123 1994/12/03 Sat 出雲学園廊下:騎士として御礼を言わせていただくわ
芽生が髪をふぁさっとかき上げ、窓へ顔を向ける。
「ふふっ、空が青いわね」
無理矢理、話を逸らしに掛かった。
「あー、そうそう。わたし、二人を探してたのよ」
そして無理矢理、話題を変えた。
「アタシ達を探してた?」
芽生がこちらへ顔を向ける。
「一樹君、今晩空いてる? 一九時くらいから」
「二二時までなら大丈夫」
続いて、再び龍舞さんへ。
「アキラ、今日ってレディースの集会だよね?」
「ああ」
芽生が両手を後ろに回し、俺の側へぴょんと跳ねた。
やや腰を屈めながら、見上げるようににっこり微笑む。
「一樹君、お待たせしました。あなたの騎士になった理由、今晩話すわ」
いよいよか。
「一つだけ聞きたい」
「何かしら?」
聞くというより確認なのだが。
「芽生が鈴木を本気で敵に回したいことは理解している。でも、たまき銀行の経営に直接関係のない話なら、龍舞さんがぶちのめせば済むんじゃないか?」
チャコの台詞で気づいた。
華小路は独自の美学があるっぽいから、どちらか一方に肩入れすることはない。
芽生が二葉みたいな暴力を受ければ別だろうが、鈴木もそこまではバカじゃあるまい。
しかし龍舞さんは違う。
芽生が頼めば間違いなく引き受けるはずだ。
いや、事情を知ってるのだから、芽生に理があるなら自らぶちのめすはずだ。
俺の時ですら、そうだったのだから。
なぜ、龍舞さんは動かず傍観に徹してる?
龍舞さんが俺の頭に手を乗せ、髪をくしゃっとする。
「何をする!」
「奴隷は卒業したんだ。友達なんだから『アキラ』でいい」
あ、そういうことか。
まさか、一樹の身で「アキラ」呼ばわりを許されるとは。
嬉しい、でもそれ以上に違和感がすごい。
ゲームでは金之助しかそう呼んでなかったし、俺の中では完全に「龍舞さん」で固まっちゃってるし。
「ヒロイン」であることは確認させられても、俺にとっての龍舞さんはやっぱり攻略対象というより畏敬・畏怖の対象と呼ぶべき存在のままだ。
「ごめん、もう『龍舞さん』で慣れちゃってる」
「そっか」
龍舞さんは何とあっさり。
まあ、いかにも「らしい」反応だ。
「でも気持ちはもらっとく。ありがとう」
ふっ、と唇の端を上げてから口を開く。
「さっきの質問の答えだ。それで済むならそうしてる」
芽生が答えの続きを引き取った。
「暴力はわたしの流儀じゃないわ。それに、病室での言葉覚えてる? 『わたしは絶対に鈴木君と佐藤君を叩き潰す』と言ったの」
「言ったな」
芽生の語気が強まる。
「佐藤君は決して鈴木君のついでではない。二人とも紛う事なき、わたしの敵よ。ここから先は『学園』という日常の場で話すには相応しくないわ」
考えてみれば「叩き潰す」という物騒な表現そのものが芽生には相応しくない。
なんか、とんでもない話が出てきそうだが……。
夜を待つしかないか。
ああ、そういえば。
重くなってしまった空気を変えるにもちょうどいい。
「芽生、頼まれ物があるんだ」
「頼まれ物?」
おはぎの紙包みを渡す。
「これ、麦ちゃんから」
「ええっ、気を使わなくていいのに……ううん? むしろ止めて欲しいのに……」
ぶつぶつ言いながら受け取る。
気持ちはわかるけど。
「麦ちゃん、『芽生さんに大きな借りを作った』とか言ってたけど、何かしたの?」
ああ、と芽生が頷く。
「昨日、妹さんの小学校行って、滞納してた給食費支払ってきたの」
「ええっ!」
「だって……わたしも銀行家の娘だから『たかが』とは言えないけど……それでも五〇〇円であんな重い気持ち背負わされる身にもなってほしいわ」
目を伏せ、いかにも言いづらそう。
これも愚痴といえば愚痴だし、悪口とも言えるしな。
でも芽生じゃなくともそう思うのが当然だ。
「だからといって芽生がまるまる支払う義理はないだろう」
「別に奢ったわけじゃない、建て替えただけ。金額も三〇〇〇円程度だから常識的な範囲だと思うし、学校の先生通じて麦さんに『支払った分は生活に負担掛からない限度で返済するように』と伝えてもらったから」
「なるほど」
「先生から催促されて二子さんが惨めな思いするよりは、まだ麦さんがわたしに歯がみする方がマシじゃない? 姉ならそのくらいの責任は負って然るべきよ」
麦ちゃんが俺に渡した時の表情まで見抜いてる。
でも、ここは芽生が正論だ。
「その通りだと思うぞ」
芽生が包みに手を掛ける。
「ところで、中身は何かしら?」
中身を知ってはいるわけだが、そのまま教えるのもな。
「『芽生さんもこれなら受け取って貰えるものと』って言ってたぞ」
「別に何であろうと受け取るしかないけど……あっ、これは!」
くすんでいた表情が一気に華開いた。
「なるほど。麦さん考えたわね。どれ一口……やっぱり」
「おはぎに何か理由があるの?」
「ううん。確かにおはぎは好きなんだけど、これは餡がポイント。小豆って北海道の名産なの」
そうなのか、初めて知った。
芽生がゆっくり、じっくり噛みしめる。
「しかも、この微妙なそこそこ食べられる程度のスカスカな歯触りはクラーク社取扱の廉価な業務用小豆で間違いないわ」
クラーク社って、あの学食の業務用カレーとコロッケの北海道にある会社だよな。
なんで食べただけでわかるんだよ。
北海道が絡んでるからなのか、元々の舌がいいのか。
きっと両方なんだろうけど……。
コロッケ博士な件といい、本当に芽生が謎じみてきた。
「素材は安物だけど、じっくり煮込むことで丁寧に味を引き出してる。きっと、どんな品ならわたしに喜ばれるか、自分の経済力の範囲で考えて抜いてくれたんでしょうね。さすがは一年首席のゴールドリボン。ごちそうさまでした」
ゴールドリボンが関係あるのかと思うが。
言葉通り、にっこり目尻が下がってる。
本人が満足してるなら、それでいいか。
芽生が「もう一つは後で」とポケットにしまいこむ。
ちょうどその時、前方から大きな花束、もといチャコが歩いてきた。
俺達の傍で立ち止まる。
「一樹君。おはぎは無事食べられた?」
「お陰様で。それよりチャコ、ごめん!」
思い切り頭を下げる。
しかしチャコの反応は冷めたもの。
「何が?」
見上げると首を傾げている。
「佐藤と鈴木の前に、置いてきぼりにしちゃって」
「ううん。何か捨て台詞は吐いてたけど、聞こえない振りして女子の輪に逃げ込んじゃったから平気だよ」
「なら、よかった」
「二人の様子から、おはぎ洗いに行ったのはわかったしさ。私、おはぎ大好きだから、バカにされてキレちゃったってのも本当のとこ」
てへ、と舌を出す。
名も無い、いやもう知ったけど、脇役でもこのズッキュンパワーは恐ろしい。
芽生が、目を細めながら尋ねてくる。
「一樹君、いったい何があったの?」
かくかくしかじかと事情を説明する。
話し終えた瞬間、芽生が叫んだ。
「あいつらああああああああああああああああああああああああああ!」
チャコがビクッと後ずさりする。
「な、な、何!」
芽生が、ハッと気づいたように口を開く。
すぐさまいつも通りのすまし顔に戻り、右手を胸に当てる。
そしてチャコに向け、仰々しく頭を下げた。
「失敬、私はA組の田蒔芽生。主を護ってくれてありがとう。騎士として御礼を言わせていただくわ」
沈黙が流れた。
芽生が頭を上げ、静寂を破る。
「チャコさん、だったかしら。何か?」
「い、いや、あの……もちろん芽生……さん?のことは知ってるけど……ごめんなさい、そんな人だったのかと驚いちゃって」
半身を引きながら、おずおずと答える。
面識がなければ当然だろう。
チャコが内部生なのは二葉を「ちゃん」付けしたり、中等部のエピソードを詳しく知っていそうなところからわかる。
さっき鈴木と佐藤の前では名前を出していたけど本来は関わりたくないはずの人間だから。
「『芽生』で構わないわ。それより『そんな人』って?」
「お高くとまってて、絶対に頭なんて下げない人だと思ってたし……」
「随分はっきり物を言うわね。以前の誰かさんじゃあるまいし下げるべき時は下げるわ」
「噂は聞いてたけど、本当に『騎士』を名乗ってるんだなとか……」
「二葉さんに無理矢理だけどね」
「そういう意味じゃなくて仰々しいというか、漫画っぽいというか、そのポーズ……」
「主の趣味に合わせるのも騎士の務めよ」
「しかも一樹君を『主』って……それも一樹君のために御礼なんて……」
芽生が軽くウィンクしてみせる。
「チャコさんだって一樹君を助けたんでしょ。理由はきっと、あなたと同じ」
チャコがぷっと吹き出した。
「あはは、それもそうね。改めて私はB組の白犬茶子。内部生だけどよろしく」
「おはぎを愛する女子に内部生も外部生もないわ。よかったら、これ食べる? わたしも縁あっていただいてたの」
「いいの? いただきたいけど、でも……」
両手を差し出す。
「花束は俺が持っとくよ」
「じゃあ甘えちゃう。でも一樹君、本当に変わったね……」
これが普通なんだけどな。
元がマイナスだと、上への振れ幅がすごすぎる。
ああ、まさにヤンキー効果。
一方で、芽生。
人前で騎士のポーズとか、俺なら「アニメの真似止めろ!」と罵倒されるところだ。
実際に、みんな一旦は固まった。
仲間内だけなら冗談で通用するだろうけど、まさか知り合ったばかりの、それも内部生のチャコ相手にそんなことするとは思わなかったから。
しかしチャコには「実は気さくでフレンドリーな子」と受け取られたっぽい。
ギャップ萌え的なあざとさという点で相変わらずのヒロイン特性。
しかし「内部生女子からは嫌われている」という設定までも覆した辺り、これまた同じくヤンキー効果と言えるかもしれない。
芽生のイージーモードは、本来「男子」&「外部生女子」のみに対してだから。
そしてようやく、おはぎの漫画がなんだったか思い出した。
人生超イージーモードな課長の漫画。
貧乏な家の子の親が、家庭訪問に手作りのおはぎを作ってもてなそうとしたところ、先生は手を着けず、持ち帰る途中で河原に捨ててしまったという話だ。
教師は「茶菓子無用」とも「どうしてゴミ箱に捨てずに河原へ投げ捨てたのか」とも疑問に思う。
ともかくそのせいで、漫画のおはぎは貧乏人の不潔な手作り菓子みたいなレッテルを張られてしまった。
でもこうして超ブルジョワな出雲学園の女の子達だって愛でている。
なんだかマイナスイメージを跳ね返したおはぎに自分を重ねて嬉しくなった。




