163 1994/12/05 Mon 出雲学園校庭:近寄るなにゃん、妖狐!
グラウンドでは体育の授業中。
横切れないので、左回りに迂回しながら校舎へ向かうことにした。
体育館をすぎ、西端で右に曲がり直進。
再び右に折れ校舎の入り口にさしかかったところで、龍舞さんが呟いた。
「すまん、アタシは購買に行ってくる」
購買はさらに直進した突き当たり。
保健室に行くなら、ここで一旦別れないといけない。
芽生が怪訝そうに首を傾げながら問う。
「購買? なんか買うの?」
「制服。ぼろぼろになっちまったからな。新しいの買わないと」
龍舞さんが右手のバッグを突き出す。
二葉が貸したもので、中身は制服上下。
校門の認証タグがついてるので椅子から無理矢理剥ぎ取ったが、もう二度と着られそうになかった。
「二人に弁償させなさいよ。うちの制服って一〇〇万円もするのに」
そういえばそうだった。
「切り裂いたのはアタシだし。喧嘩でいちゃもんつけるのは流儀じゃない」
芽生と二葉がきょとんと目を見合わせる。
「二人から一樹君助ける口実にさんざんいちゃもんつけてたよね」とか「切り刻んだのは二人が仕掛けたNASA特製のとりもちのせいじゃん」とか「あれは喧嘩だったの?制裁じゃなくて?」とか。
一瞬のうちに意思疎通してみせたのを感じた。
ひとまず手を結んだとはいえ、犬猿の仲からずいぶんと仲良くなったものだ。
しかし龍舞さんは素知らぬ風に続けた。
「家に帰ればスペアあるけど、明日も同じこと起こらないと限らないしな」
ぼそっと付け加えてから、購買へすたすた歩き始めた。
チア部のバッグにウィンドブレーカー。
姿勢もいいから、何も知らなければ爽やか健康的な体育会系に見えてしまう。
二葉がわしっと龍舞さんの手を掴む。
「龍舞さん! ま、待って!」
「なんだ?」
「スペアあるなら、制服もらえる卒業生探してみる」
今度は龍舞さんと芽生がきょとんと目を見合わせた。
「制服ってもらえるのか?」
「というか、あげちゃっていいの?」
二葉が頷く。
「一着目は自前で買わないといけないんだけど、二着目からはもらってもOKなんだ」
「ふんふん」
「卒業生にすれば思い出代わりに一着は手元に置いときたいかもだけど、二着もいらないでしょ? だから学園で手続さえすれば譲渡できる。生徒手帳のどこかに書いてるよ」
「アタシ、入学したとき自分で二着目買ったぞ」
「わたしも……でも、それだったら誰かからもらえばよかったわ。制服一着に一〇〇万円なんてバカげてますもの」
二葉がちっちと指を振る。
「ほとんどが二人と同じだよ。入学した時点で二着買っちゃう」
「どうして? 知らないから?」
ゆっくり、憂いげに首を振る。
「学園は入学式でスペアも合わせて二着買うことを勧めるんだ。うちの生徒の家庭は、内部生外部生問わず、一〇〇万円が二〇〇万円になっても大差無いと思えるくらいには裕福でしょ。だから流されるまま買っちゃうわけ」
「一〇〇万円が二〇〇万円はさすがに痛いと思うわ?」
「でも二人とも買ってもらってるじゃん。親にすれば体面あるから払っちゃうんだよ。芽生って、うちと並ぶお嬢様校のK大女子出身でしょ。寄付金巡って同じことなかった?」
「ああ、そうね。払う決まりはないんだけど見栄で払ってしまうみたいな……」
「それと同じ。ただ今回みたいに一着ダメになっちゃったときは買い直すのバカらしいじゃない? だから内部生だと卒業した先輩からもらうのはざらなんだよ。外部生だと先輩が少ないからツテを辿りづらいし、あまり知られてないみたいだけどね」
龍舞さんがぼそり尋ね返す。
「で、妹がもらってきてくれると」
「龍舞さんのサイズでもバレー部やバスケ部のOB探せばいると思う。チア部の部長という立場柄、体育会系には顔広いからまかせといて」
二葉がドンと胸を叩く。
それに合わせるかのように、龍舞さんが深々と頭を下げた。
「すまん、頼む」
二葉が慌てふためきながら両腕を突き出し、やめてくれと手の平を振る。
「い、いや……その……頭上げて……そんな大した話じゃないし……って、あれ?」
「ニャアニャア」
校舎入り口の手前、トラちゃんがいた。
その前にブルマ姿の生徒がしゃがみ込み、トラちゃんの顎を撫でている。
どこか寂しそうな寝ぼけ眼。
体操服越しでもわかる、はちきれんばかりのたわわな胸。
「虹野」
立ち上がり、ぺこりと頭を下げてきた。
「あ、一樹先輩。二葉先輩も。こんにちはにゃん」
こういう礼儀正しいところはさすが巫女。
というか、まともなんだよな。
「こんなところで何してるんだ?」
「精神を鍛える巫女の修行にゃん」
「修行?」
「決して体育で一人休んで奇数になったから二人組になると余ってしまうのが嫌でいきなり生理始まったことにして休んでるわけじゃなくて世俗から離れて独りになることで巫女としての精神を鍛えているにゃん」
……息も継がずにそれだけの言い訳並べ立てる虹野が不憫すぎて涙出てくる。
芽生がすいっと隣に立った。
「一樹君、この子は?」
虹野がざざっと後ずさった。
「近寄るなにゃん、妖狐!」
「よ、妖狐?」
「美しき容姿に化けて男子生徒を魅了し、とろとろな淫汁を撒き散らして男子生徒をかどわかし、その妖力をもって出雲学園を支配せんとする妖狐にゃん!」
「な、な、なんですってえ!」
虹野に飛びかかろうとする芽生に二葉がしがみついた。
「ほっといてあげて。かわいそうな子なんだから」
「かわいそうって、言っていいことと悪いことがあるでしょう!」
虹野が、へっと小馬鹿にしてみせる。
「二人って仲悪かったはずじゃなかったにゃん? もしかして二葉先輩も芽生先輩の妖力に取り込まれたにゃん? やっぱり胸が小さいと、持ってる霊力も少ないにゃんね~」
顔を真っ赤にして二葉が飛びかかろうとする。
今度は龍舞さんが止めた。
「アタシにも何か言ってみるか?」
普段通りの淡々とした何気ない口調。
しかし虹野は小柄な体をビクンとさせ、肩をすくめる。
「……その全身緑色なのは、ほうれん草でも食べてるにゃん?」
「ああ、毎日たらふくとな」
虹野って……。
逆らえないと判断したら思い切り下手に出やがる。
さすが「ちょっとくらいはクズ」を自称するだけはある。
芽生が溜息をつく。
「はあ……一年生にちょっと変わった子がいるくらいの噂は聞いてたけど、ちょっとどころじゃないわね」
虹野が半泣きになりながら叫ぶ。
「出雲学園の『ヒロイン』としていつも男子生徒に囲まれてる芽生先輩に虹野の気持ちはわからないにゃん!」
ああ、そういうことか。
二葉と目を合わせて頷き合う。
結局はただの嫉妬だ。
……だけど、どう収拾つける?
芽生がきつい口調で改めて問う。
「虹野さん。あなた、一樹君とどんな関係なの?」
「くっくっく、聞いて驚くにゃん。虹野は一樹先輩の――」
二葉が割って入った。
「写真部の新入部員だよ。一樹は部長で、芽生は先輩」
はあ?




