141 1994/12/03 Sat DAN‐KON前:トリコロールをなんだと思ってる
再びバイクの後部座席。
顔に当たる風が冷たくて痛い。
運転する龍舞さんは平気なのだろうか。
以前は血が通っていないとまで思っていたけれど。
今は別の意味で血が通ってないんじゃないかと思ってしまう。
ポツポツと流れゆく光が増えていく。
あわせて景色も段々と賑々しくなっていく。
一駅離れただけで、この栄えぶり。
出雲町も駅前に百貨店あるくらいに大きいのだが。
さすがはデート用に設定された街だけある。
――バイクが緩やかに減速し、停まった。
「着いたぞ」
イタリアンレストラン「DAN‐KON」。
ゲーム当時はイタメシブームで、高級イタリア料理店が流行っていたらしい。
こんな名前でもイタリアと言い切られればイタリア語に聞こえてしまうのが不思議だ。
白い煉瓦造の瀟洒な外観はゲーム内で見たのと同じ。
しかし繁華街の中にあるせいか、妙にこぢんまりしてみえる。
まるで修学旅行で行った札幌の時計台を見た時と同じ気分。
まさか「写真だとすごい」ガッカリスポットだったとは。
時計を見ると、ちょうど二二時。
「んじゃ、アタシは集会行く」
「そんな慌てなくても」
二葉が何を目論んでいるかはしらないけど、龍舞さんがいて邪魔ということはあるまい。
「乱入」と言ってるくらいだから、むしろいた方が都合いい気すらする。
「訳アリっぽいし、そんな野暮じゃない。オルボ――」
龍舞さんが固まった。
俺も固まった。
DAN‐KONから出てきた二人の客を見た瞬間に。
「渡会兄に龍舞とは。随分と面妖な組合せだな」
「センセの格好の方がよっぽど面妖だぞ」
龍舞さんが毒づいて当たり前。
なんせ若杉先生が着ているのはピンク色のお姫様ドレス。
肩からくるぶしまで全身がひらひらふりふり。
ロココって言うの?
金髪派手顔の美人だから似合ってはいる。
それこそ不気味なほどに。
だけどありえない!
街中でこんなの着るとか、まったく絶対ありえない!
「やあ、アニキ。元気?」
「元気だぞ……きっとお前よりは……」
どこか目線が宙に浮いた二葉の、場も時間もずれまくった挨拶。
しかし無理もない。
なんせ二葉が着ているのは衛兵服っていうのか?
フランス革命の頃の軍人が着てたような。
こっちもまた似合っている。
それこそ目の力を緩めると涙が止まらなくなりそうなほどに。
というか、もしこれで金髪の巻き毛だったら、まんまあれだよな!
さすがに二葉とあのヒロインとじゃ凛々しさの方向性が違うけど。
ごめん。
乱入したはいいけど、二人に向けて口にする言葉がないよ。
……と思ったところで、龍舞さんがぼそっと一言呟いた。
「二人ともバカじゃねえの?」
「あは……あはは……そうだよね……」
二葉の乾いた笑い。
しかし若杉先生はひるまない。
「フランス贔屓の龍舞に言われるとは心外だな」
「フランスのイメージを勝手に作らないでくれ。トリコロールをなんだと思ってる」
トリコロールはフランス革命の象徴。
つまり「貴族じゃなく市民こそがフランス」と言いたいのだろうが。
「まさか龍舞に、そんな知的なツッコミをされようとは」
「アタシは骨の髄までcitoyenだからな」
骨の髄はむしろブルジョワと思うが。
「ごもっとも。ヤンキーが絶滅危惧種に指定されるなか、土曜の夜を特攻服で着飾る。確かに市民じゃないとそんな真似はすまい」
さすがに、この時代でもヤンキーはそういう扱いなのね。
皮肉たっぷりの切り返しも何のその、龍舞さんがストレートに返す。
「その絶滅危惧種と同じレベルで恥ずかしくないの?」
「ない! 女は幾つになってもお姫様になりたいんだよ!」
なりたいとは思っても、本当になっちゃう人なんて若杉先生しかいないよ。
「じゃあセンセはいいや。妹はなんなんだ?」
「私がやらせた。お姫様には王子様が必要だろう」
「勝手にしてくれ」
龍舞さんが仏頂面で吐き捨てる。
呆れ果てたかにも諦めたかにも見えるけど、多分どちらもだ。
……というかさ。
「二人とも、よくその格好で店に入れてもらえましたね」
「全身ドレスコード抵触中の渡会兄に言われたくないが、フランスではこれが正装だ」
「いつの時代の話ですか!」とか「ここは日本です!」とか「DAN‐KONはイタリア料理じゃないですか!」とか
即座にツッコミがいくつも思い浮かんだけど、口にするのは止めた。
何を言っても言い返されるのは目に見えてる。
二葉が虚ろな目のまま口を開いた。
「二人はどうして一緒なの?」
「アタシは送ってきただけ。さっきまで芽生も一緒だった」
「そっか。芽生までついてこなかったのは助かったな」
この先ずっと、ネチネチとネタにされ続けるのは必至だからな。
若杉先生が問うてくる。
「渡会兄は妹を迎えに来たのか? ちょうどお開きの時間だ。二人まとめて家まで送ろう」
二葉が口を挟んできた。
「あ、あの、実はこれから先生に付き合ってもらいたいところがありまして」
「私に? どこへ?」
「出雲病院です」
「またどうして」
「アニキが入院している時にですね、出雲病院で物の怪が出るという噂を聞いたんです。それでアニキが確かめたいと……いえ、あたしはいないと思ってるんですけどね」
そう持っていったか。
まあ、本当にいるわけだし。
しかし若杉先生はさくっと話を終わらせた。
「確かめるまでもなく、うじゃうじゃいるぞ。私もうっすらした白い不可解な塊くらいは見たことあるし、目撃者はいくらでもいる」
「それが幼女の幽霊という話で。アニキが本当にいるなら撮ってみたいと」
「ほう。人間のパンツを撮るのを止めた代わりに、幽霊のパンツを盗撮するつもりか」
「そんなんじゃありません!」
二葉に任せて黙っていようと思ったが叫んでしまった。
だけどここは許される場面だろう。
「パンツじゃなくてもだ。渡会妹の話しぶりだと『幼女』と聞いて反応を示したように聞こえる。そんな危険人物、例え相手が幽霊であっても教育者として見過ごせない」
今度は二葉がフォローに入った。
「そ、そういうのじゃなくてですね。ものすごくかわいいらしいんです。アニキじゃなくとも男なら誰であっても見惚れてしまうくらいの」
若杉先生がポンと手を打った。
「ああ、聞いたことがあるな」
「でしょ、でしょ」
「しかし私の父が『一目見るまで』と病院にずっと泊まり込んで、それでも見られなかったという話だ。本当にいたとしてもロリコンには見えない幽霊なんじゃないか?」
「俺はロリコンじゃありません!」
「昨日、父から『渡会君が眠りこけて起きないので、退院は早くとも土曜日になる』とわざわざ連絡が入った。その時『彼は間違いなく私と同好の士だ』と言い切っていたぞ」
あのクソオヤジ……。
「わざわざ」を強調してるのは、電話する口実なのを見抜いた上での嫌味なんだろうな。
というか、なんて手強い。
再び二葉が口を開く。
「それが土曜日の夜しか出ないらしくて。もしアニキに見えなくても、本当にいるならあたしが撮ればいいですし」
しかし若杉先生は結論を述べた。
「話は一応聞いてやったが、もう夜の一〇時。子供は家に帰る時間だ」
「だから部活動として先生に付き添っていただきたいと!」
「だめだめ。学園から直接行くなら引率で通るが。今の私と渡会妹は百人が百人見て遊びの帰り。遊びの延長で何か事故でも起こしたら御両親に合わせる顔がない」
ああ、なんて教育者の鏡な台詞。
もし俺達が邪魔してなければ、今頃きっと生徒とめくるめくエッチタイムを過ごしてたはずなのに。
「だったら来週改めて!」
若杉先生のフラグ妨害はし終えた以上、アイの問題だけなら来週でも構わないわけだが。
「だめだめ。私は外に出たくない。積んでる漫画読んで、積みゲーもクリアしないと」
ああ、なんてダメ人間な台詞。
むしろ今晩こそが限定的で特別的なシチュエーションだものなあ。
「先生!」
「はいはい、車に戻るぞ」
ダメだ、とりつくシマもない。
龍舞さんが、ぼそり口を開いた。
「センセ、レディースの先輩の奈須さんと友達だよな。出雲病院のナースの」
そういえばそんなこと言ってたような。
安直なネーミングが、いかにもヒロインではない脇役。
「奈須がどうかしたか?」
「さっき集会の前に会ったらさ。『桜と会いたいな』って。これから出雲病院行ってみね?」
今日はずっと学園にいて、集会前は俺と一緒。
つまり大嘘。
俺達が若杉先生を病院に連れて行きたがっているのを察して助け船を出してくれたのか。
しかし若杉先生は無残な一言で嘘を突き崩した。
「奈須は今日非番だぞ」
「なんで知ってるんだよ」
「今日出かける前に『漫画貸してくれ』って電話掛かってきてさ。その時話した」
「ちっ」
龍舞さんが舌を鳴らす。
どんな最悪なタイミングなんだ。
「しかし二人はともかく、龍舞が他人騙そうとするなんて珍しいな」
「『二人はともかく』ってなんですか!」
二葉が即座に叫ぶ。
しかし龍舞さんは意にも介さず、さらりと述べる。
「こいつら、ダチだから」
「ダチって、渡会妹ともか?」
「けろさんど分けてもらった。だからダチだ」
「随分と安いダチだな……」
若杉先生がくすりと笑った。
「わかった。龍舞に免じて、お前らの茶番に付き合ってやるよ」
よっしゃ!
あくまで平静を装いつつ心の中でガッツポーズ。
そして龍舞さん、ありがとう!
俺と内心は同じであろう二葉が、すっと頭を下げる。
「ありがとうございます」
「ただし条件がある」
「なんでしょうか?」
「田蒔も呼べ」
二葉の声が引っ繰りかえった。
「はいいいいいいいいいいいいいいいいい! な、な、なぜ芽生!」
「写真部の部活なんだろう? だったら部員が揃わないとな」
真っ当すぎるほど真っ当な理由だ。
「い、い、いや……その……別に仲間外れにしてるわけじゃ……そ、そ、そうだ。こんな時間に高校生呼び出すなんて非常識ですよ」
「だから私もお前らの引率断ったんだが? ただ、田蒔は高校生と言えども社会人。少々は大人にみてもいいさ」
「よ、よ、呼んでも来ないと思います。芽生はあたしのことを嫌ってますし」
「絶対来るよ」
「どうして言い切れるんですか」
若杉先生がニヤリとしながら二葉を指さす。
「渡会妹の弱みをくれてやると伝えればな」
二葉の顔から血の気が引いた。
「やめてください! 先生の趣味に付き合うのはもう終わり。すぐに着替えますから!」
「こんな時間に制服で出歩くつもりか? そこまではさすがに教師として見逃せないな」
当然の台詞じゃある。
しかしベルサイユがごときの仮装はもっと問題だと思う。
若杉先生が龍舞さんに目を向ける。
「以上の通りだ、田蒔に電話掛けてきてくれ」
「アタシがか?」
「乗りかかった船なんだし付き合え。たまにはこういう週末もよかろう」
「わかった」
「さっきの台詞に加えて『軽装で来い』と伝えてくれ。私はその間に着替えて車を回す……あ、龍舞」
公衆電話に向かいかけた龍舞さんを、思い出したように呼び止めた。
「あん?」
「今日、出雲学園大学の現場で怪我人とか出てないか?」
「いや? さっき寄ってきたけど、別に?」
「だったらいいのだが。虫の知らせっていうのかな。『工事現場に患者がいるから向かえ』って囁かれてる感じがするんだ。それも、もし行かないと運命が変わってしまうような」
ぶっ!
それはさっき気絶させた金之助!
見えない手はそこまでするのか!
「センセ、頭大丈夫?」
「はは、そうかも。こんな時間に学園の外出るの久しぶりだからナーバスになったのかな。変なこと聞いてすまなかった」
「んじゃ、電話してくるわ」
龍舞さんがすたすた去って行く。
再び嘘をついてくれたのか。
それとも気絶させたことを忘れてしまってるのか。
どっちかはわからないけど、とにかく助かった。
「私も学園に電話入れてくる。予定より遅くなること伝えておかないと」
そういえば。
どうでもいいことだが知っておきたい。
「若杉先生はどうして今晩外出できたんですか?」
「数尾先生が引き受けてくれた。むしろ『やらせてください』と頼み込まれたというべきか」
「数尾先生ぃぃぃ!? またどうして?」
「あまり生徒に聞かせる話でもないんだけど……これくらいはいいか。『宿直室にあるへちゃむくれ国王が主人公の少女漫画を一晩かけて全巻読破したい』んだと。五六巻が一昨日出たばかりで読みたくなったとか」
ああ、あれね。
一応スパイ漫画でもあるから知ってるが、少女漫画で唯一一〇〇巻に迫る勢いなんだよな。
「一晩じゃ読み切れないでしょう」
「アニキ、突っ込むところはそこ?」
「いや、いいところついてるぞ。あくまで表向きの理由にすぎないし」
二葉が怪訝な顔して問い返す。
「表向き、ですか?」
「実際は学年主任になるための票工作。学年主任は教師間の投票で選ばれるのだが、その票欲しさに媚び売ってきたってところ」
「はあ……」
そういえば、ロッカー半田づけの洗礼食らった後にそんなこと呟いてたっけ。
「私にしてみれば誰がなったって同じだから、頼まれれば入れるんだけどな……せっかくだから恩を買わせてもらったってわけ」
まさか代わりが数尾先生だとは。
そしてあの台詞がこんなところで繋がってこようとは。
周到に練られたゲームの裏設定ぶりに感心してしまう。
とことんまでどうでもいい設定だけどな!




