171 1994/12/05 Mon 出雲学園校門:例えばカルテとかさ
出雲学園正門前に向かう並木道。
二葉は授業に行ってしまった。
隣を歩く芽生が問うてくる。
「一樹君、まずはどこに行く?」
時間はいくらあっても足りない状況。
とりあえず歩きながら話そうということになった。
「出雲病院? どうして?」
「さっきの若杉先生の話なんだけどさ、色々とウラをとる必要があるんじゃないかって」
「麻薬とか? 若杉先生だって取れる範囲でウラはとったって言ってたじゃない」
「裏について具体的に話してくれたのは佐藤のカルチャースクールについてだけだろ」
「まあそうだけど」
「きっとレイカの母親が薬物中毒という証拠があるんだよ。例えばカルテとかさ」
エロゲーの例え話のくだりは推測にすぎない。
レイカの母親の様子から導かれる薬物中毒の症状だって、若杉先生が自ら診察したわけじゃない。
恐らくそうだろうという話を繋ぎ合わせただけであって、実のところ俺達はレイカの母親が薬物中毒と決定づけられる客観的証拠について持ち合わせていないのだ。
しかし俺には、若杉先生が推測だけであそこまで口にする人とも思えない。
若杉先生はいっぱいヒントをくれた。
その一方で恐らくさっきの会話自体が更なるヒントなのだ。
話せるだけは話したから、この先はお前達で考えてみろ。
……といったところ。
きっとカルテについては医師としての守秘義務があるから口にできないのだ。
もちろん思い込みかもしれないが、あながち間違った思い込みでもあるまい。
「カルテまで探す必要あるの?」
「警察の古田さんに助けを請うなら首を縦に振らせるだけの材料が必要だよ」
例え古田さんには見せられないにしても。
確たる証拠を握っているといないとでは、俺達の説得する態度にも違いが出てくる。
もし協力してくれることになれば捜査の過程で古田さん自らがカルテの存在を探し当てるだろうから、最終的には見せられない問題もなくなる。
「じゃあどうやって探すの? 関係者でもないわたし達が出雲病院のカルテを見ることはできないじゃない」
「大丈夫。どうやって調べるかのヒントまで若杉先生は教えてくれてる」
「はい?」
芽生がきょとんとする。
意識的にかたまたまかまではさすがにわからないけど。
とにかく出雲病院へ行ってみよう。
※※※
出雲病院到着。
さて、あいつはどこにいるだろう……
「兄様」
「うああああああああああ!」
「きゃあああああああああ!」
「二人ともうるさい」
アイの声はすれども姿は見えず。
肉体を消しているらしい。
「驚いて当たり前だろうが。入り口で何してる」
「まちぶせ」
「はあ?」
「キヨシ君と細君が今日病院で会うという話を聞いての。細君が来るの待ち構えとる」
まったく。
まんま若杉先生の読み通りじゃないか。
「どこから話を聞いたんだよ」
「話を聞くも何も病院中の噂じゃよ。職員達は戦々恐々としとる」
はあ……。
若杉先生から聞いた話の時点で院長は奥さんを全力で煽りまくってるし。
直接相まみえようものならガチバトルは必至だもんなあ。
職員達にしてみればそんなの巻き込まれたくなくて当たり前だ。
「で、どうして姿を消してるわけ? 霊力の節約か?」
「それがのう……えーと、そこの竹久夢二の絵みたいな美人」
名前覚えていないらしい。
先日ちょこっと会っただけだし、自己紹介もしてなかったものな。
「田蒔芽生よ」
まさしく夢二の絵がごとくの和らげな微笑を浮かべた。
「美人」と言われたのが嬉しいらしい。
前回会った時はアイと店長を煽り散らかして大喧嘩してたくせに。
「すまんが席を外してもらえるか? 少しの間でいい」
「わかったわ。売店に行ってる」
この話の早さはさすが。
芽生には話せないことがあるなんて確認するだけ野暮といったところか。
くるりとターンして病棟へすたすた向かっていった。
十分に距離が離れたところで、アイの声が聞こえてきた。
「先日、キヨシ君の娘――若杉先生とVIPルームで会ったときのこと覚えとるか? 兄様達が出て行った後に、若杉先生だけ病室に残ったの」
「そういやそうだったな。あの時何を話したんだ?」
「実は、わしの正体を言い当てられた」
「ええっ!?」
「『アイって桜木のおばちゃんの妹だろ』って」
「ええええええええっ!?」
「若杉先生って出雲学園の生徒だった頃、姉様の店の馴染みだったらしくてな。お店を手伝ったこともあるとか。その御礼にお茶を出されたとき、仏壇の遺影を見ながら『空襲で死んだ妹』と話を聞いたことあるそうじゃ」
なんとまあ……。
確かに若杉先生にも学生だった頃はあるわけだし。
桜木商店はゲーセンだからゲーマーの若杉先生が入り浸ってて当たり前だし。
聞いてみれば別段不思議な話でもない。
俺達からみれば「おばあちゃん」なのが「おばちゃん」なところに年齢差を感じるものがある。
しかし少なくとも十年近く昔のことだろう。
そんな話を覚えてる若杉先生はやっぱりあやかしさんだ。
「で、どうなったわけ?」
「変にごまかしてこじれるよりはと正直に認めた。若杉先生としては『みんなには内緒にしといた方がいいんだろ?』という確認のつもりだったらしい。一応、『兄様と小娘は知っとる』と伝えた」
「了解。しかし若杉先生ってどこまで話を聞いたのかな?」
「『私は妹に助けられたおかげで生きている』としか聞いてないと言っとった……キヨシ君と幼なじみというのも先日の話で初めて知ったらしい……」
アイの歯切れは悪い。
若杉先生の台詞を額面通り受け止めていいか自信がないのだろう。
実際、あの人のことだからあえてそう言った可能性はある……けど。
「本当にそうなんじゃないかなあ?」
桜木商店のおばあちゃんも、院長がアイを好きだったのは知ってそうだし。
もしかしたら医者になった動機まで知ってるかもだし。
院長と奥さんが離婚してるのも知ってるだろうし。
その娘の若杉先生に迂闊なことは話せないと考えたんじゃなかろうか。
そして若杉先生なら仮に何か勘づいたとしても、あえて思考停止するだろう。
両親の仲をこれ以上こじらせたくないから。
先日の病室での話からもそのことは十分に察せられる。
「まあそこはどっちでもいいんじゃが、問題はその後での……」
「その後?」
「『もし父と母の前に姿を現したら、桜木のおばちゃんにばらすからな』と……」
「ひい!」
「恥ずかしながら押し潰されそうな圧力に震えてしまった……あの女はいったい何者じゃ……」
若杉先生が怒ったらとんでもなさそうなのはわかる。
しかし本来なら誰もが恐ろしがるはずの幽霊にそこまで言わせるなんて。
「アイの想像通りの人だな」
具体的に言うなら、絶対に敵に回したくないし回してはいけない人だ。
「だけど今日の食事会がどうなるかは気になるし覗きたい。だから偶然にも見つかることのないように姿を消してたというわけじゃ」
まあ、若杉先生にすれば「姿さえ見せなければ好きにしろ」ってところなのだろう。
「アイは見に来るなと言っても絶対来るだろ」と織込済だったし。
とにもかくにも早速アイに会えた。
芽生には後で説明するとして、ここへ来た目的を果たしてしまおう。
「アイ、頼みがある」




