかけたら、二葉が近づいて耳打ちをする。


(小さい時から父さんにラジオ講座やらされてたから。「私の娘ならそれくらいできて当たり前」とか言われてさ)


 そうか、兄が妹にする質問じゃない。

 一応他人の前だから注意を払ったのか。

 俺もひそひそ声で問い返す。


(ラジオ講座?)


(あとはハングル語に中国語。お陰様であたしの友達はラジオだけだった)


 小さい頃からそんな育て方すれば引っ込み思案にもなるわ。

 英才教育のつもりだったんだろうが、コミュニケーションツールの勉強をさせてコミュ障とか笑えなさすぎる。


 さてと。


「二葉、このじいさんを家まで送ってやりたいんだが構わないか?」


「うん、いいよ」


「じゃあじいさん、俺におぶされ」


「そっちのギョールの方がいい」


 少しは弁えろ。

 しかし二葉はリュックと買い物袋を手渡してくる。


「じゃあお兄さん、あたしにおぶさって」


「お兄さん?」


「ロシア語では年齢がどうだろうと『お兄さん』って呼ぶの」


「ほっほっほ。嬢ちゃんみたいなかわいいギョールに呼ばれると若返るのう」


 メイド喫茶の「御主人様」じゃあるまいし。

 ホントいい御身分だよ。


               ※※※


 老人の指示に従いながら、大通り沿いを歩いていく。


「ずっと『お兄さん』って呼ぶのも何だし、名前教えてもらえますか?」


「わしは『お兄さん』のままでええんじゃがのう」


 イラっとする。


「いいからさっさと言えよ」


「この国では年長者に対する言葉遣いを教えとらんのか」


「顔を見るなり『チェンジ』とか抜かしたジジイに使う敬語はねえ!」


「ウラーナ・イジラッシ。イジラッシでええよ」


「んじゃ、イジラッシ。言っておくが妹の変な所触ったらぶっ殺すからな」


「触るも何も、触る胸なんかないじゃろうが」


 その瞬間、二葉の足がぴたりと止まった。


「ねえアニキ」


「ん?」


「イジラッシさんを車が行き交う大通りのど真ん中に投げ捨ててきても、止めないでよね?」


「むしろ手伝おう」


「じょ、冗談じゃないか。余命幾ばくもない老人の戯言を真に受けるでない」


「そんだけ元気なら後一〇〇年くらいは生きるだろ」


「本当じゃ、この体は放射能に侵されておってのう。いつ死ぬかわしもわからん」


 嘘くせ──いや、そんなことはない。

 カザフスタンで放射能ということは……。


「イジラッシ、出身はカザフのどこだ?」


「クルチャトフ」


 やっぱり。

 旧ソ連の核実験場を管理していた秘密都市の名前じゃないか。

 旧ソ連は人を住まわせたまま核実験を行い影響を調べるという、半ば人体実験紛いのことをしていた。

 イジラッシはその被害者の一人なのだ。


 まずったな、話が続けられなくなってしまった。

 俺は仕事柄知っているが、普通の人が知っているものだろうか。

 元の世界なら公知の事実だから「ネットでたまたま」でも通るが。


 考えあぐねていると、二葉から思いもよらぬ台詞が飛び出した。


「イジラッシさんってセミパラチンスクの被害者だったんだ。何て言えばいいかわからないけど……大変でしたね」


 セミバラチンスクは核実験場そのものの名前。


「セミバラチンスクって?」


 わざと知らない振りして聞いてみる。


「旧ソ連の人体実験までやってた核実験場。こないだ国営放送のMHKスペシャルでセミバラチンスク特集してたから」


 そんな特集してたのか。

 それじゃ、あとは二葉に任せよう。


「でもイジラッシさん、クルチャトフにいたなら政府側の人間じゃないんですか?」


「途中からはの。昔は何も知らずに羊を育ててた村民の側じゃよ」


「途中から?」


「水爆のせいでとんでもない能力が発現してのう。それ以降KGBの監視下に置かれたんじゃ」


 KGBとはソ連国家保安委員会のこと。

 かつて存在した世界最強かつ最凶の情報機関である。


「とんでもない能力?」


「予知能力じゃ。わしは人の未来を見る事ができる」


 これはさすがに眉唾だ。

 確かに旧ソ連は超能力の軍事利用を本気で考えていた。

 だけどそれでもなあ。

 しかも放射能で発現って何のマンガだ。

 人智を越えた体験を継続中の俺が言えたことじゃないが。


「えー、予知能力者が実在するならソ連は崩壊しなかったでしょ」


 なんて鋭い二葉のツッコミ。

 でも、まったくその通り。

 そんな能力者を掌中に収めた国は、滅びるどころか世界を征服できる。


「それがのう、わしの予知能力は限定的なんじゃよ」


「限定って?」


「三十歳未満の男女の恋愛関係がどうなるかわかるだけじゃ。しかも一ヶ月以内に限られるし、いくつかの可能性が見えて結果は絞れない」


「それだと軍事的には役に立たなさそうですね」


「かと言って、わしを村に戻すわけにいかんからの。日本語を覚えさせられて、資料を翻訳する仕事をあてがわれた」


 それで日本語がこんなにペラペラなのか。


「それがどうして日本に?」


「ソ連が崩壊したおかげでKGBの監視からも逃れることができてのう。それで前々から憧れてた日本を死ぬ前に一度見ておきたくなったんじゃ」


 そんな憧れてた国の国民に見捨てられたんじゃ可哀相すぎる。

 こんなクソジジイでもさすがに同情する。


「日本はどうでした?」


「最高じゃのう。こんなギョールにおぶさられて家に帰れるんじゃから」


「胸はありませんけどねっ!」


「いやいや。ヌシもあと五年すればカザフ人みたいな形のいい美乳をしとるぞ。その姿がわしには見える」


「ホント!?」


「本当じゃとも、カザフ人嘘つかない」


「美乳かぁ、えへへ」


 二葉が嬉しそうににやつき始めた。

 しかしさっき一ヶ月以内に限定されてるとか言ったばかりじゃないか。

 何が「カザフ人嘘つかない」だ。


「ただ明日には帰国するんでな。最後の見納めにと街を散歩しておったんじゃ。そしたらこのザマ……アイタタ」


「大丈夫ですか? やっぱり救急車呼んだ方がいいんじゃ……」


「家には息子が迎えに来とるから大丈夫じゃよ。それよりも帰国前にこんな最高のギョールの背中を味わえていい思い出になったわ、ホッホッホ」


 ──イジラッシが道を指示する。


「そこを左に曲がってくれ」


 人気の少ない路地に入り込む。

 その途端、二葉がとんでもない質問を口にした。


「ねえイジラッシさん、さっきの話が本当ならあたしの未来見てくれない?」


 ──まずい!


 二葉はフラグを知っている。

 だから話の真偽を確かめられると思ったのだろう。

 他の話はともかく、さすがに予知能力云々は嘘だと思う。

 でも、もし本当だったら……。


 運を天に──任せる前に、イジラッシはギロチンの紐を手放した。


「どいつの腹の上で大噴水するか、よーく考えるんじゃの」


「おしっこイヤああああああああああああああああああ!」


 二葉はイジラッシを背負ったまま、その場にへたりこんでしまった。

 こいつ……本物だ……。


 そう、二葉が大噴水する可能性があるのは金之助だけではない。

 だから俺も言えなかった。


「イジラッシ、黙れ!」


 しかしイジラッシは転がった頭を踏みつぶすがごとくとどめをさした。


「しかも一人はオヌシじゃないか。兄妹でとはやるのう」


「おかあさあああああああああああああああああああん!」


 二葉は人目も憚らずわんわん泣き始めた。

 ここまで取り乱した二葉を見るのは、会ってから初めてだ。

 よくも俺が隠し通そうと思ったことをペラペラ話しやがって。


 そう、金之助が二葉の攻略に失敗した場合、一樹とそれに寄り添う二葉が一定確率で現れる。

 そして「俺のラブドールを紹介するよ」と言ってのけるのだ。

 実の兄妹だから倫理規定に触れると考えたのだろう、それ以上の台詞はない。

 しかし二葉の様子からは何が起こったのか容易に想像できる。


 このクソジジイどうしてくれよう。

 本当に大通りに投げ捨ててやろうか。

 そこまでしなくともこの場に放り投げていきたい。


 ……そう思うのは山々だけど後味悪くなりそうだしな。

 二葉の前にリュックと買い物袋を置く。


「イジラッシは俺の背に乗れ」


「いやじ──」


 ギン、と効果音を鳴らしたつもりで睨み付ける。

 その先を続けたら本気でぶっ殺す。


「わかりました、是非そのふくよかな背に乗らせて下さい」


「一言多いんだよ、さっさと乗れ」


                 ※※※


 イジラッシを背負って再び彼の家までの道につく。

 二葉はあれからずっとうつむいたままで泣きじゃくっている。

 さすがに心が折れたっぽい。

 イジラッシも悪ノリが過ぎたと反省したのか黙り込んでいる。


 重苦しい雰囲気に合わせて、目に入る風景までもが小汚くなってきた。

 古い家やアパートが建ち並ぶ、まるで昔見た昭和時代の映画の様な街並み。

 ああでも、この時代からすればまだまだ普通なのかな。

 一九九四年って平成六年だし。


 しかし世の中は広い。

 まさか限定的とは言え、予知能力者が本当にいようとはな。


 ──待て、何か引っ掛かる。


 男女の未来を見渡せる、それも三〇歳未満限定で。

 そう言えば「上級生」のヒロインは全員三〇歳未満だ。

 そして名前がウラーナ・イジラッシ……まさか!


「『占いジジイ』!?」


 頭の中で結論が出ると同時に、その名前を発していた。


「この街じゃそう呼ばれとるのう。普段は易者しとるし」


 なんてこった……。


 「占いジジイ」は上級生のキャラ。

 「占いジジイの館」に金之助が行けば、その時点においてハッピーエンドを迎えられそうなヒロイン、つまりフラグの成立状況について教えてくれる。

 つまり真の意味でのサポートキャラクターでゲーム本筋には絡まない。

 ヒロインでも脇役でもないだけに、すっかり頭から抜け落ちていた。


「おお、うちが見えたぞ」

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