157 1994/12/05 Mon 2-B教室:死ぬのはてめえらの方だ!
なんのことだ?
俺が二人と何か約束した記憶なんてない。
それ以前にするわけがない。
だとしたら一樹?
そんなわけがない。
イジメられる以上の接点なんてあるはずがない。
今の状況なら力尽くで振り解いて逃げることもできるだろう。
しかしそれ以上に「約束」が気に掛かる。
引き出してみよう。
とぼけた振りで問い直してみる。
「ブツ?」
「しらばくれる気か?」
「まだお前は俺達の怖さがわかってないようだな」
この露骨な脅迫じみた言動はなんだ?
モブ二人のくせに。
なんか、とんでもない重みを感じる。
「何をしてくれるというんだ?」
「おいおい、そんな大きな声で話しちゃっていいの?」
は?
鈴木が声を潜めてくる。
「美子が『二葉』食ったビデオでわかってるだろ?」
はあ!?
叫びかけたのを、歯を食い縛って耐える。
ビデオってどういうことだ?
もちろんビデオは例のアレを指しているのはわかる。
体育倉庫で大場を助けるため二葉と名付けられた犬を食べさせられた、さらにはレイカの通っていた高校でばらまかれたビデオのことだ。
つまり……一樹はレイカの一件を知っていた?
でも、なぜ一樹に?
二人はレイカに一樹が撮ったんじゃないかととぼけていた。
まさか本当にそうなんじゃあるまいな。
今度は佐藤が囁いてきた。
「美穂――美子の母親のビデオまで見せてやったじゃねえか」
はあああああああああああああ!?
さっきよりもさらに奥歯に力を込めて耐える。
美子の母親ぁ?
「母親のビデオまで」。
この言い方からすれば、一樹は二人に荷担していない。
レイカのビデオを見せて、さらに母親のビデオを見せたという意味だから。
というか、レイカだけじゃない。
母親のビデオまで撮ってやがるのか。
どんな内容が映ってたのかわからないが、どこまでクズなんだ。
でもなぜ?
どうして?
――!
背筋から脳天を突き立てるような寒気が走った。
もしかして。
いや、でもまさか。
この先を聞いてはいけない気がする。
聞いたら、もうきっと引き返せない。
だけど俺は聞かなくてはならない。
「二葉の部屋の盗撮写真はまだかって言ってるんだよ」
何っ!
「着替えの姿はおろか、上も下も全部脱いじゃってるやつをよ」
「『金ちゃぁ~ん!』と一人遊びでがっつきながらヨダレだらだらなんてのあれば最高なんだけどよ」
あれは……。
一樹の机の引き出しに入ってた二葉の盗撮画像は……。
この二人がやらせたのか。
一樹は妹想い、そして二葉が大好き。
このことはもう十分にわかっている。
だからこそ盗撮写真には違和感を覚えずにいられなかった。
数々の常軌を逸した行動を目の当たりにしてきただけに、一樹なら何をしてても不思議じゃないのはある。
だけどそれでもなお、「どうして?」と思わざるをえない代物だった。
ううん、それだけじゃない。
一樹の撮る写真には魂がこもっている。
パンツであろうとなかろうと。
パンツ写真ですら被写体の芽生が「心揺さぶられる」と言ってしまったくらい。
それほどの高みにある一樹だ。
二葉の部屋の盗撮みたいな「ただの写真」を撮るわけがない。
しかし今、腑に落ちた。
こいつらにやらされた。
一樹が望んで撮ったわけじゃなかった。
でも……どうして一樹は撮ったんだ?
そんなの断ればいいじゃないか。
いや違う。
何かきっと断れない理由があるんだ。
「K県って遠いけどよ。別に行けない距離じゃないんだよなあ。弁護士かなんだか知らないけどよ。偉そうにしゃしゃり出てきやがって」
なんだと?
「でも千種っていったっけか? そういう女を肉奴隷にしたら、それはそれで最高だろうなあ。しかもあの忌々しい二葉の母親ときたものだ」
な……ん……だ……と?
わかった。
一樹がこいつらの言いなりになった理由が。
一樹がこいつらに屈した理由が。
俺達の母親――千種さんをネタに脅迫したんだ。
だけどわからない。
そんなの断ればいいだけだ。
……違う、逆だ。
断れなかったんだ。
従わなくてはいけなかった、それだけの理由があるんだ。
母親を本当に肉奴隷にされてしまうと現実に考えたんだ。
少なくともそう考えるだけの事情は存在するんだ。
バカな?
いや、そんなことはない。
この二人はどこまでもありえないことをやり続けているじゃないか。
でもどうやって一樹にそこまで信じ込ませる?
言葉だけじゃ、そんな戯言なんて信じるわけがない。
俺だったら。
もし敵国のスパイを脅すなら。
信じ込ませるために使う道具は音声、写真、ビデオ……。
そうか、もしかしたら。
二人が見せたレイカの母親のビデオに答えがあるのかもしれない。
何が映っていたのかは想像つかない……いや、実は見当がついている。
ビデオじゃなくレイカの話の中からだが。
しかしそこまでやってるとすれば。
この二人はどこまで鬼畜だ。
――ぶっ!
顔面に霧を吹き付けられた。
とんでもなく臭くて吐きそう。
まさか、細菌兵器?
「我が愛する妹の黄金水の味はどうよ?」
なにい!
「顔面で味わえるって幸せだろ? 報酬の前渡しってやつよ」
あ、あ、あれもこいつらの仕業だったのか。
トイレの鍵が壊れていて二葉と一樹が鉢合わせになったときの話。
二葉は「あたしは『出て行け』と叫んだ。『変態』とも罵った。だけど一樹は無言でずっとそのままだった」と言っていた。
俺は思わず「こわっ!」と叫んだが。
一樹はそれくらいに追い詰められてしまっていたんだ。
そして「用を足し終えるや、ダッシュで逃げ出したよ」。
恐怖に怯えた二葉は、きっと流しすらしなかった。
その時の黄金水を採取したのだ。
ただ、そういえば。
引き出しの中にあったアトマイザー。
あの中身も恐らく二葉の黄金水なのだ。
ううん、「も」ではない。
そんなもの一樹が自分のために保存するとは思えない。
きっと本物を渡す必要がないことに気がついて、二人には代わりに自分の黄金水を入れて渡したのだ。
なんで引き出しに入れていたのかはわからない。
迂闊にゴミ出しするとバレかねないので、捨てそびれてそのままになった。
おおむねそんなところだろう。
もしかして。
いま、多くの謎が繋がろうとしている。
確認すべく、口を開く。
「約束っていつまでだったっけな」
「先月の26日。お前、学校来なかったけどよ」
やはりか。
俺がどうして上級生の世界に来てしまったのかはわからない。
しかし一樹の中に入ってしまった理由はわかった。
一樹があの時間に公園にいたのは単に学校をさぼっていたわけじゃなかった。
きっと決心を固めていたんだ。
――鈴木と佐藤を殺すための。
だからバタフライナイフなんて一樹に似合わないものがポケットに入ってたんだ。
決心がつかなくて体を置いて魂だけ逃げ出してしまったのか。
いや違う。
ありうるとは思うけど、「見えざる手」の仕業と考える方が自然だ。
最大のバイプレイヤー一樹が殺人を犯してしまえばゲームの進行に支障をきたす。
きたすどころじゃない。
二葉と麦ちゃんについてはバッドエンドまで用意されているのだからゲームそのものが進行しなくなってしまう。
とりあえず殺人を回避するため、ひいてはゲームを開始させるため。
宙を彷徨っていた俺の魂と一樹の魂を入れ替えたんだ。
「見えざる手」にはそれだけのことができるのも実証済だし。
なんてことだ……。
「カズキン、何を黙ってるんだよ」
「愛する妹の黄金水ぶっかけられて絶頂達したか?」
一樹。
お前の気持ちはわかったよ。
辛かったろうな。
苦しかったろうな。
お前のことだから、誰にも相談できなかったんだろうな。
こいつら、この世に生きていてはいけない。
二葉も、芽生も、龍舞さんもそう口にした。
俺はそれでも止めた。
だけど今、心は決まった。
二葉、約束守れなくてごめん。
でも二人をなんとかしない限り、一樹の魂は……。
きっとこの世界に戻ることができない。
確信持って言い切れる。
「あーあ、ションベンくせえ」
「バイキン野郎、死ねや!」
一樹、お前のやりたかったことは俺が引き受けてやる。
ポケットにずっと忍ばせてきた、今こそ必要になったもの。
バタフライナイフを握る。
「鈴木……佐藤……」
「ん?」
「何よ?」
「死ぬのはてめえらの方だ!」




