178 1994/12/05 Mon 芽生宅前:きっと彼女の真意は『私に会え』で正解だ
「着いたわ。ここがわたしの家よ」
白が基調の瀟洒ながらも落ち着いた造り。
見るのは初めてながらも初めてじゃない、ゲームで見た通りの邸宅。
お嬢様ヒロインの家は清楚あふれる感じに描かれるものだが、ここも例外ではない。
これまたお嬢様が住んでいそうな家の背の高い門扉を押して開く。
芽生が入り、その後ろをついていく。
中を見るのは初めてだが、あくまで常識の範囲内で驚くことはない。
大きな家屋、高い塀、広い中庭、豪邸の小道具こそ揃っている。
ただ大きくて高くて広いと言っても、庶民の家に比べればの話。
龍舞さんの家よりは大きいがその程度だ。
意外な感じはするがイタリアンレストランのDAN‐KONみたいながっかり感はない。
きっと華小路との差別化だろう。
何もかもが桁外れの財閥が存在する以上、他を小さくするしか設定のしようがない。
玄関には防犯カメラ。
銀行頭取の家となれば当然だろうが、塀周りには見受けられなかった。
ここまでが異常すぎたせいか、むしろ質素にすら思えてしまう。
芽生が玄関の扉を開ける。
「ただいま」
誰もいないのにただいまと言ってしまうのは人の性だよな。
芽生みたいなお嬢様でもそうなのかと思うと親しみが湧く。
玄関も廊下も渡会家の倍くらいの広さがある。
しかしやっぱり漫画などに出てくるちょっとしたお嬢様の家のレベル。
おかげでフィクションでしかお嬢様の家を知らない俺にとってリアリティを感じられる。
少なくとも出雲学園を見た時みたいな驚きはない。
龍舞さんの家にしてもそうだが。
もしかしたら妙な現実味は華小路の存在だけじゃないのかも。
あまりプレイヤーの生活感からかけ離れすぎると攻略対象として感情移入しづらい。
渡会家だって、ゲームの中でしか知らない金之助の家だってそうだ。
そこそこに裕福で大きそうでも、それ以上には特別じゃない家だし。
八畳ほどの応接間に通され、長ソファーに腰掛ける。
応接室まで備えてるあたりはやはり邸宅。
しかし広さは驚くほどでもない。
壁に大きな絵と少々の調度品。
やっぱりいかにも漫画に出てきそうな応接間だ。
あえて言うならソファーの座り心地はとてもいい。
沈みすぎず、固すぎず。
こっそり座った内調室長のソファーってこんな感じだったなあ。
芽生が「ちょっと待ってて」と足早に出ていき、お盆を持って戻ってきた。
淹れたてのお茶を差し出してくる。
「どうぞ」
「ありがとう……ああ、体が温まる」
「それだけ全身に脂肪がついてても寒空は体に堪えるものなのね」
まだ根に持ってやがる。
「でも意外だな。芽生ほどの家ならお手伝いさんがお茶出してくれるものと思ったが」
フィクションでじいややばあやはお約束だけに尚更。
「一樹君にはわたしの淹れたお茶を飲んでもらいたかったの」
ぶっ! あわや噴き出しそうになった。
芽生がくすくすと笑う。
「冗談よ。以前はいたの、だけど家業がこれだけ苦しい中でお手伝いさんなんて雇ってたらどんな目で見られるか。バブル崩壊してほどなくお暇出させてもらったわ」
「そっか。なんか悪いこと言っちゃったな」
「ううん、全然……じゃあ父を呼んでくる。待ってて」
芽生のお父さんには事前に連絡済み。
家にいるとはいえ、寝てたら困るし。
しかし考えてみたら、俺は今ヒロインの家に呼ばれているわけなんだが。
まったく全然そんな気がしない。
きっと今はそれどころじゃないからなのだろう。
思わぬところで自分の現在置かれている状況を自覚してしまう。
今の俺の関心事は引水さんに話してみようという芽生の思いつきが当たっているか。
思いつきだから外れてしまって当たり前なのだが。
もし何か引水さんが知っていてくれたら。
手掛かりが引水さんの口から飛び出してくれたら。
ほとんど八方塞がりの先の見えない状況な上に時間もない。
ダメと思いつつも万が一を祈らずにはいられない。
――足音が近づいてきた、ノック音。
「入るよ」
落ち着いた、渋みのある声
現れたのはレイカの話通りの容姿をした男性だった。
細身ながらもどっしり映る風格にロマンスグレー。
芽生の切れ長の目は引水さん譲りらしい。
まさにこの娘にこの父ありだ。
……職場で見るなら「素敵なおじさま」なのだとは思う。
「芽生の父の引水です。こんな姿で失礼するよ」
パジャマ姿にガウン。
初対面ながら、顔色が悪くやつれて見える。
頭からつま先までまさしく病人のたたずまい。
本当にお邪魔してよかったのか?
テーブルを挟んだ俺の対面に腰を下ろす。
芽生が俺の隣に座る。
「早速だけど本題に入るわね。父に話すのはわたしからでいい?」
「お願いする――いや、俺から話そう」
まさしくエロゲーがごときの所業を芽生の口から言わせるのもな。
「それでは引水さん。間違いなく耳の汚れる下劣で不愉快な話ですが、最後まで聞いてください。その上でお知恵を拝借できましたら嬉しいです」
「私に何がわかるものかと思うが……まずは話してくれ」
引水さんが事情を知っているところは飛ばす。
その他は包み隠さずレイカから聞いたことを話す。
法務省によるパチンコ屋への営業妨害。
レイカが鈴木と佐藤と大場と英子にはめられてしまったこと。
学校中に最悪の写真を貼られ。
父親は英子と援助交際。
母親が佐藤に薬で洗脳されてしまい。
自殺しようとしたところを龍舞さんに助けられたこと。
若杉先生が相談に乗り、レイカを金銭面で助けたり保証人になったりしたこと。
そしてついさっき判明した、レイカの母親が妊娠して中絶までしていたこと。
……自分で話していて吐き気がしてきた。
聞き終えた引水さんがこめかみを押さえる。
「なんてことだ……鈴木銀行局長にはさんざん不愉快な思いをさせられてきたが、息子達はその上をいってるじゃないか」
「お父様、どちらも大概だと思います」
根は潔癖な芽生らしい台詞だし、全くもってその通りなのだが。
いまはそんなことを話している場合じゃない。
矢継ぎ早に言葉を繋ぐ。
「どうでしょう? 話を聞いて、何か気づいたことはありました?」
「ちょっと待ってくれ」
腕を組み考え込んでいる。
答えが返ってくるのが怖い。
引水さんがつぶやくようにぼそっと口を開いた。
「野々村の娘――桜ちゃんのヒントは『芽生と一緒に行動しろ』と言ったな? そして芽生は思いつきながら私に話すことを考えたと」
「はい」
「きっと彼女の真意は『私に会え』で正解だ。私には一樹君と芽生に見えていない事情が見える」




