169 1994/12/05 Mon 校舎前:なんでここに盗撮カメラしかけてないの!
猫の鳴き声のする方へダッシュ。
トラちゃん!?
視界に入るや膝をつきそうになった。
二葉も芽生も龍舞さんもきっと同じだ。
「おら、チャコ! 逃げるな!」
「このクソチャコが! 食ってやる!」
下だけジャージな二人の男子。
鈴木と佐藤がトラちゃんを紐で木に繋いで蹴りを入れていた。
傍らには焚き火。
何か言われたとしても「料理するための」と言い訳するための。
レイカの事件の始まりの始まり。
きっと彼女の目にした光景がまさに目の前で繰り広げられていた。
ただ「二葉」は「チャコ」に変わっていた。
――横を疾風が駆け抜ける。
「てめーらああああああああああ!」
叫ぶのが早いか走り出したのが早いか。
龍舞さんの背中が超速で遠ざかる。
「やべ!」「逃げろ!」
しかしあいつらも逃げ足は速かった。
あっという間に校門の外へ。
その間にトラちゃんの傍へ二葉が駆け寄る。
「ほどいてあげないと……固っ! すごくきつく縛ってる」
追うのを諦めた龍舞さんが戻ってきた。
「ちっ。一樹、ナイフ貸せ」
バタフライナイフを渡すと、手慣れた手つきで刃を出し紐を切る。
「タイガー、ひどい目にあったな。もう大丈夫だぞ」
「にゃん!」
まるで「ありがとう」と言ってくれたかのよう。
レイカじゃないけど、確かに動物の言葉がわかるときってあるものだ。
二葉がぼやく。
「猫相手に八つ当たりなんてどこまでクズなの――って、芽生?」
二葉の目線の先を見やる。
芽生は青ざめた顔。
両手の拳で口を抑えながら立ち尽くしていた。
「まさか、チャコさんまで? チャコさんまでレイカと同じ目に?」
「め、芽生……」
「行かないと!」
校舎へ振り向きダッシュ――しかけたところで二葉がしがみついた。
「どこ行くの!」
「チャコさんのところに決まってるじゃない! 早く言って伝えないと!」
「落ち着きなよ!」
「あなたこそよく落ち着いてられるわね!」
「行ってどうすんのさ! 何を話すのさ!」
「今あの二人が目の前でやってたことに決まってるじゃない!」
「チャコを怖がらせるだけだよ! どう伝えたら不安与えないですむか考えようよ! あたしも一緒に付き合うからさ!」
二葉をずるずる引き摺ろうとしてた芽生の足がようやく止まった。
「……そうね。取り乱してごめんなさい」
二葉がうんうん頷く。
しかし目はどこか点。
まさか芽生がこんな感情任せになるなんてといったところか。
俺も同じ思いだけど。
龍舞さんが拳で芽生の頭を軽く小突いた。
「何するの」
「これだから一周回ったバカは……」
「一周回るまでもなくバカのアキラに言われたくないわね」
「そのバカのアタシでもわかるって話だ。ネチネチしたあいつらがチャコに嫌がらせするなら今日明日に何かするわけじゃない。もっと計画的に時間かけて復讐するんじゃね?」
芽生が目をぱちくりさせる。
「アキラの口からそんなに長い日本語が出てくるとは思わなかったわ」
ひどすぎる。
しかし龍舞さんは涼しい顔。
「やられる前に潰せばいい。そんだけだ」
二葉が続いた。
「そう思うよ」
「二葉さんまで何言ってるの」
芽生が目を点にして、呆れた態度を見せる。
しかし二葉は両手を下に振って芽生をとりなす。
「まあ聞いて。あたしも華小路殴っちゃった翌日には絡まれてるわけだから本来ならすぐに動くかもしれないけどさ。今回は学園内に限れば大丈夫じゃない?」
「どうしてそう言い切れるの?」
龍舞さんをちろっと見上げる。
「ん?」
「ことケンカにかけては金ちゃんや華小路にも並ぶ守護神がB組にはいる。龍舞さんの前じゃ何もしないだろうし、もちろんやらせないよね?」
「当たり前だ。でも今日はあいつらからケンカ売ってきたぞ?」
「NASA謹製のとりもちはあいつらにとって切り札だったはず。奥の手を出したからこそ襲いかかったんだろうけど、二度も使える手じゃないよ」
続いて芽生に目を向ける。
「美子のときみたく学園の外で何か企むとは思う。だけど龍舞さんの言った通り、そっち方向は準備が必要じゃん? だったらやられる前に潰す方が早いし最善の手だよ」
芽生が溜息をつく。
納得半分諦め半分といった様子。
「はあ……わかったことにしてあげる。だったら具体的にはどうすればいいの?」
「龍舞さんがいつも教室にいるとは限らない。だったら万一の時は気楽にあたし達に頼れるよう手はずを整えればいい」
「チャコさんには『もし何かあったらいつでも声掛けてね』と伝えてあるわ」
二葉がちっちと指を振る。
「それで『何かありました』って頼ってくる子は普通いないってば。美子みたく子供じゃどうしようもない問題に陥って芽生の手を借りるしかないというならともかくさ」
「いちいちカンに障る言い方するわね」
「自分に置き換えてみてってば。龍舞さんみたく気の置けない関係なら気楽に頼れるだろうけどさ。チャコと仲いいと言ってもランチすら一緒に食べたことないんでしょ?」
痛いところ突かれたとばかりに口をへの字に結ぶ。
まあ、ここは二葉が正論だ。
なんだかんだ言っても、芽生は他人にかしづかれるのが当然なお姫様。
この辺の心の機微には疎いところある。
茶道部へ撮影に行く前に話した通り、芽生本人も自覚してないわけじゃないしな。
「もう一回聞き直すわ。具体的にはどうすればいいのかしら?」
「策はある……けど、後で教室に向かいながら話そうか」
「もったいぶるのはやめてほしいわね」
「そういうつもりじゃないってば。ただ、早く家に帰りたさそうな人いるからさ」
龍舞さんをちらりと見る。
とりあえず今日は龍舞さんのやることなんてないだろうしな。
とっとと家に帰ってウィンドブレーカーから着替えたいだろう。
芽生がくすりと笑い、わかったとばかりに踵を返した。
「ごもっともね。ではバイク置場までアキラを見送りましょうか」
――バイク置場。
「アキラ、bon voyage」
「皮肉にもならんな。せいぜい気をつけて帰るよ――!?」
ハンドルを握ってバイクを起こそうとしたところで固まった。
芽生が怪訝そうな顔で問う。
「どうしたの?」
「アイツら……」
龍舞さんの額に青筋が浮かぶ。
ハンドルから手を放し、ちょいちょいと下を指さした。
「あーっ!」
「なんてことを!」
龍舞さんのバイクはパンクしていた。
いやきっと、パンクさせられていた。
前輪も後輪も。
鈴木と佐藤がやったという証拠はない。
だが、誰がどう考えたって犯人はあの二人だ。
龍舞さんが屈み込んでタイヤを観察する。
「ちっ、あいつらはいたずらのプロかよ」
二葉も一緒に屈み込む。
「どういうこと?」
「タイヤの側面を見てみろ。小さい穴がいくつも開いてるだろ?」
「うんうん」
「タイヤと路面が接するところは分厚くて穴を開けづらいから、いたずらするときはこうやって側面から穴を開けるんだ。アイスピックとかそういう先の尖ったやつで」
「そうなんだ……」
二葉の返答は所在なさげ。
想像つかなさすぎて返事のしようがないのだろう。
いや、俺にしても同じだ。
まさかここまでやるとは。
芽生はあきれかえったのか固まっている。
我に戻ったか、ぽかんと開けていた口を動かし捲し立てた。
「制服だけじゃなくバイクまで! 全部まとめて弁償させなさいよ!」
龍舞さんはぼそりと返す。
「あいつらって証拠はない」
「他に誰がいるのよ! この駐輪場って防犯カメラはないの!」
「あるわけない。ここ使ってるのアタシくらいだし」
「一樹君、なんでここに盗撮カメラしかけてないの!」
なぜ俺!?
「むちゃくちゃ言うな!」
「盗撮大魔王のくせしてこういうときに能力発揮しないでどうするのよ!」
「盗撮やめろとさんざん命じた口で何言ってやがる!」
「ふん。世の中にはね、性欲のみでなされる黒い盗撮と人を助けるべく行われる白い盗撮があるの。前者は現世から撲滅すべき存在だけど後者は時と場合によっては許されるわ。わたしは黒い盗撮を止めろと言ってるだけだから矛盾しない!」
「盗撮に黒も白もあるか! 開き直りにもほどがある!」
怒るのはわかるけど俺に八つ当たりしたってしかたないだろうが。
なんてめんどくさいんだ。
――龍舞さんがバッグを担ぎ上げた。
「ちっ、しかたない。歩いて帰る」
そして校門の方向へすたすた歩き始めた……ん? 足を止めた。
背中越しに声をかけてくる。
「そうそう、お二人さん」
「何よ」
「夫婦ゲンカはほどほどにな。きっとタイガーも食わないぞ」
「ほっといて! バイクはどうするの!」
「明日道具持ってきて直す。au revoir」
何事もなかったかのように龍舞さんの後ろ姿が遠ざかる。
超然というか泰然というか。
対照的に、芽生は前方を睨んだまま歯ぎしりしながらうーうー唸ってる。
お前はお前で少し落ち着け。
八つ当たりの矛先が俺から逸れてくれたのは助かったけど。
さっきの別れ際の一言は、龍舞さんが芽生の怒りを引き受けてくれたんだろうな。
さすがはどう見えてもヒロイン。
二葉や芽生とは違った意味で、食えない人だ。




