174 1994/12/05 Mon 出雲病院食堂:店長さんがあまりにも美しいものですから
【お食事処 ののやま】に行くと、入り口には「貸切中」の立札。
受付の女性が塞がるように立っている。
廊下には白衣姿の医師に看護師達の人だかり。
食堂と廊下を隔てる壁は全面がガラス。
野次馬達は顔をくっつけるように食堂内を覗き込んでいる。
巻き込まれたくはなくとも、やっぱり気になって仕方ないらしい。
「うーん、これじゃ中が見えないな。俺や芽生は背伸びすれば何とかなるかもだが」
アイにちらり目をやる。
実体化していて背の低いアイはどうしようもない。
「別に姿消せばいいだけじゃが?」
「やめろ」「やめて」
芽生と口を揃えてしまった。
姿消したが最後、もし何かあったら俺と芽生で止められなくなる。
半分は野次馬根性といえ半分は間違いなくお守り役なのだから。
芽生が嘆息をつく。
「肩車してあげてもいいんだけど目立っちゃうしね」
――従業員用出入り口から店長が出てきた。
「あなた達、何してるの?」
医師達の人だかりに目を向けながら両手の平を上に向ける。
「様子見に来たんですけど、この有様なもので。もう始まってます?」
「さっき始まったばかりなんだけどね。もう空気が重くて重くて」
店長さんもやれやれのポーズ。
とても料理を味わってもらえる雰囲気じゃないのは察しつくからな。
芽生が目配せしてきた。
いったい何をするつもりだ?
「店長さん、わたし達を調理室に入れてもらえません?」
「ダメよ。部外者入れるなんて不衛生だもの」
即答できっぱり断られた。
当たり前だ。
食堂というだけでもそうなのに、ましてや衛生絶対な病院の食堂なのだから。
「ちゃんと消毒しますから」
店長が口髭をなびかせるようにぶんぶん首を横に振る。
「だめだめだめだめ! 消毒してもあなた達は絶対に中に入れない!」
「どうしてですか」
店長のこめかみに血管が浮かび上がる。
「どうして? あなた、こないだあたしにどんな態度だったとったか忘れたの? 『上から目線』って言ったっけ? ダーリンとキスしたことを誇らしげに自慢してみせたじゃない」
「あ、あれは……」
「あんな屈辱受けたの生まれて初めてだったわ。どうしてそんな子に優しくしてあげないといけないの」
むしろ「生まれて初めて」というところにツッコみたい。
他の人達は見下すどころか、恐ろしくて近づくことすらできなかったんだろうけど。
こんな人から親友と呼ばれる若杉先生ってやはり器が違う。
芽生がぷっと吹きだした。
「何がおかしいの」
「おかしいですよ。だってあれはわたしの嫉妬、それなのに本気にするなんて」
「嫉妬?」
「店長さんがあまりにも美しいものですから。まるでマレーネ・ディートリヒみたいに」
そんな戦前の女優が例えに出てくるなんて、お前は何歳だ。
しかも店長は照れる様子すらない。
「そうね。郵便で【店長子様】と書かれてるだけで、住所なくても届いたくらいだし」
それは日本中探しても一人しかいない名前だからじゃなかろうか。
フィクションではありがちな名前でも現実にはまずいまい。
芽生が店長からついっと目を逸らす。
「だからわたし……悔しくって……どうしてこんな女性がこの世にいるんだろうって……つい強がりを……失礼な態度とってごめんなさい……」
ぼそぼそっと、いかにも反省しているかのよう。
店長がなだめるように目尻を下げた。
「わかればいいのよ」
こんなわざとらしい演技に呆気なく騙されやがった。
二葉並に単純じゃないか。
……と思いきや、すぐさま冷ややかに言い放った。
「でもダメ。あなた達は中に入れない」
「どうしてですか!」
アイへ目線を向ける。
「バケモノ呼ばわりされた恨みは絶対に忘れないわ。境遇は可哀相と思うけど、それとこれとは別よ」
「う、あ、は……はははは……」
アイが固まりながら乾いた笑いを浮かべる。
誰もが思ってても言わないことを口にするからだ。
店長がしっしと追い払う仕草をする。
「ささ、あたしは忙しいんだから帰った帰った」
芽生とアイが俺に視線を向けてきた。
俺にどうにかしろってかい。
だが、絶対に断る。
ここで店長に借りを作ったら未来にどんな影響与えるかわかったものじゃない。
ちろっちろっと上目使いでアイコンタクトを繰り返してくる。
だが、情にほだされてはいかん! 無視無視!
ここで頼みを聞いてもらいたいならゲームみたいに幼女らしく振る舞っとけ。
ったく、かわいげのない。
(大きなお世話じゃ!)
うあっ、念で通じてしまったのか。
「はあああああああああああああああ……」
アイが深い深い溜息をついた。
いじけたように両手の人差し指をつんつん突き合わせる。
「ア、アイね。店長さんがあんまりきれいだからやきもちやいちゃったんだ。アイの方こそバケモノだから……ごめんなさい」
舌たらずのロリボイス。
まるで台詞のほとんどが平仮名っぽく読めるよう。
文句言いながら結局やってるじゃないか。
しかし店長はふんと鼻を鳴らす。
「同じ手が二度も通用すると思って? しかもあたしはアイちゃんの本当の年齢知ってるんだからかわい子ぶりっ子するだけ無駄よ」
かわい子ぶりっ子って元の世界じゃ死語扱いだった気がするが。
この時代はまだ違うのか?
「ちっ、しかたないのう――」
店長に向かってちょいちょいと手招きする。
「――ちょっとこっち来い」
「なんでよ」
「いいから来い」
静かながらも実年齢に見合う迫力。
アイが身を翻し、廊下の誰もいない方向へ歩いて行く。
店長は気圧されたらしく、すごすごとその後ろをついていく。
突き当たったところで二人が立ち止まった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああ!」
「な、な、なに!」
店長の絶叫に芽生の声が引っ繰りかえる。
ああ……俺には何が起こったかわかった。
そういえば芽生は見たことないんだったな。
腰を抜かした店長が床に這いながら戻ってくる。
「ひ、ひい、ひいいいいい……」
声がもう掠れ掠れ。
後ろからてくてくとアイ。
いつもの仏頂面で淡々と告げる。
「な? わしの方こそバケモノじゃろ?」
要するにエクトプラズムで化粧する前の素顔を見せたんだ。
誰もがトラウマになる代物だからな。
本物の一樹と野々山院長を除いては。
あんた達って本当にすごいよ。
店長がよろよろと立ち上がり、弱々しげに口を開いた。
「……負けたわ、中に入れてあげる」




