149 1994/12/04 Sun 双玉神社:虹野は『俺のヒロイン』って言ったんだ!
神社の中は静まりかえっていた。
暖房もついてないせいで、さらに寒々しく感じる。
繁華街から道一本入っただけというのに、まるで異世界へ飛ばされた気分がする。
ただ部屋は冷え切っているはずなのだが、そこまで寒くは感じない。
普通に防寒装備してるのもあるが、これだけ分厚い皮下脂肪ついてればな。
「どうぞにゃん」
虹野がお茶を差し出してきた。
とりあえず口をつける。
「は~、温まる」
二葉が一気に飲み干す。
幸せそうな表情を見ると、よほど体が冷え切っていたのだろう。
湯飲みを置いて虹野に問う。
「普通、客人を招くのは社務所じゃないのか?」
社務所は神社の事務所にあたる。
「社務所はいつ誰が来るかわからないにゃん。誰にも聞かれたくない話のはずにゃん」
嫌な台詞吐きやがる。
「せめて暖房をつけてくれないか? 拝殿には床暖房があるだろう」
拝殿は、参拝者が拝礼をする場所のこと。
御神体が祀られている本殿の前にある。
「『拝殿』って言葉、よく知ってるにゃん?」
「まあちょっとな」
「それも『上級生』というゲームで覚えたにゃん?」
「ぶっ!」
ついにド直球ついてきやがった!
二葉が顔をこわばらせ、目を点にしながらこちらへ視線をよこす。
言いたいところは間違いなく「アニキ、どうしよう」だ。
虹野がずずっとお茶をすする。
「先ず、質問に答えるにゃん。電気代もったいないにゃん。分厚い皮下脂肪ついてるんだから我慢しろにゃん」
「俺じゃねえよ! 二葉が寒がってるんだよ!」
湯飲みを口から離し、にぃっと笑みと浮かべる。
「それは失礼したにゃん。胸に脂肪のない二葉先輩には寒さ堪えるかもにゃん」
二葉の顔に血の気が戻った。
「あんた、やっぱりケンカ売って――あれ?」
虹野に掴みかかろうとしてそのまま床に倒れ込んでしまった。
「二葉! どうした!」
「か、体が……しびれて……」
「何!? えっ……」
俺も体中がしびれてきた。
ぞわぞわと骨の上を蟻が這い、筋肉を噛みきられるような感覚。
やばい、力が入らない。
虹野が立ち上がり、俺達を見おろしてきた。
「くっくっく。床へ這いつくばって実に無様にゃん」
「何しやがった!」
「しびれ薬を飲ませたにゃん」
「しびれ薬!?」
「いにしえより伝わる双玉神社特製にゃん。あっという間に効くにゃん」
「てめえ……」
「暖房入れなかったのも温かいお茶を飲んでもらうためにゃん。他人から差し出されたものを疑わずに飲むなんて、それでも内閣情報調査室のスパイかにゃん?」
「誰がこの状況で一服盛られるなんて想像するか!」
「くっくっく……負け惜しみはそこまでにゃん」
虹野が屈み込み、うつぶせな俺の腹へ両手を差し入れてきた。
「うっ、重いにゃん……どうやったらこんなデブになれるのかにゃん」
「うるさい!」
無理矢理仰向けにされてしまう。
視界に広がるのは神社ならではの高い高い天井。
「にゃにゃああ~にゃ~にゃにゃ~♪」
この世界に来た初日、テレビで流れていた異世界転移魔法少女アニメの鼻歌だ。
――って!
「何しやがる!」
「見た通りにゃん。一樹先輩のズボン下ろしてるにゃん」
「何のために!」
「もちろん儀式を遂げるためにゃん」
儀式!?
「いやあああああああああああ!」
二葉が絶叫する。
「くっくっく。兄の痴態見るのがそんなに嬉しいかにゃん!」
「誰が! あんた、頭おかしいんじゃない!」
虹野のトーンが下がった。
「虹野はみんなからそう言われ続けてきたにゃん……『独りが好き』って強がってきたけど、ずっとずっと寂しかったにゃん……」
「虹野さん……ぶっ!」
騙されるな!と叫ぼうとしたが遅かった。
二葉の頭の上には虹野の足が乗っていた。
「二葉先輩みたいな学園の人気者に虹野の気持ちはわからないにゃん」
「あ、あんたねえ……」
これこそ虹野の人気あった真の理由。
虹野は元の世界の言葉でいう「ぼっち」。
そしてプレイヤーもまた、決して少なくない数が「ぼっち」。
それゆえ虹野の抱くコンプレックスに共感したのだ。
「ずっとずっと異世界に行ってヒロインになるのが夢だったにゃん。だけど虹野は現世で本物のヒロインになるにゃん。一樹先輩の未来は虹野が作るにゃん」
「虹野さん、わかった! わかったからせめてあたしの前では止めて!」
「くっくっく。神様だけじゃなく二葉先輩にまで虹野の晴れ姿見てもらえるなんて。まるで盆と正月が一緒に来たみたいにゃん」
「この子、本気で頭おかしい……」
二葉が絶句する。
でも仕方ない。
虹野の属性は「露出狂ヒロイン」だから。
ゲーム内では金之助が「ほら、虹野の穢れる姿を神様が見つめてるよ」と言葉責めして目覚めさせるのだが。
どうやら責められるまでもなく元からそうだったらしい。
虹野が腰の上にまたがる。
「一樹先輩、覚悟はいいかにゃん?」
「確かスパッツはいてるんだったよな? 巫女服脱がないと儀式は無理だろ」
「お茶入れる時に社務所で脱いできたにゃん。もちろんパンツもにゃん」
虹野の腰が浮いた。
「さあ行くにゃん!」
「アニキいいいいいいいいいいいい!」
やばい!
なんとかしろ、俺!
「ま、待て! お願いがある!」
おりていく腰がピタリと止まった。
「どんなに頼まれても儀式は止めないにゃん」
「儀式は受け容れる! せめて俺の夢を叶えさせてくれ!」
「夢にゃん?」
「虹野の! はちきれんばかりの! 大きな! たわわな胸を! この手で触りたい! 揉んで揉んで揉みほぐしたい!」
「な、何言ってるにゃん!?」
「俺は虹野の胸を感じながら果てたいんだ」
「まるで虹野が胸しか取り柄ないみたいな言い草にゃん」
「そうじゃない! 俺は虹野に一目惚れしたんだ!」
虹野の呼吸が止まった。
「一樹先輩……いま、何て言ったにゃん?」
「虹野は『俺のヒロイン』って言ったんだ! どうか俺の彼女になってくれ! 俺とつきあってくれ! 俺に虹野を護らせてくれ!」
虹野の両手がだらりと垂れ下がった。
「一樹……ううん、雨木さんはヘタレなんかじゃないにゃん……そんなこと言ってもらったの生まれて初めてにゃん……ありがとうにゃん……」
色白な顔が朱色に染まる。
眠たげな眼から、ほろりと涙が零れていく。
「ちゃんとした返事は儀式の後でさせてほしいにゃん……でも……」
おずおずと俺の手をとり、自らの胸へ距離を縮めていく。
「これで……いいかにゃん……?」
一樹の肉体よ、許せ!
――!
「はあ、はあ、はあ……」
俺は仁王立ちしていた。
そして眼下には、口をぱくぱくさせて腰を抜かす虹野がいた。
「な、何が起こったにゃん!」
うまくいった。
とっさに描いた絵図通りだ。
虹野の巨乳なんて生々しい極み。
この呪われた体が受け付けるわけない。
さすがにしびれ薬にまで勝てるかは一か八かだったが賭けに勝った。
「俺のヒロイン」は金之助がエンディングで使った殺し文句。
ゲームシナリオを知っている強みが効いた。
さあ、今度は俺のターンだ。
湯飲みに残っていたお茶を口に含む。
「な、何するにゃん!」
一樹の肉体よ、耐えろ!
「う、うううう! うううううう……ごくん……」
※※※
柱に縛り付けた虹野が叫ぶ。
「よくも巫女の純情を弄んだにゃん!」
「騙されたお前が悪い。スパイは目的のためなら手段を選ばないんだよ」
さてと。
虹野の前に屈み込む。
「俺達のことをどうして知った? 答えてもらおうか」
「虹野はこの世界のヒロインだからにゃん! 上級生のヒロインだからにゃん!」
「違うな。お前は口を滑らせてるんだよ」
「えっ……にゃん?」
「自分が本当に『上級生のヒロイン』と知っているなら『現世で本物のヒロインになるにゃん』という台詞はありえない。『なる』までもなくヒロインなのだから」
「あっ! にゃん……」
つまり虹野は確かにここが「上級生」のゲーム世界であることを知っている。
しかし自らが「上級生のヒロイン」であることは知らない。
もし言い換えるなら「現世で本物のヒロインだったにゃん」が正解。
俺達と同じく限られた事情しか知らないのだ。
危うく虹野の異常さに目を取られて本質を見失ってしまうところだった。
「というわけで吐いてもらおうか」
「い、いたいけな巫女を拷問するつもりかにゃん!」
「拷問ね。殴る蹴るをするつもりはないよ」
そんなことしなくても、虹野の弱点を知ってるからな。
ニンフでもらったピザを開け、トッピングを摘まむ。
「吐かないのなら、このニンニクを食べてもらうだけだ」
虹野の顔から血の気が引いていく。
「やめるにゃん! 虹野が穢れてしまうにゃん!」
ニンニクなど臭いのきつい野菜は神の好まざるものとか。
そのため虹野はニンニク嫌いという設定になっている。
「じゃあ答えろ」
虹野の鼻先にニンニクをくっつける。
「ぎゃあああああああああにゃん!」
「次は口の中にいくぞ」
「や、やめるにゃん! 答えるにゃん!」
「言え」
八重歯で唇を悔しげに噛みしめる。
「し、師匠から聞いたにゃん……」
「師匠の名は?」
「ウラーナ・イジラッシ……にゃん」




