167 1994/12/05 Mon 保健室:処女のわたしにだってわからないわ
俺ならすぐわかる?
妙な言い回しに勘ぐりもするが……ここは素直に「簡単」と受け止めておこう。
だとすれば。
「佐藤がどこから薬物を手に入れたか、ですか?」
まさか検察が横流ししてるとか。
しかし若杉先生はもっと予想外の答えを発した。
「薬物の一つや二つ、最近の高校生はどこからでも手に入れられるよ」
「「「えええええええええええええ!」」」
芽生と二葉だけじゃなく俺まで叫んでしまった。
高校生が? 薬物を?
「いちいち驚くな。だけど龍舞ならわかるんじゃないか?」
「アタシの族ではクスリ禁じてるぞ」
「だから、禁じないといけないくらいに出回ってるってことさ」
「ああ……」
龍舞さんが訥々と説明を始めた。
「若杉センセの言う通り。他の学校だと当たり前に流れてる。それこそ進学校やお坊ちゃま学校のクスリなんて縁遠そうな連中にまでな」
だから龍舞さんは特別何の反応も示さなかったのか。
二葉と芽生が麻薬と聞いて叫んでも。
二人が世間知らずというより、住む世界そのものが違ってるという方が正確だろう。
おずおずと二葉が尋ねる。
「出雲学園も?」
「うちはないんじゃね? クスリ嫌いで通ったアタシのいる学校で、そんなバカなことするヤツはまずいないだろうよ」
大した自信だが、ごもっとも。
硬派な龍舞さんが薬物を嫌ってそうなことくらい聞かなくてもわかるし、もし見つければ半殺し待ったなしなのだって容易に想像できるもんな。
まさかの影の風紀委員がここにいた。
でも……そうだとすると「違和感」ってなんだ?
若杉先生の話をもう一度思い返してみよう。
「麗花の母君がカルチャースクールに通い始めた直後から佐藤も通っていたそうだ」。
この箇所は俺の推測と同じ。
二人の接点はカルチャースクール。
俺の見立てが当たっていたのも若杉先生の説明した通り。
どこかで調べて潜り込んだのだろう。
……ん!?
「調べた」?
どうやって?
論理の辻褄を合わせることに精一杯でそこまで気が回らなかったけど。
いや、調べるだけならいくらでも方法はある。
しかし若杉先生の話を前提とするなら、明らかに引っ掛かる箇所が出てくる。
多分、ここだ。
「答えわかりました。『通い始めた直後』ですね」
「ビンゴ」
やっぱり。
通い始めてしばらく経った後ならどうとでも調べられるだろう。
しかし「直後」に知り得たのなら、情報を入手するルートは限られてくる。
本来なら真っ先に疑うべきは大場。
レイカの彼氏でありながらも二人と繋がっていたのだから。
しかしカルチャースクールに通い始めた時点で、大場は野球部の合宿。
レイカと接触すらないのだから消去できる。
そうなると……あまり考えたくないルートが本命になる。
本来ならまずありえない。
しかしこの世界この経過この状況においては現実味マシマシ。
そして若杉先生が想定しているのも、きっとこのルート。
「母君に話せ」、「警察に介入」と持ち出した真の意図はここだ。
「母の友人の古田さんに助けを仰いでみろということですね」
若杉先生がにっこり笑った。
「よくそこまで行き着いたな。話を聞いた限りでは協力してくれるんじゃないか?」
二葉と芽生が割って入る。
「アニキ……あたし達置いてきぼりなんですけど……」
「まったく話が見えないわ……」
いけない、二人にもちゃんと説明しないと。
「最悪の場合、佐藤の父親が法務省を動かしてるってことだよ。検察か公安かは知らないけどレイカの家を監視させてた。もしかしたら尾行や盗聴も。だからカルチャースクールに通い始めたのもすぐにわかった」
「そんなバカな、とも言えないね。パチンコ屋も公安使って閑古鳥鳴かせたんだし」
「でも一樹君、最悪の場合っていうのはどういうことなの?」
「パチンコ屋の営業妨害の後も国家権力使って監視してるなら、俺達が迂闊に動けば何されるかわかったものじゃない。だったら母さんの友人の古田さんなら事情を知ってるし、警察を味方につけることができるんじゃないかって」
「一樹君のお父様は?」
「俺達のために動いてくれるわけがない」
パチンコ屋のときは警察内部の不祥事を洗い出す目的もあったから動いてくれただけ。
今回は傍からすると私怨で片付けられかねない話。
ましてや忌み嫌っている俺のためになんか動くわけがない。
二葉がうんうん頷く。
「渡会家のことだから詳しくは控えるけど、あたしもアニキと父さんと折り合いが悪いくらいに思っといて」
「わかったわ。じゃあ、そこはおいとくとして……『最悪の場合』ということは、最悪じゃない場合もあるってこと?」
「レイカの父親から援助交際相手の英子経由で情報が流れた可能性もある。浮気相手とのベッドトークで妻の愚痴をこぼすか疑問じゃあるんだけど、童貞の俺にわかるわけがない」
「処女のわたしにだってわからないわ」
「だよな…………ん?」
「一樹くん、何? 変な顔して……って……あーっ!」
自分が何を言ったか気づいたか。
目を逸らし、ひきつった顔で頬を赤らめる。
「しょ、しょ……ショウジョウバエ?」
以前に俺の前で自爆したときも同じフォローしたよな。
実は芽生ってパニックしたときのキャパが小さい。
二葉が冷ややかな顔で、ちろっと目線を投げる。
「ふーん、そうなんだ」
「ふ、二葉さん?」
「まさか芽生がショウジョウバエだったなんてねえ。実は処女でしたってより怖いなあ」
皮肉たっぷりのツッコミ。
ごまかせないと悟ったか、芽生がふんぞり返った。
「そうよ、わたしは処女。でも二葉さんだってそうじゃない、何か文句ある?」
「その処女をネタに、これまでどれだけあたしをいじり倒してくれたか覚えてる? 乳臭いだのなんだの、さんざんバカにしてくれたよね?」
二葉の目に影がかかる。
俺から聞いて知ってたくせに、さも今知った風に。
まさか芽生が自爆するなんて思わなかったのだろう。
ここぞとばかりに恨みを晴らしにかかってる。
龍舞さんと若杉先生は黙ったまま芽生を見ている。
きっと二人とも芽生が処女なことを知っていたのだ。
龍舞さんは芽生と家族ぐるみの付き合い。
家訓を知ってておかしくない。
若杉先生は芽生が出雲病院で検査している上に父親同士がやはり友人。
これまた知ってておかしくない。
二葉に言った「私が知るわけない」は守秘義務のある医師として当然の嘘だろう。
そして二人が芽生に思っていることはきっと同じ。
「いさぎよく謝れ」だ。
空気を察したか、観念したか。
芽生がガバっと頭を下げた。
「二葉さん、ごめんなさい! チア部のみんなには言わないで!」
「人に物を頼むときは口の利き方ってものがあるんじゃないかなあ? それに頭の下げ方が足りないんじゃないかなあ?」
すぐさま芽生が床に膝をついた。
頭を床に叩きつける勢いで土下座する。
「親愛なる指導者渡会二葉チア部部長さま! 後生ですから内緒にしてください!」
半分涙声。
身から出たサビとはいえ哀れすぎる。
龍舞さんが顔色一つ変えず、ぼそりと呟いた。
「そんなことしてる場合か?」
若杉先生がぱんぱんと手を叩いた。
「そのくらいにしておけ。これから出かけないといけないから長居されると困るんだ」
我に帰ったらしい二葉がそれぞれに頭を下げる。
「ごめんなさい、すみませんでした」
立ち上がった芽生は明らかに胸を撫で下ろしている。
実際は二人の出した助け船ってところだろう。
フォローの効くこの場で芽生が自爆したのはある意味ラッキーだったかも。
ただですら事態が複雑になってるだけに要らぬ隠し事はしたくない。
ついでに醜く不毛な二葉と芽生のヒロインバトルを、もうこれ以上見たくない。
若杉先生が何事もなかったように話を続ける。
「疑問に答えよう。妻の愚痴をこぼすことで浮気相手に優越感を与えるという手法はあるぞ。『他の女の話なんてしないで!』という女性もいるからタイプによるけど」
「そうなんですか」
「ただ渡会兄」
「はい?」
「疑うのは決して悪くないことだよ。渡会妹だって田蒔が処女か夏休みに疑ってたしなあ」
なんだこのわざとらしいイントネーション。
そしてわざとらしい台詞。
もう明らかに何らかのヒントをくれている。
もちろん二葉と芽生も気づいたらしい。
しかし若杉先生の立場を踏まえて口にはしない。
目を見合せて頷き合う。
「そうですねえ」
空気を読んで、この場は肯定も否定もせず流しておく。
今の台詞の真意については保健室を出てから話し合おう。
若杉先生が立ち上がる。
「さ、もう帰った帰った。私はこれから外出の用意があるんでな」




