158 1994/12/05 Mon 2-B教室:私の愛する生徒に手を出すことはなりません!
「はあ?」
バタフライナイフだから一旦ポケットから出さないと。
殴り飛ばした隙に刃を出してそのまま突き立ててやる。
「うおお――っが!」
教室中にけたたましく鳴り渡る机の倒れる音。
痛っ……ポケットから手を出した瞬間、すぐさま二人に殴り返された。
鈴木と佐藤がへらへら笑いながら、倒れた俺を見下ろしてくる。
「カズキンのくせに。でも他人殴るときは黙って不意打ちしないと」
「格好つけて前口上なんて垂れてるからだ。これがカズキンの答えってわけだな」
ちきしょう、なんて鈍い体なんだ。
もう一度……!
握っていたはずのナイフがない。
殴られた勢いで落としてしまったのか――。
「ぶほっ!」
は、腹を踏んづけてきやがった。
「先に襲ってきたのはカズキンだ。正当防衛ってやつだな」
龍舞さんの重いドスの利いた声が聞こえた。
「ダチに何しやがる――なっ!」
――再びけたたましく机の倒れる音が教室に鳴り響く。
なんだ!?
今度は龍舞さんが倒れていた。
二人が俺から離れる――龍舞さんの頭を踏みつけた!?
ガンガン繰り返し踏みつけている。
「どうよ、佐藤が法務省経由で手に入れてくれたNASA開発のトリモチは。FBIで使われている、ぱっと見ただけじゃ全くわからず座ってしばらくして固まる代物よ」
なんだそれ!
「時間稼ぎにカズキン挑発してたのを見事に引っ掛かってくれやがった。単純なてめえの行動なんて丸わかり。今まで偉そうにしてくれた礼をたっぷり返してやるぜ!」
こいつら、今日は龍舞さんもターゲットだったのか。
俺を挑発すれば助けに出るとふんで、さらにその先を読んでやがった。
「止めろ! ――ぐほっ」
鈴木の肘が胸に!
佐藤の蹴りが腹に!
再び床に!
「おらおらおらおら!」
頭に! 腹に!
二人の足が!
「自分より弱いヤツと逆らえないヤツをボコるって最高!」
「俺達は華小路君にも金之助にも遥かに劣るミジンコだけどよ、てめえらはそのミジンコ以下なんだよ! 今日はとことん身の程を思い知らせてやるぜ!」
歪んでる。
どこまでも歪んでやがる。
反撃したいが二人がかりで絶え間なく踏み続けられると。
「おらおらおらお――らばっ!?」
奇声とともに鈴木が吹き飛んでいた。
そして鈴木のいた場所に……拳を振り切った龍舞さんが立っていた。
ブラウスだけの白いパンツ姿。
何が起こった!?
顔には二人に踏みつけられたアザ、口からは血を流している。
殺気を宿らせた目。
怒りあらわの形相で、ゆらりと佐藤の頭へ手を伸ばす。
「な、なんだよ」
佐藤が上半身をのけぞらせる。
どうして逃げないのか。
いや逃げられないのだ、龍舞さんの恐怖に飲まれてしまって。
龍舞さんが静かに口を開いた。
「Prier Dieu《神に祈れ》」
佐藤の頭を鷲掴みにする。
一転して俊敏な動作、力任せに後頭部を壁に叩きつけた!
「がああああああ!」
また!
また!
大きく腕を引き、床へ叩きつけた。
翻り、倒れた鈴木の顔面を掴む。
無理矢理立たせて窓を開けた。
鈴木の上体を窓の外へ突き出していく。
「Mourir《死ね》……」
「ひゃ、ひゃめて」
止めないと!
鈴木には死んでほしいが龍舞さんに人殺しさせるわけにはいかない!
「龍舞さん! 何をしてるの!」
数尾先生!?
倒れてる佐藤の元へ駆け寄り、しゃがみこむ。
「佐藤君、大丈夫?」
声を掛けると、しゃがんだまま翻った。
佐藤を庇うように龍舞さんに向けて両手を広げる。
「私の愛する生徒に手を出すことはなりません! 代わりに私を殴りなさい!」
二人に対して背を向けた態勢の龍舞さんが顔だけを向ける。
「はあ?」
「何があったかは知りません! ですが暴力はいけません! 私でいいのなら佐藤君と鈴木君の代わりに、あなたの好きになさい!」
数尾先生とも思えない気迫。
殴った瞬間に退学というつもりか?
いや、そんな打算なんて微塵も感じさせないほど強い目で龍舞さんを睨み付けている。
「じゃあ、鈴木落とした後でな」
「龍舞さんダメっ!」
チャコ!
龍舞さんの腰に飛びつきしがみついた。
「放せ」
「放さない! 龍舞さんが殺人犯になっちゃう!」
「構わない」
「私が構う! 龍舞さんっておはぎ作った子の気持ちわかるくらい優しい人じゃない! こんなカス達相手に手を汚しちゃダメ! 同じレベルになっちゃダメ!」
わんわん泣き始めた。
龍舞さんが困惑の表情を見せると、わずかにふっと口角を上げた。
腕を引き戻し、鈴木を床へ叩きつける。
「しらけた」
数尾先生が鈴木に駆け寄る。
「鈴木君、大丈夫? 二人とも保健室へ連れていきますからね。私の肩に捕まって――白犬さん、悪いんですけど、モップで床を拭いておいてください」
窓の下と佐藤が倒れていた場所には水たまりができていた。
二人とも恐怖で失禁したらしい。
上着を脱いで龍舞さんに差し出す。
「これで下隠して」
「Merci」
龍舞さんが上着を腰に巻き付ける。
不謹慎だけど、学生服の裾からまっすぐ伸びる脚がなんて綺麗。
チャコがロッカーからモップを取り出しながら声を掛けてくる。
「二人とも何があったの? 教室戻ってきたら騒ぎになってて、訳わからないまま飛び込んじゃったんだけど」
「ん……まあ……ただ、とにかく助かったよ。ありがとう」
龍舞さんがチャコに頭を下げた。
「迷惑かけてごめん。すまなかった」
チャコが目をぱちくりさせる。
「どういたしまして? というか止めただけだし」
「どうして止めた? アタシが怖くないのか?」
「ん……怖いのは怖いけど、さっきは見た瞬間『本当に殺しちゃう!』って思ったし。芽生から色々聞いたってのもあるけど、案外見た目と違う人なのかなって」
「Ma personnalite est la meme que mon apparence.《私は見た目通りさ》」
フランス語で呟いてから机を立て直す。
なんとなくだけど何を呟いたかはわかる。
チャコもそうなのだろう、くすっと笑ってモップを洗いに行った。
続けて、椅子……うわっ!
座面に引き裂かれたスカート。
背に上着。
トリモチで脱げなかったから引き裂いて強引に脱出した。
だから下半身すっぽんぽんだったんだ。
龍舞さんが椅子の近くに落ちていたバタフライナイフを拾い上げる。
手慣れたようにくるっと回して刃を引っ込め、手渡してきた。
「素人がこんな物騒な物を持ち出すな。今回は助かったけどな」
そうか。
落としたナイフは龍舞さんの近くに転がっていたんだ。
気づいた龍舞さんは、二人が俺を踏みつける隙にナイフ使って脱出したんだ。
奴ら刺すことはできなかったけど、最終的には予想外の形で役に立った。
龍舞さんが椅子の背を掴み、廊下へ向かう。
「どこへ行くんだ?」
「A組。上着とスカート、芽生になんとかしてもらう」
なんとかってなんとかなるのか?
「わかった、俺も行く」




