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117 1994/12/01 Thu 一樹の病室:そんな若杉先生見たくない!

 二葉の声がひっくり返った。


「ど、ど、どういうこと?」


「簡単な話だ。院長一家にアイが見えないのは、若杉先生に上級生のヒロインたる運命が課せられていて、その因果が定められているせい。そう仮定するならヒロインじゃなくなれば見えるようになるはず」


「いや、でも、『死んだ人間が干渉するのは許さない』というアニキの仮説が正しいとするなら、あたし達が関与したところでアイちゃんと若杉先生の関係性が変わるわけじゃない。はっきり言ってムダじゃない?」


「これがゲーム開始前なら、そうかもな」


「……と言うと?」


「ゲーム開始前においては若杉先生がヒロインになるという運命とヒロインとしての設定が定められている。だから神の織りなす因果律に抗えないかもしれない」


「ふんふん」


「しかし既にゲームは始まっている。若杉先生はフラグを潰しさえすればヒロインの座から脱落する。同時に設定も不要となり、神が因果律を維持する必然性は失われる」


「つまり『終わってしまえば用は無い』という理屈ね」


 アイがぼそりと口を挟む。


「キヨシ君の娘も非道い扱いじゃの」


「金ちゃんやアニキの上で大噴水させられるかもしれないあたしが一番の非道い扱いな自信あるよ」


 吐き捨てられた自嘲。

 これにはさしものアイも苦笑いで返すしかない。


 二葉が手を頭の後ろに組みながら椅子に背を預け、のけぞるように両足を投げ出す。


「その点は納得した。でもさ、あたし達にそんなことやってる時間あるの? それにどうやって潰すの?」


 半ば呆れ混じり、当然だろう。

 大噴水させられる二葉は言わずもがな。

 俺の側に至っては魂が消滅する事態に直面しているのだから。

 困っている奴が目の前にいるから。

 その言葉で片付けられる状況ではない。


 アイも瞼を伏せ、申し訳なさそうに見上げてくる。

 無理してまでやってほしくない、でもできるものならしてほしい。

 胸中複雑な思いといったところだろう。


 だが、今、このタイミングに限っては、二人が納得するだけの回答を示すことができる。


「どちらも問題ない」


 二葉が訝しげに目を細めた。


「ふん?」


「結論を先に言う。明後日の土曜日、若杉先生を保健室から追い出せばいい」


「具体的に説明してくれる?」


 紙とペンが必要なら、と差し出してきたので受け取る。


「前にも言ったけど、若杉先生の攻略は簡単なんだ」


 ノートに、まず次の通り図示する。


【ステップ1 第一週(11/25~12/2)


 保健室へ行く → 若杉先生のフラグが立つ

 何回か行く  → 好感度が上がっていく


 ※次のステップに進むには保健室に泊まるイベントをクリアする必要がある

  22時~翌3時の間に保健室を訪ねると強制的に発生】


「『上級生』はどこへ行って何をしようと自由なゲーム。だけど逆に自由すぎて最初は何をしたらいいかわからなくなるから、始めたばかりのプレイヤーはわかりやすい場所に繰り返し行く傾向があるんだ」


「ロールプレイングゲームで新しい町に着いたら、まずは宿屋とか武器屋とかの定番スポットを確認しに行くようなものかな?」


 近いようなそうでないような。

 別にどっちでも構わないし考えるのも面倒。

 頷いて話を進める。


「保健室もその一つ。行けば絶対にヒロインがいる数少ないスポットだからさ。お泊まりイベントもよくわからないまま学園を彷徨いていれば発生してしまっていることが多い」


「つまり若杉先生は初心者向けのヒロインってことね。攻略する気がなくても、いつの間にか進んでしまってると」


 納得した様子なので、次のステップを記す。


【ステップ2 保健室お泊まりイベント&好感度基準をクリアした週の土曜日


 保健室を訪ねると、若杉先生から『たまには外で遊んでみたい』とぼやかれる

→選択肢が表示される

→「今日だけ一緒に脱走しましょう」を選ぶとデートに進展しステップ3へ

→「そうですか」を選ぶと若杉先生のフラグが折れる、以降は攻略できなくなり先生と生徒の関係のままエンド


 書き終えた瞬間、二葉が叫んだ。


「あたしと違って、随分まともだよね! 選択肢も展開もっ!」


 言いたくなる気持ちはわかる。

 なんたって【トイレならあっち】が正解にされちゃうくらいだものなあ。

 ただ何を言ってもフォローにはならなさそう。

 スルーして説明を続ける。


「重要なのは、この選択肢が条件を充たした週末の土曜日にしか出ないこと」


「ふん? どうして?」


 核心に迫る事項を出されて、二葉の関心が元に戻ったっぽい。

 この調子で説明を続けよう。


「他のヒロインが攻略できなくなるからじゃないかな。学校休みな週末は、後半になればなるほど重大イベントがセッティングされている。それなのにいつまでも保健室行ったら強制的にイベント発生な状況じゃ、プレイヤーとしてはたまったものじゃない」


 アイがぼやく。


「キヨシ君の娘って非道い扱いじゃの……」


 二葉もつぶやく。


「オードブル扱いだよね、あんないい先生なのに……」


 二人とも本気で同情してるが、本当にオードブルな位置づけなのだから仕方ない。


「把握はしてくれたようだし、説明を続けるぞ」


【ステップ3

 保健室をトータル3日訪ねると好感度MAX

 二人でゲームからクライマックスへの導入イベント発生

 「こんなおばさんとじゃ……いやか?」→「無言で抱きしめる」

 この選択肢さえ間違えなければ、そのまま刹那の瞬間へ


 二葉が叫んだ。


「そんな若杉先生見たくない!」


「前に『金ちゃんと若杉先生がくっつくの止める必要も権利も、あたし達にはないと思うんだけど』って言ってたじゃないか」


「あの時はあの時! こんな具体的に聞かされて同じ台詞言えるわけないじゃない!」


 あまりの剣幕に怯んでしまう。


「そんな血相変えて、どうした」


「だって先生なんだよ、出雲学園で唯一な良心の若杉先生なんだよ! そんなアダルトビデオ紛いの陳腐なイベントで汚されてたまるか!」


 「二葉も案外モラリストではない」、登校初日に部室で聞いた時はそう思った。

 だが違った。

 単にリアルを欠いていただけなのだ。

 あれだけ世話になっている若杉先生が金之助の餌食になるなんて見過ごせるわけない。

 この世界の異常さを体験し続けるに至り、ようやく二葉の中でリアルとなったのだろう。


「俺も同じだ」


 はっきり本音を伝える。


 あの、体育館のリンチの翌朝、保健室に出頭した後。

 俺は「若杉先生にはずっと先生のままでいてほしい」と思った。

 「金之助に汚されたくない」とも思った。

 実は二葉も同じ思い。

 それを知って安堵すらしている。


 俺のワガママ、俺がガキで童貞、はたまた一樹の肉体に引き摺られている。

 そのいずれでもない。

 俺は俺の意思で若杉先生を守りたい。

 今、そのことをはっきり確認した。


 アイのことは決してついでではない。

 困ってる人は助けたい、これは本音だ。

 しかし俺がどう思ったところで、二人の運命に関係の無い若杉先生のルートにまで干渉するのは抵抗がある。

 そんなことをやっている場合じゃないというのも含めて。

 きっと二葉も同じ、最初に口にした通りだ。

 だったらここは「口実」でもある。

 アイも若杉先生も助けられて一石二鳥。

 手前勝手ながら、そう割り切らせてもらう。


 二葉は俺の台詞を受けておし黙ったまま。

 その瞳を覗き込む。


「理解してくれたということでいいんだな」


「方法と時間について教えてくれる?」


 ステップ2について記した箇所を再度示し、ペンでぐるっと「保健室お泊まりイベント&好感度基準をクリアした週の土曜日」をなぞる。


「これが明後日の土曜日にあたる。この一日だけイベントを発生させなければいい。授業の終わった午後を回って、日曜日の午前零時になればクリア」


 恐らく実際のところは二二時を回れば大丈夫だろう。

 デートイベントを経過するだけの時間を要するから。


「させなければって、随分と事も無げに言ってのけたね」


「簡単なつもりはないけど手段は思いつくぞ」


「そうね、例えば……あたし達が保健室に居座って二人きりにさせないとか……金ちゃんを保健室に行かせないか……金ちゃんに間違った選択肢を選ばせるか……若杉先生を保健室から連れ出すとか……」


 合間合間に空白がある辺り、二葉としては現実味のある順を考えて口にしたのだろう。

 ちょうどいい。


「すまんが順番に否定させてもらう」


 二葉の眉毛がぴくんと跳ねた。


「ふん?」


「まず『二人きりにさせない』。容易に実行可能だし一見現実味があるように見える。でも無理だ」


「どうして?」


「俺とお前が保健室に張りついたとして、一瞬の隙もなく監視し続けられるか? ほんのわずか二人の視界から逸れれば、きっとイベントは起こるぞ」


 つまり一見して穴がないようで穴があるのだ。

 何もアクシデント無くとも無理っぽいが、たまたま食べたおやつが腐っていて俺も二葉もトイレ往復なんて状況もありうる。

 まるで漫画みたいだが……こんな漫画も同然の世界、そこまで考える必要がある。


「順番にって言ったよね。次は?」


「どうやって行かせないんだよ。拉致が可能なくらいなら、お前のフラグ回避だってそうすればいい。だけど無理ってのは話し合ったよな」


「珍宝堂の時みたいに待ち合わせしてすっぽかすとか……」


「同じ手は通用しないだろ。特に二〇時頃になれば、もう帰宅してるかもと家に電話するんじゃないか」


「今度は芽生に頼むとか……」


「芽生が目的も知らされず、そんな不義理な申出に応じると思うか?」


 アイのことを正直に話したとて、「どうして金之助君が関係あるの?」と問い返されるのは目に見えてる。

 しかも俺達は問いを誤魔化す答えを持ち合わせていない。

 正確には「俺は」だな。

 二葉が芽生へまともに頭を下げるわけがない。

 部室の特訓の時みたく、何か弱みを握ろうとして収拾つかなくなるのがオチだ。


「わかったよ。次は……いいわ。あたしも残り二つは適当に言っただけだし」


「一応、予め『女性の愚痴は黙って、うんうんと聴くものだよ』とか、お前が吹き込んでおくという手段はある……が、不確実すぎる」


 二葉とアイが目を見開く。


「いったいどうした?」


「アニキの口から、そんなまともな女性あしらいが飛び出るなんて……」


「びっくりじゃの……」


「二葉はともかく、アイが俺の何を知っている!」


「兄様にそんな気が利くくらいなら、この世界に来る前に想い人の一人くらいいたじゃろうし、童貞だって捨てとったじゃろ」


 何を決めつけてるんだよ。

 確かにそうかもしれないけど、そのドヤ顔はむかつくから止めろ。


「どやがお?」


 あー、もう! 念で通じてしまったのか。

 二葉と同じ妙なイントネーションしやがって。


「自慢顔のこと。この時代にはない言葉だ」


 二葉が話を戻す。


「でもそうなると手段ないじゃん」


「まだ『若杉先生を保健室から追い出す』という手段が残ってるだろうが」


「通勤したくないからって学校住み着いてる程の保健室の主様を?」


 顔をしかめるのも無理もない。

 主様どころか、それこそアイがごとくの地縛霊と変わらないからな。

 しかし、この世界のルールが段々とわかってきた。

 だからこその仮説を立ててみせよう。

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