14 1994/11/27 sun 保健室:急患はどこだ!
保健室前。
確認のため、一応聞いておく。
「若杉先生ってどんな先生?」
「学校に通うのが面倒臭くて住み着いてしまったダメなオトナ」
「OK、把握した」
今度は一人称マジックなんてこともなく、ゲームと同じということでよさそうだ。
「とにかく若杉先生が金ちゃんを男性として意識してるか確認すればいいんだよね。だったらあたしに任せといて」
「大丈夫なのかよ」
二葉が自信満々に胸を張る。
「さっきの名誉挽回したいし、勝手知ったるってやつ。ただ保健室行くのって、あんまり気が進まないんだよね……」
「ん?」
「すぐにわかるよ。じゃあ入ろうか」
しかし扉には【Don’t disturb】と記された札。
「これ、入っていいのか?」
二葉が札をめくると【患者以外の訪問お断り】の表記。
「本当にダメな時はこっち。何より患者を優先する人だから」
「あーっ、わけわからん!」
校医の鏡なのか、それともひねくれてるだけなのか。
「すごい人じゃあるんだけどねえ……」
若杉先生は正確に言うと養護教諭兼校医。
俗に言う保健室の先生は養護教諭を指し、医師資格は持たない。
校医は、待遇面の問題等から近所の医者に嘱託するのが通常。
フィクションでよくある「保健医」は、現実においてほとんどいないのが実情である。
しかし若杉先生は医師資格も持っている。
それも専門は汎用性のある外科医で腕も立つ。
学園にしてみるとそんな養護教諭は貴重なので、頭を下げて働いてもらっているとゲーム内では説明があった。
まさに二葉の言うとおり有能な人である。
──二葉がドアを開ける。
耳に入ってきたのはゲームのBGM。
正面に映るテレビには【PRESS START BUTTON】の文字とともに格闘ゲーム、いわゆる格ゲーのデモが繰り広げられている。
元の世界ではVFと略される代物。
これは初代か、ポリゴンの粗さに時代を感じる。
「保健室でゲームとかダメすぎるだろ」
そういえば若杉先生はゲーマーだった。
しかしわかっていても口にしてしまう程の衝撃的な光景。
ラックにはレトロなゲーム機がずらりと並んでいる。
「若杉先生もセカサターン買ったんだ。今月の二二日に出たばかりなんだよね~」
「ここは驚くところじゃないのか」
「うちにもあるから驚かないよ。ハードとソフト合わせて五万円だから、確かに簡単な買物じゃないとは思うけどさ」
「違うから!」
「あー、家でパーチャファイターができるってこと? それってすごいよね、時代は進んだよね」
この嬉しそうな表情、ボケているのではなく完全に素だ。
なんというジェネレーションギャップ。
これがレトロではなく、発売されたばかりの最新型とは。
「二葉はこの光景を見て何とも思わないわけ?」
「だからダメなオトナって言ってるじゃん」
これが別の世界からの訪問者とその世界の住人の感覚の違いか。
二葉にすれば「いつものこと」にすぎないのだろう。
もっとも酒瓶や空き缶など飲み会の残滓を除けば、室内は片付けられ清潔感に溢れている。
遊びと仕事はきっちり区分けしているのだろう。
「金之助はまだ戻ってきてない様だな。若杉先生はどこだ?」
「多分ここ」
二葉が室内の仕切りカーテンを開ける。
ベッドが並んでおり、その内の一つに若杉先生が寝ていた。
大口を開けて涎を垂らしながら一升瓶を抱え、幸せそうに眠っている。
その格好は白衣に黒のミニスカート。
大股開きをしているためパンツが丸見えとなっている。
ああ、なんてはしたない……。
目の毒だし、このままにはしておけない。
ベッドの下に落ちていた掛け布団を拾い上げて、若杉先生の上に掛け直す──と、頭をひっぱたかれた。
「何をする!」
「起こさないといけないのに寝かせてどうするのよ」
はっ、そうだった。
とりあえず体を揺すってみる。
「若杉先生、起きて下さい」
しかし全く起きる気配がない。
「起こすのがアニキじゃ、そりゃあ起きないでしょ」
「どういう意味だよ」
「起きて目の前にアニキの顔があったら永眠しかねないって」
「寝てる人にわかるか!」
「どいて。若杉先生には起こし方があるんだよ」
二葉は俺を押しのけ、若杉先生の耳元に口を寄せる。
「若杉先生、急患ですよ」
──若杉先生が飛び起きた。
「急患はどこだ!」
叫ぶやいなやダッシュで入口へと向かう。
部屋の中程で立ち止まって、ぐるぐると周囲を見回す。
そこでようやく我に返ったらしい。
若杉先生はその場に立ちつくしてしまった。
「誰だ、その起こし方はやめろと何回言えばわかる……」
ぼそりと呟いた若杉先生は不機嫌全開。
でも俺に言わせれば、それで起きるあなたの方がすごいよ。
二葉がペコリと頭を下げる。
「ごめんなさい、あたしです」
──若杉先生が二葉に飛びついた。
え? ええっ? 何が起こってる?
「おお! 我が愛する渡会妹じゃないか。お前なら許してやる」
「許してくれなくて結構です! 先生こそ毎回毎回やめてください!」
若杉先生は二葉を抱きしめながら頬ずりしている。
二葉が保健室に入るの気乗りしないわけだ。
「渡会妹が男装してくれたらやめてやろう。お前のそのカッコよさは正義だ」
「全力でお断りします!」
「私は忘れない、昨年の文化祭で見た渡会妹の学ラン姿を。せいぜいクラスで五番程度のお前でも、学ランさえ着れば学年一のいい男になれる!」
「あれは男装喫茶で仕方なく! それとそんなものなりたくありません!」
執事とか具体的なコスプレ名が上がらない辺りに、これまた時代を感じさせる。
二葉が若杉先生を無理矢理引きはがす。
その弾みで若杉先生と目が合う。
ようやく俺の存在にも気づいてくれたらしい。
「なんだ、渡会兄も一緒か」
「おはようございます、なんだはないでしょう」
「あるよ。もし起こしたのが渡会兄だったら、今頃は右ストレートの一発でも喰らわせてたところだ。起き抜けにお前の顔なぞ見たくない」
二葉が「ほらね」とでも言いたげに、細めた目で若杉先生を見つめている。
「あなたはそれでも先生か!」
「今日は休日だから先生である前に女、そしてお前のキモさは犯罪だ」
「ひどすぎる……」
「本音だけど冗談だよ。ようこそ保健室へ」
若杉先生がけらけらと笑う。
毒舌にしても大仰すぎる物言いは、逆におちょくっていただけなのが明らか。
そのせいか不思議と腹も立たない。
若杉先生を一言で言えば「ゴージャス」。
山吹色でゆるく巻かれた長い髪、口元のホクロに色気を感じさせる派手顔、出るとこは出て締まるところは締まったボンキュッボンな体型。
男にしてみれば、いかにも性の御指南していただきたくなる様な大人の女性。
つまり古典的かつ伝統的な、昔ながらのエロゲーキャラである。
ただしゴージャスの頭には「無駄に」と付け加えた方が適切であろう。
彼氏もいないし、保健室の先生にそんな容姿は必要ないし。
しかも「上級生」内では、処女じゃない、攻略が簡単、ババアと三拍子揃っているためプレイヤー人気もない。
位置づけ的には不遇なキャラである。
ババアと言っても二八歳。
俺とさして変わらないが、エロゲーにおいて一八歳以上は全てババアである。
建前としてはヒロイン全員一八歳以上のはずなんだけどな。
「それで二人とも何の用事だ?」
二葉がちらっと俺を見る。
それじゃ任せた。
「お茶を入れたいので流しを借りに」
若杉先生が机の上から何やら手に取り、二葉へ放る。
「宿直室の鍵だ」
「いつも思いますけど、保健室の隣が宿直室ってすごいですよね」
「どうせ私が毎日の宿直だからな。まったく、学園も粋な配慮してくれたものだよ」
そう、若杉先生が学園に住み着く建前は「宿直代わり」。
だから夜は基本的に学校から出られない。
「『粋』って。そこまで言ってのける御自分が恥ずかしくなりませんか」
「別に? だって動くのは面倒だろう。これまでだって幾度となくゲーム中に尿瓶で用を足したい誘惑に狩られたぞ」
ああ、なんてゲーム廃人予備軍。
もし生まれるのが一〇年遅かったら、絶対にMMOとかのオンラインゲームで人生をフイにしてたに違いない。
それでも「働くのは負け」とか平気で言ってそうだ。
「女性としてありえない台詞をさらっと言うのはやめてください」
「だから我慢してるってば。それに動かないからこそ、こうして胸に脂肪が貯まるんじゃないか」
若杉先生が二葉に見せつけるがごとく、胸を両手でゆさゆさと揺らす。
「ケンカ売ってるんですか?」
「いやいや、渡会妹の胸は真っ平らだからいいんだ。もしお前の胸が大きくなろうものなら、寝ている隙に脂肪除去手術を施してやる」
「しなくて結構です! 行ってきます!」
二葉は顔を真っ赤にしながら、リュックを持って部屋を出て行く。
見送る若杉先生はけらけらと笑っている。
あたしに任せといてどころか、おもちゃにされてるじゃないか。




