159 1994/12/05 Mon 2-A教室:アキラ、よーく似合ってるわよ
廊下に出ると静かだった。
椅子ががらんがらん鳴り響く。
もう授業が始まっているから当たり前だ。
数尾先生が来た時間は始業より余裕があったけど。
きっと几帳面だからなのだろう。
龍舞さんが助けてくれようとしたのはありがたい。
しかし果たしてどこまで聞いて立ち上がったのか。
「あいつらが俺に言ってたことって聞こえた?」
「具体的には。妹やレイカの名前が聞こえてきたくらい」
龍舞さんは全然こだわってない様子。
しかしレイカの名前まで聞こえていたとなるとまずい。
芽生なら、この一言から色々考えるだろう。
もちろん結論は「どうして二人がレイカのことを一樹君に」だ。
龍舞さんがA組につかつか入っていく。
「きゃあ!」「うわっ!」「わあああああああ!」
教室のあちこちから悲鳴。
無理もない。
A組は授業中。
ただですら悲鳴上げられておかしくない存在なのに、下半身まで上着巻いただけときた。
それでも男子生徒達の視線は龍舞さんの下半身に集中。
ああ、同じ男として気持ちはわかる。
後ろから見たらパンツ隠せてないから尚更だ。
「アキラ! その格好はどうしたの!」
芽生の表情は驚いたような怒ったような。
そりゃ何があったか想像もつくまい。
「芽生、ジャージ貸してくれ」
「いいけど……まさか二人がケンカしたの? 二人とも髪の毛めちゃめちゃだし、鼻血出してるし、口からも血が出てるし」
「違う。ついでにこれ何とかしてくれ」
スカートと上着の貼りついた椅子を差し出す。
「本当に何があったの……まあいいわ、ちょっと待ってて」
芽生が教壇の先生のところへ。
授業を抜けるためのプリントをもらってきた。
「じゃあ行きましょうか」
「ちょっと待って」
一番後ろの席からこちらを見ている二葉に手招きする。
「あたしも?」と自分を指さしたので頷く。
同じくプリントをもらってから、こちらへ来た。
「アニキ、とりあえずチア部の部室行こうか。鍵持ってる部長と副部長揃ってるから誰も来ないはずだし」
「そうね。部室ならアキラの着替えもあるし」
芽生がニヤリと口角を上げた。
どう見ても他人を助けてあげようという笑みじゃない。
こいつ……何を企んでる?
※※※
「どうしてアタシがこんな格好しなきゃならないんだ?」
机に肘を立て、頬杖をつきながら憮然とする。
出雲学園のチアリーダー姿で。
足は大股開き。
アンスコも履いてるらしいが恥じらいもへったくれもない。
「くっくっく。アキラ、よーく似合ってるわよ。とてもかわいいわ」
笑いを押し殺しながら心にもない世辞。
完全に龍舞さんで遊んでやがる。
「Je vais te tuer 《殺す……》」
色白な顔が真っ赤に染まる。
怒気ではなく羞恥なのは明らか。
龍舞さんでもこんな表情するんだ。
口にしたのは間違いなく「死ね」とか「殺す」だろう。
慌てたようにフォローに入る。
「ほ、ほ、ほ、本当に可愛いって。背高くて足長くてすらりとしてて、おまけに美人で……で、で、で、出るとこ出てて」
「Je ne suis pas aussi petite et jolie que toi de toute facon.《どうせアタシはキサマみたいに小さくなければ可愛くもないよ」
何を言ってるかわからない。
さしづめ「嫌味か?」ってところだろうけど。
背高くて足長くてすらりとした美人に「かわいい」はない。
かわいく見えるときはあるだろうけど、普通は「きれい」だ。
「あははははは!」
芽生は腹を抱えて笑い転げている。
お前は悪魔か。
二葉が机をバンと叩く。
「芽生、いい加減にしな! で、二人とも。事情聞かせてくれる?」
龍舞さんがぼそり呟く。
「鈴木と佐藤にやられた」
今度は芽生が机を叩いた。
「なんですって! ……って、ちょっと待って。一樹君はともかく、アキラが二人にやられちゃったの?」
二葉もこくこく頷く。
そりゃ信じられないよな。
「一樹が二人に絡まれてさ。やり返そうとしたんで加勢しようとしたら、NASA特製のトリモチを椅子に仕掛けられてた。気づかないで転んだところを蹴られまくった」
親指で、背後に置いてある椅子を指さす。
「「信じられない……」」
二葉と芽生が声を揃えた。
犬猿の仲の二人がぴったり息合うとは。
だけど、それだけ当然の話でもある。
龍舞さんだって女の子。
二人がかりで蹴りまくる男なんて、まずいない。
「おかげでこのざま。脱出して反撃に転じれば、数尾先生現れて体張って庇うし」
「「数尾先生があ?」」
再び二人が声を揃えた。
ついでに二人とも目を丸くした。
「……一樹、やれ」
まあ、龍舞さんは真似したくないだろうな。
両手を広げる。
「本当だぞ。倒れ込んだ佐藤を護るように『私の愛する生徒に手を出すことはなりません! 代わりに私を殴りなさい!』って」
「「数尾先生があああああ?」」
再び二人が声を揃えた。
さらに二人とも目を丸くした。
芽生がどこへともあらぬ感じで宙を見る。
「二人が文部省の子息って勘違いしてるわけじゃないわよねえ」
二葉の目線もどこか明後日。
「どこをどう引っ繰り返したら数尾先生の口からそんな聖人じみた台詞が出るの?」
龍舞さんが続ける。
「そこにチャコが現れてアタシを止めて、流れちまったってわけ」
「チャコがあああああああ――って、あれ? 芽生?」
叫んだのは二葉だけだった。
ここまでリアクションが揃っていたのに意外だったか。
睫毛を跳ね上がらせながら芽生に目を向ける。
「……まずいわ。チャコさん、大丈夫かしら」
そっちの心配か。
「何よ、芽生。なんか妙にチャコと親しげじゃない?」
「ん、まあね……」
「へ?」
二葉が再び目をぱちくりさせる。
本当は「外部生の芽生が内部生のチャコと?」という皮肉のつもりだったのだろう。
きっと芽生の方も皮肉で返してくるという読みで。
ところが真正面からの、それも溜息交じりの返事。
本気で心配してるのが明らかだものな。
「あ……えーと……その……」
しどろもどろになった。
本気でチャコの身を案ずる芽生をからかおうとした自分が恥ずかしくて、どうやら身の置き所をなくしたっぽい。
助け船を出そう。
「大丈夫だと思うぞ。チャコが二人のおしっこの後始末をしたくらいだし。そんな相手に普通は恥ずかしくてちょっかいかけられないだろ」
「おしっこ!?」
今度は芽生だけが叫んだ。
二葉は妙にどんより。
もはやおしっこが地雷ワードと化してきてる。
「龍舞さんが怖くて漏らしたんだよ。で、数尾先生が拭いとけって」
「嘲笑うどころか、想像すらしたくないシーンね……」
「まったくだ」
俺達は目の前で見せられたわけだが。
芽生が席を立ち、龍舞さんの後ろにある椅子の前で屈み込む。
「上着もスカートもひどいわね……それにしてもスカートはどうやって引き裂いたの? 刃物の切り口っぽく見えるけど」
龍舞さんがぼそっと答えた。
「ナイフ」
芽生の眉がぴくんと跳ねた。
「ナイフって、アキラが持ってたの?」
「あー、うん」
誤魔化してくれた。
妹の前で兄が刃物持ち出したって話になると常識的にはまずいしな。
二葉は俺がナイフ持ち歩いてる事情知ってるから、後でどうとでも誤魔化せるけど。
やっぱ龍舞さんって気を使ってくれる人なんだ。
とんでもなくわかりづらいけど。
「ふーん……」
芽生が棚から救急箱を取り出した。
ハンカチに消毒液を含ませる。
「一樹君、痛そう……大丈夫?」
憂いげに目を潤ませながら顔を拭いてきた。
香水の甘い香りがふわり鼻をつく。
「……汚れるからいい」
恥ずかしいじゃないか。
芽生がくすりと笑う。
「わたしの主様ですもの、当然の務めよ。同級生の手の届かない存在なヒロインにこうして顔を拭いてもらえるのは、男子として嬉しいものじゃないの?」
まったくその通りなんだけど。
以前に二葉にボコにされたときと違って演技じゃないから尚更なんだけど。
……って!
「顔! 顔近い!」
いつの間にか吐息を感じる距離まで顔を近づけていた。
しかし芽生は委細構わず。
「ねえ一樹君?」
「はい?」
「あなたは主、わたしは騎士。主君として臣下に言葉違えることはないよね?」
どういうこと?
「う、うん」
としか答えようがない。
――芽生がにこりと満面の笑顔を浮かべた。
「一樹君。二人をナイフで刺そうとしたのは、なんでかな?」
なにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!
どうしてそんなことを聞く!
しかも龍舞さんがごまかしたばかりなのに!




