16 1994/11/27 sun 写真部部室:おかしいと思われない様にって考えるからダメだったんだ
東側別棟、写真部部室前。
別棟は高等部校舎と違い、至って近代的でシンプルな内装。
一階は食堂や売店で、二階が文化系の部室棟になっている。
ドアの上には【写真部】と書かれた表札。
横にはカードリーダーと暗証番号入力のためのテンキーが備え付けられている。
……って、たかがクラブの部室にカードキーシステムかよ。
「アニキ、財布かパスケースにカードキーが入ってない?」
パスケースからカードキーを取り出す。
「暗証番号わかんないぞ」
「2816、一樹はキャッシュカードとかも全部その番号だから覚えといて」
「なんで二葉が暗証番号知ってるんだ?」
親ならともかく、普通は妹が暗証番号なんて知らないと思うけど。
少なくとも俺は晴海の暗証番号を知らない。
「一樹に頼まれたんだよ。『覚えやすく推測されづらい番号作ってくれ』って」
「一樹から?」
「以前に親が作ってた番号が生年月日の数字を組合せたものでさ。それじゃまずいだろうって話になってね──」
警察庁幹部ですら、そんな感覚なのか。
かつてはそれくらいに常識としてまかり通っていたのだろうけど。
元の世界だと生年月日の組合せなんて金融機関の側で却下するぞ。
「──自分で考えると、発想のどこかに癖が出そうだからって」
「ああ、わかる」
暗証番号作りは難しい。
自分に関係のない番号は覚えにくいし、関係のある番号だと「これじゃばれるんじゃないか」と疑心暗鬼に陥る。
また、一樹が二葉をそれだけ信頼している証でもある。
「番号の意味は、『ふたば』を『には』と呼んで『2×8』で『16』」
「うまいな、しかも覚えやすい」
「あたしの暗証番号もちょっと捻ってるだけだから何ともだけどね」
そんな上出来なパターン、幾つも思いつけないからな。
二葉がカードを懐から取り出す。
「それは?」
「写真部のもう一枚のカードキー。あたしが副部長なんだ」
「副部長?」
「各クラブでは部長と副部長だけが鍵を管理することになってるからさ。部員へのコピーも禁止されてる」
それはそれで理解した。
ただそういう趣旨で問い返したわけじゃない。
「どうして二葉が副部長を?」
二葉が「ああ」と短く口ずさんだ。
「一樹に『名前だけでいいから』って頼まれたのよ。部員が最低二人いないと廃部になるからさ」
つまり他の部員はいない。
だからこそ一樹が部長なんだろうけど。
「じゃ、中に入るか」
「暗証番号は三回間違えると使えなくなるから注意してね」
カードを通して「2816」を入力する──カチャリと開錠音が聞こえた。
※※※
足を踏み入れた瞬間、驚かずにいられなかった。
なんて綺麗に片付けられた部室なんだ。
「ここも二葉が掃除してるの?」
「ううん、一樹。写真が絡んだ時だけは真人間になるから」
盗撮が趣味で真人間もないものだが、そう言いたい気持はわかる。
部屋の中央にはテーブルとパイプ椅子。
室内にはさらに扉がある。
写真を現像するための暗室だろう。
二葉がガラス戸で閉じられたラックへ歩み寄る。
「まずはここに来た目的から済ませたいんだけど……」
ラック内にはカメラやレンズ等の撮影機材がずらりと並んでいる。
防湿庫か、撮影機材にカビは大敵だから。
二葉がカメラを取り出し、差し出してきた。
いかにもプロが使っていそうな本格的な代物。
「アニキってこういうカメラは使える?」
「一応な──」
父がカメラ好きだったからな。
幾度か撮影に付き合わされたおかげで、使うだけなら使える。
念のためカメラを受け取り、実際に操作して確認する。
「──うん、大丈夫」
それどころか、まるで指先が吸い付く様な感覚。
これは一樹の体のせいだろうか。
まさに頭ではなく体で覚えている感じだ。
「よかった。じゃあその点は一安心だね」
一安心って大袈裟な……いや、それもそうか。
一樹といえばカメラだから使えないと話にならない。
しかし、もっと重要な問題がある。
「それで俺は盗撮までしないといけないのか?」
絶対やりたくないんだが。
そもそもテクニック的に無理だ。
盗撮を別としても、本格的にやっている一樹には遙かに及ぶまい。
俺にできるのは、せいぜい写真を撮っている事実のアリバイ作りくらいだ。
「そうね……」
二葉が両肘をテーブルに立てて頬杖をつく。
尖らせた口から、途方に暮れているのが察せられる。
「盗撮以外にも一樹の振りをするって限界あるし、それも何とかしないと……」
「どうしたものやら……」
このまま二人で思案に暮れても仕方ない、話題を変えよう。
部室を見渡して気づいたことがある。
「写真部なのに写真が一枚も飾られてないな」
普通は一枚どころか壁中にベタベタ貼ってありそうなものだ。
「一樹って普通の写真には全く興味ないからね──」
二葉が冊子を手に取り、渡してくる。
「──部活動としての写真はこちら。コンクールへの応募作やその候補を縮小して現像したもの」
ぱらぱらとめくってみる……へえ、「普通の」写真だ。
人物写真ばかりだがパンツではない。
部活動をはじめとする学園生活がテーマっぽい。
「一樹ってまともな写真も撮るんだ」
「部活の予算を確保するため仕方なくって感じでね。でも応募すれば当たり前のように入選してるよ」
「すごいな」
「本人は『どんな被写体でもパンツと思って撮れば何とかなる』とか言ってた」
「それで入選されたんじゃ、他の応募者はたまったものじゃないな」
つまり一樹も天才。
ただ歪んだ形で発現しているだけで。
二葉がぱらぱらめくって一枚の写真を指さす。
「特に学園内でも評判になったのがこれ。有名なコンクールで最優秀賞獲ったんだよ」
写っていたのは金之助だった。
野球部のユニフォームを着て、いままさに球を放らんとしている。
中等部時代のものだろう。
大きく開いた口からは雄叫びが聞こえてくる様。
写真は小さくとも、気魄が存分に伝わってくる。
「これは……わかる」
「その写真って全国大会優勝の時の最後の一球なんだけどね。金ちゃんは『あー、この時のオレってホントこんな気持』とか言って、すごい気に入ってた」
だからさっきも「いい腕してるんだから」と言い残していったわけか。
まあ金之助じゃなくても思うな。
その才能が盗撮にしか使われないなんて無駄遣いもいいところだ。
「ちなみに盗撮写真は?」
「ここにはない。あたしも探したんだけどね」
「探した?」
「学園から頼まれてるのよ。もし写真とネガを見つけたら速やかに焼却してくれって」
もっともらしく聞こえるが、何か変だ。
「そんなの頼むくらいなら、二葉の入部を認めないで廃部にした方が早いだろ」
「学園からすると逆らしくてね。下手に一樹を野放しにするよりは拠点を与えて監視した方がいいんだって」
「監視?」
「学園が困るのは盗撮行為よりも盗撮写真が流出する方らしくてさ。それさえ防げればどうでもいいみたい」
「呆れた。本当に結果しか見ないんだな」
確かに表沙汰にさえならなければ、どうにでも対処できるだろうが。
恐らく写真部の部活実績も黙認の理由として一役買っているのだろう。
それこそ結果だけは出しているから学園の名声を高めてくれるし。
「『結果が全て』が理事長の口癖だからね──あっ、そうだ!」
二葉が両手の頬杖から頭を起こした。
「な、な、なんだよ」
「おかしいと思われない様にって考えるからダメだったんだ。おかしいと思われてもバレなければいいんだ」
「さっきの話か。妙案でも思いついたの?」
こくりと頷く。
「上手くいけば盗撮だけじゃなく一樹の振りする事なしに行動できるはず。パーチャファイターの腕みたいなのはどうにもならないけど、それ以外ね」
「具体的に説明しろよ」
「ナイショ。話すことで変に意識しちゃうとまずいもの」
また何かろくでもないことを考えたらしい。
ただ、二葉のやる事は『結果だけ』ならうまくいっている。
ここは信頼して任せてみよう。
「わかった。俺は何をすればいい?」
「明日の昼休憩にここへ来て。それまでに段取り立てておく」
これでとりあえず目処が立ったか。
だと言うのに、二葉の表情はどこか浮かない。
「どうかしたか? 後は明日だろ?」
「ううん、今度はあたしの方の話」
「二葉の?」
「あたしって『上級生』でどんなヒロインだったの?」
ああ、ついにこの時が来たか。
嫌だなあ、気が重いなあ、話したくないなあ。
とは言え、この世界でフラグの存在が明らかになった以上はそうもいくまい。
二葉にとっても他人事ではなくなってしまったのだから。
もし順当にフラグが進むとどうなるか、二葉はそれを知る必要がある。
「まあ……『悲劇のヒロイン』ってとこかな」
目を爛々と輝かせる。
「何々? すごく面白そうじゃん。具体的にはどんな感じ?」
「お前、完全に自分の立場を忘れてるだろ……」
さっきまでの重苦しい調子はどこいった。
二葉があははと笑う。
「だってあたしと悲劇って全然結びつかなさそうじゃん」
「立ち位置的には『腐れ縁のボーイッシュな元気少女』だな」
「だよねえ。だったら話次第ではフラグ云々も全部笑い飛ばせそうじゃない?」
そうだといいんだけどな。
「悲劇のヒロイン」は本来の用法で用いられているわけではない。
これからする話も、同じく笑い飛ばしてもらえたら助かるんだけどな。




