168 1994/12/05 Mon 保健室:にゃあにゃあ! にゃあにゃあ!
二葉の目がぱちくり。
「若杉先生が保健室から出るんですか!?」
「こないだ一緒にデートしたばかりじゃないか」
「ああ……まあ……そうですね……」
ヅカがごとくの王子様コスプレを思い出したか、口角が引きつった。
芽生がくすくす笑う。
「でもまあ……二葉さんの言いたくなる気持ちはわかります。若杉先生が出かけるなんて珍しいですし、外出はてっきり話を終わらせる方便かと思ってました」
「アイと約束したろ? 私の父と母が食事する機会作るって。それが今日なんだ」
「そうなんですか」
「午後から休暇とってて本来はもう出かけてたはずなんだけどさ。先客もあったから」
「先客……ああ、あいつらですね」
「プラス数尾先生だ。もうまいったよ。『龍舞さんを退学に!』ってうるさくて」
だから保健室に入ったとき、先生は疲れ果ててたのか。
無理もない。
想像するだけで俺まで頭痛くなってくるもの。
「アタシは構わないぞ。退学が怖くてケンカできるか」
ぼそっと呟く龍舞さんに、芽生が怒鳴った。
「いいわけないでしょうが! まさか若杉先生、同意したんじゃないでしょうね?」
「私も弱みあるから『そうですね』って相槌繰り返して流したよ」
「弱み?」
「今晩の宿直を数尾先生に頼んだんだ。二回目だからさすがに気が引けてな……」
若杉先生がぽりぽり頭をかく。
一回目は先方の親切の押し売りだから気にする必要ないはずなんだけど。
この辺り、先生も案外普通の人だ。
気を取り直したらしい二葉が首を傾げる。
「それでも肯定するなんて先生らしくないですね」
「数尾先生は『龍舞さんが一方的に』って言ってたから。何か裏があるくらいは思っても、当座の言い分としては筋が通ってるから否定できないよ」
「あいつら……」
「双方から聞いた限りは両成敗だろ。それはいいんだが……」
ん? 若杉先生にしては歯切れが悪い。
一旦口を閉じて逡巡した様子を見せてから再び口を開いた。
「白犬って、お前らから聞いた話以外に何かやった?」
チャコ? ここは現場にいた俺が話した方がいいだろう。
「いいえ? 龍舞さんに抱きついて止めて、あいつらのおしっこの後始末しただけです」
「いや、実は……鈴木と佐藤は龍舞じゃなく……『チャコ許さない』としきりに繰り返してたんだ……」
「「「「はあ?」」」」
まったく予想しなかっただけに声が引っ繰りかえってしまった。
二葉も、芽生も、そして龍舞さんまでも。
「なぜ、チャコ?」
「だから私も知りたいんだってば。龍舞を恨むならわかる。しかしどれだけ考えても、なぜ白犬に恨みが向くのか皆目見当がつかない。むしろ助けた側じゃないか」
あやかしがごとく切れ者の若杉先生が「皆目見当がつかない」なんてよっぽどだぞ。
もちろん俺達にわかるはずもない。
いや、一つだけ心当たりはあるか。
「あいつらを『カス』呼ばわりはしてましたから、そのせいじゃないですか?」
「失禁するほどの恥辱と恐怖を与えられるのとカス呼ばわりされるのと。普通の人ならどう考えても前者を恨むだろ」
両方を恨むというのももちろんあるだろうけど、と付け加える。
しかしそれでも出てくるはずの台詞は「龍舞許さない」だろう。
「でもあいつらは普通じゃなくて狂人じゃないですか。狂人の理屈は常人にわからないと言ったのは先生じゃないですか」
「いくら狂人でも限度がある……ううん、こんなこと言い合ってもしかたない。もし白犬を見かけたら『いつでも保健室に遊びに来い』と伝えておいてくれ」
「はい」
「あと、もう一つ。今日だけはすまないが、渡会妹か田蒔のどちらかがチア部の部活に出てくれ。私が休むのを前もって伝えておけばよかったのだが、てっきり田蒔が部活に出るものと思ってたから」
部活に顧問も部長も副部長もいなくなるものな。
二葉が即答した。
「わかりました、あたしが出ます」
芽生が一瞬だけ口を半開きにして驚いた表情を見せる。
「二葉さん、いいの?」
「そこ、驚くところ?」
「いえ、あまりにすぐだったから呆気にとられちゃって」
「若杉先生とアイちゃん引き合わせたのはあたしだもん。それに……とりあえずは芽生とアニキが組んで動いた方がいいんじゃない?」
さっきの若杉先生のヒントか。
芽生も得心がいったらしく微笑を浮かべた。
「ふふ、わかったわ」
二葉が若杉先生に向き直って慇懃に頭を下げる。
「本日はあたしが部長本来の役目を果たします。若杉先生はどうぞ、親子水入らずの時間を楽しんできてください!」
「ありがとう。でも『水入らず』はどうかなあ」
「どういうことです?」
「場所が出雲病院なんだ」
「はあ? まだどうしてわざわざ」
「父の指定なんだ。『我が城に足を踏み入れる覚悟があるなら会ってやろう。あれだけのことを言っておいて、どの面下げて来るのか楽しみだ』と全力で煽ってさ」
二葉が口をあんぐりさせる。
「それ、お母様に話したんですか?」
「まさか? 適当にもっともらしい理由作ったよ。場所が場所だから、アイは見に来るなと言っても絶対来るだろ。姿を消せるんだから」
「まあ……やりそうですね……」
「しかも料理作るのは長子だし。話したら『腕によりをかけて作るね』だとさ」
「店長さんの全力ならとんでもなく美味しい料理にありつけそうじゃないですか」
「味わう余裕なんてなさそうだけどな。正直気が重いよ」
かつてこの人がこんなに乾いた笑いを浮かべたことがあったろうか。
院長一人を相手にするだけでも手を焼いてたものなあ……。
若杉先生の邪魔しちゃいけない。
そろそろ出よう。
「じゃあ若杉先生、失礼します」
※※※
保健室を出たら四時間目が終わろうとしていた。
とりあえず中央玄関に向けて歩く。
「さて、これからどうするか」
意外にも真っ先に口を開いたのは龍舞さんだった。
「アタシは帰る。こんな格好で学園うろつくのは嫌だ」
今はウィンドブレーカー上下だからそんなおかしくもないけど。
その下はチア部のユニフォームだもんなあ。
「アキラ、とてもお似合い……わかった! わかったから拳振り上げないで!」
「ちっ。それにどうせアタシいてもやることないだろ?」
「とりあえず今はそうね。まずはわたしと二葉さんで動くわ。わたしは一樹君と後で話し合うとして、二葉さんはどうするの?」
「図書室行って、さっき授業抜けた分のプリントやる。後で芽生にも写させてあげるよ」
「助かるわ。じゃあもう玄関だし、せっかくだからアキラを見送りましょうか」
――玄関を出る。
猫の激しく鳴く声が聞こえてきた。
「にゃあにゃあ! にゃあにゃあ!」
何事!?
明日で連載初めて9年目に突入します。
当時から追ってくださっている方がどれだけいるかわかりませんが……。
それでも、たまに感想いただいたりするとやっぱりまだ読んでくれている人がいるんだと実感できます。
今後もマイペースでコツコツ書き続けていくつもりです。
完結がいつになるかわかりませんが、これからも応援し続けてくれると嬉しいです。




