130 199?/??/?? ??? 出雲学園校庭:キャウン! キャウン!
前方から二葉ちゃんが歩いてきた。
ウチと英子は「お前なんか大嫌い」という風に、ぷいっと目を逸らす。
「英子、美子、こんにちは」
すれちがいざまに挨拶。
しかしウチらはあえて無視をする。
「よくもウチらのどちらかがなるはずだった部長の座を奪いやがって」という風に。
二葉ちゃんは気まずそうに肩をすくめながら過ぎ去っていった。
その姿が見えなくなった頃、英子がぼそりと呟く。
「行ったね」
ウチもぼそりと返す。
「行ったね」
「辛いね」
「そうだね」
二葉ちゃんと顔を合わせた後のいつものやりとりだ。
「美子、あたししんどいわ」
小学校までの友達は、ウチを「レイカ」と苗字で呼んでいた。
だけど出雲学園チア部は下の名前で呼ぶのが慣習になっている。
親睦を深めるためとかなんとか。
だから学園ではチア部の外でも「美子」と呼ばれている。
「ま、仕方ないさね。それがウチらの選んだ道だ」
二葉ちゃんが部長に任命されたとき、ウチも英子も先輩の思惑はすぐに悟った。
ウチらの学年を仲違いさせて分裂させたいのだと。
そこまでやるか。
ウチらは怒りを通り越して呆れ果て、団結して新部長を支えなくてはと一旦は考えた。
ただ……二葉ちゃんは上に立つ者として変わろうと必至だった。
ウチや英子を真似ることで。
それを見たウチらはチア部を辞めることを決断した。
そしてウチらは二葉ちゃんもチア部の同級生も突き放した。
同じ場所にウチも英子も二人はいらないから。
部員達の目を、ウチらではなく、二葉ちゃんに向けさせたかったから。
二葉ちゃんに対しては、恨むどころか、むしろ「親」のような心境に近かったりする。
英子もウチと同じ。
入部し立てのおどおどびくびくしていた子がリーダーらしくあろうと変わっていく。
手本とされる側にとって、これほど痛快な見物はない。
先輩達も同級生達も「英子と美子はプライドが傷ついて部を去った」と見ているだろう。
どうでも構わない。
ウチらが孤立を選んだ結果として、同級生達は二葉ちゃんの下に団結することができた。
そしてウチらは互いにそのことをわかりあっているのだから。
そんなことより、ウチらはよっぽど切実な問題を抱えている。
「んじゃ、わたしは図書館行くわ。受験勉強しないと」
「ウチは彼氏と約束あるから、それ終わって家で勉強するよ。お互い高校受験なんて全然考えてなかっただけにしんどいさね」
これがチア部を辞めたツケ。
ウチも英子も居場所を失ってしまったのだ。
中高一貫教育の出雲学園では、途中退部すると他のクラブに入りづらくなる。
さすがに恋愛と勉強だけの青春ってのもなあ。
「ま、仕方ないさね。それも私達の選んだ道だ」
英子がさっきのウチの返事を真似して図書館へ向かう。
もっとも口ほどには心配しているわけでもない。
ウチらは本来なら次回のクラス編成でA組入りの身だから。
出雲学園A組はT大文系限定ながら全国でもズバ抜けた存在。
A組に入れるなら外部受験してもどの高校にも行けると言われているくらいだ。
これもチア部を辞めて勉強に専念した結果というのが皮肉だけど。
そもそも、ウチらは二人とも小学校時代「神童」と呼ばれていた身。
だけど出雲学園のレベルはとんでもなく高かった。
特に金之助や華小路みたいな勉強も運動も並外れた怪物を目の当たりにすると、本当に「神童」と呼ばれるべきはどういう人間か、嫌というほど悟らされる。
女子は直接の比較対象にされないからいいけど、男子はやってられないかもな。
※※※
彼氏の大場君と会いに学食へ。
学食はちょっとしたカフェテリアっぽいから、放課後のティータイムに使われている。
屋上庭園もいいのだけど少々肌寒くなってきたし。
大場君は野球部のキャプテン。
練習前の一時を一緒に過ごすだけだから、少しでもグラウンドに近い方がいいし。
外庭を歩いていると前方に焚き火が見えた。
いくら寒いといっても学園内でそんなのしていいの?
落ち葉は山ほどあるし、やりたくなる気持ちはわかるけどさ。
「キャウン! キャウン!」
犬の鳴き声が聞こえてきた。
ううん、悲鳴? いったい何事!?
地を蹴り、声の方向へ駆け出す。
焚き火の傍で目にした光景――それは、紐で木につながれた子犬だった。
同じクラスの鈴木と佐藤が蹴りを入れている。
「おら、二葉! 逃げるな!」
「このクソ二葉が! 食ってやる!」
しかもあろうことか、二葉ちゃんの名前をつけている……。
幸いワンちゃんは身が軽く、ステップを踏むかのように二人の蹴りをかわしている。
それでもいつかは当たる。
早く止めさせないと。
「何してるの!」
「あん?」「んだ、美子かよ」
このチンピラみたいな口の利きよう。
二人とも親は政府のお偉いさん。
育ちはいいはずなのに。
「子犬いじめてかわいそうじゃない」
「いじめてるんじゃねえよ。なあ鈴木」
「おう佐藤。日本には『動物愛護法』ってのがあってだな、犬をいじめたら逮捕されるんだぞ。美子はそんなジョーシキも知らねえのかよ」
どう見てもイジメにしか見えないけど。
「じゃあ何やってるのよ」
「俺達なりの体を使った愛情表現ってやつ。事情知らない美子が口出しすんじゃねえ」
訳わからなさすぎて頭痛くなってきた。
こんなのと話をするだけ時間の無駄だ。
首輪はついてない、きっと野良なのだろう。
どこからかついつい学園に迷い込んでしまったのか。
こんな目に遭わされてかわいそうに。
子犬の首に巻き付けられた紐を外す。
「ワンちゃん、お行き」
「わん!」
子犬は、まるで御礼を言ってくれたような鳴き声をあげて去って行った。
犬の言葉なんてわからないけど、まるでわかった気になることってあるものだ。
「誰が二葉放してやれって言った?」
「ウチは当たり前のことしただけだよ。それに『二葉』って名前は何?」
「犬にどんな名前をつけようと俺達の勝手だ、なあ鈴木」
「おう佐藤。そして俺達が『二葉』をどんな愛し方しようと自由だ」
くっだらない。
A組に二人が乗り込んでいって二葉ちゃんを土下座させて頭踏みにじった話は聞いた。
金之助と華小路からボコにされたことも。
その憂さ晴らしなんだ。
いくら捌け口がないからって、よりによって子犬相手にだなんて。
クズにも程がある。
「言っとくけど、ワンちゃんはもちろん、本物の二葉ちゃん相手に何かしたら許さないよ」
「あれ? お前って二葉嫌いじゃなかったの?」
「きっと歪んだ愛情ってやつだよ。漫画でよくあるじゃねえか。ライバルに打ち負かされて、その後惚れちゃうっての」
「ああ、それで『二葉ちゃん、ウチのをなめて』になっちゃったわけね」
「うおおおおお! たまんねえオカズだな」
二人して腰をカクカク動かし始めた。
どこまでクズなんだ。
ついでに、そんな漫画どこにあるんだ。
ウチにはもう理解不能。
怒るを通り越して呆れ果ててしまって、もう何を言う気にもなれない。
とっとと去ろう――あ、ちょうどユニフォーム姿の大場君が通り掛かった。
駆け寄って腕を組む。
「大場君、ナイス偶然。学食一緒に行こ」
後ろから二人の叫び声が聞こえてくる。
「美子! 偉そうにしてくれた礼は絶対させてもらうからな!」
「覚えとけ!」
なんてありきたりな捨て台詞。
大場君が不思議そうな顔で問うてくる。
「二人と何かあったの?」
「ううん? 別に?」
実際に、ウチって二人に捨て台詞吐かれるようなこと何かやった?
こんな会話ができない思いした経験初めて。
二葉ちゃんもあんなのに絡まれたなんて災難だなあ……。
――学食。
「改めて、野球部全国優勝おめでとう」
「ありがと。でも、全部金之助のおかげだし」
「その金之助の球を捕れる大場君もいたからでしょ。もっと胸張ろうよ」
大場君はキャッチャー。
バッティングは全然だけど、キャッチングと肩は超一級。
だから金之助も全力投球できたし全国優勝できた。
少なくともウチはそう思ってる。
いくら金之助一人だけがすごくても、野球は一人じゃできないのだ。
「でも、その金之助も肩壊しちゃったしさ。学園長からは『お前らの他の誰かが代わりに肩壊せばよかったんだ』とか言われちゃったし」
この学園は何かが絶対におかしい。
表向き気づかない振りはしてるけど。
これはきっと、ウチが子供とか中学生とかそんな話じゃないと思う。
だけど返事のしようもないので笑ってごまかす。
「あははは……」
「それよりさ、やらね?」
またか。
「部活始まっちゃうよ?」
「五分あれば終わるよ。もう三ヶ月もやってないんだぜ」
「学園でなんて嫌だよ。それに受験終わるまで待ってって言ったじゃん」
どうして男の子というのは。
出雲学園は「愛欲の学園」と呼ばれている。
中等部だろうと高等部だろうと殆どがやることやっちゃってて、ウチらもそう。
世間はどう見るか知らないけど、生徒にしてみれば当たり前の感覚だったりする。
それでも学園でするのはない。
誰に見られるかわからないし、見せる趣味もない。
他の子達に聞いても同じ。
せいぜい部活合宿の合間にちょっとした冒険って感じで、夜に抜けだしてやるって話を聞いたくらい。
男子禁制なチア部では、それすら最初からありえない。
学園七不思議ならぬ学園七エッチスポットの噂もあるにはある。
だけど非処女なウチらにしてみれば一体誰がやってるんだろうって感じ。
特に体育倉庫なんて、夏は暑いし冬は寒いしカビくさいだけなのに。
何より受験するなら、そういうことは差し控えるもの。
気分だって乗らないし受験生のお約束だと思うんだ。
「浮気するぞ」
「怒るよ。さあ、練習に行った行った」
「ちぇっ」
大場君が不満げな顔でグラウンドへ向かっていく。
ごめんね。
自分でも頭固いのかなと思わなくもないんだけど……。
ケジメはケジメでちゃんと付けたいんだ。
受験さえ終わったら、お望みのままに尽くすからさ。
――家路につく。
電車に乗って出雲町駅から天照町駅へ。
駅前にある「パチンコパーラー エルフリーデ」の隣にあるマンションへ。
ここがウチの家、そして隣のエルフリーデはウチの親が経営するパチンコ店だ。
「エルフリーデ」はドイツ語で「妖精」の意味。
どうしてパチンコ屋の店名に「妖精」なのか、そこはよくわからない。
きっとウチの親はメルヘンの世界に生きているのだろう。
メルヘンもドイツが発祥だし。
天照町は隣の出雲町とあわせてお金持ちの多い地域。
業界でいう「太い客」ばかりなので繁盛している。
みんなちょっとした刺激を求めて来るだけで、勝とうと思ってきてないから。
しかもお店の不動産は自前なので、経営にもゆとりがある。
そのおかげでウチも高校外部受験を簡単に認めてもらえたわけで。
まったくもって両親さまさま。
ワガママ通させてもらった以上は、今日も勉強頑張らないとね。




