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154 1994/12/05 Mon 出雲学園校舎前:初めから?

 登校する生徒がわらわらと流れ込む出雲学園高等部校舎前。

 その波に乗りかけたところで、足を止めた。

 傍らの二葉も立ち止まる。


「アニキ、どうしたの?」


「用事思い出した。部室行くから先に行ってて」


 土曜日に撮影した茶華道部の写真を、現像したまま部室に置きっ放しだった。

 昼休憩でもいいのだが、早く渡した方がチャコも喜ぶだろう。


※※※


 階段を上がり、写真部のフロアへ――って。

 部室の前に誰かいる。


「芽生!」


 扉へ気怠そうに寄りかかっていた芽生が静かに視線を寄越す。


「鍵を開けて」


 「おはよう」もなく、なんて言い草。

 カードキーを通して暗証番号を入力。

 カチャリと音がするや芽生がドアを開け、つかつかと中に入っていく。

 パイプ椅子の背をとり腰をしずしずと下ろした。


 なんなんだよ……まあいい。

 スーパー一樹の発動した写真を選り分ける。

 芽生の撮った写真を合わせてカバンへ。

 用事はこれで終わりと。


「じゃあ芽生、出る時は忘れずにカード抜いといて」


 オートロックなので部員がいる間はダミーカードをさしてロックを解除する。

 誰もいなくなる時はダミーカードを外してロックする。

 基本的にはホテルのシステムと同じだ。

 もっとも芽生もチア部の副部長。

 チア部部室のカードキーを持ってるはずだし、言わなくても使い方わかるだろうけど。


 ドアを開けて外に出ようとすると、背後から芽生が呼び止めてきた。


「一樹君!」


 振り返る。

 芽生が険しげな目で重々しそうに口を開く。


「普通は『どうしたの』とか聞かない?」


「よ――」


 用事があれば自分から言えよ。

 飛び出しかけた言葉をとっさに飲み込み、口をつぐむ。

 なんて刺々しい。


 土曜日から当てつけがましい態度取り続けてきたのは芽生。

 正直言って「面倒くさい」というワードまで頭にもたげかかったのが本音だ。

 しかしながら相手は子供。

 中身大人の俺まで同じ次元になってはいけまい。


「どうしたの?」


「あなたって――」


 芽生の台詞が途中で止まった。

 同時に机へ置かれた拳がぷるぷる震えている。

 向こうは向こうでなにか飲み込んだらしい。


「失敬、弟の写真を現像したいの。土曜日に教えてもらった通り、自分でやってみるつもりなんだけど……見ててもらえるかしら」


「ああ、いいよ」


 さすがにそれが本題とは思わないが、部長としても一樹としても断れない。

 形だけの部員じゃなく本当に写真に興味持ってもらえれば俺としても嬉しいし。


 朝のホームルームはさぼろう。

 別に出る必要はない。

 ただチャコに写真渡すのが少し遅れるだけだ。


 ――暗室。


 セーフライト――現像用の作業灯を点け、室内の照明を落とす。

 室内が真っ赤に染まる。

 暗室といっても、薄暗がりではあるが真っ暗な中で作業するわけではない。

 芽生の姿も赤くぼんやり照らし出されている。

 なんてことのない只の暗室。

 それなのに、芽生一人いるだけでどこか非日常で幻想的な空間に思える。


 芽生が手荒れ防止用のゴム手袋をはめる。

 作業開始――と思いきや、芽生の手が作業デスクの上で止まった。

 軽く拳を作り、顔をうつむける。


「どうした? 始めないの?」


 芽生は黙りこくったまま。

 表情がよく見えないので心中が読みづらい……。


 もしかすると初めて自分で現像するので緊張しているのかな?

 何事につけ、初心者だと作業を始めるには踏ん切りが必要なもの。

 だったら急かすのはまずい。

 こちらも口を閉じて芽生が動き始めるのを待とう。




 ――芽生の拳が強く握られた。


「一樹君……ごめんなさい……」


 はあ?

 芽生の言葉が続く。


「無理言っちゃって……しかもあてつける真似しちゃって……」


 はあ。

 別にそこまで気にしちゃいないけど。

 面倒臭いと思ってただけで。


 しかし芽生の言葉はさらに続いた。


「アイさんと店長さん見てたら……ついカッとしちゃって……一樹君はあなた達のモノじゃないってムキになっちゃって……意地になっちゃって……」


 はあ……。

 声が涙まじりになってきた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


「もういいよ。初めから気にしてない」


 気にしてたけど。

 所詮は子供が子供の振るまいしただけ。

 この先待ち構えるフラグ回避に比べればどうでもいいレベルの話だ。


 ――芽生の下がった肩がピクリと動く。


「初めから?」


 ドンと沈むような重いトーン。

 涙声のままながら怒気が混じったように聞こえる。

 俺、何か地雷踏んだ?


 しかし、またトーンが落ちた。


「じゃあ許してくれる?」


「許すも許さないも気にしてないってば」


「だったら私のお願い聞いてくれる?」


「鈴木と佐藤をなんとかしろというお願い以外なら聞いてやる」


「……ちっ」


 ちっ!?

 芽生がすたすたと横を通り過ぎていく。


「あーあ、一世一代の大芝居打ったつもりだったのに引っ掛からなかったわね」


「おまっ! って、現像は!」


「黙って席を立つんだから察しなさいよ。戻ったら始めるから、そのままにしておいて。まだドアを開けても大丈夫よね?」


「ああ……」


 外の光が入ってくる。


「わたしの主を務める身なら少しはデリカシーを覚えなさい」


 茶化すような物言いととも、芽生が逆光の中へ溶けていった。

 単に出て行っただけなんだけど、詩的に思わせてしまうのもまたヒロイン力か。


 今のはいったい何だったのかと思うが……。

 ただ、最後の「わたしの主を務める身なら」。

 遠回しに「仲直りしましょう」と言ってくれたのはわかる。

 「わたし達は主と騎士なんだからね」ということだ。

 きっと気まずくならないように伝えるため、気を使ってくれたのだろう。


 なんのかんのと思慮深い我が騎士。

 だったら俺の側も深く考えず、戻ってきたら何もなかったことにしてしまおう。

 芽生もそう望んでいるはずだから。


 ※※※


 戻ってきた芽生が作業を始める。

 慣れない手つきながらもゆっくり進めていく。


 傍らのメモには細かくびっしり書かれている。

 形だけの入部のはずが、一旦やると決めたら真面目に取り組む性格がよくわかる。

 先日の茶道部撮影で少しは面白さを知ったのもあるだろうけど。

 さすがは王道ヒロインと思わされる。


 ――って!


「この写真はなんだ!」


「一樹君が一時間にわたって撮り続けたわたしのパンツ」


「見ればわかる! 処分したんじゃなかったのかよ!」


「そのつもりだったのだけど……一樹君最後のパンツ写真じゃない? あれだけの素晴らしい写真を撮る人だから、パンツだとどのくらいすごいのか見てみたくなっちゃって」


「見なくていい!」


 芽生の口角がにぃっと上がった。


「面白いわね。まさか稀代の盗撮魔が自らの盗撮写真見られて狼狽えるなんて」


「俺はもう盗撮魔じゃない!」


「信じるわ。だから恥ずかしがってるんですものね」


 ちくしょう。

 この羞恥プレイは何なんだ。

 ある意味仲直りした証明なのかもだけど。

 言葉にトゲがなくなっただけで先程までと変わってない気がしなくもない。


※※※


 一段落ついたので、乾くまで部室に戻って一息。


「どうぞ、敬愛する我が主さま」


 芽生が跪きながら「BBレモン」をうやうやしく差し出してくる。

 今年発売されたばかりのビタミンCたっぷりな強炭酸ドリンク。

 さっき席を外したときに買ってきてくれたらしい。


「ありがとう。でも二人の時にまで騎士の真似事は結構だから」


「あら、一樹君ってこういうノリが好きと思ってたからサービスのつもりなんだけど?」


「むしろ普通に渡してもらった方が嬉しい」


 芽生が怪訝そうに首を傾ける。


「どうして?」


「同級生の手の届かない存在なヒロインからジュース受け取るなんて、どこかのマンガにありそうなシーンじゃないか」


「ぷっ」


 口を抑えながら噴き出した。

 さらにくすくす笑い続ける。


「何がおかしい!」


「ううん、一樹君って天然なのかなって」


「俺は天然なんかじゃない!」


 芽生まで俺を天然呼ばわりするのか!


「はいはい、わかったわ……どうぞ」


 芽生が立ち上がり、腕を真っ直ぐ伸ばしながら両手で渡し直してくる。

 にこやかに、わずかに首を傾けて。

 見事なまでのあざとさぶりは、まさにマンガから抜け出てきたかのよう。

 いや、ゲームヒロインだからまったくそのままなんだけど。


 まあ本音で至福なシチュエーションじゃある。

 芽生みたいな至高のヒロインが俺のためにこっそりジュース買ってきてくれていて、当たり前のように渡してくれるなんて。

 ああ、こんな高校生活送りたかったなあ……。


「どうしたの? 遠い目しちゃって」


 はっ! いけない、いけない。


「何でもない、ありがとう」


 受け取ると、芽生もパイプ椅子へ腰を下ろす。

 BBレモンのプルトップを引き抜き口をつけると、静かに机へ置いた。


「改まって確認するのも野暮だけど……わたしは一樹君の騎士を続けてもいい、そして一樹君もあいつらの敵のままでいてくれるのは間違いない、ということでいいのね?」


「うん」


 敵でいてくれる以前に、俺が鈴木佐藤コンビと和解するなんて絶対ありえないぞ。

 芽生もそこは理解した上で心情的な面を確認しているのだと思うけど。


 問われるまでもなく、俺だって気持ちは芽生と同じだ。

 ただ俺が何より優先すべきはフラグ回避。

 やつらをどうこうする力も時間もないだけの話で。


「一樹君は何もしなくていい。でもわたしが何か策を練る分には相談にも乗ってくれるし手伝ってくれるということでいいのね?」


 なんか増えた。

 だけど言質をとるための引っかけというわけではなさそう。

 言葉通りに受け取れば、それくらいなら元々想定範囲内だ。


「もちろん、喜んで」


「あー、よかった……」


 胸に手を当て、天を仰ぐ。


「そんな安堵するようなことか?」


「一樹君にどうしても聞きたいことがあったから。わたしじゃ想像すらできなくて」


「は?」


 芽生の顔が真っ赤になる。

 もじもじしながら、絞り出すように声を発した。


「あ、あ、あのね……男の子って性欲たまったら男の子同士でもいいのかなって……」


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