172 1994/12/05 Mon 出雲病院:でんし……かるて?
「なんじゃ?」
「ある人物のカルテを探し出してくれ。薬物中毒の所見が書いてあるはずなんだ」
若杉先生の台詞の「渡会妹だって田蒔が処女か夏休みに疑ってたしなあ」。
あれがヒントだ。
なぜか一樹は芽生が処女であることを知っていた。
そして姿を消してどこにでも出入りできるアイに懐かれている。
きっと若杉先生はアイの存在を知った瞬間に事情が結びついてしまったのだ。
ならば同じように調べればいいだろうと。
若杉先生からは個人主義というか個々の尊厳を重んじる思想を感じる。
プライバシーや個人情報の保護は絶対に守りそうだし、軽々しくこんなことを勧めやしないはずなんだけど。
もしかしたら若杉先生はレイカの母親を薬物の魔の手から救いたいのかもしれない。
別件の診察でたまたま知ってしまった場合は、病院としては何もできないとかで。
わざわざ「田蒔」と強調しているのは、きっとダブルミーニング。
「疑うのは決して悪くないことだよ」という前段をあわせて「田蒔と一緒に何かを疑え」というアドバイス。
そこは二葉も芽生も察したから、まずはこうして芽生と行動を共にしてるんだけど。
この点は後でいい。
芽生と話し合わないと何を疑えばいいのかすらわからないのだから。
姿を消したままのアイがつぶやく。
「なんか物騒な話じゃのう」
「物騒な話だ。しかし一樹の中身をこの世界に引き戻す助けになるかもしれない」
「そう言われれば断る理由は無いのう。どこの診療科じゃ?」
「診療科は……わからん」
「探せるか!」
わっ!
アイの絶叫が病院の中庭に響き渡った。
「バカ、いきなり叫ぶな。びっくりするじゃないか」
「びっくりしたいのはこっちじゃ。出雲病院にはどれだけの診療科があって、どれだけの患者がいると思っとる」
「そんなのキーボード叩けばすぐに出てくるだろ。電子カルテなんだから」
「でんし……かるて?」
この二葉が俺達の時代のワードを聞いた時のおかしなイントネーション。
もしかして、この時代って……。
「この世界だと、カルテは紙に書かれてる?」
「紙以外の何に書くんじゃ? まさか石板とか言うなよ」
そうか、この時代はまだ文書の電子化が進んでないんだ。
霞が関でも電子化始まったのは2000年前後だっけ。
考えてみたら家庭のパソコンだって主な用途はワープロかゲームだしな。
「でも芽生が処女ってのはカルテ調べたんだろ?」
「産婦人科という予想はついとったし。名前も生年月日もわかっとったし」
「だったら何とかならないか? 名前は滅多に無い苗字だし」
「なんという名前じゃ?」
下の名前は、えーと確か……佐藤が呼び捨てにしてたよな……。
「美穂! 麗花美穂だ。生年月日まではわからないが四十歳は超えてるけど五十歳は超えてないってところ」
年齢は一樹達の母親を「うちの母より若い」と言ってたからそんなものだろう。
「それならなんとかなるかもしれんの。いつまでじゃ?」
「できれば今日中」
「無茶言うのう……まあやってみよう」
「おおっ! ありがとう!」
「構わん、一樹のためなんじゃろ?」
声だけでもどこか浮かれ加減なのがわかる。
一樹の力になれることが嬉しいらしい。
「もちろん」
「ただ、例の食事会を覗くのは優先させてもらうぞ」
「しかたないな」
アイも当事者の一人には違いない。
我慢しろというだけ無駄だ。
それに……俺も気にならないといえば嘘になる。
そんなことやってる場合じゃないのだが、それでも見たい。
このまま黙ってアイに覗きに行かせるのも嫌な予感するというのもある。
俺達が一緒なら多少はアイも自制心が働くだろう。
しかし姿を消されたままじゃ止めようがない。
どうするか……そうだ。
「アイって、実体化した姿はエクトプラズムで作ってるんだよな?」
「そうじゃ」
「だったら生前ではなくて他の姿に変身はできないか?」
「どうしてじゃ?」
「姿見えないままじゃやりとりに困る」
「できることはできるんじゃが……ちょっと実体化するから見てみ?」
ぼんっ!と宙にアイが現れた――って、芽生!?
スカートを手で抑えながら、ふぁさりと地に足を下ろす。
「どうじゃ?」
「んー、なんて微妙なんだ」
ぱっと見は芽生に見える。
究極的にバランスのとれた体型はそのまま。
遠目に見る分にはごまかせるかもしれない。
しかし、よく見ると顔は全然違う。
妙に目つきがわるいような、鼻が低いような。
芽生を知ってる人が見たら別人とはっきりわかる。
アイが決まり悪そうにしながら説明を始めた。
「所詮は他人じゃからのう。自分になる分には何も考えずとも再現できるんじゃが、他人になるのは脳内であれこれ想像しないといけないからどうしても無理が出る」
考えたらそうかもしれない。
漫画で他人そっくりに化けられる場合でも、本人とはどこか違うように描かれる。
例えば鼻を指で押したらコピーできるロボットでもそうだ。
読者が混乱しないための配慮だが、変身に何かしらの制限を加えないとシナリオライターの思惑を超えて暴走しかねないという事情もあるのかもしれない。
実際のところはわからないが、少なくともアイの説明には説得力がある。
「とりあえず芽生は止めろ。遠目からだと間違えかねないから、二人いるのはまずい」
「だったら芸能人を真似てみて、こんなのはどうじゃ?」
芽生もどきの姿が消える。
再び現れたのは「永遠のリアル幼女」と呼ばれる、元の世界でも有名な女優だった。
「『金をくれ』ってドラマが今年めちゃめちゃ流行ってのう」
同情するなら、ってやつね。
あれってこの年だったのか。
しかし今度はそっくりだった。
ただし……二〇年後の姿の方に。
アイの内面が反映されてるのか、こうしてみるとやっぱり幼女でなくて大人。
「かわいい」よりは「きれい」という形容詞の方が相応しい。
「一周回って面白いものを見せてもらったよ」
「そろそろ姿消すぞ。後でカルテ漁るのに霊力使いまくらないといかんし」
……ん?
病棟から白衣のでっぷりした男が出てきた。
院長だ。
門の前まで歩いて行く。
腕を組み、仁王立ちを始めた。
「院長、何やってるんだ?」
「細君が門をまたいだ瞬間、全力で嘲笑ってやるとかなんとか」
なんて大人げないんだ。
病棟から白衣を着たスタッフ達が大勢飛び出してきた。
院長を羽交い締めにし、引き摺るように病棟へ連れ戻す。
やれやれ、スタッフ達も大変だなあ……。
とにもかくにもひとまずの用事は済んだ。
売店にいる芽生のところへ向かおう。
医療機関に電子カルテが導入されたのは1990年代後半だそうです(ゲーム世界は1994年)。




