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144 1994/12/04 Sun 出雲病院:満足するっていうのは失うことでもあるんだよ

 アイの話が終わった。


 事前に二葉と綿密な打ち合わせをしていたのだろう。

 上級生および金之助に絡む部分は上手くごまかし、帳尻を合わせていた。

 例えば若杉先生にだけ最初見えなかった理由は「エクトプラズムの濃度調整に手間取っていた」。

 もちろん霊力に限りがある点を前置いて、「じゃから話はできるだけ手短にさせてもらう」とかもっともらしい台詞を付け加えて。

 用件の本質は「若杉先生の家族関係を修復したい」だから、その辺を誤魔化したところで支障はない。

 ただ俺が気絶してる横でヒロイン二人がこんな打ち合わせしていたかと思うと、仮に元の世界に戻れてもギャルゲーは二度とできそうにない。


 ……今に始まったことじゃないけどさ。


 足を組んで椅子に腰を下ろした若杉先生が、口をへの字にしながら唸る。


「うーん……」


 芽生が身を乗り出すようにして、若杉先生へ声を掛ける。


「アイさんの話は本当だと思います。私も父からおじさまが医者になった理由について『助けられなかった女性がいる』という話を聞いたことがありますし」


 若杉先生が芽生を制止するように手を突き立てた。


「疑ってるわけじゃないんだ。実際、父が『ごうつくばり』なのはアイが話した通りだし」


 若杉先生にはアイの現世での正体を明かしていない。

 だから普段は苗字で呼ぶ先生も、アイに対しては名前で呼んでいる。


 二葉が首を傾げる。


「話した通りって、病室で院長と会った時は呆れていませんでした?」


「程度があるって話だよ。いくら相手を見てふんだくってると言っても、入院の必要がない者まで病院にとどめるなんてやりすぎだ」


「まあ……そうですね」


「私の父に対する誤解を解きたいというのなら、そこは問題ない。どうしようもない変態なのは間違いないが、尊敬すべきところは尊敬している。私が出雲病院を継ぐ気ないのは別の話。自分の力で生きていく自信があるし、生きていきたいからだ」


 自信に満ちた若杉先生らしい台詞。

 実際にどんなことになろうと、この人は生き抜きそう。

 元の世界の俺は同じ年だけど、同じ台詞吐いたら鼻で笑われそうだ。


「じゃあ何が問題なんでしょう?」


「アイとしてはこういうことだよな。父とは恋愛関係ではなく幼馴染にすぎない。しかも既に死した自分のせいで仲違いするなんてバカらしい。だから父と母に仲直りしてほしい」


「そうじゃ」


「私より実際は年配の方に言うのもなんだが……大きなお世話というものだ」


「なんじゃと――んぐぐ」


 飛びかかろうとするアイを、二葉が背後から抑えて口を塞いだ。


「アイちゃん止めて、先生も言いすぎです」


 しかし若杉先生は、更に語気を強めた。


「申し訳ないが本音だ。話題の主達の娘として、言うべきことは言わせてもらう」


「なんか若杉先生らしくない御言葉ですね」


「らしくないというなら買いかぶりすぎだよ。まとめると、母は構ってもらおうとしただけなのに引っ込みつかなくなって離婚を切り出した。父は父で売り言葉に買い言葉で承諾してしまった。そういうことだな」


「はい」


「そんなの、実の娘たる私すら『馬鹿馬鹿しい』の言葉しか出ない。ましてや他人の心配する話じゃないよ、いくら幼馴染であってもな」


「だからアイちゃんは、そんなつまらないことでと」


「つまらないことだからこそ放っとけばいいんだよ。ある意味では意地の張り合いを通じて、心は繋がったままとも言いうる。二人とも再婚していないわけだしさ」


「そういう見方もあるかもですが……」


「母だって本音では妄想半分の下らぬ嫉妬と思っているはず。ある意味ではアイと関係ない次元の話なんだ。だけど真相には、その妄想を現実にしてしまうだけのインパクトがある。もし聞かせようものなら間違いなく取り返しつかなくなるぞ」


「はあ……」


 二葉が言葉を濁す。

 若杉先生の言葉にも頷かざるをえない。

 院長をよく知らない俺達ですら衝撃的な話だったんだし。


「父についてもだ。アイが姿を現せばもちろん喜ぶだろう。しかし父にとってのアイは、初恋の君であるとともに生きる糧でもある。過去の礼を言われるにせよ、彼の生き様を認めるにせよ。下手すればポックリ逝きかねない」


「逝くって、そんなまさか」


 若杉先生が目を伏せる。


「満足するっていうのは失うことでもあるんだよ。残酷なことにな」


「む……」


 口を抑えられているアイの唸りが止む。

 二葉も芽生も龍舞さんも店長もすっかり聞き入ってしまった様子。

 バーンアウト症候群に通ずるものがあるだけに、俺も頷くしかない。


 話が終わってしまった。


 気まずくなったか、若杉先生がポリポリ頭を掻く。


「あー、まあ……アイが気まずく思うのもわかる。機会を見て父と母が食事をする機会くらいは作ってみるよ」


 アイが二葉の手を振り払った。


「本当か!」


「それでアイの胸のつかえが取れるというなら、私にできることはしよう」


「ありがとう、恩に着る」


 一転して、若杉先生の顔が引き締まる。


「ただし、私の両親の前には絶対に顔を見せるな」


「そんな怖い顔しなくともわかっとる。まとまる話もまとまらなくなると言いたいんじゃろ」


 アイがふてくされ気味に返答する。

 しかし若杉先生はさらに語気を強めた。


「それだけじゃない。アイもいずれは成仏する。愛する人との別れは一回だけで十分だろう。医師として嫌になるほどそんな場面に立ち会ってきた身としては、好きこのんで親にそんな思いをさせたくない」


「そう……じゃの……」


 俯きながら静かに返事する。

 期せずしてのブーメラン。

 アイの姉――ゲームセンターのおばあちゃんに自らの存在を知られたくないのと全く同じ理由だけに受け入れるしかない。


 二葉と目を合わせると気まずそうに目を細めた。

 本来なら俺達も若杉先生から責められる立場。

 場合によってはアイと院長を引き合わせることまで考えていたのだから。

 確かに目的を達成するためではあったし、発想の段階でとどまった。

 それでも暴走気味だったのは認めて反省せざるをえない。


 若杉先生の表情が和らぐ。


「わかってもらえたのならそれでいい。話はこれで終わりでいいか?」


「ああ。よろしく頼む」


「今度は私から聞きたい。アイは成仏しないのか?」


 意表を突かれたのか、アイが目をぱちくりさせる。


「なぜ、そんな質問を?」


「深い意味はないよ。一般的には幽霊ってこの世に未練があると言われてるし、アイもそうなのかと思っただけ。幽霊と話す機会なんて滅多にないから」


「未練のう……」


 アイが言い淀む。

 あるにはある。

 しかしそれは「姉と会いたい」というもの。

 まさに若杉先生が言った通りの理由で自制しているのだから口にできるはずもない。


 だけど、それなら「ない」と返答すればいいだけなのに。

 どうしてすぐに答えないのか。


 ちらりとこちらを見た。

 はて?


「兄様と子作りすることかの……」


 何を言い出す!

 若杉先生まで目が点になってるじゃないか!


「こ、こ、子作り? 渡会兄と?」


「そうじゃ。激しくまぐわい、どろどろに絡み合って、兄様の子種を受け入れるまでは成仏するにもできん」


 若杉先生がうんうん頷く。


「そうか。上手くいくといいな」


 何を言ってるんだ!?

 二葉が勢いよく立ち上がった。


「何を言ってるんですか! 教師が高校生の不純な交際を認めていいんですか!」


「刑法上、憎き者を呪い殺したところで罰することはできない。それと同じで、あの世の者と性交しようと現世の者からすればマスターベーションしているのと変わるまい」


 まあ……アイは「存在しない」存在だからな。

 うげっ! 店長が力任せに抱きついてきた!


「桜は何言ってるの! 例え幽霊でも幼女と添い遂げるなんて許されるわけないでしょ!」


「中身は六〇歳なんだから問題あるまい。頑張ってアイと渡会兄を奪い合ってくれ」


 アイが、俺を抱え込む店長の両腕を握った。

 ゆっくり引きはがされていく。


「こ、この子、なんて力なの」


「いつまでくっついとるんじゃ、バケモノ」


 その瞬間、全員の表情が凍りついた。

 唯一人、店長だけがこめかみに血管を浮かべ顔を真っ赤にする。


「ば、ば、バケモノおおおおお!」


「さっきから『ダーリン』じゃと? 見苦しくもベタベタくっつきおって。兄様はワシのものじゃ、手を出すな!」


「かわいそうと思って聞いてあげればいい気になって! あんたこそバケモノじゃない!」


 やばい、アイに念を送る。


(止めろ! だいたい俺はお前の物じゃない!)


(お前の魂はいらん。じゃが体は兄様のだということを忘れるな!)


 訳のわからない嫉妬しやがって。

 だけど全くその通り。

 俺はアイにとってどうでもいい存在。

 耳を貸すはずもなかった。


 芽生が冷ややかな目をしながら吐き捨てた。


「わたしも一樹に捨てられるのね。キスまでした関係だというのに」


「キ」「ス!?」


 アイと店長がギロリ睨んできた。

 こいつ、何を言い出すんだ!


「あれはお前が無理矢理してきたんだろうが!」


「無理矢理? 出雲学園一の嫌われ者がそんなこと言って誰が信じるのかなあ?」


 こいつ、よくもいけしゃあしゃあと。

 完全に打ち解ける前の腹黒そのままに戻りやがった。


 芽生は高慢そうに鼻を上に向けて腕を組み、アイと店長に向けて薄笑いを浮かべる。


「お二人さん、わたしに対してもバケモノと口にできるかしら?」


「その見下した目線はなんじゃ!」


「見下した物言いもよ!」


「これは一樹から直々に教わった『上から目線』、強者のみに許される態度よ。二人ともいい年してるんだから、これ以上見苦しいケンカ繰り広げるのは止めてほしいわね」


 いや、全然違うよ。

 そんな風に教えた覚えないよ。

 俺に対する態度の方が、学園のヒロインなのを鼻にかけた上から目線だよ。


 しかもケンカ止めるのは明らかに口だけ、むしろ全開で煽っている。

 二葉が怪訝な表情を浮かべつつ龍舞さんにひそひそ尋ねる。


(あれ、何?)


(さあ?)


 芽生がこちらにちらっと視線を向け、にぃっと笑った。

 こいつ、場をかき回して遊んでやがる。

 いったい何のつもりだよ。

 俺にムカついてるのはわかるけど、そこまでされるほど怒らせた覚えもないぞ。


 若杉先生がすっくと立ち上がった。


「やめやめ。もう用件は済んだんだろ? これでお開き、お疲れさん」


 三人とも、黙り込む。

 カオスとなった場を強引にまとめてしまった。

 さすがの貫禄だ。


 ――全員が退出……しかけたところで、若杉先生が躊躇うように足を止めた。


「先生、どうしたんですか?」


「すまない、アイと少しだけ話がある。すぐ終わる」


「わしに?」


 先に外へ出て待っていると、五分ほどで若杉先生が出てきた。

 病室内にアイの姿はない。


「待たせたな。アイは霊力が切れたそうだ」


 果たして何を話したのか。

 まあ、アイから後日聞けるだろう。


 あれ? 前方が騒がしい。


「本当に大丈夫だってば」


「いけやせん、何かあったらお嬢に申し訳立ちやせん!」


 バイト現場の監督じゃないか。

 そして担架に乗っているのは、金之助!?


 龍舞さんが、ずいっと前に出る。


「監督、どうした?」


「あ、お嬢。こいつ、気絶から目を覚ましたら、泡吹いてうめき出しまして。内臓破裂でもあっちゃいけないと思い、病院へ運ぼうとしたんでさ。すると途中は大渋滞。どうしようとおろおろしてたら、いきなりけろっと元気になりまして」


「そ、そうか……」


 二葉と目を見合わせる。

 明らかに顔がこわばっている。

 きっと俺もだ。


 金之助の異変は、間違いなく「見えざる手」によるもの。

 俺達が若杉先生のフラグを無理矢理潰そうとしたから、軌道修正をかけたのだ。

 そこまでやるのか。

 もし龍舞さんが車止めで渋滞を引き起こしてなければ……。


 龍舞さんは視線を逸らし、頬をぽりぽり掻いている。

 さすがに気まずいよな。

 だけどありがとう。

 おかげさまで、本当に本気で本音で助かったよ。


 若杉先生が担架に歩み寄る。


「それだけ元気なら大丈夫と思うが、一応検査をしろ。特に用事がないなら一晩ゆっくりしていけ」


「先生も一緒に泊まりましょうよ」


「あいにく、写真部の連中を家まで送り届けないといけないんでな」


「あっしが代わりに一晩泊まりやす!」


「いらねえ! むしろ止めてくれ!」


 どうなることかと思ったが。

 様子を見る限り、やはりフラグは消えたらしい。

 いつも通り颯爽とした若杉先生が、担架を後にしつつ足を踏み出す。


「お前ら、さっさと帰るぞ」



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