176 1994/12/05 Mon 出雲病院食堂:わたしは嫌だ!って言ってるんですけど!
院長は医師達に連行されてしまった。
夫人も若杉先生に引っ張られながら退出。
まさに台風一過がごとく、食堂はしーんと静まりかえっている。
俺、アイ、店長は黙々と掃除中。
割れた食器の欠片を拾い集める店長の目はどことなしに潤んでいる。
美味しく楽しい一時を過ごしてもらおうと気合い入れてたものな。
見かけはどうあれ、やっぱりこの人はプロだ。
店長がぼそりとつぶやく。
「慰めてくれてもいいのよ?」
……誰が。
アイがてくてくと店長に近づき、肩をぽんぽん叩く。
「残念じゃったの。わしでよければ今度食べさせてくれ」
「ありがと……」
気落ちしたままの店長。
しかしアイは現世の食べ物食べられないどころか霊力消費するだけ。
それを知ってたら、どれだけ気を使って慰めてるかわかるんだけどな。
アイにすればなんだかんだと厨房に入れてもらった恩義があるからだろうけど。
――シャワーを浴びて制服に着替えた芽生が戻ってきた。
「ただいま」
挨拶もそこそこにバケツの雑巾を手に取りかがみこむ。
「お嬢様らしくないな」
もちろんいい意味でだが。
芽生の方もわかってるらしく淡々と答える。
「体育会系の部活してれば誰だってこうなるわよ。口より先に手が動かないと、それこそ口より手を出されかねない環境だから」
なんて昭和なんだ、と口を突きそうになった。
慌てて呑み込んで別の言葉を口にする。
「なんて時代錯誤なんだ」
芽生がくすりと笑う。
「理不尽に耐えてこそ強靱な精神と肉体が養われるという考えなの。二葉さんが写真部の部室でわたしにしてくれたこと見ればわかるでしょう?」
悪態をついているわけでなく、単なる例として持ち出している様子。
淡々と言われれば「そりゃあなあ」と頷かざるをえない。
いや、それはいい。
肝心のことを聞かなければ。
「どうして院長にワインぶっかけたんだ?」
「ああ、あれね……状況を最初から話した方がいい?」
「アタシも聞きたい!」「わしもじゃ」
掃除していた二人が食いついてきた。
「大したことじゃないわ。まず院長先生が驚いて。奥様が『どうしたの?』と聞いたところで、若杉先生が『うちの学校の生徒、そして父さんの親友の娘』って紹介して」
「「「ふんふん」」」
ここまでは想像していた通りの会話だ。
「で、院長先生が『田蒔引水は知ってるだろ? 娘の芽生くんだ』と」
「「「ふんふん」」」
普通の会話だな。
「そうしたら奥様が『珍しいですわね、あなたが桜と幼女以外にそんな優しい表情見せるなんて』と……」
「「「なんだって!」」」
三人して揃って驚いてしまった。
「院長先生は『親友の娘の前でなんてこと言うんだ!』と怒って」
「そりゃ誰だって怒るわ」
うんうんと脇の二人も頷く。
「奥様は蔑んだ目で『どうだか。あなたの幼女好きは筋金入り。もしかしたら芽生さんとやらもあなたの脳内では幼女のままなんじゃなくて?』と」
「う」「あ」「あ……」
三人して言葉に詰まってしまった。
「そうしたら院長先生が『芽生くんの美しさは幼女じゃなくても至高だ。とうの立ったお前なんて芽生くんのステージに立つことは一生叶わないだろうよ』と」
「……」
言葉が出なくなってしまった。
「そうしたら奥様がワインをぶっかけたってわけ。で、院長先生もやり返した」
「あの……」「それって……」「悪いのはどう見ても妻君じゃろ……」
大人げない。
目の前で見ると、こうも醜い喧嘩だったとは。
若杉先生が「ほっとけ」と言い捨てるわけだ。
「そうなんだけどね。院長先生も怒髪天をついちゃったみたいで。『悔しかったら、お前も私の脳内で幼女になってみろ!』って」
「「「うわあ……」」」
「問題なのはさらに続いた言葉でね――」
この時点でも十分問題だと思うが。
「厨房を見て『私にかかればあのヒゲ面シェフだって脳内幼女だ』って」
「ぶっ!」
「やだ、院長先生。それってアタシに対するセクハラよ」
とか言いつつ、照れたように体をモジモジさせるんじゃねえ!
芽生がすっと店長から目線を逸らして、さらに続けた。
「奥様が『あなた……』と絶句したところで、院長先生が『間違いない。いま、私の中でシェフは脳内幼女だ。幼女の香りが厨房から溢れるように流れてくる』って」
アイの声が引っ繰りかえった。
「まさか! わしの気配!?」
こくりと頷く。
「本当に感じてたかただの挑発かはわからなかったけど。『まずい!』と思った時には既にワインぶっかけてたってわけ。『わたしの前で幼女幼女と連呼しないでください』って」
「なるほど……」
さすがは体育会系。
口より先に手どころか、考えるより先に手が出てる。
女子高生であり親友の娘である芽生の前で失礼な態度なのは間違いないしな。
アイが頭を下げる。
「すまんの。わしのためにワインまみれにさせてしまって」
「気にしなくていいわ。体は洗えばいいんだし、コックスーツに着替えてたおかげで制服は汚れずにすんだし。ただ……」
ん? この間はなんだ?
「ううん、なんでもないわ。ささ、掃除しましょ」
※※※
店長がしょんぼりしながら「ののやま食堂」の入り口に「本日休業」の札を掛けた。
「今日はもうやる気なくなっちゃったから帰るわ。手伝ってくれた御礼はまた今度ね」
肩を落としながらとぼとぼと去って行く。
ガチムチの巨体だけに哀れさがさらにマシマシ。
「じゃあわしもカルテ探してくる。数日かかるかもしれんが覚悟しとけ」
アイが消え――かけたところで脳に閃光が走った気がした。
慌てて呼び止める。
「アイ、産婦人科から調べてくれ」
「ふん? どうして?」
「思いつきだ。ただ、もしかしたら一発で見つかるかもしれない」
「わかった。どうせ当てがあるわけじゃないしの」
「見つからなかったら一旦戻ってきてくれ。表庭の初めてマッサージしてもらった芝生の所で待ってる」
アイの姿が消えた。
芽生が怪訝な顔で問うてくる。
「産婦人科ってどういうこと?」
「思いつきって言ったろ? ただの勘だよ」
嘘だ。
思いつきは本当だが、ただの勘ではない。
外れてくれるに越したことはないけどな。
「まあいいけど。それより芝生って言ってたよね? 院内で待つんじゃダメなの?」
食堂の入り口を指さす。
「院内で落ち着いて話せるはずの場所はこうなっちゃったし」
「もう12月よ? 外は寒いじゃない」
「俺は皮下脂肪たっぷりだから大丈夫だ」
「わたしは嫌だ!って言ってるんですけど!」
「だったら売店で時間潰してろよ。もうアイに芝生で待つって言っちゃったから俺は行くけど、戻ってきたら迎えに行くから」
できればアイが戻るまで今後を相談したかったのだがしかたない。
さあ芝生へ――ぐげっ! 背中から首根っこを掴まれた。
「何をする!」
「行くわよ……外に出ればいいんでしょ……」
嫌なら別に構わないんだが。
いったいなんなんだよ。
※※※
階段を下りていく。
スカートを手で抑えながら足を踏み出していく様はいかにも育ちのいいお嬢様。
恥ずかしがってもじもじしているように見える。
とても先日病室で足組して座ってた女の子と同一人物とは思えない。
チアユニフォームと学校の制服は違うんだろうけど。
松葉杖ついたおじさんが階段をあがってきた。
慣れた様子だし手伝いを申し出るのは行き過ぎかな。
邪魔にならないよう階段の脇に寄り、通り過ぎるのを待つ。
通りすぎる瞬間、芽生の肩がぶるっと震えた。
「どうかしたか?」
「……別に。行くなら早く行きましょう」
――待合ロビーを抜けて病院を出る。
外に出てみると木枯らしがびゅうびゅう吹いている。
来た時は肌寒いくらいだったのに、さすがは12月。
これは芽生じゃなくても出るのを嫌がりそうだ。
「あっちだ」
指さして、後ろにいる芽生に振り返った刹那。
俺の脂肪膨れな巨体までも押しのける凄まじい突風が吹いた。
「きゃあ!」
芽生が両手でスカートを力一杯に抑える。
しかし抑えた場所以外は全開でまくれあがった。
そのせいで、今の状況がわかってしまった。
「芽生、お前……」
真っ赤な顔で涙ぐみながら叫ぶ。
「しかたないじゃない! はき直せないくらい濡れちゃったんだから!」
ああ、だから「外に出る」のを嫌がったのか。
風が吹いたらこうなるのわかりきってるから。
「ばかばかばか! 一樹君のばか!」
それならそう言えばいいのに。
外へ連れだして悪かったとは思うけど、俺にあたられても……。
いったいどう返せばいい?
とりあえず思ったことを口にする。
「売店で買ってくれば?」
きょとんとする。
「え?」
「ここは病院なんだから、それくらい売ってるだろ」
な、何……。
口をへの字に歯を食い縛り、ぷるぷる震えながらすごい形相で睨んでくる。
くるりと背を向けた。
「行ってくる!」
聞こえるや否や、芽生はダッシュ。
病院の中へ飛び込んだ。
はあ、やれやれ……。




