142 1994/12/03 Sat 出雲病院前:お楽しみは後にとっておくものですよ
若杉先生の車に乗って出雲病院到着。
二葉は龍舞さんの後ろへ。
「どうしてもバイクの後ろで風を感じたい」らしい……が、そんなわけない。
本音のところは若杉先生の車に乗りたくなかったのだ。
ゴキブリを思い出すから。
全ては俺、というか一樹のせいなのだが。
ただ、道中はまいった。
龍舞さんが信号無視して交差点に止まっては、行き交う車を無理矢理停める。
暴走族の「車止め」っていうんだっけ?
さしもの若杉先生もハンドルを握りつつ「止めてくれ……」と表情を凍りつかせていた。
若杉先生はバタンとドアを閉めるや、つかつかと龍舞さんに歩み寄っていく。
「龍舞! なんてことするんだ!」
「なんてこと?」
「車止めだ! お前らの世界じゃ当たり前か知らないが、教師の私を巻き込むな!」
「ああ、悪い。気分だった」
「気分って……」
「今日ここまでの流れを考えたらそうした方がいいのかなあと」
「まるで言ってることが理解できない。龍舞、頭大丈夫か?」
「アタシもよくわかんない。だからセンセにもわからないだろうよ」
もちろん俺達も理解できない。
もうどこまでも宇宙人だ。
若杉先生が顔を横に向けて嘆息をつく。
「はあ……右も左も混乱して大渋滞になってたし。怪我人とか出てなければいいが」
そう言われてしまうと、俺まで申し訳なくなる。
パニックで事故って怪我というのもあるだろうし。
怪我人出たけど救急車が渋滞で間に合わないというのもあるだろうし。
俺が渋滞引き起こしたわけじゃない。
しかし若杉先生を病院に連れてくる企ての首謀者であるには違いない。
とうの龍舞さんが罪悪感抱かないはずもなく。
若杉先生に向けて頭を下げた。
「ゴメン」
若杉先生が龍舞さんの頭に手を置き、くしゃっと撫でる。
「もういい。警察出てこなかったのが幸い、仮に病人運び込まれれば私が何とかするさ」
ヅカな王子様のままの二葉と顔を見合わせる。
仮に警察出てきて俺達の身元バレたら、どんな騒ぎになってたことやら。
――見覚えのある黒塗りの車が停まった。
芽生は降りるなり、お腹を抱えて笑い始めた。
「あはははは。二葉さん、その格好はなんなの!」
二葉がぶすっと一言返す。
「あたしの一張羅」
「へえ、だったら記念写真撮ってあげる」
「やめて!」
しかし二葉の叫びが発せられる前に眩いフラッシュ。
二回、三回と繰り返し、ストロボが焚かれる。
「やめてって言ってるでしょうが!」
「一張羅なんでしょう? だったらいいじゃない」
「芽生だって、その格好は何さ」
芽生が着ているのは【IZUMO】とロゴの入ったブルーのウィンドブレーカー。
つまりチア部のユニフォーム。
特攻服は着替えたらしい。
「いつもの格好じゃない。『軽装で』っていうから言葉通りに受け止めたんだけど、何か間違ってるかしら?」
若杉先生がパンパンと手を叩き、割って入った。
「はいはい。芽生は間違ってないから、その辺にしておけ」
芽生が頭を下げる。
「若杉先生、こんばんは。これから何が始まるんですか?」
「私もわからない。だから田蒔を呼んで保険を掛けた」
二葉がぷるぷる震える。
「保険って……先生ひどすぎます! あたしのこと信用してくれてないんですか!」
「信用することと手を打たないことは必ずしもイコールじゃない。大人相手にそういう論理のすり替えは通用しないぞ」
その通りなんだけど。
むしろ先生みたく毅然とした態度をとれるかの方が重要なんだよな。
「真剣な相談事だったらどうするんですか」
「もしそうなら龍舞が来た時点で話を持ち出さないだろう。もっと慌てたんじゃないか?」
読み切ってるなあ。
芽生と目が合った。
「ふん!」
すぐさまそっぽ向きやがった。
まだ怒ってるのかよ。
龍舞さんにちらり目をやる。
いつもながらの無表情だが、微妙に口の端がひん曲がってる。
やはり呆れているっぽい。
二葉が腕時計をちらりと見る。
「先生、芽生も来たことですし中へ入りませんか?」
「ちょっと待ってくれ、もう一人の保険がそろそろ……」
もう一人の保険?
「ああ、来た来た」
いかにも業務用なバンが停まる。
降りてきたのは――って!
「ダーリン!」
「抱きつくな! なんで店長さんが!」
「私が呼んだんだけど……渡会兄と長子はそういう関係だったのか」
「違います! 勝手に納得して頷くのはやめて!」
「そうか。長子は私の親友だ。泣かしたらただじゃおかないぞ」
「先生、話を聞いて! 店長さんもヒゲを頬にすりつけるのやめて!」
二葉がぺこりと頭を下げた。
「店長さん、二日ぶりです」
「あら、ナイスバディなお嬢ちゃんじゃない。もしかしてその格好は桜にやらされた?」
すぐわかる辺り、二人は本当に親友っぽい。
「ええ、まあ……それより店長さん。お楽しみは後にとっておくものですよ」
「あたしは今すぐ純潔捧げたいのに」
ちっちと指を振る。
「これは名コックの店長さんらしからぬ御言葉。料理だって、前菜やスープなどと組み立てられて、初めてメインディッシュを美味しく味わえるものでしょう。言うなれば記念すべきクリスマスまでの時間こそ、最高のオードブルじゃありませんか?」
「それもそうね」
はあはあ、やっと離れてくれた。
二葉もとっさによく言ったもの。
おかげで助かったけど。
店長さんが自らのスキンヘッドを撫でながらウィンクした。
「クリスマスは濃密な時間を過ごしましょうね」
うげええええええええ!
本気で今すぐ一樹の体から脱出したい……。
二葉が若杉先生に顔を向ける。
「ところで店長さんはどうして?」
「保険と言っただろう。芽生は渡会兄と組む可能性あるからと思ったのだが……長子までこの調子じゃアテが外れたなあ」
「わたし、『一樹』なんかと組みませんから」
一樹?
芽生のこれまでと打って変わった呼び捨てに、二葉も若杉先生も目が点になった。
「め、芽生……どうしたの?」
「二葉さん、こんな骨の髄まで穢れきったキモオタ盗撮魔を兄なんかに持ってかわいそうね。あなたのことは大嫌いだけど、その点だけは心から同情するわ」
二葉がこちらへ目を向ける。
「アニキ、芽生に何かしたの?」
ふるふる首を振る。
代わりに龍舞さんが答えた。
「ほっとけ。その内飽きる」
「はあ……」
さしもの二葉もまるで事情を飲み込めない様子。
かといって、何があったか話すわけにもいかないしな。
一方の若杉先生はどうでもいいといった様子。
平然と踵を返す。
「じゃあ、行こうか」




