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175 1994/12/05 Mon 出雲病院食堂:店長さん、シャワー貸してくださる?

 調理室へ入る前に白い料理人服、いわゆるコックスーツを渡された。

 「学生服じゃ目立つでしょ」ということで店長が気を使ってくれた。

 空いていた隣の病室で着替えて、消毒してから調理室に入る。


「ダーリン、似合ってるわ」


 店長に言われてもまったく嬉しくない。

 両手を組んで赤らめた頬に当てながら首を傾げるのも止めてくれ。

 芽生ですらそんなポーズはきっとしないぞ。

 だけど無理なお願い聞いてくれたことだし御機嫌はとっておこう。


「店長こそ素晴らしく似合ってます」


「当然よ」


 途端に素に戻りやがった。


 まあ俺としてもリップサービスではなく本音。

 女性に見えるかはともかくコックとしては貫禄十分。

 さすがはプロ中のプロといったところだ。


 芽生の方はウェイターユニフォーム。

 カマーベルトにパンツの男女共用。

 髪を後ろで結わえてかっちりと固めた様はそのまま給仕に出られそう。

 二葉と同じく姿勢がいいせいか、きりり引き締まって見える。


「芽生、似合ってるぞ」


 さっきこいつ呼ばわりされたからな。

 新しい服に着替えたからにはとりあえず褒めとかないと。


「心にもないお世辞をどうも」


 微笑んではいるけど、心の内を見透かしたように口調は冷ややか。

 お世辞というわけじゃないんだが。


 芽生が微笑を引っ込め、視線を店長に向けた。


「わたしはどうしてウェイター服なんです?」


「ごめんなさいね、ウェイトレスの制服はなくて」


「いえ、そうじゃなくて。目立たないようにというならわたしもコックスーツの方がいいんじゃないですか?」


「……えーと、泣きぼくろがチャーミングなお嬢ちゃん」


「芽生です。フルネームは田蒔芽生」


 そういえば店長にちゃんとした自己紹介してなかったんだっけ。

 若杉先生のフラグを妨害したときは慌ただしかったし。


「芽生ちゃんにはサーブを手伝ってもらうわ」


「わたしが?」


「院長と知り合いなんでしょ? あなたって愛想いいし重い空気が和むかなって」


「奥様の方とは面識ありませんし、わたしが行ったくらいで果たして……」


 院長が拝むように両手を合わせた。


「それでもお願いするわ。せっかくの料理だし作る側としては美味しく味わってほしいの。味わってもらうための努力はしたいの」


 芽生がくすりと笑う。


「わかりました。できるだけの愛想は振りまいてみます」


 アイはエクトプラズムでエプロン姿に変身。

 帽子とマスクで顔全体を覆っている。

 食べてる人が厨房を意識することはないし、きっと大丈夫だろう。


 ――窓際のテーブル席を見やる。


 厨房は若杉先生達の席から距離があるので会話は聞こえない。

 ただ雰囲気くらいは感じ取れる。


「重いな……」


「重いわね……」


「重いのう……」


 和服姿で身を整えた女性が若杉先生の母親らしい。

 遠目からでも上品そうな夫人だ。

 ただ美人には違いないのだが、まるで能面みたいな無表情。

 俯き加減で料理に目を向けている。

 料理を口に運ぶとき以外は唇が動かない。

 院長も若杉先生も同じで、三人とも目を合わせようともしない。

 あの一角だけ室内だというのにどんより雲で覆われているようだ。


「若杉先生まで黙り込んじゃうなんてな」


 ぼそぼそと呟く。

 先方には聞こえないはずなのだが、つい声を潜めてしまう。

 アイがやはりぼそぼそと返してくる。


「迂闊に口を開くと、キヨシ君が若杉先生をダシにして妻君を攻撃しかねないからじゃろ。脳内で幼女のままなところは間違いないし」

 そういえば院長に関する色んな短所が引っ繰りかえったが、ロリはそのままだった。

 ロリになった原因を知った現在でも、やっぱり他の長所を台無しにしてる。


 芽生もぼそぼそと呟いた。


「わたし、頑張って愛想振りまかないとね」


「芽生の気にすることじゃないだろう」


 ぶっちゃけ、店長がどさくさ紛れに押しつけたようなものだし。


「先生にもおじさまにも日頃からお世話になってるし。アイちゃんのためにもうまくいくに越したことはないじゃない?」


「すまんのう……」


 アイは決まり悪そう。

 芽生が自分の頭をこづきながらテヘっと笑う。


「それに店長さんに貸しを作っておけば美味しいコロッケ作ってもらえるかなって」


 ペロリと舌を出した。

 アイが念を送ってくる。


(うわあ……これが「テヘペロ」かあ……)


 表情こそ変えないが心の中では呆れ返ってる様子。

 ただ芽生のてへぺろは以前にも見たが、あざとい一方で自然だった。

 今回はアイをフォローするつもりでわざとお茶目を演じたのだろう。


 そしてアイ。

 お前もゲームの中じゃ金之助にてへぺろしてたんだぞ。


 店長がパスタを皿に盛り付け始めた。


「無事に終わったらいくらでもコロッケ作ってあげるわ。じゃ、これお願い」


「やった!


 左手で皿を持ち、さらに手首に皿を乗せ、右手で残る一皿をひょいと掴んだ。

 店長が目を丸くする。


「あなた、随分とさまになってるわね」


「料理学校で教えられてるもので、失敬」


 芽生はすたすたとテーブルへ向かっていく。

 知ってた、と言いたくなるくらい本当に何でもできやがる。


 テーブル席で芽生が給仕を始めた。

 当然ながら俺達からは会話を聞き取れない。

 遠目からの様子で判断することになる。


 まずは夫人に。

 次いで院長、若杉先生に皿を差し出す。

 院長は少し驚いた感じ。

 芽生がにっこり会釈する。

 「どうして芽生君がここに?」というところだろう。

 若杉先生も院長と夫人に目を向けながら口を開いた。

 「私の学校の生徒なんだ」といったところか。

 店長の目論見通り、なんとなく雰囲気は和らいだように……?


 なんか夫人の機嫌が悪そう。

 斜に構えて院長に何か言ってる。

 院長が嘲るような笑いを浮かべた。

 夫人を煽っているように見える。


 夫人がワイングラスを持った――ああっ!


 ワインを院長にぶっかけた!

 院長が怒鳴りつけると夫人がそっぽを向く。


 院長も立ち上がった――あああっ!


 今度は院長がワインを夫人にぶっかけた!

 腰に手を当て高笑いしてる。

 二人ともなんて大人げないんだ。


 若杉先生も立ち上がり、二人の間にのりだすように止めに入る。

 しかし院長は腰に手を当て、さらに高笑い。


 ん? こっちを見た? ――ああああっ!


 今度は芽生がパスタ皿を院長の頭の上に引っ繰り返した!

 テーブルの皿をひったくったみたいだ。


 芽生が院長になんか言ってる。

 天使のような。

 それでいて正体知る者にすれば女狐よろしく胡散臭い微笑みを讃えながら。

 学食の鈴木の佐藤の時もこんな感じだったな。


 でもなぜ? どうして 芽生が?


 さしもの院長も一瞬呆然とした顔を見せたが、怒った様子は見せていない。

 パスタを払いのけてハンカチで顔を――あああああっ!


 夫人もパスタ皿を院長に投げつけた!


 院長も片手に皿を持った――ああああああっ!


 間に割って入った若杉先生にパスタがぶっかかる。

 そのままテーブルに倒れ込んで、反動で芽生にまでパスタがぶっかかった。


「あなたってどうして懲りないの!」


 うわ……夫人の叫び声……。


「お前こそいつまで私の妻気取りしてるつもりだ!」


 ああ……院長の怒鳴り声……。


 夫人が掴みかかった。

 院長も応戦しようとするが芽生が後ろから羽交い締めにする。

 すかさず夫人が床に落ちてたパスタを掴みぶん投げた。

 さらにワインの瓶を両手で持ち、振り下ろすようにぶちまける。

 院長はずぶ濡れ。

 背後の芽生までパスタまみれのワインまみれ。


 食堂の入り口が開く、白衣の集団がどっと傾れ込んできた。


「院長やめてください!」


「奥様も!」


 銘々に口走りながら二人を力尽くで引きはがす。

 それでも院長夫婦は罵り合いを続けている。

 ここまで聞こえてくる、聞くに耐えない悪口雑言。


 さしもの若杉先生もたた立ち尽くすだけ。

 そんなカオスな光景を尻目に、芽生がすたすたと戻ってきた。


「店長さん、シャワー貸してくださる?」


 何事もなかったようないつも通りのすまし顔。

 店長は震え声。


「こ、こっちよ。ついてきて」


 芽生の態度に怖れをなしているというより、ただただ唖然としているっぽい。


「ちょっと綺麗にしてくるわね、失敬」


 いつも通りに髪を軽くかき上げながら、ひょうひょうと店長の後ろをついていく。

 こいつって本当に大物だ。


 院長夫婦が掴み合いになるのは正直予想の範疇だったけど。

 芽生までやらかしたのは一体何だったんだ……。


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