116 1994/12/01 Thu 一樹の病室:いわば因果律の話だよ
「なんじゃ、なんじゃ? いったい何がわかったんじゃ?」
アイが本当に顔を真っ赤にしながら、飛びかかるように詰め寄ってきた。
「ま、待て。興奮せずに、まずは落ち着け」
「興奮しろと言わんばかりの台詞吐いたのは、どこの御仁だ?」
そりゃそうなんだが。
「まあまあ、アイちゃん」
二葉がアイの小さな肩を持ち、引きはがす。
そのままちょこんと膝の上に乗せるようにして、再び椅子に倒れ込んだ。
「アニキ、話して」
一旦荒れかけた空気が一瞬にして鎮まる。
落ち着いているように見える二葉こそ、本音は「早く答えを教えろ」なのだろう。
何を言っても推測にすぎないのはわかりきってるはず。
前置きなしで単刀直入に説明を始める。
「まずアイの存在。俺には見える。二葉にも、金之助にも、一郎にも。もちろん、一樹にも見えている。というより、実体化すれば基本的には誰にも見える」
「そうね」
「しかし院長には見えない。若杉先生にも見えない」
「そうじゃの」
「だったら見えない原因は『院長一家』にあると考えるのが自然じゃないか? 他の人になく二人だけに共通する属性は『家族』くらいなんだから──」
ここで一旦間を置く。
そして強調するように、ゆっくり伝える。
「──俺は、これも『見えざる手』のせいだと考えてる」
二葉が問うてくる。
「さっきも言いかけたよね。『アイに上級生のヒロインという未来が定められているから院長が邪魔だった』って。あたしが口挟んだせいでうやむやになっちゃったけど」
二葉の「アイちゃんと院長先生が道ならざる恋をして若杉先生が生まれなくなる可能性をなくすためじゃない?」。
実は、これがヒントだ。
「さっきと今とは主張の中身が違う」
「どういうこと?」
「アイの未来も原因の一つだったのかもしれない。しかしそれだけが問題なら、今日若杉先生に見えなかったのはおかしい」
深夜の内にアイのフラグは折れてしまっていたのだから。
「つまり原因は若杉先生にあるってこと?」
「俺は二葉の主張──『アイちゃんと院長先生が道ならざる恋をして若杉先生が生まれなくなる可能性をなくすためじゃない?』、こちらの方が核心に近いと思う」
「でも、アイちゃんが否定したじゃん」
「若杉先生が生まれる、生まれないということについてだけはな。いわば因果律の話だよ」
二葉が眉をひそめる。
「因果律?」
「まず前提からだ。若杉先生はヒロイン。そして見えざる手が働いていることは既に判明しているよな」
「アニキがこの世界に来た翌日の保健室での話だね」
「ここで因果律の観点からアプローチを図る。現在とは過去から連続してきた因果の帰結だ。いま存在する全ての事象には原因が存在する」
「そうね」
「これを逆に考えてみたい。過去の時点で既に未来が定まっているとしたら?」
「どういうこと?」
「若杉先生がゲームのヒロインになることは過去の時点において定められている。さらに現在の若杉先生のヒロインたるに相応しい人格も、保健室の主であるという状況も、その『設定』の全てが過去において定められている」
二葉が首を傾げる。
「それとアイちゃんが若杉先生達に見えないこととどんな関係が?」
「院長夫婦の離婚は若杉先生の人生を形作った大きな要素だろう。例えば離婚していなければ、今頃院長室にいたのは若杉先生かもしれない。あるいは若杉先生があそこまで人間できているのは、院長を反面教師にしたからかもしれない」
「それで?」
「アイは院長夫婦のわだかまりを解きうる存在。院長夫婦の離婚に干渉することは許されないし、若杉先生に真相を告げることも許されない。だから見えない」
一拍ほどの間をおき、二葉が叫声をあげた。
「バカな! 非科学的もいいとこじゃない!」
「フラグの存在については、お前だって身をもって知っているだろう」
「そうだけど! いや、それでも! まるで神様がいるみたいじゃない!」
アイがぼそりと呟く。
「非科学的な幽霊なら、ここにおるぞ」
「幽霊と神様を一緒にされても!」
俺も付け加える。
「非科学的な予知能力者だっていたじゃないか」
「イジラッシさんは人間だし、アイちゃんだって元々は人間じゃない!」
二葉は完全にハイテンション。
しかし今の言葉で、理由が何となくわかった。
非科学的ということが理由ではない。
それは二葉がかつて口にした言葉、「あたしは『どこかの誰かにプログラムされたお人形さん』になるんだよ」にある。
信仰の対象という意味でなく真の上位的存在としての神。
そんなのゲームプログラマーと変わりやしない。
しかも動悸を発せさせるなどの身体的異変ならまだしも、アイの事例みたく運命までも固定しようとする。
まさに「お人形さん」じゃないか。
特に自らの性格まで自らの努力で変えてきた二葉にしてみれば、その一切を無にされたような錯覚を覚えるのだろう。
……と言ったところで二葉の気持ちは収まるまい。
ここは適当に誤魔化しておこう。
「単純に『死んだ人間は生きてる人間の邪魔するな』ってことじゃないのかな。生きてる人間が他人の運命に干渉する分には構わないんだよ、きっと」
二葉が口を一旦つぐみ、一転して静かに答える。
「……かもね。そうでないと、あたし達が金ちゃんのフラグ潰しできなくなっちゃうことになっちゃうもの」
納得してくれたらしい。
咄嗟のでまかせだったが、二葉の返答を聞くと案外本当に真相なのかもと思える。
アイは特別な存在という点においても辻褄あうし。
俺も死んでるけど、一樹としてはまだ生きてるし。
「わしって非道い扱いじゃの」
アイは苦笑い。
本気でぼやいているのではなく、場を和ます洒落としてだろう。
さて、俺の仮説と二葉の台詞。
両方とも早速実践することにしよう。
ここは乗りかかった船。
憎まれ口叩きながらも根は優しい、目の前の幼女もどきのために。
「アイ、お前の本音は院長一家の壊れた絆を修復したい。彼らに迷惑が掛からないという前提なら姿を見せても構わないし、むしろ現れたい。これで間違いないな」
「もちろん、しかし……」
言い淀む。
「彼らには見えないのに何を言ってる」といった感じなのだろうが、構わず続ける。
「そのためには、お前の存在を若杉先生に話しても構わないか?」
「ああ、まあ……」
「そして直接会って事情を説明してもらうかもしれない」
「それも構わんが……」
二葉が慌て始めた。
「ア、アニキ! いったい何やらかすつもりなの!?」
俺が何か目論んでることに気づいたか。
はっきり力強く、その答えを口に出す。
「若杉先生と金之助のフラグをぶっ壊す」




